第71話:【通常依頼】「普通」を四回確認したのに、救難信号が増え始めた
「普通のダンジョンだ」
「その言い方フラグじゃない?」
「言うな」
翌日、探索者協会管理下・第七ダンジョン。入口前の待機区画で、俺は依頼概要をもう一度確認していた。
【正式パーティ初回探索・状況確認】
【対象区域:第七ダンジョン中層部】
【危険度:通常】
【確認事項:魔獣分布/通路状況/探索者動線】
古代の文字はない。姫君もない。封印もない。王冠の紋章もない。極めて健全である。
「危険度、通常」
画面を海斗へ向ける。
「見ろ」
「見えてるよ」
「通常だ」
「何で二回言うんだよ」
「大事だからだ」
「三回目!」
隣で装備を確認していた操が、小さく息を吐いた。
「玲司が普通を強調するたびに、不安になるのだけれど」
「操まで言うな」
「これまでの実績よ」
「俺のせいじゃない」
ほぼ全部そうだ。姉貴が捕まる。古代施設が起動する。能力が勝手に名乗る。俺は毎回、巻き込まれている側である。
「今回は本当に普通だ」
「四回目!」
「海斗、数えるな」
少し離れた安全区画では、姉貴が配信用機材を確認していた。今回は協会から三人へ来た正式依頼だが、初仕事ということでステラライブも配信協力に入っている。活動記録の公開と、安全な探索の参考資料。昨日説明した業務提携の初事例としては、ちょうどいい。
当然、姉貴は探索へ参加しない。協会指定の安全区域と配信スタッフから離れない予定だ。
「玲司ー! こっちは準備できたよ!」
「そこから動くなよ!」
「わかってるよ!」
「一人で通路に入るな!」
「入らないって!」
「トイレもスタッフに言ってから行け!」
「私、何歳!?」
「方向音痴に年齢は関係ない!」
>始まった
>初仕事なのに第一声が姉への注意
>危機管理ニキ通常運転
>姫様を安全区域に封印しろ
「最後のは言い方が悪い!」
配信はもう始まっていた。俺はカメラを持つスタッフへ目を向ける。
「姉貴を封印しないでください」
「私じゃないですよ」
「コメントに言ってます」
「配信者みたいになってきたな、玲司」
「嫌な成長だ」
「昨日一昨日で慣れたんじゃね?」
「慣れたくない」
海斗が笑う。操はいつも通りだった。腰に剣。派手な衣装なし。ヒーロー名なし。ただの探索者装備。
「……やっぱりずるい」
「まだ言うの?」
「俺たちだけ将来に不安を抱えてる」
「一緒にするなよ! 黒銀の方が圧倒的に被害でかいだろ!」
「比較して安心するな」
「安心くらいさせてくれ!」
「そろそろ行くわよ」
操が先に歩き出す。俺と海斗も続いた。
久しぶりだった。三人で。試練でもなく、誰かに演出を押しつけられるでもなく、ただの探索者としてダンジョンへ入る。
*
中層に入って二十分。
「右、三」
「見えてる」
操はもう動いていた。薄暗い岩肌の通路から、三体の狼型魔獣が飛び出す。
【ウルフファング】
【推奨ランク:C】
一体目が地面を蹴った瞬間、操が半歩踏み込んだ。一閃。首元へ刃が走り、身を捻って二体目の爪を剣の腹で逸らし、すれ違いざまに胴を斬る。
三体目が横へ回った。
「そっち行ったぞ!」
海斗の右手から赤い魔力が床を走る。炎が壁のように立ち上がり、進路を塞いだ。行き場を失った一体が操へ向き直る。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
次の瞬間には終わっていた。
三体。操が三体。俺、ゼロ。海斗、ゼロ。
>氷姫が一番倒してない?
>全部持ってった
>Sランク何してる?
>赤も見てただけじゃん
「仕事してるぞ!」
海斗が即座に噛みついた。
「オレが逃げ道塞いだからな!?」
「胸を張るところはそこじゃないだろ」
「重要だろ!」
「重要だけどな」
「ならいいだろ!」
喋りながら、俺は通路の奥へ視線を送る。右側面、異常なし。後方、スタッフとの距離は約十五メートル。その後ろに後続の探索者パーティが一組。左の分岐から魔力反応なし。床に新しい亀裂、通行に支障なし。退路確保。
しゃがんで、倒れた魔獣ではなく壁際の足跡を見る。
「昨日の記録より一体多いな」
「移動しただけじゃない?」
操が剣を払う。
「その可能性が高い」
協会の記録端末を開く。前日の同区域ではウルフファング二体。一体増えた程度なら珍しくもない。
「次の分岐、左を確認してから戻る」
「了解」
「オッケー!」
>黒銀ずっと周り見てるな
>倒した魔獣より壁見てる
>Sランク何してる?って思ったけどめちゃくちゃ仕事してるぞ
>後ろの探索者まで確認してた?
