第97話:【姫君救出】待っていろと言ったのに、姉もこっちへ走ってきた
【完全隔離処理を開始します】
表示と同時に、施設全体が動いた。
「来るぞ!」
海斗の声と同時に床が割れ、壁がせり上がり、天井からも分厚い隔壁が落ちてくる。全部、俺たちと姉貴の間を塞ぐためのものだ。
「操!」
「前は任せて!」
氷青の光が走った。一枚目の隔壁は可動部が凍りつき、二枚目は閉じかけた隙間へ剣が滑り込んで、氷が内部機構まで食い込んでいく。
「玲司!」
「見えてる!」
三枚目。操の横を抜け、壁の根元に拳を叩き込む。狙うのは壁じゃなく、流れている術式だけだ。ガンッと鈍い音がして、金色の光が乱れ、隔壁が途中で止まった。
「海斗!」
「後ろは任せろ!」
背後で赤い結界が展開する。振り返らない。今はもう、振り返る必要がない。
【外部三名の接近を確認】
【最優先保護対象との距離が縮小しています】
「いいぞ」
「何が?」
「近づいてる」
「そりゃ走ってるからな!」
海斗のツッコミを背中で聞きながら、さらに奥へ踏み込んだ。
【完全隔離を継続】
右の壁が動く。
「左!」
操が即座に進路を変え、俺も追う。
「オレにも早めに教えろ!」
「来てるだろ」
「後衛は曲がる距離が長いんだよ!」
最後尾を赤い光が駆け抜け、三人で角を曲がった。その先には長い白い通路があり、何重もの隔壁が並んでいる。そして、閉じかけた壁の隙間から、一瞬だけ人影が見えた。
「――姉貴!」
◇ ◇ ◇
「玲司!」
聞こえた。今度は、はっきりと。
遥香は走り出した。
「姫君! お待ちなさい!」
「待ちません!」
後ろからエレオノーラが追ってくる。
【最優先保護対象の移動を確認】
【安全区画へお戻りください】
「帰ります!」
【安全区画は反対方向です】
「私の帰る場所はそっちじゃないです!」
止まらずに走る遥香の前で、床が光った。
【転倒防止措置を実施】
「あっ」
ぼふっ、と巨大な白いクッションが進路を塞いだ。
「またこれ!」
「姫君、そのまま止まりなさい!」
「これ、安全なんですよね!?」
「もちろんですわ!」
「じゃあ使います!」
「何に!?」
遥香は減速せず、クッションへ飛び込んだ。ぼふん、と身体が深く沈み、すぐに強い反動が返ってくる。
「えいっ!」
「姫君!?」
跳ね返された勢いで向こう側へ抜け、両足で着地した。
【転倒を回避】
「ほら!」
「そういう目的ではありません!」
もうクッションは振り返らない。次に立ちはだかったのは隔壁だった。
【外部接触を防止します】
「開いて!」
【接触は推奨されません】
「私は推奨します!」
【本人意思による接触希望を確認】
壁が少しだけ開く。
「よし!」
「なりません!」
【最上位保護権限】
【接触制限】
また閉じた。
「もう!」
遥香は端末に飛びついた。
「施設さん!」
【はい】
「私、帰りたいです!」
【本人意思を確認】
「なので開けてください!」
【最上位権限による接触制限があります】
「じゃあ両方聞いて、通れるくらい開けて!」
「そんな交渉がありますの!?」
【処理中】
「考えてる!」
「施設!?」
数秒の間があって、壁が人一人分だけ開いた。
【本人意思と最上位権限の双方へ配慮しました】
「できる子!」
「配慮の仕方がおかしいですわ!」
遥香は隙間へ身体を滑り込ませた。玲司の声は、もうすぐ近くだった。
◇ ◇ ◇
「玲司!」
「右だ!」
三人で曲がった直後、床が後ろへ動き始めた。
「うおっ!?」
【接近速度を安全基準まで低下させます】
「逆走させる気かよ!」
「走れ!」
「走ってる!」
