第99話:【ヒーロー見参】最後の女王を救うため、俺は初めて自分から名乗った
【最優先保護対象の再接近を確認】
【危険行動です】
「知ってます!」
姉貴が答えた。透明な壁の向こうで、エレオノーラが本気で理解できないという顔をしている。
「なぜ戻ってくるのです!?」
「置いて帰れないからです!」
「わたくしは保護する側です!」
「じゃあ今日は交代します!」
「何と!?」
「姉貴」
「何?」
「意味分かって言ってるか?」
「半分くらい!」
「半分かよ!」
それでも姉貴の足は止まらない。俺はその隣を走り、操が少し前を行く。後方では海斗が赤い結界を広げ、帰還経路を維持していた。
【最優先保護対象を安全区画へ誘導します】
床が動いた。
「また!」
姉貴の足元だけが後ろへ流れていく。
「操!」
「止める!」
氷が走って駆動部を凍らせ、姉貴はそのまま前へ踏み出した。
「ありがとう、操ちゃん!」
「どういたしまして」
【危険区域への接近を継続】
【保護強度を上昇】
正面に、透明な壁が幾重にも立ち上がる。
「玲司」
「ああ。右から二枚目!」
「了解!」
操が可動部を凍らせ、俺はその横から術式へ拳を叩き込んだ。バキンッと金色の線が弾け、壁が消える。
「行け!」
姉貴が隙間へ飛び込んだ。
「姫君! 止まりなさい!」
エレオノーラが腕を上げる。
【最高管理者命令】
【最優先保護対象を隔離】
左右から壁が迫った。
「海斗!」
「後ろだけじゃなく前までかよ!」
赤い光が俺たちの横を抜け、閉じかけた壁に結界が差し込まれた。ガンッと音が響く。
「遥香さん!」
「海斗くん!」
「今!」
姉貴が身体を滑り込ませて、抜けた。
「よし!」
直後、背後から巨大な白壁が迫ってきた。
「うおっ!?」
「海斗!」
「こっちは任せろ!」
赤い結界が広がって白壁を受け止め、通路全体が揺れる。
「玲司! 戻ってくるな!」
海斗の叫びに、一瞬だけ高校時代を思い出した。あの頃もこいつは、後ろから俺たちの退路を守っていた。
「ああ! 任せた!」
「おう!」
振り返らない。それでいい。前には姉貴と操がいて、その先にエレオノーラがいる。あと少しだ。
「姫君」
エレオノーラの声が近くなる。
「もう十分でしょう。あなたは帰ると決めた。ならば帰りなさい」
「だからエレオノーラさんも」
「わたくしは行きません」
即答だった。
「今だって、エレオノーラさんも施設に閉じ込められてますよ!」
「これは必要な保護です!」
「私の時も同じこと言ってました!」
「意味が違います!」
「どこが!?」
答えは返ってこなかった。床が揺れ、壁が動く。施設全体が、エレオノーラを守るために俺たちを遠ざけようとしている。
「私を守りたいって言ってましたよね?」
「当然です」
「みんなも守りたいって」
「ええ」
「じゃあ」
姉貴が、まっすぐエレオノーラを見た。
「エレオノーラさんを守る人は?」
エレオノーラの表情が止まった。
「……必要ありません」
「何で?」
「わたくしは女王です。守る側です」
――女王。記録では王女だった人が、今はそう名乗っている。
「でも、一人ですよね?」
エレオノーラの唇が止まる。
「ずっと。何千年も」
「……」
「一人で全部守ろうとしてたんですよね」
「必要でした」
「今も?」
「必要です」
「本当に?」
「必要です!」
声が、わずかに揺れた。姉貴はそれ以上追い込まず、透明な壁に沿って一歩、また一歩と距離を縮めていく。
「私、玲司が心配です。すごく心配です」
その時、俺の前に新しい隔壁が落ちてきた。
「くそっ!」
拳を叩き込む。
「特にああいうところとか」
「姉貴! 今俺を見るな!」
「聞こえてた!」
「集中しろ!」
「してる!」
操が横で小さく笑った。
「玲司って、危ないところに行くんですよ」
「だから止めるべきでしょう」
「止まりません」
「止めなさい」
「無理です」
「姉でしょう?」
「姉だから無理なんです」
エレオノーラが、初めて少しだけ困惑した顔をした。
