第60話:【本物のシャインレッド】後ろから守る赤に、称号が応える
「全員の退路は、お前に任せた」
「――任せろ!」
背中で聞いたその一言だけを持って、俺と操は庭園迷路の奥へ踏み込んだ。
*
「黒銀、右!」
「見えてる!」
生け垣を突き破って、猫型魔獣が三匹。一匹目の進路へ腕を差し込み、身体ごと横へ流す。二匹目は操が剣の腹で受け、勢いだけを殺した。
三匹目が俺の背後へ回る。追わない。
「行かせていい!」
「おう!」
直後、半透明の結界が猫の正面へ滑り込んだ。ぶつけない。斜めに受けて、そのまま横道へ逃がす。
「次、左から二匹!」
『その奥にも三匹!』
通信機から姉貴の声。今日は安全な別室にいる。現場に来ていないからこそ、複数の監視映像を同時に追える。
『カメラ七番生きてる! 南側に取り残されたスタッフ二人!』
「位置!」
『噴水跡から奥へ二十メートル! その先、生け垣が閉じかけてる!』
「操!」
「先に行く」
説明はいらない。操が俺の右を抜けた。目の前に蔓の壁。剣閃。植物ではなく、根元を走る金色の魔力線だけが断たれる。壁の動きが止まった。
「道!」
「十分!」
駆け抜ける足元に、半透明の足場が一枚、先回りして現れた。
海斗の結界だ。崩れた石畳を跳ぶための位置に、俺の着地点を合わせてある。指示はしていない。
踏む。次の一枚。さらに次。最短距離を、迷わず走れる。
「海斗!」
「何だ!」
「そのまま!」
「最初からそのつもりだ!」
いい返事だ。
前方に取り残された撮影スタッフが見えた。
「動けますか!」
「一人、足を!」
倒れた照明機材の下に足が挟まれ、もう一人が必死に支えている。背後からは生け垣。
「操、壁!」
「任せて」
照明台に手をかける。操が迫る蔓を断つ。
「上げます! ……今!」
スタッフが足を抜いた。
「立てるか!」
「はい!」
「無理するな、肩を貸せ!」
「海斗!」
「道はある!」
振り返る必要はなかった。俺たちが踏んできた結界の足場が、そのまま退路の目印になっている。
「結界に沿って戻れ! 出口まで切らさない!」
二人が走り出す。
『黒銀、止まって!』
姉貴の声。
「何だ!」
『西側の三人が動けてない! 前と後ろから生け垣!』
「海斗!」
「もう見えてる!」
返事と同時に、遠くで赤い炎が立ち上がった。燃やさない。細い火線を地面へ走らせ、生け垣の進む向きだけを変える。そこへ結界が二枚。一枚は前、一枚は背後。閉じ込める壁ではなく、逃げ道だけを残すための壁だ。
「右へ! そっち開いてる! 三人とも離れないで、右の結界沿いに来て!」
横から迫った猫型魔獣の手前だけを、炎が舐める。傷つけずに向きを変え、その先にまた結界。気づけば全員が海斗の作った道へ流されていた。
『……すごいね。海斗くん、全部見えてる』
「姉貴、実況より次の情報!」
『あっ、はい!』
「今、姉貴って言った?」
海斗の声。
「聞かなかったことにしろ!」
「今はそうする!」
こういう時だけ話が早い男だ。
「御影さん!」
「安全圏へ退避済み十四名! 庭園内は調査班三名、黒銀さん、五月雨さん!」
「海斗は」
「白鳥さんは退避線内側で後方維持中!」
「了解!」
残り三人。
「北側調査班!」
『カメラ二番! 小型塔の西側、一人倒れてる!』
「行く!」
蹴った先に、また足場。操も同じ結界へ飛び乗ってきた。
「昔より便利になったわね」
「高校の時はここまで同時に出せなかったからな」
「聞こえてるぞ!」
後方から抗議が飛ぶ。
「今オレを褒めた!?」
「戦闘中だ!」
「あとでちゃんと褒めろよ!」
「生きて帰ったらな!」
