第92話:【強制安全】進むな、戻れ、転移します――全部無視して姉を追います
姉貴が消えた床が、もう一度光った。
「玲司!」
「見えてる!」
王室避難宮の、姉貴が強制転移させられた部屋だ。その中央を、細い金色の光が走っていく。消えかけていた転移の痕跡が、息を吹き返したらしい。
『黒瀬さん! 残留反応が再上昇しています!』
通信越しに御影さんの声が飛んできた。
「姉貴の転移と同じ反応ですか?」
『完全一致ではありません。ただ、直前まで追えていた反応と繋がっています!』
「なら追います」
『はい。こちらでも記録を取ります!』
金色の線は床を這い、壁へ向かったところで止まった。
「壁だぞ」
海斗が眉を寄せる。
「見れば分かる」
「じゃあどうすんだよ」
「待て」
俺は壁に手を近づけた。触れる寸前で止め、魔力の流れを見る。外から見ればただの白い壁だが、中には王室避難宮の他の場所と同じ古代術式が走っていた。その一部だけが、金色に変わっている。
「ここだ」
「何が?」
「動く」
答えた直後、ゴゴゴ、と低い音が響いた。
「うおっ!?」
海斗が一歩下がる。白い壁が左右に開き、その向こうに細い通路が伸びていた。
「こんな場所、前の検証であった?」
操が剣の柄に手をかける。
「なかった」
「即答ね」
「全部見たわけじゃないけど、少なくとも開いてはいなかった」
「じゃあ行くぞ!」
先に踏み出そうとする海斗の前へ、俺は腕を出して止めた。
「待て」
「何で!?」
「罠だったらどうする」
「お前さっき『追います』って即答したじゃねえか!」
「追うのと、何も考えずに突っ込むのは別だ」
「正論が腹立つ!」
改めて通路を見る。敵意のある魔力反応も、魔獣の気配もない。ただ、金色の線は奥へ続いている。
「操」
「前は任せて」
「海斗」
「後ろだろ。分かってる」
「俺が中央で反応を追う」
三人で通路に入った。十歩も進まないうちに、それは来た。
【未承認区域への接近を確認】
「出た」
海斗が嫌そうな顔をする。
【同行者の安全を優先します】
「嫌な予感しかしないわね」
操が呟いた。
【安全区画へお戻りください】
「断る」
俺が答えると、同じ文言がもう一度出た。
【安全区画へお戻りください】
「二回言ったぞ」
「聞こえてないんじゃない?」
「聞こえてて無視されてる可能性もある」
「それ一番腹立つやつ!」
その時、前方の壁が動いた。
「操!」
「分かってる!」
白い隔壁が左右から閉じてくる。操が踏み込み、鞘から抜いた細身の剣が閃いた。周囲へ一気に霜が走り、閉じかけた壁の可動部が凍りつく。完全には止まらないが、速度は落ちた。
「今!」
三人で隙間を抜けると、背後で氷が砕けて隔壁が閉じた。
「退路!」
海斗が振り返る。
「残す!」
赤い魔力が広がり、閉じた隔壁の直前に結界が展開された。壊すためのものじゃない。こちら側から位置を見失わないための目印と、帰還経路の確保だ。
「安全区画へ戻せって言ってる割に、道閉じるなよ!」
「たぶん、別の安全な出口へ誘導する気なんだろ」
「余計なお世話だ!」
「それについては同意する」
姉貴を連れていった連中と同系統なら、思想は分かりやすい。本人がどこへ行きたいかではなく、向こうが安全だと思った場所へ行かせる。
『黒瀬さん!』
通信に御影さんの声が入った。
『今、通過した区画から新しい情報が取れました!』
「何ですか?」
足は止めない。金色の線を追って走る。
『文字列の一部だけですが――【ゴフォ王国】と読めます』
「国?」
『おそらく。ただ、現代の資料との照合はこれからです』
「他には?」
『人物名があります』
通路の先が二つに分かれた。金色の反応は右だ。
「右!」
三人で曲がる。
『【エレオノーラ】』
「誰ですか」
『まだ解析中です!』
その瞬間、足元が光った。
「止まれ!」
三人が同時に足を止める。目の前の床に、淡い金色の円が広がっていた。
【危険行動を確認】
「何が危険だ!」
【安全区画への移送を実施します】
「これ踏んだら飛ばされるぞ!」
「先に言え!」
「今言った!」
