3.買い出しと魔獣
【辰守晴人】
新都の大通りに面した噴水公園で、俺と龍奈はベンチに沈み込んでいた。
「……だからバスで来ようって言ったんだよ」
「はあ? ハレだって賛成してたじゃない!」
「お前がごねるから渋々な。不承不承にな」
新都まで歩いて行こう。そう言い出したのは龍奈だった。
フーの異常な学習能力を見て、道すがら色々なものを見せた方がいいと押し切られたのだ。
俺は昨晩フーをおぶって歩いたせいで、出発前から足が重かった。
しかも、ただ二時間歩いただけじゃない。
「これなーに?」
「あれなーに?」
空き缶、鳥、石ころ、草、電柱、廃ビル、新聞、猫。
フーは目に入るものを、片っ端から指差した。
最初は「これが教育というものよね!」と張り切っていた龍奈も、三十分後にはげっそりしていた。
そんなわけで、俺たちは心身共に疲弊している。
フー以外は。
噴水のそばでは、お揃いの服を着た女の子が二人、フーと遊んでいた。
小学校に上がったくらいの子と、それより少し幼い子。姉妹だろうか。
フーも二人と同じくらい楽しそうに、何やら話し込んでいる。
昨日まで会話もままならなかったことを考えると、これでも驚くほどの進歩だ。
「──龍奈、お腹すいたんだけど。キレそう」
隣から物騒な声がした。
俺が子供を持つ親なら、こんな奴がいる公園には来たくない。
「そういや、四時半から起きてんのに朝飯も食ってねえもんな」
龍奈は出発まで、ずっとフーに構っていた。
伸びっぱなしだった前髪は綺麗に切り揃えられ、長い髪もハーフアップに結われている。
今着ている服も、履いている靴も、龍奈が家から持ってきたものだ。
なんだかんだ、面倒見はいいんだよな。
「フーが着てるの、お前の服なんだよな」
「はあ? 龍奈のセンスに文句あるっての!?」
「いや、お前のにしてはサイズがでかいと思って」
「……背が伸びる想定で、去年の売り尽くしで大きめの買っといたのよ。一ミリも伸びなかったけどね」
「え、何その悲しいエピソード」
今フーが着られてるし結果オーライ、と励まそうとしてやめた。
未だにこいつの地雷が分からないしな。
「……飯、食いに行くか」
* * *
大通り沿いのバーガーショップに入り、俺たちは店の奥の席に陣取った。
疲れた身体に、ジャンクフードが染みる。
こういうときのハンバーガーは、なぜこんなに美味いのだろう。
「ハレ! ハンバーガーって美味しいね! 私、これ大好き!」
向かいでフーが頬を緩めた。
「……お前、いつの間に自分のこと私って言うようになったんだ?」
「さっきだよ! ミユちゃんがお姉ちゃんは自分のこと私って呼ぶんだよって言ってたから!」
ミユちゃんというのは、公園で遊んでいた子だろう。
しっかりした子だ。
「しっかりした子じゃない。ハレ、アンタも見習いなさいよね!」
龍奈と前半だけ意見が一致した。後半はケンカを売られている。
「ねえねえ、リューナはまだお姉ちゃんじゃないの?」
「……ぶふっ。そうなんだよ、フー。龍奈ちゃんはまだお子ちゃまなんだよ」
素晴らしい。言葉だけじゃなく、ぶっ込んでくる話にもキレが増している。
「悪かったわね! お子ちゃまで!」
調子に乗った俺の首へ、肘打ちが飛んできた。
首は死ぬって!
