第59話:【庭園塔再起動】無茶な赤ヒーロー演出で、封鎖中の塔が目覚める
庭園塔事件から数日後。
協会管理区画の中央には、あの黒い小型塔がまだ立っていた。周囲を囲むのは三重の封鎖線、魔力監視装置、退避経路の表示板、緊急停止用の協会設備。安全側の準備としては文句のつけようがない。
問題は、その脇にそびえている高さ三メートルの真っ赤な文字だ。
【SHINE RED】
「何だ、あれ」
「オレに聞くなよ」
海斗が遠い目をした。
「安全啓発に必要か?」
「事務所いわく、画面が寂しいらしい」
「物理的に画面を埋めるな」
「オレもそう思う!」
魔力は一切使っていない、ただの巨大な看板。封鎖線の外で、退避経路からも離してある。安全上の問題はゼロだ。俺の美的感覚だけが被害を受けている。
「黒瀬さん。最終確認を」
御影さんが端末を持って寄ってきた。
今日は庭園型封印塔の外周調査と、一般向け安全説明映像の収録。ついでに俺のSランク実地評価も兼ねている。現地にいるのは俺、操、海斗、御影さん、協会調査班。撮影スタッフは最小限。
そして星宮ハルカは、別室からリモート参加だ。姉貴を勝手に休ませようとする塔の前へ、姉貴本人を連れてくるほど馬鹿じゃない。ルナとセバスもそちらにいる。
『玲――黒瀬くん、聞こえてる?』
モニターから姉貴の声。
「聞こえてます」
『今ちょっと言い直した?』
「気のせいです」
『はいはい』
危ない。横で海斗が笑っている。
「何だ」
「いや、仕事モードだなって」
「お前もだ」
今日も事務所製の赤いスーツ。ただし立ち位置は後方、撮影スタッフと協会職員と二本の退避経路を全部視界へ入れられる場所だ。
「白鳥。何かあったら?」
「オレは後ろ」
「よし」
「もう即答できるぞ」
「成長したな」
「最初から向いてたんだけどな!」
「自覚した上で言えるようになった方が上等だ」
「……それは、まあ」
海斗が少し笑った。
「玲司。塔の魔力値は?」
操が横から尋ねる。
「平常。封鎖術式にも変化なし」
「予備装置は」
「持込対象外。搬入リストにもない」
例のヒーロー演出補助装置。魔力式だと判明した時点で、俺が持ち込みそのものを禁止した機材だ。撮影計画からも削除済み。少なくとも、提出された書類の上では、ここに存在しない。
「調査を開始します」
御影さんの声で、全員が仕事の顔になった。
*
最初の三十分は、驚くほど平和だった。
外周魔力、封鎖術式、前回庭園が展開した範囲、残留反応。協会調査班が一つずつ記録していく。
「白鳥さん、お願いします」
「はい」
カメラが海斗を捉える。背後には協会の退避路案内板、正面に塔。手にはカンペも台本もない。
「ダンジョンで危険を感じた時、前へ進むことだけが正解じゃありません」
噛まない。自分の言葉なら、この男は本当に強い。
「まず、自分がどこにいるか。仲間がどこにいるか。帰る道が残っているか。それを見てください」
二本の退避経路を順に示す。
「オレは前より、後ろにいる方が得意です。後ろにいれば、前で戦ってる人も、逃げる人も、両方見えるから」
撮影スタッフが頷いた。画面の向こうで姉貴も笑っている。
『わかりやすいね』
「ありがとうございます!」
また声が一段上がった。
「白鳥。撮影中よ」
「わかってる!」
「救助者殿」
「うおっ」
真横から声がした。振り向くと、ティーカップを持ったセバスが立っている。
「紅茶でございます」
「何でお前がここにいる」
「給仕でございますので」
「さっきまで姉貴のいる別室にいただろ」
「はい」
「どうやって来た」
「紅茶が冷めますので」
「答えになってない!」
モニターへ目をやる。
『玲司、そっちにセバスいた?』
「いた」
『さっき私にも紅茶置いてったんだけど』
「聞かなかったことにする」
「賢明でございます」
「お前が言うな」
もう一度横を見る。誰もいなかった。
「……」
「玲司?」
「何でもない」
考えたら負けだ。
