第80話:【ダブル見参】黒と赤は並んで見参、なぜか私だけ生身
〝二つの光――ここに見参!〟
左右から伸びた黒銀と赤の光が、薄暗い通路の真ん中でぴたりと重なった。声の揃い方も、拳を突き合わせる角度も、背中合わせになる瞬間の間合いも、誤差らしい誤差が見当たらない。
右に黒銀、左に赤。その二人から三歩ほど離れた場所に、いつも通りの格好をした私が立っている。
「……やっぱりすごいわね。発声の同期、ポーズの対称性、光量の――」
「採点するな」
食い気味に返ってきた。黒銀の密着型スーツにサングラス型のバイザー、普段より低く補正された声。本人が心の底から嫌っている、《ヒーロー見参》の完成形だ。バイザーに隠れて目元は見えないけれど、今どんな顔をしているかくらいは声だけで分かる。
「いや五月雨、今のは褒めるところじゃないからな?」
反対側で、赤と黒と金のスーツに身を包んだ白鳥が、まだ強制ポーズの余韻で固まった腕を無理やり下ろしていた。
「オレたち、自分の意思で一言も喋ってないんだぞ。ポーズまで勝手に決められて」
「知ってるわ。だから感心してるの」
「何にだよ!?」
「一字も噛まなかったこと」
「そこォ!?」
悲鳴じみた声が通路の奥まで反響した。台本を渡せば今でも参勤交代を始める男が、強制口上の時だけはアナウンサーのような滑舌になる。何度見ても理不尽な能力だと思う。
「操、白鳥。続きは後だ」
玲司の声から、羞恥も苛立ちもすっと抜けた。反射的に横顔を見上げると、バイザーの黒い面がもう通路の先へ向いている。表情は分からない。それでも、この人の頭の中から今の口上が消えて、救助対象のことしか残っていないのは分かった。
「ええ」
「了解!」
剣の柄を握り直して、三人同時に床を蹴った。
*
救助要請が入ったのは二十分前だった。中層で局地的な落盤が起き、探索者五名と同行していた子供一名が取り残された。それだけなら瓦礫をどければ済む話だけれど、落盤の衝撃で周辺の魔獣が動き出し、よりによって救助対象のいる区画へ流れ込んでいるらしい。
近くで活動していた私たちに緊急依頼が回ってきて、助けを求める声に玲司の《ヒーロー見参》が反応し、白鳥の《シャインレッド》が続いた。結果がさっきの二つの光だ。
「前、三体」
「見えてる」
「右奥にも二体いる!」
後ろから飛んでくる白鳥の声を聞きながら、速度は落とさない。先頭の一体がこちらへ首を向けた瞬間に踏み込み、爪が持ち上がる前に足元を凍らせる。二体目は剣の腹で壁際まで押し込み、そのまま脚ごと氷で縫い止めた。
「操、上!」
天井近くの岩棚から影が落ちてくる。半歩下がった私の目の前を、黒銀が横切った。
「そこは俺がやる」
横薙ぎの拳が魔獣を吹き飛ばす。壁に叩きつけられる寸前に氷を伸ばし、磔にして固定した。ほぼ同時に背後で赤い防御結界が展開し、右奥から飛び込んできた二体を正面から弾き返す。
「二秒しか持たないぞ!」
「十分よ」
弾かれて体勢を崩した一体を斬り伏せ、もう一体の足元を凍らせる。これで、前が開いた。
「白鳥、後ろ頼む」
「任せろ!」
白鳥が退路の側に残り、玲司と私は奥へ進む。落盤で細くなった通路の先に、複数の反応があった。そのさらに向こうが救助地点だ。
「操。この先、任せられるか」
「問題ないわ」
「二十秒でいけるか」
「三十秒」
「分かった」
即答だった。私が三十秒と言ったなら三十秒で終わる。玲司の中では、それでもう決まっているらしい。疑うとか、念を押すとか、そういう手順が最初から存在しない声だった。
悪い気は、しない。
魔力を流すと、足元から白い霜が扇状に広がった。狭い通路は私の得意な地形だ。床を走った氷に先頭の魔獣が足を取られ、後続がそこへ突っ込んで団子になる。一体目を斬り、二体目を壁へ押し込んだところで、三体目が仲間の背を踏み台にして飛び越えてきた。
横へ避けた私の背後から黒銀の腕が伸びて、魔獣の首をがっちりと掴む。
「一体抜けたぞ」
「見れば分かるわ」
「なら任せる」
ぽい、と。本当にそんな擬音が聞こえそうな手つきで、魔獣がこちらへ放られてきた。剣の腹で地面に叩き落とし、そのまま氷で拘束する。
「雑ね」
「受け取ると思った」
「受け取ったけど」
バイザーの下で、玲司の口元がほんの少しだけ緩んだ。笑った、と指摘したら本人は全力で否定するだろう程度の、ごくわずかな変化だ。
なのに私は、残り二体の位置を確認するより先にそれを目で追っていた。