「私が何を言っても、玲司は助けを求めてる人がいたら行きます。危ないからやめてって言っても」
「それで帰ってこなかったら?」
俺の手が、止まりかけた。低く、静かな声だった。
「その者も」
エレオノーラが透明な壁へ一歩近づく。
「帰ってこなかったら?」
姉貴も、すぐには答えなかった。
「あなたは耐えられますの?」
「……嫌です」
「でしょう?」
「嫌です」
「なら」
「でも」
姉貴が顔を上げた。
「それでも、玲司の人生を全部私が決めるのは違います。怖いからって、家に閉じ込めておくのも違う」
「その結果、失えば?」
エレオノーラの声が、また少し崩れた。
「危険だと分かっていたのに、行かせて……戻らなかったら」
そこで言葉が途切れた。姉貴は何も言わない。俺も操も、動きを止めたわけじゃない。でも誰も、余計な声を挟まなかった。
【最高管理者への接近を確認】
【危険です】
【離れてください】
施設の警告だけが響く。
「……嫌なのです」
小さな声だった。エレオノーラの手が、ゆっくりと握られる。
「もう、誰かが帰ってこないのは……嫌」
その言葉だけは、いつものお嬢様口調でも、女王の声でもなかった。帰ってこなかった誰かを、今も待ち続けている人の声だった。
「……そうですよね」
姉貴が言った。
「嫌ですよね。私も嫌です」
エレオノーラが姉貴を見る。
「玲司が帰ってこないのは嫌です」
姉貴が一歩、透明な壁へ近づく。
「操ちゃんも」
もう一歩。
「海斗くんも」
壁に手を触れる。
「セバスも、ルナも。みんな」
「でしたら――」
「でも」
姉貴は首を振った。
「一人で全部守らなくてもいいんじゃないですか?」
エレオノーラの目が揺れた。
「誰かが危ない時は、助ける人がいる。助ける人が危ない時は、その人を助ける人がいる」
「そんなもの」
「いますよ」
姉貴がこちらを振り返った。操、俺、さらに奥で光る海斗の赤い結界。
「現に、いっぱい来ました。私一人を迎えに」
「それは」
「過保護ですよね」
「あなたが言いますの?」
「エレオノーラさんには負けます」
「……」
エレオノーラの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。笑ったわけじゃない。でも、ずっと張りつめていた何かが、少しだけほどけたように見えた。
「守るのをやめてって言ってるんじゃないです」
姉貴は続けた。
「私だって、玲司を守りたいです。玲司だって、たぶん一生誰かを助けます」
「姉貴、たぶんって何だ!」
「今いいところなの!」
「すまん!」
操がまた笑った。
「だから」
姉貴がエレオノーラに向き直る。
「全部、一人で守らなくてもいいんです。誰かに任せてもいい。疲れたら休んでもいい」
「わたくしは」
「助けてもらってもいい」
エレオノーラの唇が震えた。その瞬間、操の声が飛んだ。
「玲司! 左!」
「ああ!」
透明壁の一部が光り、姉貴とエレオノーラの間に新しい隔壁が下りてくる。会話まで遮断するつもりか。
「させるか!」
踏み込もうとした俺より先に、氷青の刃が走って可動部を凍らせた。
「行って」
「操」
「ここは私が止める」
壁が軋み、さらに別の方向からも保護機構が動き出す。
「一人で大丈夫か?」
「誰に聞いてるの?」
「……そうだった」
「玲司」
操が少しだけ笑った。
「救助する側も、助けを頼んでいいのよ」
俺も笑った。
「頼む」
「任された」
操を残して、姉貴のところへ走る。透明な壁の向こうに、エレオノーラがいた。
【危険接近】
【最高管理者を保護します】
壁が厚くなる。
「玲司!」
「分かってる!」
魔力を見る。横も上も下も、全部がエレオノーラを守るため、そして閉じ込めるために集中していた。
……壊せる。たぶん、本気でやれば。でも壊して無理やり連れ出したら、俺がやることはエレオノーラと同じだ。本人の意思を無視して、こっちが正しいから、助けるためだからと、選択を奪う。それじゃ駄目だ。
