第81話:【様子がおかしい】「何?」「何でもない」を繰り返す元カノと、何も分からない俺
操の様子が、なんかおかしい。
「……何よ」
「いや」
「何?」
「何でもない」
「さっきから何なの?」
また気づかれた。俺が視線を前へ戻すと、操もふいと顔を背け、会話はそこで終了する。
何だこれ。
「なあ。お前ら、それ何回目だよ」
反対側を歩いていた海斗が、心底うんざりした声を出した。
「何が」
「それだよ! 玲司がチラ見して、五月雨が『何?』って聞いて、お前が『何でもない』って逃げるやつ! オレ、真横で延々見せられてんだけど!」
「お前には聞いてない」
「なお悪いわ!」
救助者六名を安全区画へ送り届けたあと、俺たちは残存魔獣と二次被害の確認のため、崩落区画へ引き返していた。変身はとっくに解けていて、さっきまで黒銀と赤だった俺と海斗も、今はいつもの探索装備に戻っている。最初から最後まで格好が変わっていないのは操だけだ。
つまり、いつもの三人である。そのはずなんだが。
「玲司、前」
操に言われて顔を上げる。通路の先で、さっき操が凍らせた魔獣が一体、身をよじって拘束を割ろうとしていた。
「俺がやる」
「いい。私がやるわ」
止める間もなく操が歩き出す。氷が砕けた瞬間に一閃、魔獣が崩れ落ちるより先に、もう視線は通路の奥へ流れていた。
「残りは?」
「反応は二体。奥だ」
「行ってくる」
「ああ」
細身の背中が、崩れた通路の角を曲がって見えなくなる。それを見送ったまま、海斗がぽつりと言った。
「……一人で行かせるのか」
「何で?」
「いや、何でって。この先まだ安全確認終わってないだろ。魔獣も残ってるし」
「だから操が行ったんだろ」
「危険じゃね?」
「危険だな」
「即答すんなよ」
海斗は俺の顔をまじまじと見て、それから何かを飲み込んだように「……あー、そういうことか」と頷いた。
「何だその反応」
「いや。ほんっと玲司だな、お前」
「意味が分からん」
「だろうな!」
何なんだよ。危険だから行かせない、では仕事にならない。二体程度なら操が後れを取ることはないし、地形が変わっていても足止めはできる。通路が塞がっていれば戻ってくればいい。それだけの話だ。
「海斗、右側の崩落見てくれ。二次崩落の可能性があるか」
「はいよ」
海斗が壁際へしゃがみ込み、俺は端末で周辺地図を開く。救助経路は確保済み。残るのは魔獣の処理と崩落範囲の把握で、協会の専門班が入る前に危険箇所を洗い出しておくのが今日の最後の仕事だった。
耳元の通信機が短く鳴る。
「玲司。一体処理。もう一体は奥へ逃げたわ」
「追えるか」
「追える」
「頼む」
「分かったわ」
通信が切れる。壁の亀裂を指でなぞっていた海斗が、こちらを見ないまま言った。
「お前、確認それだけなんだな」
「したろ」
「追えるか、しか聞いてないじゃん。オレならもうちょい聞くぞ。怪我してないかとか、無理してないかとか」
「必要なら操から言う」
海斗の手が止まった。
「…………」
「何だよ」
「いや。そこまで言い切れるの、すげえなって」
「何が?」
「……何でもねえよ!」
お前までそれか。
端末の上で、操の位置を示す光点は順調に奥へ進んでいく。しばらくして、また通信が入った。
「二体目も処理した。こっちは行き止まり。完全に崩落してるわ。魔獣反応はなし」
「了解。そのまま左の分岐も見られるか」
ほんの少し、間があった。
「……ええ」
「操?」
「何?」
「無理なら戻っていいぞ」
「無理じゃないわ」
「なら頼む」
「分かった」
通信が切れる。今の間は何だ。端末を確認しても、位置は正常、魔力反応も正常、負傷の報告もない。数字の上では、どこにも異常がない。
「……やっぱり変だな」
「お、気づいた?」
海斗の声が、妙に弾んでいた。
「何で嬉しそうなんだよ」
「いやー、気づかないまま今日が終わるかと思ってたからさ」
「俺を何だと思ってる」
海斗は立ち上がって膝の埃を払い、何か言いかけて、やめた。
「……一個聞こうと思ったけど、やっぱいいわ」
「何でだよ」
「今聞いても、絶対分かんねえ気がする」
「聞く前から諦めるな」
「誰のせいだと思ってんだ!」
知らん、と返すと、そういうとこだぞ、と盛大なため息が返ってきた。こいつも今日はなんか変だ。