「操?」
「何でもないわ」
前を向き直す。討伐より救助路の確保が優先だから、残りは足を止めるだけでいい。一体の足元を凍らせ、最後の一体は十分に引きつけてから身体をずらし、すれ違いざまに振り抜いた剣の軌跡へ氷を走らせる。
「終わり」
「二十九秒」
思わず振り返った。
「……数えてたの?」
「三十秒って言っただろ」
当たり前のように言う。一秒余ったわね、と返すと、玲司は「ああ」とだけ答えて、また少しだけ口元を緩めた。
今度は見ない、と決めたのに、結局横目で確認してしまった。我ながら、何をしているのだろう。
「行くぞ」
「ええ」
隣に並んで走り出す。後ろは、振り返らなかった。
*
救助対象は、落盤で入口の半分が塞がれた小部屋にいた。
「救助に来ました」
玲司が瓦礫の隙間へ声を投げると、中から何人もの声が一斉に返ってきた。こっちです、子供がいます、怪我人が一人。玲司は隙間から中を覗き込み、ほんの数秒で振り返る。
「六人、全員意識あり。歩けないのが一人」
「瓦礫は」
「俺が動かす。操、周囲を頼む」
「分かったわ」
通路へ向き直って警戒に入る。背後で「下がってください」という声がして、岩の擦れる重い音が続いた。大人が何人がかりでも動かせそうにない瓦礫が、玲司の腕一本でずれていく。
「今から順番に出ます。走らなくて大丈夫です。外に仲間がいます」
こういう時の玲司の声は静かだ。大丈夫だと連呼しないし、絶対に安全だとも言わない。何をすればいいかだけを、はっきり伝える。それだけで、救助される側の顔つきが変わっていくのを、私は高校の頃から何度も見てきた。
足を痛めた男性を玲司が支え、一人、二人と外へ出てくる。最後に出てきたのは、小学生くらいの男の子だった。大きすぎるヘルメットを被って、小さなリュックを背負っている。怖かったはずなのに、泣いてはいなかった。
「歩ける?」
「うん!」
「無理はしなくていいわよ」
「大丈夫!」
返事がいちいち元気だった。
「白鳥、そっちは」
「退路問題なし! こっちまで連れてきてくれ!」
通路の奥から、よく通る声が返ってくる。来た道を戻る途中、凍らせた魔獣が一体だけ身じろぎしたけれど、拘束は崩れなかった。新しい反応もない。やがて前方に、安全区画の白い照明が見えてきた。
「もう少しです」
救助者へそう声をかける玲司の肩から、さっきより力が抜けている。六人とも、ここまで来られたからだ。
この人は、自分が魔獣に殴られた時より、救助者が瓦礫につまずきかけた時のほうがよほど顔に出る。本当に、分かりやすい人だと思う。
「……何だ?」
「何が?」
「見てただろ」
「見てないわ」
「見てたぞ」
「前を見て」
「俺が?」
「私が」
「……何なんだよ」
玲司が不可解そうに首を傾げる。何なのかは、私にも分からない。だから答えようがなかった。
*
「救助者六名、確認!」
「医療班、こちらへ!」
最後の一人が安全区画へ入り、協会職員たちが駆け寄ってくる。担架、毛布、簡易診断の魔導具。慌ただしく引き継がれていく六人を一人ずつ目で数えて、全員が無事だと確かめてから、ようやく肺の奥に溜めていた息を吐いた。
隣で玲司の肩がわずかに下がり、少し離れた場所で白鳥が結界を解いて大きく伸びをする。
「よし。全員帰したな」
「ああ」
短い返事なのに、声の角がすっかり丸くなっていた。
また見ていた。今度は気づかれる前に、視線を剣の手入れへ落とす。
「まだ残存確認がある」
「分かってるわ」
「拘束した魔獣の引き渡しも」
「分かってる」
「報告書も」
「それは玲司が得意でしょう」
「押しつけるな」
「オレ、後方の記録なら全部出せるぞ。結界の展開位置も、魔獣の反応ログも残ってる」
「じゃあ出して。今日中に」
「五月雨まで上司みたいになってない!? 今の完全に業務指示だったぞ!」
「必要な記録でしょう?」
「正論なのが一番困る!」
白鳥が頭を抱えたところで、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「あのっ!」
さっきの男の子だった。付き添いの女性が、すみませんと頭を下げながら後を追ってくる。
「この子が、どうしてもお礼を言いたいって」
「大丈夫ですよ」
玲司が答える。男の子はきらきらした目で玲司を見上げ、それから白鳥を見て、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「黒いヒーローと赤いヒーロー、格好よかった!」
