第90話:【女王登場】姉が誘拐された。犯人は「保護ですわ」と言い張っている
【代替保護手続へ移行します】
画面の文字は消えなかった。
「代替って何だ」
俺が訊くと、解析担当たちの指が一斉に動き出す。
「現在確認しています」
「接続元は」
「追跡中です」
「王室避難宮側に変化は?」
『玲司』
姉貴の声で、俺は中央モニターへ視線を戻した。
『なんか、光ってる』
「どこが」
『床』
姉貴がカメラを下へ向ける。映った王室避難宮の白い床に、淡い金色の線が走っていた。一本、二本、三本と増えながら、円を描くように広がっていく。
「姉貴、そこから離れろ」
『うん』
姉貴が数歩動く。だが――。
『……ついてくる』
「何?」
姉貴が移動すると、床の光も一緒に動いた。姉貴を中心に据えたまま。
「セバス!」
『承知しております、救助者殿』
セバスが姉貴の前へ出て、小さな身体で片手を床に向ける。いつものふざけた空気は、どこにもなかった。
『これは王室避難宮の通常保護処理ではございません』
「止められるか」
『試みます』
セバスの手元から魔力が広がり、床の光に重なる。金色の線が一瞬だけ揺らいだ。
だが。
【外部干渉を確認】
【保護対象への接触を制限します】
『ぬ』
「セバス?」
透明な壁のようなものが、姉貴とセバスの間に立ち上がった。
『姫様!』
セバスが手を伸ばすが、壁に阻まれて届かない。
『にゃ!』
ルナが跳んだ。黒い身体が一瞬で大きな黒豹ほどに膨れ上がり、そのまま壁へ体当たりする。鈍い音が響いたのに、壁はびくともしなかった。
『邪魔にゃ!』
もう一度ぶつかろうとするルナに、俺は思わず声を上げた。
「ルナ、無理に壊すな!」
『でも姫様が!』
「分かってる!」
気づけば立ち上がっていた。操も海斗も、ほぼ同時に立っている。
「御影さん、王室避難宮への接続経路は!」
「確保しています。ただ、現地側で通常とは異なる処理が始まっています」
「止めてください」
「やっています」
声は平坦なままだが、端末を叩く御影さんの指は速い。壁際の職員たちも、誰一人手を止めていなかった。
「玲司」
操が俺を見る。
「遥香さん本人から終了命令を出してもらって」
「姉貴!」
『聞こえてる!』
「いつものやつだ!」
『分かった!』
姉貴が床に向き直り、深く息を吸った。
『姫君として命じます!』
声が避難宮に響く。
『保護を終了してください! 私はここから移動しません!』
以前ならこれで終わった。王室避難宮は姉貴本人の意思を認識し、保護を終了した。今回もそうなるはずだった。
【姫君本人による保護終了要求を確認】
「よし」
海斗が声を上げる。
しかし。
【代替保護手続実行中】
【保護終了要求を保留します】
「は?」
自分でも声が低くなったのが分かった。
「保留って何だ」
本人が終われと言ったんだぞ。それを保留?