収録は淡々と進む。塔は沈黙。俺の出番もない。
「……普通だな」
思わず漏れた。
「玲司。それ、昨日撤回したやつ」
海斗が即座に拾ってきた。
「言うな」
「また言ったぞ」
「忘れろ」
「怖いから撤回しとこう」
「撤回する」
「よし」
二人で真顔で頷く。
「何をしてるの、あなたたち」
「安全確認」
「違うわね」
その時、撮影側から小声が漏れた。
「……もう少し、画が欲しいですね」
俺の耳が拾った。事務所の現場担当者がモニターを覗いている。
「画?」
「いえ、内容はとてもいいんです。ただ、少し地味で」
「安全説明ですから」
「もちろんです。ただ、冒頭か最後に少しだけシャインレッドらしい演出があると――」
「ありません」
「即答」
「使用できるのは事前承認分だけです」
「巨大ロゴは?」
海斗が指を差す。
「そこにあるだろ」
「一番ダサいやつだけ生き残った!」
「非魔力式だからな」
「安全と引き換えに尊厳を失ってる!」
「俺に言うな。得意分野だ」
「重みが違う!」
スタッフが笑った。空気は軽かった。
だから、最初の異音に気づいたのは、たぶん俺が一番早かった。
キィン。
「止めろ」
全員の動きが止まる。
「黒瀬さん?」
「魔力音です」
「塔ですか」
「違う」
俺は右を見た。撮影機材の奥、積まれたケースの陰。
持ち込まれていないはずのヒーロー演出補助装置が、赤い表示灯を点けていた。
「……何で、それがここにある」
事務所担当者の顔が固まる。
「誰が搬入した!」
「え、いや、私は――」
「電源を落とせ!」
スタッフが装置へ駆け寄る。
「触るな! 遠隔で切れ!」
「こちらでは起動していません!」
「なら何で動いてるんだ!」
装置の上部から赤い光が立ち上がった。炎じゃない。視覚演出用の魔力光。続いて、金色の粒子。
「……待て」
その色は知っている。赤い光の中に、庭園事件の映像で見た塔の紋章が投影されていく。
「何だ、これ」
海斗の声が低くなった。
「ま、前回映像を加工した演出です。塔の光を背景に、シャインレッドが――」
「使用どころか持込を禁止しただろ!」
「搬入は私が指示したものでは……!」
現場担当者の端末に警告が浮かぶ。
【ヒーロー演出補助装置】
【遠隔予約起動】
【演出シーケンス実行中】
「遠隔……?」
海斗の顔から表情が消えた。
持ち込み禁止。撮影計画から除外。事務所からは了承の返信まで来ていた。それが今、目の前で光っている。
「収録中止! 全員退避!」
御影さんが叫ぶ。
「協会側から遮断します!」
調査班が端末を叩く。遅かった。
赤と金の光が、黒い塔へ触れた。
ドクン。
地面が脈打つ。
「全員走れ!」
塔の表面を金色の線が走った。
【信号受領】
「何の信号だ!」
【姫君――】
文字が乱れる。
【該当なし】
【侵入者――多数】
最悪の方向へ判定が転がった。
【庭園防衛機能】
【緊急起動】
「伏せろ!」
爆発ではなかった。地面が、庭園へ塗り替わったのだ。白い石畳が封鎖線を丸ごと飲み込んでいく。
「また庭かよ!」
「前より速い」
操が剣を抜いた。生け垣が一気に立ち上がる。一メートル、二メートル、三メートル。視界が緑で切り刻まれた。
「第一退避路が!」
「海斗!」
「見えてる!」
閉じかけた生け垣の間へ透明な壁が差し込まれ、通路が固定される。
「第一経路確保! スタッフから先に出て! 走らないで!」
「協会職員は撮影スタッフを誘導! 機材は放棄!」
御影さんも即座に避難指揮へ回った。
『右側のカメラ、まだ生きてる! 第二退避路側にスタッフ三人いるよ!』
「人数を追ってくれ!」
『任せて!』
「海斗、第二!」
「今やる!」
細い火線が生け垣の根元を舐める。燃やすためじゃない。伸びる蔓を止めるためだ。続けて結界が二枚目。
「通路開いた!」
その直後、地面がまた揺れた。
「うわっ!」
石畳の変形で固定台が持ち上がり、三メートルの赤い文字が傾く。
ドンッ!