*
残存確認は三十分ほどで終わった。魔獣反応なし、二次崩落の危険箇所は三つ。座標と映像を専門班へ送って、俺たちの担当はそこまでだ。
安全区画へ戻ると、端末を抱えた協会職員が待っていた。
「お疲れさまです。救助者六名、全員命に別状ありません。足を痛めていた方も、骨折ではなく打撲と捻挫でした」
「よかった」
子供にも怪我はないという。それを聞いて、ようやく今日の仕事が終わった気がした。
「では現場状況の確認を。最初の救助経路について、黒瀬さんからお願いします」
端末へ記録を転送し、地図を指でなぞりながら説明していく。南側から進入、途中で魔獣五体と接触、三体討伐、二体は操が凍結拘束。その先で追加の群れと接触し、そこから先は操が先行した区画になる。
「五月雨さん、追加区画についてお願いできますか」
「分かりました」
操が隣へ来て、俺の手から端末を受け取った。地図を拡大する指先に迷いはない。
「この地点から先は、通路幅が約半分になっています。最奥は完全崩落で、迂回路としては使用できません。残存二体は処理済み、他に反応はありません」
「二次崩落の可能性は?」
「私が確認した範囲では低いと思います。ただ、壁面に亀裂があるので、専門班が入るまでは封鎖したほうがいいかと」
いつもの操だ。簡潔で、必要なことしか言わない。判断にも何ひとつ問題はない。
なのに、隣に立つ横顔を、気づけばまた見ていた。
「……何?」
「いや」
「また?」
「悪い」
「何なのよ、本当に」
「俺にも分からん」
「私に聞かないで」
声が若干とがっている。やっぱり何かある。
「……黒瀬さん。続けてよろしいですか」
「すみません」
仕事中だった。職員を待たせてしまっている。
次の項目で海斗が退路維持の報告を始め、その間に、操が一歩だけ俺から離れた。
気になる。朝は普通だった。現場へ向かう途中も、戦闘中も普通だった。変わったのは――救助のあとか。あの子供と話したあたり。
黒いヒーローと赤いヒーロー、格好よかった。
あれか? いや、あの子は操にもちゃんと礼を言っていた。氷で魔獣を止めていたことも褒めていた。そもそも操は、そういうことで機嫌を損ねるタイプじゃない。
じゃあ何だ。
「玲司。次お前だぞ。五月雨ばっか見てないで戻ってこい」
「ああ」
「否定しないのかよ……」
海斗が小声で呻いたが、無視して報告を続ける。映像記録を提出し、いくつかの確認に答え、最後に電子署名を入れた。
「ありがとうございます。現場封鎖と追加調査はこちらで引き継ぎます。本日の緊急救助任務は以上です」
三人で頭を下げる。ようやく、終わった。
*
協会の臨時休憩スペースは、自販機と長椅子とテーブルがあるだけの殺風景な部屋だった。それでも任務明けに座れる場所があるだけで、人間はだいぶ救われる。
「疲れたー……」
海斗が長椅子に沈み込んだ。
「お前、後ろにいただけだろ」
「後ろを守ってたんだよ! 言い方!」
「結界維持は疲れるものね」
「五月雨ぇ!」
海斗が跳ね起きた。
「分かってくれるか! ほら玲司、聞いたか今の!」
「分かった分かった」
「雑!」
自販機で水を三本買い、一本を海斗へ放る。もう一本を操へ放ろうとして、なぜか手が止まった。結局、普通に差し出す。
「ほら」
「……ありがとう」
受け取った操は、そのまま俺の隣へ腰を下ろした。キャップを開けて一口飲み、それきり黙る。ボトルのラベルを親指でなぞっているだけで、何も言わない。
やっぱり変だ。
「操」
「何?」
「怒ってるか」
「怒ってないわ」
「何かあったか」
「別に」
「体調は」
「悪くない」
「怪我は」
「してない」
「俺、何かしたか」
ラベルをなぞっていた指が、止まった。
「…………」
おい。
「したのか?」
「知らない」
「俺が聞いてるんだけど」
「私も分からないのよ」
「は?」
操はわずかに眉を寄せていた。怒っているというより、本当に困っているらしい。
「だから、今は聞かないで」
「……分かった」
本人が整理できていないことを、横から掘り返してどうにかなるものでもない。
「話したくなったら言え。俺にできることなら、やるから」
「……そういうところよ」
「何が?」
「何でもない」