「二人とも、ケンカはダメだよ。仲良くしよ?」
フーが心配そうに俺たちを見た。
そんな顔をされたら、何も言えない。
龍奈も目を逸らし、声を落とした。
「……怒鳴って悪かったわよ」
怒鳴ったことより首への肘打ちの方が事件なんだが。
「ほら、さっさと食べて行くわよ! 今日は回らないといけないお店、いっぱいあるんだから!」
龍奈が再びバーガーにかじりついた。
フーも負けじと口を開ける。
俺の中で、女子少食説がまた一歩、崩壊へ近づいた。
食事を終え、俺たちは近くのショッピングモールへ向かった。
フーが家で暮らすための、服や日用品を買い揃えるのだ。
フーは店にも人にも目を輝かせた。
その手を龍奈が引き、後ろから俺が荷物を抱えてついていく。
荷物が増えるほど、財布は軽くなった。
二時間後。
買い出しリストを埋めた俺たちは、二階のフードコートで休憩していた。
「それ食ったら帰るか」
ソフトクリームを食べる二人に声をかける。
龍奈は朝と打って変わって、ご機嫌だった。
「そうね。帰ったらフーちゃんの部屋も作らないと。龍奈の財布もそろそろやばいし」
「今日の支払い、飯代も含めて全部俺なんだけど」
「何言ってんの。アンタが龍奈の財布なんだから当たり前じゃない」
「お前が何言ってんの!? もう千円しかないんですけど!」
冗談を言っている顔じゃないのが怖い。
「まだ千円も残ってるわけ!? ハレ、三人でプリクラ撮りに行くわよ!」
「勘弁してくれ!」
もちろん、勘弁してくれなかった。
* * *
バス停の電光掲示板には、三十五分遅延の表示が流れていた。
「冗談じゃないわよ。一体どんな理由で龍奈様を待たせるっての?」
「地下シェルターの拡張工事で車線規制。要は渋滞だよ」
「だったら仕方ないわね!」
「聞き分けはいいんかい」
二十年前の魔獣災害以来、街には地下シェルターが作られてきた。
新都に至っては、シェルターを基盤にして街そのものを建てている。
今も拡張工事は続いていて、足下にはアリの巣みたいに避難路が張り巡らされているのだ。
「ハレ、龍奈! 待ってる間に、さっきの公園行ってもいい?」
フーが噴水公園を指差す。
「そうだな。十分前に戻ってくれば──」
──言いかけた時、轟音が響いた。
公園とは反対側。五十メートルほど先の交差点だった。
道行く人が、一斉に振り返る。
「事故か?」
「……車が店に突っ込んでるじゃない!」
龍奈の視線を追う。
確かに、大通り沿いの店から煙が上がっていた。
「怖いよ、ハレ」
フーが腕にしがみついてきた。
俺はその頭を撫でた。
「大丈夫。ただの事故だから、ここにいれば──」
再び轟音。
店先が崩れ、その奥から何かが這い出した。
車ではない。
人間でもない。
「──魔獣だああぁ!」
誰かの叫びに重なって、警報が鳴り響いた。
通りの空気が変わった。
悲鳴と足音が、一度に押し寄せる。
「逃げるぞ! 龍奈、先に行け!」
荷物を捨て、フーの手を握った。
龍奈を先頭に、公園へ向かって走る。
噴水公園の地下駐車場。そのさらに下に、大型シェルターがある。
公園へ駆け込んだときには、あれほどいた人影がほとんど消えていた。
残っていた人たちも、地下へ続く入口へ走っていく。
俺たちも、早く。
「ハレ! こっち!」
龍奈が進路を変えた。
道端に、女性が倒れていた。
「大丈夫ですか!?」
龍奈が膝をつく。
女性の服には土と靴の跡がついていた。逃げる人波の中で転んだうえに、踏みつけられたのだろう。身体を起こそうとして、また崩れる。
「……ひどい」
龍奈が小さく呟いた。
「私は、大丈夫ですから……どうか、子供たちを……」
「どこにいるの? 何人?」
龍奈はすぐに聞き返した。
俺は、公園の入口を振り返っていた。
いつ魔獣が来るか分からない。
ここで止まっていていいのか。
早く逃げないと、全員──。
「警報が鳴る前、子供たちだけで、トイレに……それっきり……」
足の裏の感覚が、遠くなる。
踏みつけられたこの人を見て、龍奈はひどいと言った。
でも、俺だって誰かを押しのけたかもしれない。
倒れた人に気づかず、踏んで逃げていたかもしれない。
そう思うほど、怖かった。
「ハレ!」