海斗に怒鳴り返している間にも、光の円は広がっていく。通路いっぱいを覆う勢いだ。
「玲司、どうする?」
操に訊かれて、正面、左右、床と魔力の流れを追った。
「上だ」
「上!?」
「海斗!」
「分かった!」
海斗が両手を前へ出すと、赤い結界が斜めに展開された。一枚、二枚、三枚。床に触れない、即席の足場だ。
「走れ!」
「オレの結界をアスレチックに使うな!」
「使えるものは使う!」
「後で絶対覚えてろ!」
操が最初の結界に飛び乗り、俺が続き、海斗が最後尾につく。下では金色の転移光が通路を覆っていく。
「次!」
「もう出してる!」
結界を蹴って、次へ、その次へ。最後の一枚から跳び、三人ほぼ同時に反対側の床へ着地した。直後、背後の結界が金色の光に包まれて消える。
「……今の、結界まで飛ばされた?」
海斗が振り返った。
「たぶん」
「オレの結界どこ行った!?」
「安全な場所じゃないか?」
「結界に安全確保いらねえだろ!」
「海斗、前」
操の一言で、海斗が向き直る。金色の線はまだ続いていて、さっきより強い。
『解析進みました!』
御影さんの声だ。
『エレオノーラ。ゴフォ王国の王族である可能性が高いです』
「王族?」
『古い記録では――王女』
俺の足が、一瞬だけ遅くなった。王女。また姫だ。
「その王女と姉貴の関係は」
『まだ分かりません。ただ、別の記録も開き始めています』
通路の壁に光が走り、読めない古代文字が浮かんでは消えていく。協会側がリアルタイムで拾っているらしい。
『王女エレオノーラに関する救助記録です』
「救助?」
『はい。それも、一件ではありません』
さらに奥へ進むと、次の隔壁が降りてきた。
「左!」
俺が叫ぶと、操が可動部に氷を走らせる。速度が落ちた隙に、三人で一気に抜けた。
『同じ救助者が、複数回記録されています』
「名前は?」
『確認できません』
「能力は?」
『不明です』
「所属は?」
『それもまだ』
「何も分からないじゃねえか!」
海斗が叫ぶ。
『数千年前の記録です!』
「御影さんに怒られたぞ」
「オレじゃなくて記録に言ったんだよ!」
「どっちでもいい。走れ」
前方が急に開けた。円形の空間の中央に、一本の金色の柱が立っている。転移痕はそこへ繋がっていた。
「終点?」
操が周囲を見回す。
「いや」
柱を見て、俺は言った。
「ここから先に飛んでる」
空間の先に、物理的な通路はない。それなのに魔力だけが、ここからどこかへ伸びている。
『黒瀬さん、その場所で大量の記録反応が出ています!』
「読めますか?」
『順番に解析します!』
金色の柱へ近づく。
【追跡行為を確認】
「追跡してる」
【安全上の理由により中止してください】
「断る」
【安全上の理由により――】
「しつこい」
柱の周囲から、透明な壁がせり上がった。
「玲司!」
操が俺と壁の間に入り、剣を振る。刃を叩きつけるのではなく、壁の基部へ氷を走らせた。
「固い!」
「壊さなくていい!」
「じゃあどうする!」
「止めろ!」
「最初からそう言いなさい!」
操が魔力を強めると、壁の上昇速度が落ちた。
「海斗、後ろ!」
「もう見てる!」
入ってきた通路まで閉じ始めている。海斗の結界が展開され、退路が一本だけ維持された。
「長くは持たねえぞ!」
「十分!」
俺は柱の前へ滑り込み、手を伸ばした。触れた瞬間、金色の光が強くなる。
『来ました!』
通信の向こうで、複数の声が重なった。
『記録が開きます!』
「読んでください!」
『エレオノーラ――王女時代の記録!』
光が揺れ、古代文字が柱の周囲を流れていく。
『危機発生。王女救助――』
次。
『別記録。同じ王女、救助――』
また次。
『さらにあります!』
「全部、同じ人ですか?」
『照合中……はい! 同一人物とみられます!』
「何回助けられてんだよ、その王女!」
海斗の声が飛んでくる。
「姉貴ほどじゃないかもしれない」
「そこで張り合うな!」
「張り合ってない!」
「玲司!」
操が透明壁を押さえながら叫んだ。
「今それ必要!?」
「必要ない!」
自分でも分かってる。
『呼称が出ました!』
御影さんの声が入る。
