第98話:【救助完了……しない】姉を連れ戻したのに、《ヒーロー見参》が終わりません
終わらなかった。
「……玲司? どうしたの?」
姉貴が俺の顔を覗き込む。
「いや」
自分の腕を見下ろした。黒銀のグローブが、消えない。身体を覆うスーツもバイザーも、そのままだ。
「……おかしい」
「何が?」
「終わってない」
操がこちらを見る。その氷青の装備も消えていない。海斗も赤いスーツのまま、自分の腕を見下ろして瞬きをした。
「そういや、解除されねえな」
「ああ」
念のため、順番に確認していく。
「姉貴は?」
「ここにいるよ?」
「怪我は」
「ない!」
「帰る意思は」
「あります!」
「保護されたい?」
「今すぐ帰りたい!」
「元気だな」
「さっき確認したよね!?」
確認した。姉貴は無事で、本人も帰ると決めた。救出は成立している。いつもなら、もう能力は終わっている頃だ。少なくとも、何かしらの終了演出が始まっているはずだった。
「玲司」
操が、少しだけ口元を緩めた。
「終了演出が来ないのを残念そうにする日が来るとは思わなかった」
「残念ではない」
「でも気にしてるじゃない」
「来ない方がいい。来ない方がいいけど、来ないのはおかしい」
「面倒くせえな、お前!」
海斗が呆れる。
「いつもあんなに嫌がってんのに!」
「嫌なのと、異常を見逃すのは別だ」
「真面目!」
姉貴まで言うな。
その時、耳元の通信にザザッとノイズが入った。
『……黒瀬さん。聞こえますか?』
「御影さん? ああ、少し途切れますけど」
『黒瀬遥香さんは?』
「確保しました。怪我なし。本人も帰還意思あり」
『了解しました』
通信の向こうで、いくつもの声が重なっていた。報告と指示が飛び交っている。何かが、まだ続いている。
「外は?」
『完全保護状態が解除されていません』
全員の表情が変わった。
『一部施設では制限が弱まりました。ただ、各地の古代保護機構は現在も稼働中です。危険区域の封鎖、安全区画への強制誘導も継続しています』
「姉貴を連れ出しても止まらないか」
『はい』
姉貴が振り返った。隔てられた床の向こうに、エレオノーラが一人で立っている。
「……エレオノーラさん」
『黒瀬さん。こちらの対応は継続します。そちらは無理に全体を背負わず、内部の原因確認を優先してください』
前の俺なら、外まで戻ろうと考えたかもしれない。でも。
「お願いします」
『任せてください』
通信が切れた。外は協会がやる。ここは、俺たちがやる。
「操」
「ええ」
「海斗」
「分かってる」
二人とも、もう動き始めていた。姉貴だけが、まだ向こうを見ている。
「姉貴。一度、退路まで戻るぞ」
「……玲司。待って」
姉貴は動かなかった。その視線の先で、エレオノーラが腕を上げる。
「全保護機構へ命じます」
その声には、まだ人を従わせる響きがあった。
「現行計画を継続なさい。現代人類の安全確保を最優先。危険区域への接近を制限し――」
【命令を確認】
【全保護機構との接続を維持】
金色の光が施設を走った。
「エレオノーラさん!」
姉貴が叫ぶ。
「もうやめてください!」
「なりません」
「私は帰ります!」
「承知しております」
「じゃあ!」
「あなた一人が保護を拒んだからといって、他の人々まで危険へ戻す理由にはなりませんもの」
やっぱり、姉貴を救っただけでは終わらない。
「玲司」
操が小さく言った。
「奥の流れ」
「ああ」
見えている。施設中を走る金色の魔力が、外へ、世界中の保護機構へと伸びている。そこまではさっきと同じだ。でも一つだけ、今まで見えていなかった流れがあった。中心から、エレオノーラへ向かう流れだ。
「……何だ、あれ」
「どうした?」
海斗が訊く。
「魔力が、あいつにも繋がってる」
「操作してるからじゃないの?」
「違う」
