第55話:【庭園防衛戦】赤い後衛、くしゃみをしながら退路を守る
【庭園防衛機能――起動】
表示と同時に、庭が動いた。
「海斗! 出口!」
「見てる!」
整然と並んでいた生け垣が、いっせいに地面を滑り出す。右から左へ、前から後ろへ。白い石畳まで組み変わり、数秒前まで見えていた出口が緑の壁に飲まれて消えた。
「うわ、迷路になった!」
庭園中央から姉貴の声が飛ぶ。
「実況してる場合か!」
「だって本当に迷路だよ!」
「知ってる!」
東屋へ続く道の中央に、黒豹ほどに膨れ上がったルナが立った。艶のある黒い毛並みに、金色の目。猫だった時の面影は、確かに残っている。残ってはいるが、サイズが致命的に違う。
『帰るにゃ』
声だけは、そのままだった。
「姉貴を返せ」
『駄目にゃ』
「本人が帰ると言ってる」
『姫様は休養中にゃ』
「休養中の本人が帰りたいって言ってるんだよ!」
『疲れている者は、自分が疲れていることを正しく判断できないにゃ』
「ブラック企業の上司みたいな理屈を使うな!」
「玲司、それ逆じゃない?」
「今はどっちでもいい!」
言い終える前に、足元から蔓が伸びた。
「玲司、右!」
操の声で横へ跳ぶ。蔓は俺を捕まえにこない。俺の進む先へ回り込んで、壁になった。
そして。
ぽすっ。
「何だ!?」
横合いから巨大な白いクッションが飛んできた。避ける。もう一つ。避ける。三つ目。
「何で俺だけ狙う!」
『黒いのは落ち着きが足りないにゃ』
「誰が黒いのだ!」
四つ目が、俺の腰を的確に押した。
「うおっ」
背後にはいつの間にかソファがあり、俺は完璧な姿勢で着席させられていた。
「……」
「玲司」
操がこちらを見る。
「似合ってるわ」
「助けろ!」
「怪我はなさそうね」
「尊厳が重傷だ!」
この庭園は、俺たちを殺す気がまったくない。蔓、生け垣、クッション。傷つけずに姫から遠ざける、過剰なほど丁寧な排除だ。だからといって、大人しく排除されてやる理由もない。
「操!」
「わかってる」
剣が鞘を出る音。生け垣の隙間から、小型の猫型魔獣が次々と染み出してきた。一匹、三匹、六匹、十匹。
「多いな」
「でも、殺気は薄い」
一斉に飛びかかってきた群れを、操は斬らない。剣の腹で一匹の進路を逸らし、身を捻って二匹目をかわし、そのまま蔓だけを切り落とす。
「敵というより、追い出すための誘導ね」
「ああ」
猫たちも爪を立てていない。頭で、肩で、腰で、こちらを庭園の外へ押し出そうとしてくる。
「なら傷つけるな」
「そのつもりよ」
操が踏み込み、蔓の根元だけを断つ。猫は避ける。クッションは――。
ばふっ。
「……」
顔面に直撃していた。
「操?」
「問題ないわ」
片手で白いのをどかす。
「今のは記憶から消して」
「善処する」
「絶対覚えてる返事ね」
「俺もソファに座らされた。引き分けだ」
「それならいいわ」
「いいのかよ」
「玲司!」
海斗の声で振り返る。
「猫が来た!」
「見ればわかる!」
「違う、こっちいっぱい来た!」
五匹ほどが海斗へ向かっていた。
「かわ――」
「おい」
「いや待て! このサイズなら普通にかわいいだろ!」
「戦闘中だぞ!」
「わかってる!」
わかってると言いながら、口元が完全に緩んでいた。十年以上つるんでいて、初めて知る情報だ。
「お前、猫好きなのか」
「好きだけど!?」
「初耳だ」
「言う機会なかっただろ!」
一匹が足元へ擦り寄る。
「おお……」
「触るなよ」
「ちょっとだけ」
「触るな」
「一回だけ」
「海斗」
「わかってるって!」
しゃがみかけた海斗の顔めがけて、猫型魔獣が飛びついた。ふわりと毛が舞う。
海斗の鼻が、ひくついた。
「……へ」
「海斗?」
「へっ――くしゅん!」
盛大なくしゃみ。
同時に、バンッ、と半透明の壁が完璧な角度で展開し、猫五匹をまとめて、ぽよん、と受け止めた。
「……」
「……」
海斗が鼻を押さえる。
「今の見た?」
「見た」
「結界は完璧だったな」
「そこ!?」
「くしゃみしながら張れるんだな、お前」
「オレも今知ったよ!」
また一匹寄ってくる。
「へっくしゅん!」
二枚目。角度、正確。
「玲司!」
「近づくな」
「言われなくても無理!」
「後ろへ下がれ」
「猫から!?」
『赤いの。前へ出ると邪魔にゃ』
「猫にまで言われた!?」
「違う」
俺は出口側を見た。庭園は今も広がり続けている。退避中の撮影スタッフ、協会職員、放置された機材。生け垣の動きに合わせて、その全部が細かく分断され始めていた。
「前は俺と操で見る」
俺の視線を追って、海斗の顔つきが変わる。
「お前は後ろだ」
「……了解」
説明は要らなかった。海斗はもう身を翻している。
「スタッフ全員、オレの後ろ! 機材は置いていい、人から動いて!」
よく通る声だ。生け垣が出口を噛み潰そうと迫る。
「そこ閉じるな!」
結界が緑の隙間へ食い込み、通路を固定した。
「御影さん、人数!」
「協会職員四名、撮影スタッフ七名。全員確認しています」
「了解!」
