第86話:【氷姫変身】彼女に《アイスプリンセス》が生えた。原因、だいたい俺だった
扉の向こうから、咆哮が響いた。
操が前、俺がその隣。並び方はさっきまでと何も変わらない。……いや、付き合い始めてから、たぶんまだ一分も経っていない。変わったのはそこだけで、そこだけがとんでもなく大きい。
「玲司。今、余計なこと考えたでしょう」
「考えてない」
「そう」
操が剣を構え直す。扉の表面を走る古い紋様が、脈打つように明るさを増していく。
『玲司! 五月雨! 聞こえてるか!?』
通信機から、海斗の切羽詰まった声が飛び込んできた。
「聞こえてる」
「第七区画の構造が変わった! さっきの三人は救助班に引き渡したけど、別方向から救難信号が二つ増えてる! オレの近くだ!」
端末を見る。海斗の位置のすぐそばに、救難反応が二つ。そして俺たちの正面、扉の向こうにも、反応がいくつも浮かび上がっていた。
「玲司」
「ああ」
向こうにも、こっちにも救助対象がいる。三人で固まって動く余裕はない。
「そっちは!?」
「救難反応が三つ。扉の先だ」
「マジかよ! オレもそっち行くか!?」
「いや。海斗はそっちを頼む。救助対象から離れるな」
一瞬、通信の向こうが静かになった。
「……分かった。何かあったら呼べよ!」
「そっちもな」
通信を切るのと同時に、目の前の扉が重い音を立てて開いた。冷たい風が顔を撫でていく。
扉の先は、今までのダンジョンとは明らかに違っていた。天井の高い石造りの大広間に、古い柱が整然と並んでいる。その奥に、人影が三つ。
「いた!」
「来るな!」
救助対象の叫びの意味は、すぐに分かった。柱の陰で、巨大な影がのそりと立ち上がる。一体。その奥にもう一体。
「二体か」
「違うわ」
操の視線が上へ向いた。天井に、三体目が張りついている。
「……三体ね」
でかい。ここまで相手にしてきた魔獣とは格が違う。それが三人の救助対象を囲むように、三方向に陣取っていた。
「操。三人のところまで行けるか」
「行けるわ」
「右の一体は」
「止められる」
「上は」
「落とせる」
即答だった。なら、迷う理由はない。
「頼む」
「ええ」
操が前へ出る。俺は左へ走った。
「え?」
背中越しに、操の声がした。
「何だ」
「何でもない。後で言うわ」
ちらりと振り返った操が、ほんの少しだけ笑っていた。
「今は仕事」
「ああ」
左の一体がこちらを向く。変身はまだ解けていない。黒銀の拳を、その横腹へ正面から叩き込んだ。硬い。それでも、動かせる。
「こっちだ!」
巨体を救助対象から引き剥がすように押し込み、その合間に右を確認する。操がもう一体へ踏み込み、剣と一緒に走った氷が脚を捉えていた。巨体が暴れて氷に亀裂が入っても、操は一歩も下がらない。
そして上から、三体目が落ちてくる。
「操!」
「見えてる!」
操が剣を振り上げた。柱を這い上がった氷が天井近くまで一気に伸び、落下してくる魔獣の身体へ絡みつく。軌道をずらされた巨体が、轟音とともに床へ叩きつけられた。
そのまま、操は起き上がろうとする二体の間へ滑り込んだ。
「おい!」
身体が動きかける。片方は拘束が割れかけていて、もう片方も起き上がりかけている。操一人では――。
「玲司!」
操が、こっちを見た。
「任せて!」
止まった。
少し前までの俺なら、たぶん飛び込んでいた。でも、操は強い。判断もできる。俺がそっちへ行けば、こっちの一体が救助対象のところへ戻る。三人を庇いながら三体を相手にするほうが、よほど危険だ。
「分かった! そっちは任せる!」
「ええ!」
正面へ向き直る。振り下ろされた拳をかわして懐へ潜り込み、一撃、二撃。巨体を押し返す。背後で氷の砕ける音がしたが、振り返らない。任せたなら、見る必要はない。俺は俺の仕事をする。
「こっちです! 動けますか!」
「一人、脚を!」
「分かりました、少し待っててください!」
先にこいつを引き離す。踏み込もうとした、その瞬間。
ピコン。
「……今!?」
【条件成立を確認】
「何の!?」
嫌な予感しかしない。
【特殊称号との適合を確認】
【対象:五月雨操】
操? 思わず振り向きかけて――。
「玲司! 前!」
魔獣の腕が目の前を掠めた。ぎりぎりで身を捻る。
