第93話:【世界征服どころじゃない】最後の女王、姫君一人を止めるので精一杯
エレオノーラには、弱点がある。
安全だ。
正確には。
安全という言葉を出すと、ちょっと判断がおかしくなる。
「エレオノーラさん。運動不足って危険ですよね?」
「もちろんですわ」
「じゃあ散歩します」
「えっ」
遥香は返事を待たずに立ち上がった。
「待ちなさい、姫君」
「転倒予防には筋力維持が大切です」
「それは……」
エレオノーラが言葉に詰まった隙に、遥香はもう扉へ向かっている。
「健康のためです」
「……十五分までですわ」
「やった」
第一関門突破。
遥香はそのまま部屋を出た。
「姫君! 急に歩き出してはいけません!」
「散歩なので歩きますよ!」
「せめてわたくしの隣を――」
振り返った時には、遥香はもう十メートル先にいた。
◇ ◇ ◇
「広いですねー」
「姫君、お待ちなさい!」
白い廊下を早歩きで進む。
エレオノーラさんが、長いドレスの裾を押さえながら追ってくる。
「右側を歩いてくださいませ!」
「何でです?」
「左側は壁です!」
「壁にはぶつかりませんよ!」
遥香は角を普通に曲がった。
「ほら!」
「だから速度を落としてください!」
「走ってません。早歩きです」
「ほとんど同じですわ!」
スマートフォンを見る。
圏外。
玲司へのメッセージも送信失敗のまま。
でも。
座って待つより、こっちの方がいい。
「エレオノーラさん!」
「今度は何ですの!?」
遥香は歩きながら廊下を見回す。
「非常口ってあります!?」
「ございます!」
「どっちです!?」
エレオノーラが足を止めた。
「なぜですの!?」
「避難経路を知らないの危険ですよね!」
遥香は止まらない。
「安全のために確認しまーす!」
「お待ちなさい!」
【姫君の安全要望を確認】
壁に金色の線が浮かんだ。
【避難経路案内を開始します】
「出た!」
「施設!?」
エレオノーラさんの声が裏返る。
遥香は金色の線を追って走り出した。
「姫君! 今度は本当に走っておりますわ!」
「避難訓練です!」
「そんな避難訓練はございません!」
扉を抜け、階段を下りる。
「手すりを!」
「掴んでます!」
「もっとゆっくり!」
「災害時にゆっくりしてたら危ないですよ!」
「それも一理――いえ、待ちなさい!」
一瞬納得しかけた。
ちょろい。
階段の先で、三方向へ道が分かれた。
【居住区画】
【生活支援区画】
【管理区画】
「管理区画!」
「そちらではありません!」
遥香は即座に左へ曲がる。
「非常時に管理区画を知らないの危険ですよね!」
「その理屈はもう結構です!」
「安全のためでーす!」
【姫君の進行方向に管理区域を確認】
【安全な経路へお戻りください】
「嫌です!」
【推奨経路から逸脱しています】
「知ってます!」
「施設と会話しながら走らないでくださいませ!」
エレオノーラも追ってくる。
「エレオノーラさんも走ってるじゃないですか!」
「あなたを追っているのです!」
その瞬間。
床から巨大な白いクッションが飛び出した。
「わっ!」
遥香は急停止した。
後ろからエレオノーラが追いつき、胸を張る。
「これ以上は進めませんわ」
「これ何です?」
「転倒防止用保護具です」
押す。
ぶにっ。
「柔らかい」
「当然ですわ」
遥香は二歩下がった。
「姫君?」
「えいっ!」
ぼふん!
「姫君!?」
全身で飛び込む。
全然痛くない。
「楽しい!」
「遊具ではありません!」
遥香は跳ね返された勢いのまま、もう一度飛び込んだ。
「安全ですよ!」
「安全ですけれども!」
ぼふん!