右から蔓。
「へっくしゅん!」
三枚目。くしゃみは情けない。結界だけは完璧だった。
「何でそこだけ精度が落ちないんだ」
「オレが聞きたい!」
鼻をすすりながら、海斗は結界を置いていく。一枚は出口、一枚はスタッフ、一枚は機材の転倒防止。さらに低温の炎を地面へ細く走らせ、猫型魔獣の前へ線を引いた。焼くための火じゃない。行き先を変えるだけの火だ。
「猫は焼くなよ!」
「焼かないよ!」
「焼き芋の前科がある」
「前科じゃない!」
炎を嫌った猫たちが向きを変え、その先に置かれた結界でさらに曲げられ、勝手にスタッフから遠ざかっていく。
「……上手いわね」
操が前を向いたまま言った。
「ああ」
リハーサルじゃない。事前の配置図もない。庭園そのものが動き続けている。それでも、あいつは自分の立つ場所を一度も迷わなかった。
「海斗! そこ任せる!」
「おう!」
それで足りる。俺は前へ向き直った。
操が猫の間を抜け、生け垣の根元へ剣を差し込む。
「ここ」
斬る。金色の光が一瞬散り、その一帯だけが動きを止めた。
「術式の継ぎ目か」
「たぶん。全部切ればいいわけじゃない」
「道だけ作れるか」
「やってみる」
「頼む」
前へ出た操の背中を追おうとした瞬間、視界から黒が消えた。
速い。
「操!」
「見えてる!」
爪を剣で受ける。金属音ではなく、硬い結界同士がぶつかったような鈍い音がして、操の身体が半歩押し下げられた。
『帰るにゃ』
「ハルカさんを返してからね」
『姫様は休むにゃ』
「本人の希望を聞きなさい」
『姫様は疲れてるにゃ』
「八時間寝たそうよ」
『足りないにゃ』
「厳しいな、お前!」
二撃目が来る前に、横から入った。拳を出す。当てない。進路だけ潰す。ルナは空中で身体を捻り、俺の肩を蹴って距離を取った。
軽い――いや、違う。自分から衝撃を逃がしている。捕まえるのは相当面倒そうだ。
『黒いの』
「さっきから何なんだ、その呼び方」
金色の目が、まっすぐ俺を見た。
『やっぱり、黒いのにゃ』
「何がやっぱりなんだよ」
横で操が、わずかに目を細める。海斗は後方でスタッフをさばいていて、聞こえていない。助かった。
「セバス」
「はい」
「こいつ、何を知ってる」
「存じません」
「お前と同じ古い施設の管理者だろ」
「別塔でございますので」
「役に立たない!」
「誠に遺憾でございます」
そう答えるセバスは、なぜか猫型魔獣の群れのど真ん中を平然と横切っていた。片手にティーポットを提げて。
「……何してる」
「姫様の紅茶のおかわりを」
「今!?」
「冷めてしまいますので」
「戦闘中だぞ!」
「給仕中でございます」
『紅茶係は通っていいにゃ』
「通すな!」
「ありがとうございます」
「礼を言うな!」
蔓も猫も一切手を出さないまま、セバスは東屋へ吸い込まれていった。
「別塔でも、給仕は共通業務でございます」
「そんな古代共通規格いらない!」
もっとも、あいつがこの塔を止められるわけでもない。
俺は庭園の魔力を追った。生け垣、石畳、東屋、中央の小型塔。全部が一本の流れで繋がっている。ただ、前の塔とは狙いが違う。上へ登らせるための試練じゃない。この庭ごと、姉貴を外へ出さないための壁だ。
「セバス! 読める表示はないか!」
東屋から返事が飛ぶ。
「少々お待ちを」
「紅茶より先に見ろ!」
「同時進行でございます」
「器用だな!」
数秒。
「ございました。姫君休養規定」
嫌な名前だ。
「内容!」
「姫君の心身が十分に回復するまで、庭園は外敵を排除し、休養を継続する――と」
「終了条件は!」
「休養完了判定でございます」
「誰が判定する!」
「庭園側かと」
「本人じゃないのかよ!」
「玲司!」
姉貴が東屋から身を乗り出した。
「私、もう十分休んだよ!」
『駄目にゃ』
「ルナちゃん、帰りたいって本人が言ってるんだけど!」
『ちゃんはいらないにゃ』
「そこじゃなくて!」
『姫様は疲労で判断能力が落ちてるにゃ』
「落ちてないよ!」
『疲労している者はみんなそう言うにゃ』
「話が通じない!」
ついに姉貴が頭を抱えた。
「玲司! 助けて!」
その一言で、空気が変わった。
胸の奥で、何かが起き上がる。
ピコン。
世界一聞きたくない電子音。
(待て)
【救助要請を確認】
(まだ待て)
庭園中央の小型塔が、金色に灯った。
【姫君の救助意思を確認】
【救助者候補を検出】
「……おい」
塔から伸びた黄金の光が、庭を横切って、まっすぐ俺を捕まえる。
ルナの金色の目が細くなった。
『やっぱり黒いのにゃ』
「何がだ!」
【救助者候補――認定】
嫌な音が重なる。淡い光が、俺の身体を包み始めた。
「玲司?」
後方から、海斗の声。
まずい。今日、この場所で、あいつの目の前で。
(今ここでかよ!?)
【救助条件成立】
【ヒーロー見参――発動します】
(待てえええええええ!)
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