姉貴の言葉に、俺は首を振った。命令を出す流れとは、方向が逆だ。施設からエレオノーラへ、何かを送り続けている。
その瞬間、施設が大きく揺れた。
「きゃっ!」
「姉貴!」
とっさに姉貴を支える。向こう側でもエレオノーラの足元が揺れ、天井から細かな破片が落ちてきた。
「エレオノーラさん!」
姉貴が叫んだ直後、エレオノーラの周囲に透明な壁が立ち上がった。
【最高管理者への危険を検知】
【保護機能を強化します】
「……え?」
姉貴の動きが止まる。エレオノーラの顔も、一瞬だけ固まった。
【最上位管理者保護機構】
【稼働継続】
【保護対象――エレオノーラ】
誰も、すぐには喋らなかった。
「……保護対象?」
最初に口を開いたのは海斗だった。
「本人も?」
操が透明な壁を見据える。俺は魔力の流れを追った。施設からエレオノーラへ、止まることなく、ずっと流れ続けている。
「エレオノーラさん」
姉貴がゆっくり呼びかけた。
「あなたも、この施設に保護されてるんですか?」
「当然でしょう」
エレオノーラは、何でもないことのように答えた。
「最高管理者を失えば、保護機構の維持に支障が出ますもの」
「いつから?」
「姉貴」
俺は呼んだが、姉貴は視線を外さなかった。
「エレオノーラさん。いつからですか?」
少し、間が空いた。
「……王国が滅びた日からですわ」
「……」
「必要な措置です」
王国。協会の記録にあった、ゴフォ王国のことだろう。王国最後の日まで、あのヒーローは人々を救い続けた。そして、帰還した記録はなかった。そのあとから、この人だけが、ずっと保護されている。
「ずっと?」
姉貴の声が、さっきより小さくなる。
「数千年間?」
「時間の長さに意味はありません。わたくしには、守るべきものがありました」
「でも」
「姫君」
エレオノーラの声が強くなった。
「あなたは戻りなさい。あなたの選択は理解しました。納得はしておりませんが」
「そこは納得してください」
「できません」
「即答……」
一瞬だけ、いつもの姉貴に戻った。でもすぐに、またエレオノーラを見る。
「エレオノーラさんは?」
「何がでしょう」
「あなたは、どこに帰るんですか?」
エレオノーラが黙った。透明な壁を、金色の光だけが流れていく。
「わたくしに帰る必要はありません」
「何で?」
「わたくしは守る側です。帰る者を守る側」
静かな声で言って、エレオノーラはまっすぐ姉貴を見た。
「助けられる側ではありません」
その言葉を聞いた瞬間、操が一歩前に出た。
「それ、おかしくない?」
「何がです?」
「救助する側は、助けを求めてはいけないの?」
操の声は、いつも通り静かだった。
「守る側だから助けられちゃいけない、なんて決まりはないわ」
「わたくしは助けを求めておりません」
「そう」
操は否定しなかった。
「なら、それはあなたが決めればいい」
そう言いながら、操は少しだけこちらを見た。
「でも、助けを求めていいかどうかまで、最初から自分で禁止する必要はないでしょ」
俺は言葉が出なかった。高校の頃から、似たことを何度も言われてきた。全部自分でやろうとするな。頼れ。助けを呼べ。今になってようやく、少しだけできるようになったことだ。
エレオノーラは、操から目を逸らした。
「必要ありません」
短い答えだった。けれど、さっきまでよりお嬢様口調が薄い。姉貴も気づいたらしい。
「玲司」
「……ああ」
もう一度、自分の手を見る。黒銀は、まだ消えない。
「姉貴を救った」
「うん」
「怪我もない」
「うん」
「帰る意思も確認した」
「何回もね」
「それでも」
変身は終わらない。胸元の黒銀の光が、一度だけ強く脈打った。
「玲司?」
「……まだ、終わってない」
「え?」
海斗が俺を見る。操は何も言わず、エレオノーラに視線を向けた。
