第54話:【第二の封印塔】安全啓発会場に王宮庭園が生える
「退路、二方向確認」
「確認済みです」
「スタッフの待機線」
「全員ライン外」
「魔力値」
「平常。変動なし」
配信開始五分前。俺は協会管理の屋外訓練区画をもう一度見回した。昨日のリハーサルとは別の場所だ。広い平地に模擬障害物と訓練用設備、外周に撮影スタッフと協会職員。異常履歴なし、未登録設備なし、魔力反応も問題なし。確認できるものは全部潰した。
「玲司!」
赤いスーツの海斗が駆け寄ってくる。
「今日こそマントないぞ!」
「よかったな」
「もっと喜べよ!」
「俺のマントじゃない」
「昨日あれだけ邪魔だって言ってただろ!」
「外れたなら用済みだ」
「冷たっ!」
スーツは同じでも、余計な布はもうない。立ち位置も前ではなく、姉貴と撮影スタッフを同じ視界へ入れられる後方だ。昨日の数字は、ちゃんと反映されている。
「海斗」
「おう」
「何かあったら前へ出るな」
「わかってる」
即答だった。
「オレは後ろ見る」
「ああ」
「その代わり、あとで『やっぱり赤は前へ!』とか言うなよ?」
「誰が言うか」
「事務所」
「俺じゃないだろ」
「だから玲司からも止めてくれって!」
「仕事を増やすな」
笑う海斗の顔に、昨日までの迷いはなかった。
「そろそろ始まるよー!」
撮影位置から姉貴が手を振る。今日は星宮ハルカとして進行役だ。隣に護衛の操、少し離れて御影さん。そして。
「姫様。喉を潤す紅茶を」
「配信直前にティーカップを渡すな」
「安全区画でございますので」
「最近その言葉、免罪符にしてないか?」
【配信開始まで 00:00:05】
>待機
>安全啓発きた
>シャインレッドいる!
>今日は江戸行かない?
>後衛レッド見に来た
>ハルカちゃん今日もかわいい
「最後だけ目的が違うぞ」
「玲司、配信コメントにまでツッコまないの」
「業務だ」
「絶対違う」
【配信開始】
『星の子のみんな、今日もハルカの星図へようこそ! 今日は、ダンジョンで大切な“安全”について一緒に勉強していきます!』
>はーい
>先生!
>前へ行かない勇気のやつ?
>昨日の比較結果見た
>赤、後ろの方が強かったな
『そう! 今日のテーマのひとつは――前へ出ない勇気です!』
姉貴が手を向けた先で、海斗が背筋を伸ばす。
『実演してくれるのは、Aランク探索者のシャインレッドさん!』
『よろしくお願いします!』
噛まない。名乗らせなければ強い男だ。
『ダンジョンだと、「もう少しだけ」とか「せっかく来たんだから」とか、つい無理をしたくなることがあります』
姉貴がカメラへ向き直る。
『でも、危ないと思ったら止まる。得意な人に任せる。帰り道を確認する。それも立派な判断です』
合わせて、海斗が後方から結界を二枚展開した。一枚は模擬攻撃の進路を塞ぎ、もう一枚は姉貴から出口までの通路を作る。
『オレみたいに、前より後ろの方が得意な探索者もいます!』
>素直
>昨日証明されたからな
>後衛レッドいいじゃん
>結界きれい
>逃げ道見えるの安心する
『で、大事なのは――』
ピッ。
協会側の魔力計が、一度だけ高い音を鳴らした。
「止めろ」
声を出したのと、操が姉貴の前へ出たのは同時だった。海斗が振り返る。
「玲司?」
「魔力値が跳ねた」
「発生源を確認――」
御影さんの言葉が止まる。
訓練区画の中央。さっきまで何もなかった場所に、塔が立っていた。
「……は?」
海斗が間抜けな声を出す。高さは数メートル。以前の封印塔とは比べものにならないほど小さい。黒い石材、細い窓、見覚えのない紋章。ただ、肌に触る嫌な感じだけは知っている。
「また塔か」
「救助者殿。訂正を」
セバスの声が、珍しく低い。
「別塔でございます」
「そこを訂正するな!」
「重要でございます」
「俺は塔に個体差がある世界を受け入れたくないんだよ!」
>塔?
>何これ
>演出?
>企画にあった?
>ハルカちゃんまた何か引いた?