今度は反動で身体が浮いた。
ぽすん。
クッションの上に乗る。
「……」
「……」
遥香は管理区画を見る。
「これ、上を通れますね」
「姫君」
「行ってきます!」
「姫君ーっ!」
遥香はクッションの上を進む。
【姫君の転倒危険を検知】
【保護姿勢を維持します】
クッションが動いた。
「わっ。自動運転!」
「そのための機能ではありません!」
「右!」
遥香が指差す。
クッションが右へ進む。
【姫君の安全な移動を支援します】
「ほら!」
「施設! 止まりなさい!」
【姫君の安全を優先します】
エレオノーラの口が開いた。
「わたくしの命令が無視されましたわ!?」
「安全第一!」
「それはわたくしの台詞です!」
戦闘能力ゼロ。
魔法も使えない。
剣もない。
でも。
古代王国の保護装置を乗り物にして、最後の女王から逃げている。
たぶん玲司が見たら怒る。
その後、頭を抱える。
「姫君! 左へ行ってはいけません!」
「何でです!?」
「管理端末があります!」
「教えてくれてありがとうございます!」
「あ」
エレオノーラさんが口を押さえた。
「そっち!」
「違います! ありません!」
「もう聞きました!」
クッションが左へ曲がる。
目的の端末が見えたところで、遥香は飛び降りた。
「姫君!」
「着地!」
「危険ですわ!」
「結果、安全でした!」
「結果論です!」
遥香はもう光る端末へ走っている。
【認証中】
「お願い!」
【現代の姫君】
【限定管理権限を付与】
「開いた!」
「どうしてですの!?」
エレオノーラが追いつく。
「エレオノーラさん、管理者ですよね?」
「姫君権限を、そのような目的で使うとは……!」
「知らなかったんですか?」
遥香はもう画面を流している。
「数千年間、勝手に管理区画を走り回る姫君などおりませんでした!」
「第一号!」
「誇らしげに言わないでくださいませ!」
【施設案内】
【生活支援】
【外部接続】
「あった!」
押す。
【外部接続は安全確認のため制限されています】
「くっ!」
「当然ですわ!」
遥香は即座に次へ移る。
【保護対象管理】
「これは?」
「触れてはいけません!」
「じゃあ重要!」
「どうしてそうなりますの!?」
【現在の優先保護対象】
【現代の姫君】
「私!」
エレオノーラが画面の前へ割り込む。
遥香が右。
女王も右。
左。
女王も左。
「邪魔です!」
「見せておりません!」
遥香は腰を落とし、その腕の下を抜けた。
「失礼しまーす!」
「姫君!?」
反対側へ回る。
【接続可能保護機構】
押した。
「あ」
大量の表示が出る。
「……多い」
「だからお見せしたくなかったのです」
「これ全部、使えるんですか?」
「すべてではありません」
遥香は表示された案内先へ歩き出す。
「でも使えるものはある」
「ええ」
「世界中に?」
「ええ」
遥香の速度が上がる。
「じゃあ現物確認!」
「姫君、どちらへ!?」
「現物!」
隣の扉が開いた。
広い通路。
壁一面を金色の線が走っている。
「うわ。絶対こっち重要」
「戻りなさい!」
遥香はさらに奥へ進む。
「世界中にこんなのがあるんです?」
「似た機能を持つ施設が残っています!」
「全部動かす気です?」
「必要なものは!」
次の扉を開ける。
「会社員が仕事中でも!?」
「安全が優先です!」
「推しのライブ中でも!?」
「安全です!」
遥香は走りながら振り返る。
「それは絶対揉めます!」
「なぜですの!?」
「現代人なめないでください!」
次の扉へ手をかける。
【姫君権限を確認】
開いた。
「こっちも開く!」
「開けないでください!」
「じゃあ何があります?」
「中央接続区画です!」
「また教えてくれた!」
エレオノーラが頭を抱える。
「もう嫌ですわ、この姫君!」
「私も誘拐した人に言われたくないです!」
遥香は広間へ飛び込んだ。
「保護です!」
「走って追いかけ回してますよ!」
「あなたが走るからでしょう!?」
中央接続区画。
広い円形の部屋だった。
中央に大きな光の柱。
周囲には複数の端末。
遥香は止まらず、柱の向こう側へ回り込む。
「姫君、止まりなさい!」
「一個だけ質問!」
エレオノーラも反対側から追う。
「走りながら聞かないでくださいませ!」
「どうしてそんなに危険が嫌いなんです!?」
「危険だからです!」
遥香は柱の裏へ回る。
「それは知ってます!」
「危ない場所へ行かなければ!」
エレオノーラが追う。
「傷つく者も!」
遥香は次の端末へ移る。
「帰ってこない者も!」
その言葉で。
遥香の足が、ほんの少しだけ遅くなった。