姉貴は救った。外の人たちは協会が守っている。それでも《ヒーロー見参》は続いている。だったら、救助はまだ終わっていない。
俺もエレオノーラを見た。数千年間保護され続けていて、守る側だから助けられる必要はないと言う人を。
「……エレオノーラさん」
姉貴の声に、俺は横を見た。姉貴は俺たちではなく、向こうにいるエレオノーラを見ていた。
「私、帰ります」
「ええ。それがよろしいでしょう」
「でも」
姉貴が一歩、前へ出る。
「あなたをここに置いたままは嫌です」
エレオノーラの表情が止まった。
「……何を」
「このまま置いて帰れません。だって」
姉貴が透明な壁を見る。
「それ、私にしてたことと同じじゃないですか」
「違います」
「安全だから外に出なくていい」
「……」
「危険だから、ずっとここにいればいい」
「違います」
「本人が大丈夫って言っても、保護し続ける」
「違う!」
初めて、エレオノーラの声が強く崩れた。姉貴が口を閉じ、静けさが落ちる。エレオノーラ自身も、驚いたように立ち尽くしていた。
「……違います」
今度は、小さな声だった。
「わたくしは……」
続きは出てこない。姉貴が俺を見た。
「玲司」
嫌な予感がした。
「何だ」
「私、戻る」
「やっぱりか」
「まだ何も言ってない!」
「言った」
「言ったけど!」
海斗が小さく笑う。
「遥香さんなら、そう言うと思った」
「海斗くんまで!?」
「遥香さんだから」
「どういう意味!?」
「褒めてます」
「絶対?」
「絶対」
姉貴は少しだけ頬を膨らませてから、またエレオノーラの方を向いた。
「私、あの人ともう少し話したい」
「危ないぞ」
「知ってる」
「全人類を保護しようとしてる」
「知ってる」
「俺たちを散々追い返そうとした」
「それも知ってる」
「話が通じない」
「それは私が一番知ってる!」
即答だった。
「でも」
姉貴の声の調子が変わる。
「だから、置いて帰るのは違うと思う」
俺は何も言わなかった。
「止める?」
「止めても行くんだろ」
「うん」
「即答するな」
「玲司だってそうでしょ?」
否定できない。
「一人では行かせない」
操が言った。
「操ちゃん」
「今さらでしょ」
操が剣を握り直す。
「ここまで四人で来たんだから」
「三人で来て、私を回収したんだけど」
「じゃあ四人になったわね」
「雑!」
海斗も立ち上がった。
「帰り道はオレが残す」
「海斗」
「前に行くのはお前らの仕事だろ。オレは後ろから守る」
海斗が笑う。昔なら、前も後ろも姉貴のことも、俺が全部何とかしようとしていた。今は違う。
「頼む」
「おう」
それだけでいい。
俺は改めてエレオノーラを見た。透明な保護壁の向こうにいるのは、全人類を守ろうとして、誰よりも長く、自分自身も保護され続けてきた人だ。
「玲司」
「ああ」
姉貴が向こうへ歩き出す。俺と操がその両脇に並び、海斗は一歩後ろにつく。
【最優先保護対象の再接近を確認】
【危険行動です】
もう聞き慣れた。
「知ってます!」
姉貴が答えると、エレオノーラが本気で困った顔をした。
「なぜ戻ってくるのです!?」
「置いて帰れないからです!」
「わたくしは保護する側です!」
「じゃあ今日は交代します!」
「何と!?」
「姉貴」
「何?」
「意味分かって言ってるか?」
「半分くらい!」
「半分かよ!」
それでも、足は止まらない。俺の変身も終わらない。
姉貴は救った。それでも《ヒーロー見参》は続いている。なら、救助はまだ終わっていない。
俺たちの前、透明な壁の向こうには、数千年間ずっと守る側に立ち続けてきた人がいる。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
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