頬に衝撃が走った。
龍奈に打たれたのだと、少し遅れて気づく。
「い、痛えな!」
「しっかりしなさいよ!」
怒鳴る龍奈の顔も、青白かった。
女性の肩を支える指先が、小さく震えている。
「龍奈はフーちゃんと、この人をシェルターまで連れてく。その後合流するからアンタは先に子供たちを探してて!!」
「俺が……?」
龍奈は俺を睨んだ。
「アンタ、龍奈の財布兼、ご飯兼、足でしょ。シャキッとしないさい!」
声はいつも通り強気だった。
でも、女性を支えたまま、龍奈は一度も逃げようとしていなかった。
俺は唾を飲み込んだ。
「……子供さんの名前と、着ている服は?」
女性が顔を上げる。
「七歳の娘が、ミユ。それと、五歳の妹がミクです。お揃いの、赤い上着を……」
噴水のそばで笑っていた、二人の顔が浮かんだ。
フーの友達じゃねえか。
今もどこかで、母親が来るのを待っているかもしれない。
何が起きたかも分からないまま、二人きりで。
握っていたフーの手を、そっと離した。
「フー、龍奈と行け」
「ハレは?」
「フーの友達を迎えにいってくる」
怖さは消えない。
それでも、今聞いた名前を、聞かなかったことにはできなかった。
「龍奈、そっちは頼んだからな!」
「そっちこそ、ちゃんと連れてきなさいよ!」
俺は公衆トイレへ向かって走り出した。
頬が、じんじんと痛かった。
* * *
『──繰り返します。魔獣災害発生。民間人は直ちに地下シェルターへ移動してください』
警報が響く中、姉妹は拍子抜けするほどあっさり見つかった。
噴水広場から一番近い公衆トイレのそばで、お揃いの赤い上着を着た二人がしゃがみ込んでいた。
「ミユちゃんとミクちゃんだよね?」
二人がびくっと顔を上げる。
俺は息を整え、できるだけ声を落ち着かせた。
「お母さんに頼まれて、迎えに来たんだ。一緒に行こう」
「……フーちゃんといた、お兄ちゃん?」
姉の方が、小さく聞いた。
「そう。覚えててくれたんだな」
二人は立ち上がり、俺のそばへ来てくれた。
母親が怪我をしていることは、今は言わなかった。
地下駐車場の南口を目指し、元来た道を引き返す。
噴水広場へ戻りかけて、足が止まった。
「……まじかよ」
広場に、魔獣がいた。
体長二メートルほど。
人のような身体から、四本の腕が生えている。
「静かに」
声を上げかけた姉妹を抱き寄せ、自動販売機の陰へ引き込んだ。
喉の奥がひりつく。自分の息までうるさく感じる。
魔獣は低く唸り、広場を歩いていた。
まだ、気づかれていない。
このまま進めば、鉢合わせになる。
かといって、ここにも長くはいられない。
「……向こうへ行こう。ゆっくり、音を立てないようについてきて」
二人が涙目で頷いた。
歩道を外れ、松林へ入る。
木々の間を抜ければ、公園の外の大通りへ出られるはずだ。
さっき通りに出た魔獣が、広場へ移動してきたのかもしれない。
なら、今のうちに道路を渡れば、向かいのモールへ逃げ込める。
そうであってくれ、と願いながら進んだ。
公園の縁にある低い塀を、一人ずつ抱えて越えさせる。
道路には、渋滞のまま乗り捨てられた車が並んでいた。
「そこのモールまで行こう。二人とも、手、離しちゃダメだよ」
左右に姉妹の手を握り、車の間を進む。
「ミク、大丈夫?」
「うん……」
幼いながらに妹を気遣う声に、少しだけ心が和らいだ。
あと少し。
道路を渡りきれば──。
ガゴォン、と音がした。
最初に車が突っ込んだ店。
その崩れた店先から、巨大な影が這い出した。
「……なんで」
広場にいたはずだ。
さっき、確かに。
影が、何本もの脚を広げた。
クモのような身体が持ち上がり、その目がこちらを捉えた。
2体目だ──。
「走るぞ!」
姉妹の手を引き、モールへ向かって駆け出した。
背後で、何かが砕ける。
魔獣は歩道の物を蹴散らし、ものすごい速度で迫ってきた。
2人の腕を引っ張って必死に走ったが、車を蹴散らす音が段々と近づいてくる。
あと数秒で、追いつかれる。
「二人とも、走れ!」
俺は手を離した。
「そのままモールまで行け!」
一瞬、二人が振り返った。
ミユちゃんが妹の手を握り直し、強く引いた。
小さな背中が、遠ざかる。