前へ走っても、床は後ろへ流れていく。距離が縮まらない。
「操!」
「止める!」
剣先が床に触れ、左右の駆動部へ氷が走った。ガガガガ――と音を立てて速度が落ちる。
「今!」
三人同時に床を蹴った。
【安全基準を超過】
無視する。
【転倒の危険があります】
これも無視。
【疲労による事故の可能性があります】
「うるさい!」
ついに海斗が怒鳴った。
「施設相手にキレたな」
「お前らにだけは言われたくねえ!」
だが、そんなやり取りもすぐに消えた。目の前に最後の扉がある。その向こうから、姉貴の声が聞こえていた。
「操!」
「開ける!」
氷青の光が扉の両端を凍結させる。
「海斗!」
「固定!」
赤い結界が隙間に差し込まれ、閉じようとする扉を押し返す。軋む音が響く中、俺も扉に手をかけた。
「開け!」
三人分の力が重なった。
【接触距離――減少】
数センチ、十センチ、さらに広がっていく。
「玲司ーっ!」
「姉貴!」
扉が開いた。白い通路の向こうに、姉貴がいた。
「いた!」
「いたじゃない!」
声が重なった。一瞬、身体から力が抜けそうになる。無事だ。自分の足で立っている。いつもの姉貴だ。
――その瞬間、低い音が響いた。
ゴゴゴゴゴ――。
「姉貴、止まれ!」
「え?」
俺たちと姉貴の間の白い床が、沈んでいく。数メートルの幅で一直線に、床そのものが消えた。深い。底は見えない。
さっきまでの騒がしさが、一瞬で消えた。
「……玲司」
姉貴の声も小さくなる。
【物理的接触を制限】
向こう側に、白い衣装の女性が追いついてきた。
「姫君!」
「エレオノーラさん……」
姉貴がそう呼んだ。――エレオノーラ。協会の記録で見た名前だ。
「こちらへお戻りなさい」
「嫌です」
「そちらは危険ですわ」
姉貴は足元の暗い空間を見て、それから俺たちを見た。
「……そうですね」
さっきまでのように、軽く笑いはしなかった。
「危ないですね」
「でしたら――」
「でも」
姉貴は前を向いた。
「帰りたいです」
エレオノーラが黙る。俺も何も言わなかった。姉貴が決めたなら、あとはこっちの仕事だ。
幅は数メートル。俺なら越えられるし、操も海斗も越えられる。でも、姉貴に跳ばせる距離じゃない。
「海斗」
「ああ」
返事が早かった。赤い光が海斗の足元に集まっていく。
「橋を作る」
宙に一枚、結界が浮かんだ。二枚目、三枚目と続き、赤い足場が姉貴へ向かって伸びていく。
【危険な経路形成を確認】
「黙ってろ」
海斗の声から、いつもの軽さが消えていた。四枚目、五枚目と距離が埋まっていく。だが、最後の一枚を作った瞬間、ガクンと結界全部が揺れた。
「海斗!」
「まだいける!」
海斗が歯を食いしばる。額から汗が落ち、赤い光が明滅した。
「操!」
「こっちは任せて」
氷が俺たち側の床を覆い、動き始めた可動部と、退路を閉じようとする隔壁をまとめて止める。背後からは、新しい壁が迫ってきていた。
「玲司!」
「ああ!」
俺は振り返った。海斗は道を作る。操は道を守る。なら俺は、二人を邪魔するものを止める。
迫る隔壁に踏み込み、一撃。術式が揺らぐ。二枚目にもう一撃。
【侵入者による危険行動を確認】
「今さらだ」
三枚目も叩き止めた。
「海斗!」
「できた!」
赤い道が、姉貴の足元まで繋がった。
◇ ◇ ◇
「遥香さん! そこを渡って!」
海斗くんの声に、遥香は赤い光を見た。空中に細い足場が並んでいて、その下は底の見えない空間だ。
「……はい!」
一歩乗ると、足場がわずかに揺れた。
「姫君!」
後ろからエレオノーラの声がする。
「危険です! お戻りなさい!」
遥香は一度だけ振り返った。
「エレオノーラさん」