「約束したからな!」
やかましい。昔よりずっと頼もしいのが、また腹立たしい。
小型塔が見えてきた。根元の周囲で、金色の魔力が不規則に明滅している。そのすぐ近くで、調査員が一人、蔓に絡まれていた。同僚二人が切っているが、切った端から伸び直す。
「操!」
「根元を見る」
しゃがんだ操が、即座に顔を上げた。
「蔓じゃない。下」
石畳の隙間。金色の魔力が一か所へ集中している。前回の庭園にはなかった反応だ。
「再起動してから、ここに集まってる」
「切れるか」
「表面だけなら。でも中心は――」
「俺がやる」
原理はわからない。今わかる必要もない。ここから防衛機能へ魔力が流れ続けている。それだけで十分だ。
「調査員が先だ!」
操が金色の線を断つ。一瞬、蔓の力が緩んだ。
「今!」
引きちぎって、調査員を抱え起こす。
「三人とも退避!」
「黒銀さんは!?」
「止めてから行く!」
「海斗!」
「受け取る!」
遠くで結界が一枚。三人の退路を守る壁が立つ。これで救助対象は全員、海斗の側へ渡った。
「操」
「ええ」
二人で塔の根元を見る。暴走する庭園へ魔力を送り続けている、金色の塊。
「止めるぞ」
「周辺の術式は私が切る」
「三秒」
「十分」
操が駆けた。一閃。二閃。三閃。塔から伸びた魔力線が次々と断たれる。
【庭園防衛機能――接続異常】
【維持出力――低下】
「今!」
踏み込んで、拳を振り抜く。直撃。金色の塊が砕け、光が弾けた。
【再起動信号――消失】
「流入が止まった!」
生け垣が動きを止め、猫型魔獣もその場で座り込む。
「防衛機能は?」
「まだ。塔そのものの魔力は残ってる」
「なら後回しだ」
『玲司! 上!』
姉貴の声で見上げた。
庭園を覆っていた白い柱、噴水、石造りの装飾。無理やり生成されていた構造物が、一斉に金色の光を失っていく。
「まずい」
崩れる。一本じゃない。庭園全体だ。
「御影さん!」
「全員、退避!」
遠くから返事が返り、すぐに続いた。
「出口にまだ全員集まりきっていません!」
白い柱が倒れる。石畳が浮き上がり、砕けた装飾が退路へ降り注ぐ。俺と操なら避けられる。問題は出口側だ。
「海斗!」
「見えてる!」
声が変わった。低い。
結界が一枚、二枚、三枚。スタッフの頭上、出口、崩れた足場。次々に置かれていく。だが、数が多い。
「っ……!」
一枚に亀裂が走った。
「白鳥さん、南側にまだ二人!」
「わかってる!」
右手の炎が落下してくる蔓を焼き切り、左手が結界を足す。
「全員、オレから離れないで!」
その時、出口の外側で大型の石柱が傾いた。
真下で、撮影スタッフが一人転ぶ。
海斗が動いた。一歩、前へ。
あそこまでなら走れる。抱えて飛び込める。俺にはわかった。海斗にもわかっている。
叫ぼうとして、やめた。
もう、俺が答えを渡す場面じゃない。
海斗は踏み出した姿勢のまま止まっていた。倒れた一人。その後ろの十数人。崩れ始めた退路。出口を支える結界。全部を、一度に見る。
歯を食いしばる音がして。
前へ出した足が、戻った。
「御影さん! 倒れた人、右へ引いて! その人だけ見ないで、全員を結界の中央へ!」
「白鳥さん、でも――」
「オレが守る!」
魔力が膨れ上がった。今までとは桁が違う。
一枚。巨大な結界が、退路全体を丸ごと覆った。
「ぐっ……!」
落下物が叩きつけられ、轟音とともに壁が揺れる。さらに柱が二本、三本。
「海斗!」
走り出しかけた俺へ、叫びが返ってきた。
「来るな! 前、終わらせろ!」
「……!」
「こっちはオレの仕事だ!」
足が止まる。