俺は魔獣へ向き直った。
急に立ち止まった俺を警戒したのか、そいつも数メートル先で脚を止める。
「……ハサミまであんのかよ」
キリキリと音を立て、巨大なハサミが開いた。
クモというより、サソリだった。
作戦なんてない。
俺にこいつが倒せるとも思っていない。
ただ、俺に構っている間に、あの二人が少しでも遠くへ逃げれるのなら──
握った拳が震えた。
逃げたかった。今すぐにでも。
それでも、背中を向けるわけにはいかなかった。
魔獣がハサミを持ち上げ、一歩踏み出す。
次の瞬間、巨体が跳ねた。
まるで何かを避けるように、真横へ。
直後、さっきまでそいつがいた場所へ何かが落ち、アスファルトが砕け散った。
「デートの邪魔しやがって、クソがあぁぁ!」
金髪の少女だった。
地面にめり込んだ拳を引き抜き、剣呑な顔でサソリを睨みつけている。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
腹の底を揺さぶる咆哮が響いた。
壊れた店の奥から、今度は角の生えた魔獣が飛び出す。
さらに、公園の松林がなぎ倒された。
四本腕の、人型。
広場で見たそいつが、木々の向こうから現れた。
さっきより、一回りも二回りも大きい。
「三匹もいんのかよ、めんどくせぇ!」
金髪が吐き捨てた。
「おい、そこの一般人! 死にたくなかったら、さっさと逃げろよ!」
言い終えるより早く、金髪がサソリへ突っ込んだ。
他の二匹も、その背中へ群がっていく。
逃げなければ。
俺は震える足に力を込めた。
そのとき、視界の端に見慣れた服が映った。
「……フー?」
道路の向こうから、こっちへ走ってくる。
「バカ!! 来るな!!」
叫んだときには、俺もフーへ向かって走り出していた。
なんでいるんだ。
龍奈とシェルターへ行ったはずだろ。
道路の真ん中で、その手を掴む。
「お前、なんでこっち来たんだ!」
「私、ハレのこと好きだから、ずっと一緒にいたい!」
フーは真っ直ぐ俺を見た。
こんな状況じゃなければ、グッとくるセリフなのかもしれないが今じゃない!
「分かったから、こっち!」
モールへ向き直った瞬間、目の前を巨大な影が横切った。
吹き飛ばされた魔獣が歩道へ墜落し、道を塞ぐ。
まだ、あっちには子供がいる。
「おい、金髪! モールの方に子供が二人いるんだよ!」
二人がどこまで逃げたのか、ここからは見えない。
魔獣の下敷きにでもなったら──。
「分かったから、さっさと逃げろボケェェ!」
声は届いた。
だが、届いたのは金髪だけじゃなかった。
角の魔獣が、こちらへ顔を向けた。
眉間に、白い光が集まっていく。
フーの手を引き、モールとは反対へ走った。
すぐそばで、光が弾けた。
爆発音に耳が塞がる。
身体が横へ持っていかれ、足がもつれた。
止まるな。
フーの手を握り直す。
車の陰を抜け、歩道へ上がり、その先の細い路地へ転がり込んだ。
戦闘音が、壁の向こうへ遠ざかった。
「……フー。怪我、してないか」
息が、うまく吸えない。
フーの顔を見る。立っている。俺の手を握っている。
よかった。
でも、あの二人は。
モールまで辿り着けただろうか。早く追いつかないと──
「ここで、待ってろ。俺、子供たちを……」
地面が、せり上がった。
そう見えた。
顔に衝撃が走り、視界が横倒しになる。
起き上がろうとしても、身体が重い。
数秒してようやく、自分が倒れたのだと気づいた。
「ハレ!? ハレ、どうしたの!?」
フーが膝をつき、俺の顔を覗き込む。
脇腹に、変な感覚があった。
手を伸ばす。
濡れた布が、指に貼りついた。
持ち上げた手は、血で真っ赤だった。
ああ。
さっきの攻撃、もらってたのか。
「怪我してるの!? ハレ!」
路地の地面に、血が広がっていく。
フーが身体を揺すっているのに、その感触はひどく遠かった。
泣いてるのか。
大丈夫って、言ってやらないと。
口を開いたつもりだったが、声は出なかった。
怪我人はあんまり動かしちゃ駄目だって、今度教えないとな。
視界が、だんだん暗くなる。
最後に、フーの声だけが聞こえた。
「──死なないで」
これが、俺が人間だった頃の、最後の記憶だ──。




