第56話:【黒銀と赤】庭園塔で、本物のヒーローは背中を預ける
【救助条件成立】
【ヒーロー見参――発動します】
(待てえええええええ!)
待ってくれるなら苦労はしていない。
黄金の光が視界を焼き、服の感触が消え、代わりに全身へ嫌になるほど馴染んだ密着感が走る。黒銀のスーツ。グローブ。バイザー。そして。
〝助けを呼ぶ声があるなら――〟
(配信中だぞ!)
〝この身、黒銀の光となりて駆けつけよう!〟
(誰が光だ!)
勝手に右腕が上がる。
〝――ヒーロー見参!〟
>きたあああああ
>黒銀!!
>本物!?
>安全啓発配信に本人来たw
>塔よりこっちにびっくりした
>またハルカちゃんのところに来たぞ
今日も全国へ、俺の尊厳が元気に配信された。最悪だ。だが後回しだ。
「……え?」
海斗の声。振り返らなくてもわかる。数秒前まで黒瀬玲司が立っていた場所に、今は黒銀ヒーローが立っている。
「玲司は――」
「海斗!」
補正で低くなった声で遮った。
「今は後ろを見ろ!」
一瞬、海斗の目が細くなる。
「……了解!」
それ以上は聞かなかった。助かる。
「れ――黒銀!」
操も危なかった。
「左から来る!」
「見えてる!」
「黒銀さん!」
東屋から姉貴。今、絶対に何か言い直しただろ。
「全員、戦闘中に余計なことを言うな!」
「黒銀が一番動揺してるわよ!」
「うるさい!」
『騒がしいにゃ』
ルナが地面を蹴った。黒い巨体が視界から消える。真正面。腕を上げて爪を受ける。衝撃はある。だが、殺すための一撃じゃない。庭の外へ弾き飛ばすための力だ。
受け流して踏み込む。ルナが身を捻り、右前脚が俺の胸へ触れた。
ぽん。
「……ぽん?」
妙に軽い音だった。着地したルナが、尻尾を揺らす。
『印をつけたにゃ』
「何の――」
胸を見る。黒銀のスーツ。その中央に、金色に光る、大きな肉球。
「消せ!」
>wwwww
>肉球www
>かわいい
>新フォーム?
>胸の圧が急にかわいくなった
>黒銀肉球フォーム爆誕
「フォームじゃない!」
思わずカメラへ怒鳴っていた。
「勝手に名前をつけるな!」
>喋ったw
>本人拒否
>じゃあ非公式か
>非公式黒銀肉球フォーム
>長くなっただけ
「非公式もやめろ!」
「黒銀、真面目にやって!」
「俺は真面目だ!」
肉球をつけたやつに言え。
『似合ってるにゃ』
「お前ぇ!」
踏み込もうとした瞬間、右の生け垣が一気に伸びて道を潰した。
「海斗! 右奥!」
「おう!」
振り返らない。背後で結界の展開音。生け垣が止まる。
「三秒保て!」
「三秒でいいんだな!?」
「ああ!」
「任せろ!」
その返事で、俺は背中の確認をやめた。昔なら、海斗が守れているとわかっていても一度は振り返っただろう。今は要らない。後ろは海斗が見ている。
「操!」
「もう行ってる!」
左で剣が走った。生け垣そのものではなく、根元を流れる金色の光だけを斬っていく。一つ、二つ、三つ。中央へ伸びようとしていた緑の動きが止まった。
「道、開いたわよ!」
「十分!」
正面が俺。側面が操。後方が海斗。高校時代に何度もやった配置だ。違うのは、全員Aランクになったことと、俺が黒銀の密着スーツに肉球をつけて走っていることくらいだ。成長とは何なんだ。
『通さないにゃ!』
ルナが進路へ滑り込む。右の爪をかわし、左を受ける。生け垣から蔓。
「操!」
「切る!」
背後から猫型魔獣が回り込んだ。
「海斗!」
「こっちは任せろ!」
結界音。振り返らない。
「スタッフはそのまま出口へ! 右側の通路は使わないで! 猫はオレが止める! へっ――くしゅん!」
直後に、完璧な結界音。
「本当に精度落ちないな!」
「今それ言う!?」
柔らかく受け止められた猫たちが、そのまま別方向へ流されていく。
「白鳥さん、出口側の生け垣が!」
「見えてます!」
御影さんの声にかぶせるように、もう一枚。人の退路を確保した結界の縁から細い炎が伸び、蔓だけを焼き切った。
「黒銀さん!」
東屋から姉貴が手を振る。
「こっちに表示が出てる!」
「読め!」
「【姫君外出申請】! その下、【本人意思――外出希望】!」
「そこは正常だな!」
「でも次が【休養判定・不足】! さらに【外出申請・却下】!」
「本人の希望を下位判定で潰すな!」
>本人帰りたいって言ってるのにw
>休養圧が強い
>これ安全のために監禁してない?