「エレオノーラ」
初めて、名前を呼んだ。エレオノーラが俺を見る。
俺は透明な壁の前で足を止めた。
「俺は、この壁を壊せる」
「……でしょうね」
「でも壊さない」
「玲司?」
姉貴がこちらを見る。俺はエレオノーラだけを見ていた。
「こっちへ来るかどうかは、あんたが決めろ」
「……」
「助けはいらないって決めるのも」
一歩、壁に近づく。
「助けてほしいって言うのも」
もう一歩。
「自分で決めろ」
「わたくしは……」
言葉が止まる。
「ただ、選択肢まで最初から消すな。自分の分も」
エレオノーラが俯いた。施設が揺れる。
【最高管理者の保護を継続】
【全人類完全保護計画を継続】
世界中では、まだ人間が安全にされ続けている。止めないといけない。でも、俺が力ずくで止めるんじゃない。エレオノーラ自身が、止めると決めないといけない。
胸の奥で、黒銀の光が熱を持った。いつもの感覚だ。喉が勝手に動こうとする。また、あの口上を能力に言わされる。
――その前に。
「玲司?」
姉貴の声を聞きながら、俺は息を吸った。
昔から嫌だった。勝手に変身して、勝手にポーズを取らされて、勝手に名乗らされる。ヒーローなんて柄じゃない。俺はただ、助けが必要な人間を助けてきただけだ。それで十分だと思っていた。
でも今、目の前に、数千年間誰にも助けられなかった人がいる。だったら、今だけは自分で言う。
俺はエレオノーラを見た。
「――ヒーロー見参」
静かだった。強制された声じゃない。派手なポーズもない。俺の意思で、俺の声で言った。
「……玲司」
姉貴が目を丸くしている。離れた場所では、操まで動きを止めかけていた。それでも、誰も何も言わなかった。
俺はそのままエレオノーラを見る。
「助ける。ただし、勝手には連れ出さない」
透明な壁の向こうへ、手を伸ばす。
「来るかどうかは、あんたが決めろ」
手のひらを開いた。長い沈黙の中で、施設が揺れる。
【最高管理者の安全を優先】
【接触を禁止】
【全人類完全保護を継続】
エレオノーラは、俺の手を見ていた。
「わたくしは、女王です」
「ああ」
「守る側です」
「ああ」
「最後まで、守らなければ」
声が震えていた。
「誰が決めた?」
エレオノーラが顔を上げる。
「……わたくしが」
「じゃあ」
横から、姉貴が口を挟んだ。
「今度は違うことを決めてもいいんじゃないですか? 女王なんですよね?」
「ええ」
「最高権限なんですよね?」
「……ええ」
「じゃあ自分で変えられますよ」
姉貴らしい。ものすごく単純だ。
「そんな簡単な」
「簡単じゃないですよ」
姉貴は首を振った。
「だから、私たちがいます」
エレオノーラの視線が、姉貴から俺へ、その向こうの操へ、さらに奥の海斗のいる方向へと、ゆっくり動いていく。長い時間、何も言わなかった。やがて、その肩がほんの少しだけ下がった。
「……疲れました」
誰にも聞かせるつもりのないような、小さな声だった。姉貴が笑う。
「じゃあ休みましょう」
「女王が?」
「女王でも」
「守らずに?」
「たまには。紅茶でも飲んで」
エレオノーラの眉が、ほんの少し動いた。
「セバスの紅茶、おいしいですよ」
「……以前も仰っていましたわね」
「今度は誘拐じゃなくて、普通に来てください」
「保護です」
「そこはまだ言うんですか!?」
でも、その声は少し違っていた。エレオノーラが透明な壁に手を触れる。
【最高管理者への接触を検知】
【保護を継続します】
「いいえ」
エレオノーラは、はっきりと言った。
「停止なさい」
【最高管理者の安全を確保できません】
「構いません」
【危険です】
「承知しています」
【最高管理者保護を解除しますか?】
エレオノーラが俺を見た。俺はまだ、手を伸ばしたままだ。
「解除します」
【承認】
透明な壁を走っていた金色の光が薄くなり、壁が一枚、また一枚と消えていく。最後の一枚が消えても、俺は動かなかった。迎えに行かない。引っ張らない。選ぶのはエレオノーラだ。