「見てる」
俺は答えた。
「この仕事、魔獣を全部倒す依頼じゃないからな。倒せるやつは操が倒す。後ろは海斗が見る。俺はそれ以外」
「それ以外って広すぎない?」
「広い方が動きやすい」
「玲司らしいわ」
操が言う。
「高校時代からそんな感じだったし」
「そうだったか?」
「そうよ」
「五月雨が前で暴れて、オレが後ろ見て、玲司が勝手に消える」
「勝手に消えてない」
「気づいたら別の通路で迷子拾ってたじゃん!」
「救助だ」
「否定そこ!?」
覚えていない。たぶん必要だったから行っただけだ。
「でも」
海斗が周囲へ視線を巡らせる。
「やっぱ楽だな」
「何が」
「三人。前見なくていい」
「見ろよ」
「そういう意味じゃねえよ!」
即座に戻った。
「五月雨がいるから、前から来るやつをずっと警戒しなくていい。玲司が動いてるから、何か抜けても拾ってくれる。だからオレは後ろに集中できる」
「ああ」
俺も同じだ。操が前にいて、海斗が後ろにいる。だから俺は、その間の全部を見られる。
配置は昔とほとんど変わらない。それでも安心感の量が違う。三人ともそれぞれ別の場所で探索者を続けて、その上でまた同じ場所に立っているからだろう。
「玲司」
「何だ」
「前」
操の声が変わった。
顔を上げる。通路の先、岩壁の向こうから何かが飛び出してきた。細長い頭部。鱗に覆われた胴。小型の翼。赤みを帯びた銀色の体表。
「……サーモンワイバーン?」
海斗が眉を寄せる。
【サーモンワイバーン】
【推奨ランク:B】
「操」
「任せて」
言い終わる前に、操は踏み込んでいた。
翼が広がる。速い。だが、操の方が速い。一撃目で翼の動きを止め、二撃目で体勢を崩す。魔獣が横へ逃げようとした。
「そっちは駄目だ!」
海斗の炎が通路脇を走り、逃走経路を焼き潰す。
俺はスタッフと後続パーティの前へ立ち、飛散物の届かない位置まで下げた。
「三メートル後ろへ!」
「はい!」
「左壁沿い。走らなくていい!」
返事を確認して、前を見る。
「終わるわ」
「ああ」
一閃。サーモンワイバーンが地面へ落ちた。戦闘開始から十秒も経っていない。
>つよ
>氷姫つっよ
>普通にAランク上位だ
>黒銀また一発も殴ってなくて草
「必要ないからな」
倒れた個体へ近づく。操はすでに死亡確認を終えていた。
「珍しいわね」
「ああ」
「サーモンワイバーンって、この辺だっけ?」
海斗が地図を開く。
「違う」
俺も分布図を確認した。主な生息域は、ここからさらに二層下。中層まで上がってくる個体が絶対にいないとは言わない。だが。
「少なくとも、通常の巡回ルートじゃない」
前日までの目撃記録を呼び出す。この通路での記録はない。今日の報告も――ない。
「玲司」
「ああ」
操も同じところを見ていた。
「一匹だけなら、迷い込んだ可能性もある」
「そうね」
「でも一応、協会へ報告する」
【異常分布報告を送信しました】
「一度戻る?」
「いや。現在地から次の分岐まで確認する」
ここから百メートルほど。そこで異常がなければ、安全区域へ戻って協会と情報を合わせればいい。
「スタッフはここから後ろへ」
「俺たちだけで行くの?」
「そうする」
ここから先は探索用カメラの映像だけを配信へ飛ばす。異常の可能性が出た時点で、スタッフを連れていく理由はない。
「後続パーティも一度安全区域へ戻ってください。それと、姉貴に連絡を。安全区域から絶対に出るなと」
「伝えます」
三人だけで先へ進む。数十メートル。何もない。
「……いないな」
「ああ」
気のせい。迷い込んだ一体。それならそれでいい。むしろ、そうであってほしかった。
次の分岐が見えてくる。右。左。正面。三方向。
その時、右の通路から魔力反応。
「来る」
三人同時に構えた。
岩陰から一体。二体。サーモンワイバーンが姿を現す。
「またかよ」
「二体」
操が前へ出た。
だが、左からも音がした。翼が岩壁を擦る音。
「待て」
左を見る。サーモンワイバーン。一体。
右に二体。左に一体。
「……別方向?」
海斗の声から軽さが消えた。
その瞬間、三人の端末が同時に鳴った。
【探索者協会・緊急通知】
【中層第三区画にて救難信号を受信】
続けて。
【中層第五区画にて異常魔力反応】
「二か所?」
海斗が地図を開く。また鳴る。
【中層第二退避路にて魔獣複数を確認】
【探索中のパーティ二組と通信不安定】
地図の上で、赤い表示が増えていく。一つ。二つ。三つ。
離れている。同じ場所じゃない。
「群れが上がってきたのか?」
「違う」
それなら、もっと固まって動く。反応が散りすぎている。通路も違う。移動方向も一致していない。
「玲司」
「ああ」
一つの群れが迷い込んだんじゃない。
「……一群じゃない。分かれてる」
右。左。そして、離れた二つの区画。赤い印が、別々の方向へ広がっていく。
【救難信号を追加受信】
また一つ、地図が灯った。
海斗の顔から、完全に笑みが消える。
「……玲司」
「ああ」
もう、状況確認の仕事じゃない。
俺は端末を閉じた。
「全員、救助へ切り替える」
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
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