「解析班!」
「表示以上の情報がありません!」
「終了処理は?」
「受け付けていません!」
「誰が決めてるんだよ!」
返事はない。誰にも分からないからだ。
『玲司』
「姉貴、待ってろ。今そっちへ――」
『待って』
「何だ」
姉貴の声は、思ったより落ち着いていた。
『まだ大丈夫』
「大丈夫じゃない」
『でも、今のところ痛くも苦しくもないよ』
「そういう問題じゃない」
『分かってる』
姉貴が小さく笑う。
『だから、ちゃんと状況を見る。何か分かったら覚えておくから、戻ってきたら全部話すね』
「戻ってきたら、じゃない。戻す」
『うん』
「俺が戻す」
『知ってる』
即答だった。腹が立つくらい、迷いのない声で。
床の光が強くなっていく。
「海斗」
「分かってる! 現地に行く方法、協会に確認してる!」
海斗はもう端末を開いていた。
「操」
「装備はあるわ。いつでも動ける」
二人とも、俺が言う前から動いている。なら任せよう。
「御影さん、転移先の追跡を」
「最優先で行っています」
「王室避難宮側も調べ続けてください」
「はい」
「セバス!」
『ここにおります!』
「姉貴から目を離すな!」
『無論でございます!』
その直後だった。
【保護対象を確認】
【現代の姫君】
【代替保護先への移送を開始します】
「待て!」
金色の光が弾けた。セバスとルナが同時に飛び出すが、透明な壁に阻まれる。姉貴の姿が、光の中へ沈んでいく。
『姫様!』
『にゃあっ!』
「姉貴!」
『玲司!』
俺は画面に向かって手を伸ばしていた。向こうが何メートル先なのか、何キロ先なのか、そもそもどれだけ離れた場所なのかも分からない。届くはずがない。それでも身体が勝手に動いた。
『大丈夫!』
「何が大丈夫だ!」
『ちゃんと帰るから!』
「当たり前だ!」
光が姉貴の肩まで包む。
『だから――』
姉貴が笑った。
『迎えに来てね』
「行くに決まってるだろ!」
画面が白く染まり、次の瞬間、姉貴が消えた。
「……」
映っているのは、白い部屋だけだ。
『姫様!』
セバスが、さっきまで姉貴のいた場所へ駆け寄る。何もない。ルナが床の匂いを嗅いだ。
『いないにゃ……』
「追跡は!」
「転移先を特定できません! 追跡情報は途中で途切れています!」
「追えるものは全部追ってください」
「黒瀬さん」
「途中で切らずに、全部です」
「……はい」
御影さんが頷いた。
俺は拳を握りしめる。怒鳴っても姉貴は戻らないし、壁を殴っても転移先は出てこない。今必要なのは情報だ。
「海斗」
「ああ」
「協会側の古代施設情報を洗ってくれ」
「任せろ」
「操」
「私は王室避難宮側を見るわ。残った術式から、何か拾えるかもしれない」
「頼む」
二人が動き出す。俺も動く。一人で全部やる必要はない。今は、姉貴へ続く道を見つける。それだけだ。
モニターの向こうで、セバスが床に手を当てたまま低い声を出した。
『救助者殿』
「何だ」
『必ず』
「ああ」
言われるまでもない。本人が嫌だと言った。帰ると言った。なら、連れ戻す。
それが救助だ。
◇ ◇ ◇
光が消えても、遥香はすぐには動かなかった。まず自分の身体を確かめる。手も足も動くし、息苦しさもなければ、痛いところもない。
次に周囲を見回した。白い床に、高い天井。広い部屋は王室避難宮とは違うのに、どこか似ている。古い施設に特有の、妙に豪華で妙に静かな空間だった。
「……セバス?」
返事はない。
「ルナ?」
やはり返事はない。
「玲司?」
当然、返事があるはずもなかった。
「そうだ」
ポケットからスマートフォンを取り出す。画面はつく。壊れてはいない。まず玲司に発信して、数秒待った。
【接続できません】
「……駄目か」
もう一度かけても、結果は同じだった。
【接続できません】
今度はメッセージを開く。
【玲司】
【知らない場所に転移した】
【怪我なし】
【セバスとルナはいない】
【今のところ危険はなさそう】
【迎えに来て】
送信して、しばらく待つ。
【送信できませんでした】
「そっちも駄目」
なら協会、セバス、海斗、操と順に試してみたが、結果は全部同じだった。外へは何も繋がらない。
遥香はスマートフォンを握ったまま、小さく息を吐いた。
「玲司、ものすごく心配してるだろうなあ」
たぶん今頃、怖い顔をしている。でも、帰ったらちゃんと無事だったと言わなきゃいけない。そのためにも、まずは状況を知ること。玲司ならきっとそう言う。