腕が震えている。額に汗。結界には亀裂。それでも一歩も下がらない。
いや。こいつにとっては最初から、そこが前線だった。
「……そうだな」
俺は塔へ向き直る。
「海斗! そこを守れ!」
「言われなくても!」
また崩落。結界が軋む。
「白鳥さん、あと六人!」
「入ってます!」
『海斗くん、左上、次来る!』
「見えてます!」
返事だけ妙に丁寧になった。こんな時までか。
「左、厚くする!」
結界の一部だけが重なり、落下を受け止める。右側は薄く。浮いた分は退路へ回す。必要な場所へ、必要な分だけ。あいつがずっとやってきたことだ。
「第一経路はあと十秒保つ! 慌てるな、二列で!」
その声に従って、残った人間が結界の中央を抜けていく。
「最後の一人、安全圏へ! 全員退避完了です!」
御影さんの声に、海斗の目が見開かれた。
「……全員?」
「全員です!」
その瞬間、最後の巨大な柱が倒れた。
「海斗!」
「おおおおおおおおっ!」
結界が広がる。外縁を赤い炎が走り、絡みつこうとする蔓だけを焼き切った。
柱が斜めの透明な壁へ衝突する。轟音。壁が大きく軋む。それでも砕けない。柱は表面を滑り、軌道を変え、誰もいない庭園の外側へ落ちた。
土煙。
静寂。
俺も、操も、画面の向こうの姉貴も、すぐには何も言わなかった。御影さんだけが周囲を確認し、それから端末へ何かを入力する。今は聞かないでおく。
やがて煙が晴れた。
海斗が立っている。赤いスーツ。下がりかけた腕。荒い息。結界はもう消えている。
その後ろにいる全員が、無傷だった。
「……海斗」
「何だよ」
「前に出なかったな」
「当たり前だろ」
息を整えながら、こいつは笑った。
「お前が任せたんじゃん。だから守った」
一度、自分の後ろを振り返る。スタッフ。協会職員。全員いる。
「オレ、前へ行けば一人くらい抱えて助けられたと思う」
「ああ」
「でも、それやったら、後ろの全員を置いていくことになる」
「そうだな」
「だから行かなかった」
前へ出られない自分を、逃げだと思っていた男だ。
「後ろに残った。全員守るために」
俺は笑った。バイザー越しだから、たぶんこいつには見えていない。
「海斗」
「何だ」
「後方は、お前の最前線だ」
海斗が目を丸くした。
「……それ」
「何だ」
「格好いいな!」
「拾うな」
「使っていい!?」
「今聞くことか」
「今だからだろ!」
「勝手にしろ」
「よし!」
それから、海斗は近くに残っていたカメラへ気づいた。
「まだ動いてる?」
「記録用だけ……回ってます」
「そっか」
カンペはない。台本もない。事務所の担当者もいない。赤だから前へ出ろと言う人間も、熱血口上を渡す人間も、今はどこにもいない。
海斗が一度だけ俺を見る。俺は何も言わなかった。もう、渡してやる言葉はない。
「オレは」
一度も噛まなかった。
「前へ出る赤じゃない」
後ろの全員を見る。
「前で戦ってる人が帰ってこられるように、道を残す。逃げる人が迷わないように、出口を守る。危ないものが来たら、ここで止める。それがオレの役割だ」
そして、笑った。
「オレは――後ろから守る赤いヒーローだ!」
ピコン。
「……は?」
聞き慣れた電子音とともに、見たことのない表示が浮かんだ。
【白鳥海斗の選択を確認】
「何だ、これ」
海斗も固まっている。
【救助者の仲間として条件を達成しました】
「……仲間?」
操が小さく呟いた。
そして、三つ目。
【特殊称号『シャインレッド』を付与します】
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