第二退避路の手前を、見事に塞いだ。
「安全啓発ロゴが退路塞いだぞ!」
「一番やっちゃ駄目なやつ!」
「海斗、スタッフを戻せ!」
「了解!」
「機材担当、ロゴは捨てろ!」
「事務所の機材です!」
「人命よりロゴを優先するな!」
「そういう意味じゃありません!」
わかっている。だが説明している時間はない。俺は倒れた赤文字へ走った。
「操!」
「右から来る!」
生け垣の奥に金色の目。猫型魔獣が一斉に飛び出してくる。五匹、十匹。奥からは前回より大きい個体まで。
「殺すな!」
「わかってる!」
操の剣が閃き、猫ではなく足元の蔓だけを断つ。
俺は巨大なSへ手をかけた。
「どけ」
持ち上げる。重い。だが、それだけだ。
「黒瀬さん!?」
撮影スタッフが目を丸くした。しまった。今の俺は通常状態だ。
『安全管理です!』
なぜかモニター越しの姉貴が代わりに叫んだ。
「安全管理ってそんな物理ですか!?」
『今はそういうことにしてください!』
「姉――ハルカさん、雑!」
海斗まで危ない。
「喋ってないで誘導しろ!」
「おう!」
巨大ロゴを退避路の外へ投げ捨てる。派手に壊れた。
「うわああああ! ロゴが!」
「後で請求してください!」
「俺にするな!」
猫は増える。生け垣は止まらない。噴水、白い柱、東屋。前回と同じ王宮庭園が、今度は姫君もいないまま、無秩序に組み上がっていく。
「玲司! 前回より安定してない」
操が戻ってきた。
「ああ」
守るべき姫君がいないのに、庭だけが目を覚ました。守る対象がないぶん、目に入る人間を片っ端から侵入者に分類しているらしい。
「ルナ!」
リモート端末へ呼びかけると、姉貴の横で黒猫が画面に顔を寄せた。
『知らない起動にゃ』
「止められるか」
『ここからは無理にゃ』
「再起動の原因は」
『変な信号を姫様のものと間違えたにゃ。でも姫様がいないから、庭が怒ってるにゃ』
「わかりやすいけど雑だな!」
『塔も困ってるにゃ』
「困った結果で人間を閉じ込めるな!」
「黒瀬さん!」
御影さんの声。
「南側区画が分断されました。協会職員二名、撮影スタッフ一名!」
『西側にも二人! カメラ四番で見える、生け垣に囲まれてる!』
「合計五人か」
複数箇所、同時。しかも庭園はまだ動いている。
「海斗!」
「行く!」
海斗が前へ踏み出しかけた。
「後ろにいろ!」
『赤いのは後ろにゃ』
「玲司と猫に同時に言われた!」
「今そこ拾うな!」
海斗の足が止まる。
「でも、取り残されてるんだぞ!」
「わかってる」
「オレなら結界で――」
「だから後ろだ!」
海斗が拳を握った。
一瞬だけ、前を見る。取り残されたスタッフ。操。俺。
それから、後ろを見た。まだ退避途中の人間。閉じ始めた二本の出口。倒れかけた撮影機材。広がり続ける庭園。全部が同時に見える位置。
「……っ」
歯を食いしばる音が聞こえた。
「前へ行けば、一人は助けられる」
「そうだ」
「でも後ろにいたら」
結界に亀裂が走り、海斗が即座に魔力を足す。
「全員の道を残せる」
「そういうことだ」
答えはもう、こいつの中にある。必要なのは、本物の危機の中でそれを選べるかどうかだけだ。
「白鳥さん! こっちの出口も閉じます!」
スタッフの声に、海斗が振り返った。
「全員、オレの後ろへ!」
よく通る声だった。
「第一経路はあと十秒! 走らなくていい、二列で移動!」
結界を追加し、生け垣を押さえる。右手で退路、左手でスタッフ。
「御影さん、人数ください!」
「こちら八名!」
「ハルカさん!」
『西側の二人、まだ動ける!』
「了解!」
海斗は前へ行かない。代わりに、現場の全部を見ている。
その時だった。
「助けて!」
庭園の奥。倒れた撮影台と生け垣の間に、スタッフが一人取り残されていた。植物結界が容赦なく閉じていく。
「誰か! お願いします!」
胸の奥で、忌々しくも絶対に無視できない音が鳴った。
ピコン。
【救助要請を確認】
「来たか」
操がこちらを見る。
【救助対象:現地スタッフ複数】
【周辺危険度上昇】
【ヒーロー見参――発動します】
光が身体を包む。
「黒瀬さん!?」
御影さんが一歩下がった。説明している時間はない。
黒銀。全身スーツ。バイザー。グローブ。そして。
〝助けを呼ぶ声があるなら――〟
(今それどころじゃねえ!)
〝幾重の迷宮を越えてでも、この手は必ず届く!〟
(庭に合わせるな!)
右腕が勝手に上がる。
〝――ヒーロー見参!〟
「今は格好いいぞ!」
「後で言え!」
地面を蹴る。前へ。横に操が並んだ。
「海斗!」
「おう!」
俺は庭園迷路の入口へ踏み込みながら、振り返らずに言った。
「前は俺と操が止める。全員の退路は、お前に任せた」
一瞬の間。
それから。
「――任せろ!」
背中から、返事が届いた。
操が前。俺がその隣。海斗が後ろ。高校時代と同じ配置で、もうあの頃の三人じゃない。
俺は一度も振り返らずに、緑の迷路の奥へ走った。
後ろは、任せた。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
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