「……」
「私、帰ります」
そして、前を向いた。
一歩、もう一歩。急がない。さっきまでのように走りもしない。海斗くんが作ってくれた道を、自分の足で進んでいく。二枚目、三枚目。赤い光が、足元で小さく揺れている。
【最優先保護対象の危険行動を確認】
四枚目。
【強制保護を実行します】
「嫌です」
五枚目。
【本人意思を確認】
あと少し。
「帰ります」
最後の足場に乗った瞬間、赤い光が大きく揺れた。
「っ!」
身体が傾く。
「遥香さん!」
顔を上げると、海斗くんが身を乗り出して手を伸ばしていた。あと、ほんの少し。後ろではエレオノーラが呼んでいる。前には玲司と、操ちゃんと、海斗くんがいる。
遥香は前を選んだ。最後の一歩で足場を蹴る。
「遥香さん!」
「海斗くん!」
伸ばされた手へ、自分から手を伸ばす。指先が触れて、滑った。
「――っ!」
もう一度、今度は強く掴んだ。
◇ ◇ ◇
「掴んだ!」
海斗の手が、姉貴の手を掴んでいた。
「海斗!」
「分かってる!」
赤い結界が大きく揺れ、姉貴の身体が宙に浮く。海斗が引く。俺も反射的に前へ出かけて、止まった。海斗の腕は離れていない。任せたなら、最後まで任せる。
「遥香さん、こっち!」
海斗が叫んで、姉貴を一気に引き寄せた。
「きゃっ!」
二人の身体がこちら側へ飛び込んでくる。海斗が姉貴を抱えるように受け止め、そのまま床に転がった。ドンッと音がして、一拍、静かになった。
「姉貴!」
俺は駆け寄った。
「大丈夫!」
姉貴がすぐに顔を上げる。
「海斗くんが下になってくれたから!」
「痛ってぇ……」
「海斗くん!?」
「全然平気!」
「顔が全然平気じゃないよ!?」
「大丈夫だから!」
……よし。いつもの調子だ。
「海斗」
「何だよ!」
「助かった」
海斗は一瞬、黙った。
「……おう」
それだけ返ってきた。操も近づいてくる。
「遥香さん、怪我は?」
「ないよ」
「本当に?」
「本当に!」
俺も確かめる。腕、脚、頭。
「玲司」
「何だ」
「そのチェック、操ちゃんが今やったよ?」
「二重確認だ」
「過保護!」
「危機管理」
「この状況でまだ言う!?」
姉貴だ。間違いない。変なところまで、いつもの姉貴だ。胸の奥に張りついていたものが、ようやく少しだけほどけた。
「姫君……」
隔てられた床の向こうに、エレオノーラが立っていた。さっきまでの勢いはない。
「お戻りなさい」
姉貴が振り返る。
「戻りません」
「そこでは、完全な安全を保証できません」
「はい」
「また危険なことが起きます」
「そうかもしれません」
「でしたら――」
「でも」
姉貴は、今度は俺たちの隣に立ったまま言った。
「私、自分でこっちに来ました。危ないって分かった上で」
エレオノーラは何も言わない。姉貴が小さく笑った。
「こっちを選びました」
しばらく、返事はなかった。
【最優先保護対象の離脱を確認】
【保護継続を――】
周囲に金色の光が走る。
「海斗」
「おう!」
赤い結界が張られる。
「操」
「任せて」
その外側を、氷が覆った。
俺は姉貴を見た。
「玲司?」
無事で、ここにいる。そして、自分で帰ると言った。なら、言うことは一つしかない。
「帰るぞ、姉貴」
姉貴の顔が、ふっと緩んだ。
「うん」
一歩、俺たちの側へ踏み出して、姉貴が並ぶ。
「帰ろ」
ようやく、救助は終わった。
――そう思った。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
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