第66話:【配信準備】Sランク探索者、初配信のために美容院へ行く
「まず、明日話すことを決めましょう」
翌日、ステラライブ第三会議室。
昨日まで俺の卒業アルバムを全国へ配信していた大型モニターに、今日は真っ白な資料が映っている。
【黒瀬玲司・自主配信 公開情報整理】
昨日よりはるかにマシな画面だ。
「公開するのは、本名。探索者登録名。現在のランク。それから、黒銀ヒーロー本人であること」
チーフが順に読み上げる。
「はい」
「公開しないのは、住所、詳細な生活圏、私的な予定、ご家族やパーティメンバーの非公開情報。それと、能力の内部情報」
「それでお願いします」
「質問も事前に選別します。何でも答える配信にはしません」
「助かります」
と、隣で姉貴が勢いよく手を挙げた。
「質問です!」
「姉貴は視聴者じゃない」
「顔出しするんだよね?」
「する」
「本当に?」
「昨日決めただろ」
「黒瀬玲司として?」
「ああ」
「全国に?」
「……ああ」
「生配信で?」
「確認を刻むな。後悔するだろ」
実際、少ししている。だが決めたことは変えない。
黒瀬玲司。探索者・黒瀬レイ。黒銀ヒーロー。そこまでは俺から話す。代わりに、その先へ勝手に踏み込まないでほしいと伝える。そのための配信だ。
姉貴が、俺の顔をじっと見つめた。
「じゃあさ」
「何だ」
「その髪で出るの?」
「……何だ」
会議室が静かになった。操まで俺を見ている。
「何で全員黙る」
「玲司。美容院、最後に行ったのいつ?」
記憶を探る。探索。依頼。救助。ダンジョン。確定申告。姉貴の配信事故。人工魔力誘導核。封印塔。庭園型封印塔。海斗が赤くなった。俺がSランクになった。
「……今年」
「範囲が広い!」
「行ってはいる」
「いつ?」
「覚えてない」
「それを行ってないって言うんだよ!」
「言わない」
伸ばしているつもりはない。邪魔になれば自分で整えるし、探索中に髪型を気にしている余裕もない。視界を塞がず、装備に干渉しなければ十分だ。
「探索者として支障はない」
「明日は探索じゃなくて顔出し配信でしょ!」
「顔は同じだ」
「そういう話じゃない!」
「清潔にはしてる」
「最低ラインで反論しないで!」
姉貴が頭を抱えた。何が問題なのかわからない。
と、向かいの操がスマートフォンを操作し始めた。
「十四時半なら空いてるわ」
「何が」
「美容院」
「待て」
「ステラライブが使ってる提携サロン。完全予約制で個室。外から中も見えない」
「待て」
「予約したわ」
「何で俺の予定が本人を経由せず確定するんだ」
操が顔を上げる。
「今の状況で、あなたと遥香さんを普通の店へ放り込むわけないでしょう」
「そこはまともだった」
「当たり前よ」
「じゃなくて、予約の話だ」
「空いてるでしょう?」
「空いてるが」
「なら問題ないわ」
「問題あるだろ」
「どこに?」
聞き返されると困る。予定は空いている。明日は全国へ顔を出す。髪を整えること自体に害はない。おまけに身バレ対策まで済んでいる。
「……ない」
「なら決まりね」
完敗だった。
「操ちゃん、仕事が早い!」
姉貴が親指を立てる。
「昨日から空きを見てたから」
「昨日から!?」
「玲司が配信すると言った時点で、必要になると思ったの」
「俺より俺の配信準備が早いな!」
「あなた、自分の身だしなみは後回しにするもの」
「探索に必要ないからな」
「だから、必要になった今、予約したのよ」
正論だった。最近、正論で殴ってくる人間が多すぎる。
「では救助者殿」
いつの間にか背後に立っていたセバスが、俺の肩へ何かを当てようとした。
「何してる」
「採寸を」
「何の」
「明日の装いにございます」
「いらん」
「肩幅、胸囲、上腕――」
「特に胸囲を測るな!」
「最重要項目ですが」
「何にとってだ!」
メジャーを奪い取る。危ないところだった。今この国で最も測らせてはいけない部位が、俺の胸郭である。
「服なら持ってる。黒いシャツでいいだろ」
姉貴と操が、同時に俺を見た。
「何だよ」
「それ、ダンジョンの打ち合わせにも着てるやつでしょ?」
「ああ」
「確定申告の相談にも着ていたわね」
「服に用途制限はない」
「去年のお葬式にも似たの着てなかった?」
「黒は万能だ」
「玲司」
操が静かに言った。
「美容院のあと、服も見るわよ」
「何で増えた」
「必要だから」
「今ある」
「配信用は?」
「服は服だ」
「そういうところよ」
「どこだよ」
味方がいない。チーフだけは助けてくれるかと視線を向けたが、返ってきたのは穏やかな微笑みだった。
「明日は非常に多くの方が視聴すると予想されます。最低限、整えておいて損はありません」
「……業務ですか?」
「今回は黒瀬くんの自主配信です」
逃げ道まで塞がれた。
*
「普通でお願いします」
十四時半。俺は提携サロンの個室で鏡の前に座っていた。
一般客とは入口から動線が分かれているらしく、店に入ってから誰ともすれ違っていない。髪を切りに来ただけなのに、妙に厳重だ。昨日までなら笑っていたかもしれない。今はありがたい。
担当の美容師が、一瞬だけ手を止めた。
「普通、ですか」