玲司が、止まった。
比喩ではなく、本当に動きが止まった。魔獣の群れを前にしても一瞬で判断を下す人間が、子供の一言で完全に処理落ちしている。
「おい、何で黙る」
白鳥が肘で脇腹を小突いた。
「子供からの純粋な感想だぞ」
「分かってる」
「じゃあ喜べよ」
「……努力する」
「努力が必要なのかよ!」
男の子が声を上げて笑った。玲司は困ったように口元を曲げている。バイザーがなければ、もっと分かりやすかっただろう。たぶん今、耳まで赤い。
そんなことを考えていたら、男の子がくるりとこちらを向いた。
「お姉さんもありがとう!」
「ええ。怪我がなくてよかったわ」
「お姉さんもすごかった! 氷で魔獣、いっぱい止めてた!」
「見てたの?」
「うん!」
力いっぱい頷いてから、男の子は少しだけ首を傾げた。純粋な、ただの疑問の顔だった。
「お姉さんは、ヒーローじゃないの?」
答えが、一拍遅れた。
「……私は探索者よ」
「そっか!」
それだけだった。男の子は満足そうに笑い、三人ともありがとう、と大きく手を振って、付き添いの女性と医療班のほうへ戻っていく。私も小さく手を振り返した。
何も、おかしくない。あの子は私が戦っていたところをちゃんと見ていて、ちゃんとお礼を言ってくれた。三人で救助して、全員を無事に帰した。それで十分なはずだった。
「操?」
顔を上げると、玲司がこちらを見ていた。
「何?」
「いや……何かあったか?」
「何もないわ」
「ならいいけど」
玲司はそれ以上聞かなかった。こちらを気にするような間を少しだけ置いてから、白鳥に呼ばれてそちらを向く。
黒と赤が並んでいる。
似合っている、と思う。本人たちがどう思っていようと、玲司は誰かを救っている時が一番様になる。あれだけ嫌がっているのが馬鹿らしくなるくらいに。
そして、その隣に赤いヒーローがいる。後ろに残って全員の退路を守ったあの日、白鳥は《シャインレッド》になった。玲司の《ヒーロー見参》に連なる力が、白鳥を救助する側の仲間として形にした。
だから、黒と赤なのだ。
胸の奥に、小さなものが引っかかった。
――羨ましい。
そう思った瞬間、自分に呆れた。何を羨ましがっているのだろう。あの格好をしたいわけではない。絶対に嫌だ。身体の線を余すところなく拾う密着型スーツに、強制口上に強制ポーズ。おまけに配信にも映像にも残る。被害の規模なら、隣の二人を見ていれば十分すぎるほど分かっている。
変身したいわけではない。ヒーローになりたいわけでもない。私はAランク探索者の五月雨操で、玲司は私の実力を知っている。今日だって前を任せてくれた。三十秒で止められると、疑いもしなかった。一秒余ったことまで数えていた。
信頼されている。そんなことは、分かっている。
なのに、黒いヒーローと赤いヒーローの隣で、私だけが探索者のままだ。
「……馬鹿みたい」
「何か言ったか?」
どうして、こういう時だけ聞こえるのだろう。
「何でもないわ」
「今日それ多くないか?」
「気のせいよ」
「そうか?」
玲司が首を傾げたその輪郭で、黒銀の光がふっと揺らいだ。スーツが光の粒へほどけ、バイザーが消えていく。
見慣れた顔が戻ってきた。少し疲れていて、それでも六人を無事に帰せたから安心している、いつもの玲司の顔だ。
なぜか、少しだけほっとした。
「……何だよ」
「何が?」
「また見てる」
どうやら見すぎたらしい。別に、と言って視線を外した先で、白鳥が何か言いたそうな顔をしていた。
「何よ、白鳥」
「いや、オレは何も言ってない」
「ならいいわ」
「……なあ玲司」
「何だ」
「お前……いや、いい。頑張れ」
「何をだ!?」
「そこから自分で考えろ!」
「何なんだよ!」
玲司が本気で困惑している。白鳥が何を分かったつもりでいるのかは知らない。私だって知りたい。
前を任せてくれる。背中を預けてくれる。ハルカさんの護衛まで任せてくれている。玲司が私をどれだけ信頼しているかなんて、今さら確かめるまでもない。
それでも、胸の奥の小さな棘は抜けてくれなかった。
もう一度、玲司を見る。
今度は、目が合った。
すぐには、逸らせなかった。
――私は。
玲司にとって、何なのだろう。
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