第82話:【元カノ問題】俺たち、いつ別れたんだっけ?――七味を振りながら確認してみた
「オレは肉食いたい。焼肉行こうぜ、焼肉!」
「却下」
「早いって! せめて一回検討しろよ!」
協会を出て三分。救助だろうが討伐だろうが、任務が終われば腹は減る。そこまでは分かる。ただ、それが昼から焼肉へ直行する理由になるかというと、話は別だ。
「任務後だぞ? 身体動かしたんだぞ? ここは肉だろ!」
「昼から重い」
「いいじゃん昼焼肉! むしろ夜より健康的な気がする!」
「気がするだけだろ」
「昔は付き合ってくれたじゃん!」
「高校生と二十代を一緒にするな」
「まだ二十代だろうが! 急に老け込むなよ!」
海斗が横から肩を小突いてくる。振り払っていると、反対側を歩いていた操が小さく息を吐いた。
「歩きながら決めればいいでしょう」
「五月雨は? 何食いたい?」
「何でもいいわ」
「出た! 一番決まらないやつ!」
「じゃあ蕎麦」
「肉から一番遠いとこに着地した!」
「玲司が昼から重いって言うから」
「俺基準なのか」
「嫌なら別にいいけど」
「いや、蕎麦でいい」
「ほら!」
海斗がびしっと俺を指さした。
「何だよ」
「そういうとこだぞ!」
「何が!?」
「知らねえ! 自分で考えろ!」
「昨日からそればっかりだなお前!」
「考えてほしいことが多すぎんだよ、最近のお前は!」
何なんだよ。結局、多数決に持ち込むまでもなく、協会から少し歩いたところにある蕎麦屋の暖簾をくぐった。
*
「いやー、懐かしいな」
注文を済ませ、湯呑みの茶をひと口すすったところで、海斗がしみじみと言った。
「何が」
「任務終わりに三人で飯。高校の時しょっちゅうやってただろ」
ダンジョンの帰りに三人で飯を食うのは、あの頃の決まりごとみたいなものだった。金がないから牛丼、ラーメン、ファミレス。たまに焼肉。
「お前が焼肉行きたいって言い出して、財布に七百円しか入ってなかったことあったよな」
「うわ、まだ覚えてんのかよ! 何年前だと思ってんだ!」
「白鳥、会計の時に固まってたわね」
「五月雨まで!? 何で二人ともそういうことだけ記憶力いいんだよ!」
「玲司が払ったでしょう」
「正確には俺と操で半分ずつな」
「……ちゃんと返しただろ?」
「三日後に」
「返したならいいだろ! 高校生の七百円は今より重かったんだよ!」
「焼肉行く前に財布見ろよ」
「肉を食いたい気持ちに、財布が追いついてなかったんだよ!」
「名言っぽく言うな」
操が、口元だけで小さく笑った。昨日からずっと張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだように見える。
「でも、よく三人で食べたわね」
「な。基本三人で――」
海斗の言葉が、途中で引っかかった。
「……いや、お前ら二人だけで帰る時もあったな」
「あったな」
「今思うとオレ、かなり気ぃ遣ってたわ」
「何の話だよ」
「お前らが付き合ってたからだよ」
「そうだったな」
ん?