「またそれかよ」
操がまた水を飲む。横顔はまだ難しそうなままだ。
助けを求めて海斗を見ると、目が合った瞬間、海斗は両手を上げた。
「無理無理。オレに振るな」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってんだよ! 『海斗、お前なら分かるか』って!」
「じゃあ分かるのか」
「聞くなって言ってんだろ!」
どいつもこいつも。
しばらく、自販機の低い駆動音だけが部屋に響いた。やがて海斗が、冷えたボトルを頬に当てたまま、妙に真面目な顔でこちらを見た。
「……なあ玲司。お前さ、五月雨のことめちゃくちゃ信用してるよな」
「何だ急に」
「いいから。確認したいんだよ」
「してる」
何を今さら。
「今日だって、一番危ないところ普通に任せてたし」
「操なら止められるからな」
「怪我するかも、とか思わないのか」
「思うよ」
「じゃあ何で任せるんだよ」
「操は強い。判断もできる。無理なら無理と言う。俺が行くより操が向いてる場所なら、操に任せる。それだけだ」
海斗は少し黙って、それから「……そっか」と小さく笑った。
「お前らしいな」
「今日それ三回目だぞ」
「今日のお前が玲司すぎるんだよ」
「俺は毎日玲司だよ」
「そういう意味じゃねえ!」
隣の操は、ずっと黙っていた。何となく視線を向けると目が合って、今度は操のほうが先に逸らした。
俺は、何かしたんだろうか。
今日一日を頭から巻き戻してみる。任務前、普通。変身、たぶん普通。俺は死にたかったが、それはいつものことだ。戦闘、普通。救助、普通。そのあと、子供にヒーローと呼ばれた。俺と海斗が。操は探索者だと答えた。
そこから――。
……まさか。
「操」
「何?」
「ヒーローになりたいのか」
「は?」
操が固まった。隣で海斗が盛大にむせ、危うく水を噴きかけた。
「げほっ! ごほっ!」
「大丈夫か」
「お前のせいだよ! 今の流れでどうやったらそこに着地すんだよ!」
「あの子にヒーローって言われてから変だからだろ」
「だからって!」
「玲司」
操の声が一段低くなった。
「今、どうしてそうなったの」
「いや、だから。俺と海斗だけヒーローって呼ばれたのが、気になったのかと」
「…………」
「違うのか」
操は目を閉じて、長く、深く息を吐いた。
「違うわ」
「そうか」
「でも」
目を開けて、まっすぐこちらを見る。
「少しだけ、近いかもしれない」
「どっちだよ」
「私にも分からないって言ったでしょう」
そう言って、操は立ち上がった。
「少し歩いてくる」
「一人でか」
「協会の施設の中よ」
「分かってるけど」
「すぐ戻るわ」
扉が閉まる。残された部屋で、俺はしばらくその扉を眺めてから、海斗のほうを向いた。
「……やっぱり変だよな」
海斗はたっぷり数秒、何も言わなかった。それからゆっくりと、濡れた口元を拭いながら俺を見た。
「変なのはお前だよ」
「何で!?」
「そこが分からないからだよ!」
「分かるように言え!」
「言えるか! 自分で考えろ!」
海斗は頭を抱え、しばらくそのまま唸っていたが、やがて指の隙間からこちらを覗いた。
「……一個だけ聞いていいか。お前、『ヒーローになりたいのか』以外の可能性、本当に一個も思いつかなかったのか」
「…………」
「あ、その顔で分かった。もういい。今度こそちゃんと考えろ。オレから言えることはもうないからな」
「さっきからそればっかりだな」
「他にどうしろってんだよ!」
言われなくても考えている。
黒と赤が並んでいるところを、操が妙な顔で見ていた。あの子の言葉を気にしていた。何度もこっちを見て、何か言いかけてはやめた。左の分岐を頼んだ時、返事が一瞬だけ遅れた。
全部、どこかで繋がっているはずなんだが。
「……分からん」
「だろうな!」
海斗が天井を仰ぐ。俺はもう一度、操が出ていった扉を見た。
ヒーローになりたいわけではないらしい。それでも、少しだけ近い。答えになっていない答えだけが、頭の中で引っかかったまま動かない。
手の中のボトルは、いつの間にかすっかり温くなっていた。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