>安全啓発配信で一番やっちゃいけないやつ
皮肉が効きすぎている。
「他には!」
「えっと……【休養判定経路】! 東屋の周り、金色の線が何本も走ってる!」
見えた。東屋を包む保護結界と、そこから庭園全体へ伸びる金色の魔力線。姉貴本人の意思とは無関係に、庭側の判定が出口を閉じている。
「操!」
「見えてる。結界そのものは壊さない。外を回ってる細い線だけ切るわ」
「頼む!」
説明はそれで足りた。走り出した操へ、ルナが反応する。
『駄目にゃ!』
「お前の相手は俺だ!」
真正面へ入る。拳。かわされる。追わない。操への進路だけを潰す。
『黒いの、邪魔にゃ!』
「仕事だ!」
腕で爪を受けた瞬間、胸の肉球がまた光った。
「それ以上増やすなよ!」
『増やせるにゃ』
「できてもやるな!」
>増やせるのか
>全身肉球フォーム見たい
>肉球銀河フォーム
「期待するな!」
視聴者も敵だった。
操の剣が一本目を断つ。庭園が揺れた。
「一本!」
「続けろ!」
二本目へ向かう操へ、猫型魔獣の群れが向かう。
「海斗!」
「止める!」
遠くから結界が割り込み、猫を弾かずに角度だけ変えた。
「その角度でいい!」
「誰に言ってんだ!」
「お前!」
「わかってるよ!」
「なら聞くな!」
「昔からそれが腹立つんだよ!」
「戦闘中に昔話するな!」
「お前が始めたんだろ!」
やかましい。だが動きは完璧だ。俺が指示を出し、操が道を開き、海斗がその道を閉じさせない。何を守るかだけ伝えれば、あとはそれぞれが勝手に最善を選ぶ。
「黒銀さん」
通信機から御影さんの声。
「外周スタッフ、全員退避完了です。白鳥さんが確保した経路を使用しました」
海斗の方を見かけて、やめた。必要ない。
「ならその出口、最後まで海斗に任せます」
「了解しました」
声はいつも通り平坦だった。たぶん審査記録には何か増えている。考えるのは後だ。
「黒銀! 三本目!」
最後の光が断たれ、東屋を囲む金色の壁が薄くなる。俺は地面を蹴った。
『黒いの!』
ルナの反応が遅れる。操が開けた道を一気に抜け、薄くなった壁を突き破って庭園中央へ踏み込んだ。姉貴まで、あと数歩。
「ハルカさん!」
「うん!」
「もう一度、帰ると言ってください!」
姉貴が椅子から立ち上がる。
「私はみんなと帰ります!」
【姫君の外出意思を確認】
【休養判定――】
文字が一瞬揺れた。
【参照不能】
【姫君本人の意思を優先】
【外出を許可します】
金色の壁が、音もなく消える。
「やった!」
一歩踏み出した姉貴を見て、ルナが動きを止めた。
『……姫様』
「ルナ。心配してくれたのは、ありがとう」
『……』
「でも、帰るかどうかは自分で決めたいな」
黒い耳が動く。
『姫様は、休まなくていいにゃ?』
「休むよ。家で」
『……家』
「うん。ちゃんと寝るし、お菓子も食べる」
「お菓子は条件に入れるな」
「玲――黒銀さん、細かい!」
「今の危なかっただろ!」
>玲?
>今なんて?
>ハルカちゃんの知り合い?