茶を飲もうとして、隣と正面から視線が刺さっていることに気づいた。操も海斗も、揃って俺を見ている。
「何だよ」
「いや……玲司。お前今、すげえ話を普通に流したぞ」
「何が」
「……まあいいや。そのうち分かるって」
「気になるだろ」
俺と操は、高校時代に付き合っていた。
別に隠していたわけじゃない。幼馴染で、三人でパーティを組んで、その途中で俺と操が付き合い始めた。海斗はその頃から知っている。それだけの話だ。
「……懐かしいわね」
操が湯呑みを両手で包んだまま言った。
「玲司、全然変わらなかったけど」
「何が」
「付き合う前と後」
「変わっただろ」
「どこが?」
「…………帰りに送るようになった」
「家、近所だったでしょう」
「近所でも送っただろ」
「それだけ?」
黙った俺の代わりに、海斗が嬉々として身を乗り出してくる。
「オレから言っていい?」
「駄目だ」
「こいつ、付き合い始めた次の日もダンジョン入った瞬間に『操、前頼む』だからな」
「言うだろ」
「普通もうちょっとあるだろ!? 彼女が前衛なんだぞ!?」
「付き合ったら操が弱くなるのか」
「ならねえけど! 理屈は合ってるけど何か違うんだよ!」
前衛は操が一番強かった。だったら任せる。付き合っていようがいまいが、そこは変わらない。今と同じだ。
「まあ、私はそれでよかったけど」
操がこちらを向いた。
「そういうところは、好きだったわ」
湯呑みを取り落としかけて、どうにか指で押さえた。
「過去形で急に言うなよ」
「高校時代の話をしてるんだから、過去形でしょう」
「そうだけど」
「うわ玲司、お前顔赤いぞ! 昔好きだったとこ言われただけで照れてんじゃねえよ!」
「お前は黙って蕎麦待ってろ」
「待ってるよ! さっきからずっと待ってる!」
ちょうどそこへ、湯気の立つ丼が三つ運ばれてきた。助かった。卓の端に並んだ薬味入れから七味の小瓶を取って、軽く振る。
*
「そういえば」
半分ほど食べたところで、操が箸を置いた。
「玲司。聞きたいことがあるんだけど」
「何だ」
操は水をひと口飲んでから、俺を見た。昨日から何度か向けられた、何かを確かめようとする目だった。
「私たちって、いつ別れたの?」
「…………は?」
箸が止まる。正面で、海斗の箸も止まった。
「……もう一回いいか」
「私たちって、いつ別れたの?」
聞き間違いではなかった。店の奥で、誰かが蕎麦をすする音だけがやけに大きく聞こえる。最初に口を開いたのは海斗だった。
「待て待て待て。ちょっと待ってくれ。今オレも記憶を全力で遡ってる」
「白鳥には聞いてないけど」
「聞かせろ! オレ、当時の関係者だから!」
「関係者って何だよ」
「お前らのデートに間違えてついてった第三者だよ!」
「あれはお前が勝手についてきたんだろ」
「任務終わりに『飯行くぞ』って言われたら、いつもの三人だと思うだろ!」
「途中で気づけよ」
「気づいたよ! 映画館でな!」
「遅いわ」
「席に座ってから『あれ? これオレ邪魔じゃね?』ってなったんだよ!」
「白鳥」
操の声は静かだった。
「はい」
「今、その話はどうでもいい」
「……はい」
海斗が背筋を伸ばして水を飲む。操は俺へ向き直った。
「玲司。いつ?」
「いや、待ってくれ」
記憶をたどる。高校で操と付き合った。卒業の頃に俺の能力が《肉体強化》から《ヒーロー見参》へ変わって、三人はそれぞれ別の道へ進んだ。操と会う回数も、連絡する回数も、少しずつ減っていった。
それから――。
俺が操に別れようと言った記憶。操が俺に別れようと言った記憶。どちらを探しても、何も出てこない。
「……あれ?」
「おい。その『あれ?』怖いぞ」
「待て」
「待ってる! むしろちゃんと思い出せ!」
「……ない」
「何が」
「別れた記憶」
海斗がゆっくりと箸を丼の縁に置いた。
「一応確認するぞ。どっちかが『別れよう』って言ったか?」
「……ない」
「喧嘩は」
「してない」
「他に好きな奴ができたとか」
「ないわ」
操が即答する。海斗が俺と操の顔を往復した。
「じゃあお前らいつ別れたんだよ!?」
「だから私が聞いてるのよ」
「五月雨が聞く側なのが一番怖いんだよ!」
「私も別れた記憶がないもの」
「何で二人揃ってそこだけ曖昧なんだよ!」
「曖昧じゃなくて、たぶんやってない」
「そっちの方が問題だよ!」
海斗が頭を抱えた。
「じゃあお前ら、ずっと――」
「白鳥。そういう意味じゃないわ」