エレオノーラは俺の手を見て、姉貴を見て、それから一歩、自分の足で、保護されていた場所の外へ踏み出した。
【最高管理者の保護領域離脱を確認】
【危険です】
「ええ」
もう一歩。
「分かっています」
差し出していた俺の手へ、エレオノーラが自分から手を伸ばした。指が触れ、俺の手を取る。
「……では」
小さく息を吐いて、エレオノーラは言った。
「少しだけ、助けていただきます」
「ああ」
それで十分だった。俺はその手を引っ張らない。ただ、離さなかった。姉貴が嬉しそうに笑っている。
エレオノーラは俺の手を離すと、今度は施設に向き直った。
【全人類完全保護計画を継続します】
「それも、停止なさい」
施設が大きく揺れた。
【最高管理者権限を確認】
【確認】
【全保護機構へ停止命令を送信】
金色の光が、一斉に壁を走る。
「エレオノーラさん……」
姉貴が呼ぶ。エレオノーラは、もう一度施設へ告げた。
「人類完全保護計画を終了します」
【最終確認】
【保護対象は危険へ戻る可能性があります】
「ええ」
【負傷・事故・災害・敵性存在との遭遇可能性があります】
「分かっています」
【それでも終了しますか?】
エレオノーラは一瞬目を閉じ、それから姉貴を見た。
「……遥香」
姉貴の目が少し見開かれた。初めて、名前で呼ばれたのだ。
「あなたの言う通りにしてみます。人間へ、もう一度、任せてみます」
姉貴が笑った。
「はい!」
エレオノーラが正面を向く。
「終了します」
【承認】
【全人類完全保護計画――終了】
光が一つ、また一つと消えていく。施設を走っていた金色の線が、静かに止まった。
「エレオノーラさん!」
姉貴が駆け寄る。
「走ると――」
言いかけて、エレオノーラは途中で止まった。
「……いえ」
「大丈夫です!」
「そうでしたわね」
ほんの少しだけ、エレオノーラが笑った。
俺の腕の黒銀の光が、薄くなっていく。
「玲司」
操が戻ってきた。
「終わる?」
「ああ」
今度こそ分かる。助けなんて必要ないと言い張っていた人が、自分で保護の外へ踏み出し、自分から差し出された手を取った。だから、終わる。
黒銀、氷青、赤。三つの光が、ゆっくりと消えていく。
『あ、解除始まった!』
海斗の声だ。
「海斗。戻ってこい」
『今行く!』
少しして、通路の奥から海斗が走ってきた。姉貴、操、海斗、エレオノーラ。全員いる。誰も、置いていかない。
【周辺保護処理を終了】
【外部保護機構との接続を解除】
【最高管理者保護を通常状態へ移行】
【処理完了】
最後の表示が消えた。
「……終わった?」
姉貴が訊く。
「ああ」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは断言してよ!」
「この施設相手に断言できるか」
「確かに!」
「そういや玲司」
海斗がにやにやしながら俺を見た。嫌な予感がする。
「お前、さっき自分から言ったよな」
「何を」
「いやいやいや! 『――ヒーロー見参』って!」
「聞き間違いだ」
「全員聞いてたわ!」
姉貴まで口元を押さえている。
「玲司、自分から言ったね」
「言ってない」
「言ったわよ」
「お前まで言うな」
「だって言ったもの」
操まで乗ってきた。エレオノーラも俺を見る。
「先ほどの名乗り、とても素敵でしたわ」
「忘れろ」
「無理ですわ」
「忘れてくれ」
「自ら名乗りましたのに?」
「事故だ」
「玲司」
操が冷たい目で見る。
「今のはさすがに無理がある」
「オレ、一生覚えてるからな!」
「海斗」
「何だ?」
「帰り道なくすぞ」
「それは困る!」
姉貴が笑い、操も海斗も笑った。少し遅れて、エレオノーラも小さく笑う。
数千年間、守る側に立ち続けた最後の女王を、俺たちはようやく保護の外へ連れ出すことができた。
お読みいただきありがとうございます!
明日最終話は19:40に更新です。
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