>またって何だよ
「企画中止。全スタッフ退避」
御影さんの指示が飛んだ。
「撮影班、機材は捨てて構いません。指定出口へ」
「配信は!?」
「安全確保が優先。遠隔で切ってください」
「海斗!」
「わかってる!」
海斗は前へ出なかった。逆を向く。
「出口こっち! 走らないで! スタッフから順番!」
結界を二枚立てて、人の流れを一本にまとめる。迷いがない。昨日の試験とは声からして違う。
「操、姉貴を――」
「玲司」
短い返事。もう姉貴の真横にいる。任せられる。
「セバス」
「古い術式でございます」
「前の塔と同じか」
「系統には共通点を感じます。ですが――私が勤務していた塔ではございません」
「本当に別なのかよ」
「先ほど申し上げました」
「知りたくなかった!」
「協会設備一覧に該当なし。建造記録なし。登録魔力反応なし」
御影さんが端末を叩く。
「出現経路は」
「不明です」
「昨日は」
「ありません」
記録の上では、何もなかった場所。それでも今日、ここに生えている。
「全員下がれ!」
小型の塔から、淡い金色の光が漏れた。
「姉貴!」
「うん!」
姉貴も後ろへ動いた。そのはずだった。
【姫君を確認】
聞き覚えのない声が、頭の内側に響く。
「……は?」
【休養状態を確認】
「待て」
【不足】
「何がだ!?」
金色の光が地面を走った。塔の扉は開かない。開く代わりに、地面そのものが変わった。
灰色の訓練区画へ白い石畳が伸び、土から生け垣が立ち上がる。無機質な防護壁を緑が飲み込み、噴水、花壇、白い柱、屋根付きの東屋が次々と形を取っていく。現代の風景の上へ、まったく別の景色が一気に上書きされた。
「……庭?」
姉貴が呟く。違う。ただの庭が、こんなに整っているわけがない。王宮にでも付属していそうな、無駄に豪華な庭園だ。
>?????
>庭生えた
>物理的に生えた
>安全啓発どこ行った
>ハルカちゃんの配信またジャンル変わった
>これ演出じゃないよな?
「配信、止まってないぞ!」
チーフの声が飛んだ。
「遠隔切断が通りません! こちらからの停止指示を受け付けません!」
「何でだ!」
言い合っている間にも庭園は広がり、生け垣が俺たちと姉貴の間を横切った。
「姉貴!」
「玲司!」
操が腕を掴もうと踏み込む。その足元へ、ふわりと白いクッションが現れた。
「何これ!?」
傷つけるでもなく、操だけを外側へ押し返す。着地した操の前を、伸びた生け垣が塞いだ。
「姉貴!」
視界が開けた時。姉貴は庭園中央の東屋にいた。
「……え?」
本人が一番困惑している。柔らかそうな椅子。膝には毛布。テーブルには焼き菓子、横に果物。足元に小さな猫型魔獣が三匹。
「待遇が上がってないか?」
「過去最高ね」
「評価するな!」
「比較しただけよ」
「玲司!」
「動くな、今行く!」
「いや、私――」
姉貴が立ち上がろうとした。
ぽすっ。
「わっ」
背中にクッションが追加され、姉貴が椅子へ沈む。
「……今、座らされた」
「見ればわかる!」
もう一度立つ。今度は猫型魔獣が二匹、膝へ乗った。
「ちょ、かわ――」
「姉貴!」
「違う! 今のは違うよ! かわいいけど帰るから!」
猫をそっと退かすと、生け垣から新しいクッションが出てくる。ぽすっ。
「だから何で!?」
【姫君の休養を継続します】
「休みたいなんて言ってない!」
【姫君には十分な休養が必要です】
「明日オフだから家で寝る!」
【却下】
「家で寝かせろ!」
>捕まってる?
>めちゃくちゃ快適そう
>猫いる
>お菓子ある
>これ幽閉?