操が遮った。落ち着いた声だった。
「私も、終わったものだと思ってたの。会わなくなって、連絡もしなくなって、お互い別の生活になった。だから昔の関係は終わったんだって」
「……ああ」
それなら、俺も同じだ。
「でも昨日から考えてたら、分からなくなったの。私たち、いつ終わったのかなって」
操は丼の縁に目を落とした。
「別れ話をした覚えもない。喧嘩したわけでもない。嫌いになったわけでもない。なのに、いつの間にか元恋人になってた。……変な話よね」
少しだけ笑ったその顔に、笑い返すことはできなかった。
「俺は、自然に終わったんだと思ってた。卒業して、能力が変わって、会わなくなって。だから自然消滅したんだと」
「私も同じ。だから、玲司を責めてるわけじゃないわ」
「……悪かった」
「何に謝ってるの?」
「ちゃんと話さなかったことに。俺がそう思ったなら操も同じだって、勝手に決めてた」
操がわずかに目を見開いた。それから、首を小さく横に振る。
「それはお互い様でしょう。私も聞かなかったもの」
海斗は何も言わなかった。さっきまであれだけ騒いでいたのに、今は丼の前で箸を置いたまま、一言も挟んでこない。
「玲司。私が聞きたいのは、昔のことだけじゃないの」
また、あの目だった。
「昔付き合ってたから今も恋人だ、なんて言うつもりはないわ。何年も離れてたんだもの。私も変わったし、玲司も変わった。高校時代の続きをそのまま始めればいいとも思ってない」
「……そうだな」
シャッシャッ。
「だから」
操がまっすぐにこちらを見る。
「今のあなたが私をどう思ってるかは、別でしょう?」
言葉が出なかった。
「信頼されてるのは分かってるわ。前を任せてくれる。背中も預けてくれる。ハルカさんの護衛だって任せてくれた。そこを疑ってるわけじゃない。でも、それとこれは別でしょう?」
シャッシャッ。
探索者として操をどう思っているかなら、考えるまでもない。強い。信頼できる。任せられる。隣にいてくれたほうが、俺は動きやすい。
でも、恋愛として。今の操を、俺は――。
分からなかった。いや、違う。考えてこなかった、のほうが正しい。操とまた組むようになって、姉貴の護衛を頼んで、三人で正式なパーティを組んで。隣に操がいることがあまりに自然で、わざわざ考える必要を感じたことがなかった。
シャッシャッ。
「今すぐ答えて、とは言わないわ」
顔を上げると、操はもう少しだけ柔らかい声になっていた。
「分からないなら、ちゃんと考えて。昔の私じゃなくて――今の私を、どう思ってるのか。それが知りたい」
「……分かった。考える」
「ええ」
操が箸を取り直す。
「蕎麦、伸びるわよ」
「そこで蕎麦に戻れるの!?」
ついに海斗が口を挟んだ。
「今の話のあと普通に食えるの!? オレずっと箸止まってたんだけど!」
「食べないと伸びるでしょう」
「もう伸びてるよ! お前らのせいで!」
「白鳥が勝手に聞いてたんでしょう」
「同じテーブルで聞かない方法ある!?」
「知らないわ」
「玲司! お前からも何か言え! オレだけ温度差で風邪引きそうなんだよ!」
「うるさいな」
「全然助けてくれねえ!」
操は何事もなかったような顔で蕎麦をすすり始めた。俺も箸を持ち直して、隣を見る。
目が合った。
「何?」
「いや」
「またそれ?」
「……今度は、考えてる」
操が少しだけ目を細めて、「そう」とだけ言った。
今の操を、どう思っているのか。探索者としてならいくらでも答えられるのに、その先だけがどうしても出てこない。考えながら、蕎麦を一口すする。
「玲司」
「何だ」
「七味、入れすぎ」
「え?」
丼を見下ろす。つゆが真っ赤だった。
……いつからだ。
正面で、海斗が口元を押さえて肩を震わせていた。
「お前、めちゃくちゃ動揺してんじゃねえか……! ずっと振ってたぞ、シャッシャッ、シャッシャッって! オレ途中から気になって仕方なかったからな!」
「言えよ!」
「言える空気じゃなかっただろ!」
「じゃあ今笑うな!」
「無理だって! 何だその蕎麦、赤すぎるだろ! シャインレッドより赤いぞ!」
「比較対象がおかしいだろ」
隣で、操が小さく笑った。
「それ、食べるの?」
「……食べる」
「無理しなくていいわよ」
「食べる」
もう一口、すすった。
辛かった。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