『古代語なので直訳はできません。ただ、現代語に置き換えるなら――』
一瞬、通信が途切れた。
「御影さん?」
『……ヒーロー』
俺の手が止まった。
『その意味が、最も近いそうです』
「ヒーロー……」
海斗が呟く。操も一瞬だけこちらを見た。
「昔のヒーローと重ねる気はないぞ」
「まだ何も言ってないわよ」
「顔が言ってる」
「自意識過剰」
『黒瀬さん、続きがあります!』
すぐに柱へ意識を戻す。
「お願いします」
『記録の年代が飛びます』
光の流れが変わり、何度も出ていた王女の記録が消えた。代わりに、大量の警告らしき文字列が流れ始める。
『ゴフォ王国末期――大規模なダンジョン災害』
会議室で報告を聞いているのとは違う。目の前で、古代の記録が次々と開いていく。
『王都各所で被害』
『避難記録』
『救助記録』
御影さんの声が早くなる。
「ヒーローは?」
『います』
即答だった。
『同じ人物とみられる記録があります』
「何をしてる」
『救助です』
俺は黙った。
『一か所ではありません。複数地点を移動しています』
海斗も黙る。
『最後の記録でも――救助行動を継続』
そこで声が続かなくなった。
「その後は」
『確認します』
透明な壁が軋む。
「玲司!」
操の声が飛んだ。
「あと少し!」
「その台詞、信用したことないんだけど!」
「今回は信用しろ!」
「いつも言う!」
海斗の結界にも亀裂が入る。
「マジでそろそろ戻るぞ!」
「御影さん!」
『検索中です!』
「帰還記録!」
『今――』
柱の光が急激に弱くなった。
「消える!」
『待ってください!』
金色の文字列が、一つずつ消えていく。
『該当人物――』
最後の一列。
『帰還記録――』
そして、消えた。
「御影さん!」
数秒の沈黙のあと、静かな声が返ってきた。
『……ありません』
「死亡記録は」
『ありません』
「じゃあ」
『王国最後の日まで救助を続け、その後の帰還記録がない。現時点で確定できるのは、そこまでです』
「分かりました」
「玲司!」
「戻る!」
手を離すと金色の柱が消え、同時に透明壁が一気に上がった。
「操!」
「こっち!」
操が最後まで残してくれていた隙間へ滑り込み、三人が揃う。
「海斗!」
「撤退!」
海斗の結界を目印に、来た道を戻る。
【危険行動の継続を確認】
「今帰ってるだろ!」
【安全区画へ誘導します】
「自分で帰る!」
【安全確保を――】
「うるさい!」
三人分の声が重なった。閉じる隔壁を操が遅らせ、転移光の位置を俺が読み、海斗が足場と退路を繋ぐ。来た時よりずっと速い。数分後には最初の壁を抜け、背後で通路が閉じて、壁は元の白に戻った。
「……っはぁ」
海斗が膝に手をつく。
「安全確保されるだけで何でこんな疲れるんだよ……!」
「安全を強制されてるからだろ」
「嫌な安全だな!」
操が剣を鞘へ戻す。
「それで」
「ああ」
俺は、姉貴が消えた場所を見た。転移反応はまた弱くなっている。でも、ゼロじゃない。
『黒瀬さん』
御影さんの声が聞こえる。
『先ほどの接続経路、こちらでも記録できました。転移先そのものはまだ特定できませんが、追跡できる情報は増えています』
「お願いします」
『はい』
少なくとも、何も分からなかった数分前とは違う。ゴフォ王国。エレオノーラ。その王女を何度も助けた、古代のヒーロー。そして、王国最後の日にも人を助け続け、帰還記録がない。
「玲司」
操が俺を見る。
「何だ」
「考えるのは後ね」
「ああ」
今はまだ、過去の意味を決めつけない。姉貴の居場所を探す。それが先だ。
白い壁に残るわずかな金色の光を見つめた。安全のために進ませない。安全のために帰そうとする。その向こう側にいる誰かは、姉貴を「現代の姫君」と呼んで連れていった。そしてエレオノーラという名前の王女は、昔、何度も誰かに助けられていた。
「……何でだ」
「玲司?」
「いや」
俺は首を振った。
まだ分からない。だから追う。姉貴へ続く道も、この妙に引っかかる過去も、全部その先にある。
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