スマートフォンをポケットに戻し、もう一度部屋を見回した。
「誰かいますか?」
「まあ」
声がした。
「ずいぶんと熱心に外へご連絡なさるのね」
顔を上げると、部屋の奥に一人の女性が立っていた。いつからそこにいたのか、まるで分からない。
腰まで届く淡い金色の髪は、光の加減で白金にも見える。瞳は深い青紫。白を基調にした衣装は華やかなドレスのようでありながら、どこか儀礼用の正装にも見えた。細身で背筋がまっすぐで、ただ立っているだけなのに自然と視線が向く。少し離れた場所には豪華な椅子があり、その横に王冠が置かれていた。
女性は遥香を見て、安心したように微笑んだ。
「お怪我はありませんわね?」
「……はい」
「気分の悪さや、息苦しさ、眩暈は?」
「どれもないです」
「それは何よりですわ」
本当に安心している。少なくとも、そう見えた。
「あの、あなたは?」
女性は少し目を見開き、それから納得したように微笑んだ。
「まあ。申し遅れましたわね」
スカートの端を軽くつまんで、優雅に礼をする。
「わたくしはエレオノーラ。ゴフォ王国の女王でございます」
「……女王様」
「ええ」
冗談には聞こえなかった。立ち姿も声も視線も、この広い空間そのものまで、この人のために用意されているように見える。
遥香はしばらくエレオノーラを眺めてから、その横へ視線を移した。
「王冠、被らないんですか?」
「今、そこが気になりますの?」
「ちょっと」
エレオノーラは数秒黙った。
「……必要な時には被りますわ」
「そうなんですね」
「ええ」
一瞬だけ、変な空気が流れる。遥香は気を取り直した。
「それで、エレオノーラさん」
「女王陛下とお呼びになってもよろしくてよ?」
「エレオノーラさん」
「強いですわね、あなた」
「よく言われます」
主に弟を相手にしているので。
「私、さっき行きたくないって言ったんですけど」
「ええ、存じておりますわ」
「協会も拒否しました」
「確認しております」
「私も拒否しました」
「それも、きちんと確認いたしました」
「……」
遥香は首を傾げた。
「じゃあ、何で私ここにいるんですか?」
エレオノーラも首を傾げる。本当に不思議そうな顔だった。
「危険ですもの」
「何がですか?」
「あなたが」
「私?」
「ええ」
エレオノーラが一歩近づく。
「現代の姫君。あなたは、あまりにも危険な環境に置かれておりますわ」
その呼び方に、遥香の表情が変わった。
「……私、今まで結構安全にしてもらってますよ?」
「不十分です」
即答だった。
「ですが、ご安心なさい。もう大丈夫ですわ」
「何が大丈夫なんでしょう」
「ここにいる限り、あなたを危険へ近づけるものは何一つありません」
自信に満ちた声だった。悪意はないし、脅しているようにも見えない。本気で遥香を安心させようとしている。だからこそ、遥香は少し困った。
「あの、エレオノーラさん。私、帰りたいんですけど」
「まあ。まだいらしたばかりですのに」
「滞在時間の問題じゃなくて」
「お疲れでしょう? まずはお休みになって。お食事もご用意できますわ。お茶も――」
「話を聞いてください」
エレオノーラがぴたりと止まった。
「聞いておりますわ?」
「聞いた上で無視してません?」
「いいえ?」
即答だった。遥香は少し考える。
「私が帰りたいって言ったのは、分かってます?」
「もちろんです」
「でも帰さない?」
「ええ」
「来たくないって言ったのも?」
「存じています」
「でも連れてきた?」
「ええ」
エレオノーラはにこやかなままだった。遥香は額に手を当てる。
「それ、私たちの時代だと誘拐って言います」
エレオノーラの目が丸くなった。
「……誘拐?」
「はい」
「まあ」
口元に手を添えて、本気で驚いている。
「なんて物騒な」
「物騒なのはこっちの台詞です」
「誤解ですわ」
「どの辺が?」
エレオノーラは胸に手を当て、穏やかに、何の疑いもなく言った。
「わたくしは、あなたを保護しただけですもの」
遥香は数秒黙った。
「……玲司」
思わず弟の名前が出る。
「たぶんこの人、過去最高に話が通じないかもしれない」
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