>過保護すぎるw
>帰れないなら普通にアウトだろ
最後のやつ。その通りだ。椅子が柔らかかろうが、猫がいようが、菓子が出ようが、関係ない。
「姉貴」
「うん」
「帰りたいか」
「帰りたい」
即答だった。
「じゃあ救助対象だ」
鎖がなくても、怪我がなくても、本人の意思で帰れないなら理由は足りる。
「玲司」
御影さんが庭園を見上げたまま言う。
「現場呼称を設定します。古代側の正式名称は確認できません。第2章の封印塔との構造差から、便宜上――庭園型封印塔とします」
「塔の種類を増やさないでください」
「私に言われても困ります」
「協会でしょう!」
「協会は塔を生やしません」
「知ってます!」
嫌な知識ばかり増えていく。
「姫様」
「ん?」
姉貴が膝を見た。いつの間にか黒猫が一匹、乗っている。他の猫型魔獣より小さい。艶のある毛並みと、金色の目。
「……かわいい」
「姉貴」
「わかってる! 帰るよ!」
黒猫の尻尾が、ゆっくり揺れた。
『姫様は休むにゃ』
全員が止まった。
「喋った!」
海斗の声が一番でかい。
『赤いの、うるさいにゃ』
「オレ!?」
「海斗、今そこ拾うな」
「いや喋る猫だぞ!?」
「うちには喋る執事がいるだろ」
「執事は普通喋るだろ!」
「確かに」
「玲司まで混乱するな!」
黒猫は気にもせず、姉貴の膝で丸くなった。
「あなた、名前は?」
『ルナ。ルナ・ケットシーにゃ』
「ルナちゃん?」
『ちゃんはいらないにゃ』
「かわいい」
『当然にゃ』
「会話成立してるな……」
「姫様との意思疎通に問題はございませんな」
「セバスまで参加す――」
言いかけて止まる。そのセバスが、いつの間にか東屋の横に立っていた。
「姫様。紅茶でございます」
「ありがとう、セバス」
「待て。お前、外周にいただろ。どうやってそこへ行った」
「給仕でございます」
「説明になってない!」
「姫様への給仕を妨げる距離などございません」
「物理法則へ喧嘩を売るな!」
ルナが初めてセバスへ目を向けた。
『紅茶係』
「はい」
『膝はルナの担当にゃ』
「承知いたしました」
「職域を分担するな!」
「玲司、この紅茶おいしいよ」
「姉貴も馴染むな!」
過去最高に快適な形で、完全に捕らわれている。
だが、笑っていられる状況でもなかった。生け垣がさらに高く伸び、俺たちの背後でも石畳が動いて、出口の位置がじりじりずれ始めている。
「海斗」
「おう」
もうふざけた声ではなかった。
「スタッフは」
「全員いる。オレの後ろ」
「出口」
「まだ二本見えてる。閉じそうなら結界で押さえる」
「頼む」
「任せろ」
俺が庭園を睨み、操が半歩前へ出て、海斗が後ろを見る。それだけで配置が組み上がった。高校の頃と同じだ――と思いかけて、やめる。今は懐かしがっている場合じゃない。
「操」
「姉さんまでの道を開けるわ」
「まだ切るな。相手の動きを見る」
「了解」
「一般スタッフの退避を最優先。探索者以外は庭園内部へ入れないでください」
御影さんの声に、外周から返事が返る。
それを聞いて、姉貴が椅子から身を乗り出した。
「ルナちゃん」
『ちゃんはいらないにゃ』
「私、みんなと帰りたいんだけど」
『駄目にゃ』
「どうして?」
『姫様は休養不足にゃ』
「昨日八時間寝たよ?」
『不足にゃ』
「厳しい!」
「姉貴基準で八時間も寝たのか」
「玲司、今そこ!?」
『黒いのたちは帰るにゃ』
ルナの視線が、初めて俺へ向いた。小さな黒猫のままだ。それなのに、庭園の空気が一段下がる。
「俺たちは姉貴を連れて帰る」
『駄目にゃ』
「本人が帰りたいと言ってる」
『姫様は休むにゃ』
「それは休養じゃない」
俺は一歩、前へ出た。
「本人の意思を無視して閉じ込めるなら、ただの幽閉だ」
ルナの尻尾が止まる。姉貴も、もう笑っていない。
「玲司」
「大丈夫だ」
姉貴は無傷。命に関わる危険は、今のところ見えない。だから焦らない。スタッフ、退路、庭園の構造、相手の条件。全部確認してから動く。
助けるかどうかだけは、確認するまでもない。
「姉貴。そこにいろ」
「うん」
「今行く」
金色の目が、すっと細くなった。
『なら――』
黒猫が膝から軽やかに飛び降りる。
『姫様の休養を邪魔する侵入者は、庭園から追い出すにゃ』
着地。
「海斗!」
「見えてる!」
小さな身体が、内側から膨れ上がった。黒い毛並みが波打ち、四肢が伸びる。もう猫じゃない。黒豹だ。
同時に、庭園中の生け垣が一斉に動き出した。
【庭園防衛機能――起動】
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