「普通です」
「自然な感じで?」
「はい」
「爽やかに?」
「普通で」
「では、今ネットで話題になっている雰囲気を少し――」
「いりません」
「あの、黒瀬さんの……例のイメージに寄せる形で」
「ぼかしてもわかります。いりません」
危ない。確実に俺を何かへ寄せようとしていた。
「明日は本人として出るので、何かへ寄せる必要はないんです」
「あ、確かに」
「納得しないでください」
鏡越しに、待合スペースの姉貴が笑っている。隣では操が雑誌をめくっていた。付き添いは一人でいいと言ったのに、なぜ二人ともいる。
「玲司、せっかくだから前髪上げてもらったら?」
「上げない」
「顔出るよ?」
「髪を上げなくても顔は出る」
「ちょっと大人っぽく――」
「二十三だ」
「じゃあ年相応に」
「今も年相応だ」
美容師が笑いを堪えている。俺は悪くない。
そもそも明日の目的は見た目を売ることじゃない。身元を整理して、公開範囲を自分で示す。それだけだ。断じて、配信映りを気にして来たわけではない。
「横はすっきりさせます?」
「お願いします」
「襟足も整えて」
「はい」
「眉も少し――」
「自然な範囲で」
「玲司、注文増えてるよ」
「最低限だ!」
配信映りを気にしているわけではない。たぶん。
一時間後。
「……こんなもんだろ」
鏡に映っているのは、当然ながら俺だった。余計な長さが落ちて、輪郭が少しはっきりした程度。派手でも奇抜でもない。
普通だ。完璧である。
「いいじゃない!」
姉貴が俺の周りを一周した。
「ちゃんと働いてそう!」
「元から働いてる!」
「探索者っていうより社会人っぽい」
「探索者も社会人だ!」
「三割くらい無職感が消えた」
「残り七割は何なんだよ!」
操も立ち上がり、俺を見た。じっと。長い。
「……何だ」
「いいと思うわ」
「それだけか」
「他に必要?」
「いや」
それで十分だった。操がそう言うなら、少なくとも変ではない。
「じゃあ次ね」
「何が」
「服」
「本当に行くのか」
「ここまで来て帰るの?」
「帰りたい」
「駄目よ」
十分後。俺は近くの店で、何着目かわからないジャケットを突きつけられていた。
「これは?」
姉貴が明るい色を掲げる。
「却下」
「まだ着てない!」
「目立つ」
「明日全国に顔出す人が、今さら何言ってるの?」
「目立つために出るんじゃない」
「じゃあこっちは?」
「却下」
「黒だよ?」
「光沢がある」
「細かい!」
結局、俺が残した候補は、いつもと大差ない黒だった。装飾の少ないシンプルなジャケット。
「それなら、こっち」
操が別の一着を差し出す。同じ黒。ただ、俺が選んだものより少しだけ形が整っている。
「何が違う」
「肩」
「肩?」
「あなたが選んだ方だと、そこだけ窮屈に見えるわ」
着てみる。腕を動かした時の引っかかりが少ない。胸元にも余計な皺が寄らない。
「こっちの方がいいな」
「でしょう」
「じゃあ、これで」
決めた瞬間、姉貴が妙な顔をした。
「何だ」
「いやあ」
「言え」
「私が二十分勧めても全部却下だったのに、操ちゃんの一着目で決まったなあって」
「合ってたからだろ」
「そうね」
操も普通に頷いた。
「玲司の服は、昔から選びやすいもの」
「黒ばっかりだからな」
「そういう意味じゃないけど」
「?」
「何でもないわ」
操が先に歩いていく。何だったんだ。
姉貴を見ると、にやにやしていた。
「姉貴」
「何も言ってないよ?」
「顔がうるさい」
「失礼な弟!」
*
夜。黒瀬家のリビングで、俺は明日の資料をもう一度開いた。
【公開する情報】
・黒瀬玲司
・探索者登録名:黒瀬レイ
・Sランク探索者
・黒銀ヒーロー本人
【公開しない情報】
・住所
・生活圏
・能力の内部情報
・家族、仲間の非公開情報
・私的な予定
それでいい。必要なことは俺から話す。必要のないことまで差し出すつもりはない。
「救助者殿」
「何だ」
目の前に立ったセバスの視線が、髪からジャケットへゆっくり下りていく。
やめろ。嫌な予感しかしない。
「身だしなみ、八十七点でございます」
「何の採点だ」
「残り十三点は胸郭の――」
「聞かない」
資料へ視線を戻す。姉貴の笑い声。ソファで丸くなるルナ。椅子の背には、操が選んだジャケットが掛かっている。
明日、あれを着てカメラの前に座る。
思えば、俺が全国配信に映った時は、いつもろくでもなかった。姉貴が危険に巻き込まれた時。救助へ飛び込んだ時。能力が勝手に発動した時。黒銀の密着スーツを着せられて、名乗らされて、決め台詞まで言わされた時。
全部、俺の意思とは無関係に引きずり出された。
明日は違う。変身しない。救助でもない。誰かに強制されたわけでもない。
黒銀ヒーローでも、探索者・黒瀬レイでもなく。俺が、自分から黒瀬玲司として出る。
資料を閉じた。
嫌じゃないわけがない。できることなら、明日の二十時だけ世界中の通信回線が仲良く自然死してほしい。
それでも、自分で話すと決めた以上、逃げる気はなかった。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