>弟スタッフ呼びかけた?
「気のせいです!」
姉貴がカメラへ満面の笑みを向けた。
「押し切れると思うな!」
「黒銀さん、今は黙って!」
理不尽だ。
『……姫様が決めたなら』
黒豹の巨体が、するすると縮んでいく。元の小さな黒猫に戻ったルナは、東屋の手すりへ軽く飛び乗った。
『ルナは、見るにゃ』
その一言で、庭園から力が抜けた。生け垣が縮み、石畳が薄れ、噴水も花壇も東屋も、金色の粒子になって崩れていく。豪華すぎる王宮庭園が消えたあとに残ったのは、訓練区画の乾いた地面と――中央の黒い塔だけだった。
「消えないのか」
「全員、触らないでください」
御影さんの指示が飛ぶ。
「協会で封鎖します。調査班到着まで接近禁止」
「壊さないんですか?」
海斗が聞いた。
「現時点で敵性行動は停止しています。由来も機能も不明なものを、状況が落ち着いてから壊さない理由はありません」
「それな」
こいつはこういう時だけ理解が早い。
と、庭園の残滓の中から、最後の一枚が飛んできた。
ばさっ。
「きゃっ」
姉貴の頭に膝掛けが被さる。
【姫君の休養が不足しています】
「まだ言うの!?」
「諦めが悪すぎるだろ!」
膝掛けを外す姉貴を見て、ルナが尻尾を揺らした。
『一応、持って帰るにゃ』
「いらない!」
「私は欲しいかも」
「姉貴!」
「触り心地いいよ?」
「事件の備品を持ち帰ろうとするな!」
「では、わたくしが洗濯を」
「セバスも乗るな!」
張り詰めていたものが一気に抜けて、俺は息を吐いた。救助対象無事。スタッフ全員退避。怪我人なし。塔は停止。最悪だけは踏まずに済んだ。
「……黒銀」
海斗の声が、さっきまでと違った。
振り返ると、じっとこっちを見ている。
「何だ」
「いや」
視線が、俺の左足へ落ちた。
「さっきの踏み込み。左足から入る時、一回だけ踵が浮くよな」
知っている。高校時代からの俺の癖だ。
「あと、指示」
「指示?」
「『三秒保て』」
海斗が眉を寄せる。
「昔から、玲司も同じ言い方する」
まずい。
「それと五月雨。さっき何て呼びかけた?」
「黒銀」
「その前」
「言っていないわ」
「否定が早いんだよ! 遥香さんも何か言い直したよな?」
「気のせいだよ?」
「全員怪しい!」
海斗の視線が、また俺へ戻ってくる。もう軽い調子ではなかった。
「お前――」
「海斗」
遮った。逃げるためじゃない。
「今は聞くな。まだ配信が生きてる」
海斗がカメラを見て、退避していくスタッフを見て、残った黒い塔を見て、最後にもう一度、俺を見た。
「終わったら」
一度、言葉を切る。以前の俺なら誤魔化しただろう。知らない。気のせいだ。一般論だ。いくらでも逃げ道はあった。
でも、今日、こいつに背中を預けた。昔だけじゃなく、今日も。
「俺から話す」
海斗の目がわずかに見開かれた。
「……いいのか?」
「ああ」
数秒の沈黙のあと、海斗は頷いた。
「わかった。今は出口守る。まだスタッフ残ってないか、最後に確認してくる」
「頼む」
「任せろ」
背を向けて走っていく赤い背中を、俺は追わなかった。俺が前へ出て、海斗が後ろを守る。今はそれでいい。
*
配信終了後。協会による現場封鎖と全員の安全確認が終わり、カメラのない控室に二人きりになった。
俺はいつもの服へ戻っている。向かいの椅子に座った海斗は、さっきまであれだけ騒がしかったくせに、何も言わない。ただ待っている。俺が話し出すのを。
黙っていてもいい秘密ではある。こいつなら、俺が話さない限り無理に踏み込んでこない。
それでも、もう誤魔化す気はなかった。
「海斗」
「おう」
「話がある」
海斗は聞き返さない。
俺は一度だけ息を吐いた。
「――黒銀ヒーローの正体についてだ」
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