「……帰ってこなかった人、いるんですね」
今度はエレオノーラが止まった。
遥香は端末を一つ押す。
「姫君!」
「答えてくれたら止まります!」
「卑怯ですわ!」
「戦闘能力ないので!」
遥香は次の表示を開く。
「大事な人?」
「……人を救う方でした」
「ヒーロー?」
「現代なら、そう呼ぶのでしょう」
エレオノーラがまた追ってくる。
「エレオノーラさんも助けられた?」
「何度も」
「最後は?」
遥香の指が次の端末へ伸びる。
「他の者を救いに行きました」
「帰ってこなかった」
「……ええ」
その指だけが止まった。
遥香の表情から、ほんの少し笑みが消える。
「そっか」
短く。
それだけ言って。
また動く。
「だったら怖いですよね!」
エレオノーラが顔を上げる。
「玲司が帰ってこなかったら、私も嫌です!」
「だったら分かるでしょう!?」
「怖いのは分かります!」
遥香は端末の裏へ回り込む。
「でも全人類を閉じ込めるのは分かりません!」
「閉じ込めません!」
「外出禁止!」
「保護!」
遥香が別の表示を開く。
「本人の希望無視!」
「保護です!」
「やっぱり監禁寄り!」
「違いますわ!」
遥香は笑いながら隣へ移る。
「でも、ヒーローが危険へ行かなくていい世界にしたいんですね!」
エレオノーラが立ち止まった。
「……誰も危険に遭わなければ、誰も助けを求めません」
「はい!」
遥香は次の端末を開く。
「助けを求める者がいなければ」
「ヒーローも行かなくていい!」
「そうです!」
遥香は振り返って頷く。
「理屈は分かりました!」
「では!」
「反対です!」
エレオノーラが目を見開く。
「なぜですの!?」
「分かるのと賛成は別!」
「またそれですの!?」
「便利な言葉なので!」
遥香が次の端末へ触れた。
画面が変わる。
【保護対象拡張準備完了】
「……あ」
遥香が止まった。
ようやく。
本当に止まった。
エレオノーラも隣へ追いつき、少しだけ肩で息をしている。
「これ」
「……準備が……整いましたわ」
遥香が横目で見る。
「息切れてますよ?」
「誰のせいですの!?」
「運動不足ですね」
「あなたが言いますの!?」
「健康のために散歩してよかったですね!」
「もう散歩ではありませんわ!」
【保護対象】
【現代人類】
遥香の顔が変わる。
「始めるんですか?」
「ええ」
エレオノーラが端末へ手を伸ばす。
「今?」
「今です」
その指より先に。
「停止!」
遥香が押した。
【姫君権限を確認】
【処理を一時停止】
「よし!」
「姫君!?」
「止められる!」
【上位管理権限】
【処理を再開】
「ずるい!」
遥香は反対側へ回る。
「停止!」
【一時停止】
エレオノーラも追う。
「再開!」
【再開】
遥香は隣の端末へ飛びついた。
「じゃあこっち!」
「姫君!」
【頻繁な操作を検知】
【安全上の理由により連続操作を制限します】
画面が暗くなる。
「私だけ止められた!」
「当然ですわ!」
「女王権限ずるい!」
「正当な権限です!」
【全保護機構への接続を開始】
「ああっ!」
遥香はまた別の端末へ走る。
金色の光が、その足元を追い越した。
床。
壁。
天井。
施設全体。
「本当に始めた!」
「ご安心なさい」
エレオノーラも後ろから追う。
「できません!」
「これで皆、安全ですわ」
遥香は次の端末を開く。
「本人たちの許可は!?」
「不要です」
「強い!」
「姫君! もう何も触らないでくださいませ!」
遥香は走りながら端末を片っ端から開く。
「非常停止!」
「ありません!」
「通信!」
「ありません!」
次の扉へ手をかける。
「全部絶対ありますよね!?」
「姫君ーっ!」
扉が開く。
遥香はまた走り出した。
世界規模の完全保護が始まっているのに。
最後の女王は。
世界征服どころではなかった。
目の前の姫君一人を止めるので精一杯だった。
「エレオノーラさん!」
遥香は次の通路へ飛び込む。
「今度は何ですの!」
エレオノーラが追う。
「玲司が来るまで私、全部の部屋見ますからね!」
「絶対にやめなさい!」
遥香は振り返りもせず、次の扉へ向かう。
「安全確認です!」
「その言葉を二度と使わないでくださいませ!」
遥香は笑った。
走りながら振り返る。
「それ、エレオノーラさんが言います?」
「あなたのせいですわーっ!」
数千年間。
安全を守り続けてきた最後の女王の悲鳴が。
遥香を追いかけながら、古代施設に響き渡った。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