「悪い!」
「今はこっち見ない!」
「通知が!」
「後にして!」
「操のだぞ!」
「もっと後にして!」
正論だった。拳を叩き込み、魔獣を壁際まで押し込む。
ピコン。
【《ヒーロー見参》との関係性を照合】
【対象認識を確認】
【守護対象】
【戦闘同行者】
【相互信頼対象】
【前衛適性】
何だこれ。
「玲司!」
「見てない!」
「ならいい!」
操のほうにも何か表示されているらしい。それでも操の動きは止まらない。二体の間を抜け、片方を氷で縫い止め、もう片方の攻撃をかわして剣を振り抜く。問題ない。俺が行く必要はない。
【最終条件を確認】
【ヒーロー側認識】
【保護のみを目的としない】
【並列戦闘対象】
【前衛委任対象】
……言い方。
でも、間違ってはいない。守りたい。失いたくない。それでも、後ろへ下げるつもりはない。操が前へ出るなら任せる。背中を預けて、一緒に戦う。それが今の俺の答えだ。
【条件成立】
【特殊職業を付与します】
操の周囲で、氷青の光が弾けた。
「え?」
「操!」
「大丈夫!」
光の中から声が返ってくる。直後、表示が切り替わった。
【特殊職業】
【《アイスプリンセス》】
魔獣まで、一瞬動きを止めた気がした。
「玲司! そっちで何か――」
繋がったままだったらしい通信から、海斗の声がして、途中で途切れる。
「……アイスプリンセス?」
三人とも黙った。最初に口を開いたのは、操だった。
「氷姫を英語にしただけじゃない」
「直訳だな」
「言わないで」
「俺は何も言ってない」
「玲司も思ったでしょう」
「思ってない」
「こっち見て言って」
「今戦闘中だろ!」
「逃げたわね」
「お前ら余裕あるな!?」
「ない!」
魔獣が吠えた。そうだった、戦闘中だ。
「操、動けるか!」
「問題ないわ!」
「なら続き――」
【称号装備を生成します】
「……待って」
操の声が一段低くなった。
俺には分かる。この流れを、嫌というほど知っている。
「諦めろ」
「まだ何も起きてないでしょう!」
「俺には分かる!」
「何が!?」
「経験者だからだよ!」
『五月雨』
通信機越しの海斗の声が、妙に優しかった。
『諦めたほうがいい。経験者だからな』
「白鳥まで何なのよ! 二人とも役に立たない!」
氷青の光が、操の全身を包み込んだ。
「ちょっと、本当に待っ――」
剣を握ったまま、操の身体がふわりと浮く。足元から駆け上がった氷の粒子が白銀のブーツを形作り、そこから白と氷青の密着型戦闘スーツが、一気に腰へ這い上がっていった。
操の顔が、死んだ。
「操。気持ちは分かる」
「黙って」
「はい」
銀のラインが走り、胸部に氷晶型のコアが灯る。両手を白銀の手甲が覆い、そして、胸元に小さなフリルが咲いた。腰にも、短いペプラム状のフリルがふわりと広がる。
「…………玲司」
「待て」
「胸元と腰の、これ」
「俺は知らない」
「あなたの深層意識?」
「何でそうなる!?」
【装備最適化】
【ヒーロー側保護意識を参照】
また、三人で黙った。操がゆっくりとこちらを見る。
「玲司」
「待て」
「私、何も言ってないわ」
「顔が言ってる! 全部俺のせいだって!」
「違うの?」
「勝手に俺の深層意識を衣装に反映するなああああ!」
「玲司! 戦闘中!」
「分かってるよ!」
最後に、銀白の小さなティアラが操の頭上に形作られる。光が弾けて、操が床に降り立った。
白と氷青。銀のライン。密着型の戦闘スーツなのに、胸元と腰にだけ妙に上品な装飾がついていて、露出はほとんどない。剣はそのままで、操自身も何も変わっていない。
ただ、魔力だけが明らかに違った。
「操。すごいぞ」
「衣装?」
「魔力」
「……そう」
操が白銀の手甲に包まれた手を見下ろし、指をゆっくりと握り込む。途端に、周囲の空気がひやりと冷えた。
「使えそうか」
「ええ」
操の目が変わった。もう衣装のことは頭にない顔で、前方の二体を見据えて剣を構える。
「むしろ、今までよりずっと動きやすい」
一歩。操の姿が消えた。
「速っ」
次の瞬間には、もう一体目の懐にいた。剣が走る。今までのように氷が床を這うのではなく、斬撃そのものから氷晶が花のように咲き広がり、巨体の右脚が根元から凍りつく。
もう一体が、操の頭上へ腕を振り下ろした。
「操!」
「大丈夫!」
操は避けなかった。剣を横へ払い、そこに現れたのは氷の壁――いや、壁というには薄い。必要な場所にだけ、必要な分だけ、一瞬で作っている。逸らされた腕の内側へ、操が滑り込んだ。
「はっ!」
一閃。傾いだ魔獣の関節を、氷が次々と封じていく。
「……強いな」
「何が!? こっち映像ないんだけど!」
「操」
「それは分かってる!」
「めちゃくちゃ強くなってる」
「見たい!」
「仕事しろ!」
「してるよ! こっちは救助終わった!」
「なら来い!」
「今向かってる!」
操は一人で二体を相手取っていて、それでも危なっかしさがない。剣で前へ出て、氷で止めて、相手の攻撃を読んで最小限でかわす。元々の戦い方は何ひとつ変わっていない。そこに速さと範囲と精度が、まとめて上乗せされている。
「玲司! 救助者!」
言われて気づいた。見すぎた。
「悪い!」
「そっちは任せたわよ!」
「ああ!」
走る。今度こそ振り返らない。
「救助に来ました! 歩けない方は!」
「俺です!」
「肩貸します。お二人は俺から離れないでください!」
脚を痛めた男性を支え、残る二人を背中側へ集める。背後で爆音と氷の砕ける音が続いても、振り返らない。操がいる。それで十分だ。
「行きます!」
三人を連れて入口へ向かいかけた、その時だった。
【連携対象を確認】
「また!?」
【《ヒーロー見参》】
【《アイスプリンセス》】
【専用連携を起動します】
「待て」
嫌な予感がする。ものすごくする。
「操! 何か来る!」
「何が!?」
「分からん!」
【救助者保護を確認】
【前衛戦闘を継続】
【連携補正を開始】
黒銀と氷青の光が、俺と操をつなぐように宙を走った。
頼む。能力補正だけで終われ。
【ヒーローと姫の連携を確認】
「やめろ」
【専用演出を――】
「やめろおおおお!」
光が弾けた。身体が勝手に動く。
「嘘でしょう!?」
向こうでも同じことが起きているらしい。俺の右腕が勝手に持ち上がり、操が勝手に剣を構える。
〝黒銀の守護、氷姫の剣――!〟
「言いたくない!」
「私もよ!」
〝背を預けし二つの力――!〟
「誰が考えたんだこれ!」
「玲司の能力でしょう!」
「俺じゃない!」
〝共に救い、共に戦う!〟
「やめろ!」
「止まりなさい!」
〝ヒーロー&プリンセス――リンクアップ!〟
静寂。
俺の背後で、救助者三人がものすごく目を輝かせていた。
「か、格好いい……」
「言わないでください」
即答していた。広間の向こうで、操が片手で顔を覆っている。
「玲司! 今の何!?」
「聞いてたのか!?」
「全部聞こえた!」
「忘れろ!」
「無理だろ!」
通信越しに、海斗の笑い声が響いた。
「五月雨!」
「……何よ」
「ようこそ。こっち側へ」
操がゆっくりと顔を上げた。
「白鳥。後で覚えてなさい」
「何でオレだけ!?」
「玲司もよ」
「俺も!? 俺も被害者だろ!」
「派生元」
「《ヒーロー見参》だけど!」
「ヒーロー側保護意識」
「勝手に参照されたんだよ!」
「諦めろ玲司」
「お前は黙れ!」
言い合いながら、操が剣を振る。最後の一体の足元が凍りつき、続く一閃で巨体が崩れ落ちた。
広間が、ようやく静かになる。
「終わった?」
「ああ」
操が剣を下ろした。白と氷青の戦闘スーツに、小さなティアラ。見た目は、さっきまでの操とはまるで違う。
でも、中身は何も変わっていない。前へ出て、敵を止めて、俺たちの道を作る。いつもの操だ。
「……玲司。また見てる」
「悪い」
「別にいいけど」
「いいのか」
「今はね」
操が少し笑ったところで、通信が入った。
「二人とも! 合流できる! 第八区画入口まで戻ってくれ! あと、まだ終わってない!」
端末を見る。さらに奥、最後の区画に、新しい救難反応が複数。
「まだいるな」
「ええ」
操が剣を握り直す。
「オレもすぐ行く!」
「ああ」
通信を切って、操の隣に並ぶ。黒銀と氷青。その少し先から、赤がこちらへ向かってきている。
まだ、仕事は終わっていない。
「行くか」
「ええ」
俺たちは、海斗との合流地点へ走り出した。
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