第48話:3章開幕【ジム友】無職仮、赤いヒーローにされそうな友人と再会する
「あと二回!」
「……っ、く……!」
「いける、いけるって! 今日の玲司は仕上がってる! ほら胸で押せ、胸で!」
「ジムで胸を連呼するな」
バーベルを押し上げながら、俺――黒瀬玲司は補助についている男へ低く言った。都内某所の会員制ジム。探索者も格闘家もプロ選手も混ざる、設備だけは無駄に本格的な施設だ。
今日はステラライブの現場がない。姉貴の配信補助もない。操の護衛仕事につき合う予定もなければ、セバスによる救助所作の採点もない。つまり完全オフ。ただ鉄と向き合うだけの、平和な一日になるはずだった。
「ラスト一回! 黒瀬玲司、魂のベンチプレス! 燃え上がる大胸筋が、いま鋼鉄のバーを天へと――」
「実況をやめろ、海斗」
「いいぞ玲司、胸が吠えてる!」
「俺の胸筋に人格を与えるな」
最後の一回を押し切り、バーベルをラックへ戻す。
「よっしゃ、ナイス!」
補助についていた男――白鳥海斗が、満足そうに親指を立てた。短めの明るい髪に、人懐っこい顔。俺と同じく鍛えてはいるが、黒い服と無愛想さで黙っていると圧が出る俺と違って、こいつは何もしなくても明るい。よく通る声、よく笑う顔、鍛えられた体格。黙って立っていれば王道の熱血主人公そのものだ。
黙っていれば、の話だが。
「いやー、今日も仕上がってんな玲司! その胸なら三人は救えるぞ!」
「胸で救助するな」
「胸郭救助術!」
「新ジャンルを開拓するな」
タオルで汗を拭いながら、俺は天井を見上げた。よりによって胸郭。その単語が出るたび、ここ最近の記憶が勝手に再生される。姉貴。操。セバス。そして。
『救助者殿。胸郭、百点でございます』
「帰りたい」
「なんで!? まだ二種目目だぞ!?」
「筋肉とは関係ない事情だ」
「筋肉に関係ないなら仕方ないな!」
「納得が早い」
白鳥海斗とは中学からの腐れ縁で、高校時代には操を含めた三人で探索者パーティを組んでいた。それぞれ前、中、後ろを分担し、三人で何度もダンジョンから帰ってきた。今でこそ全員Aランクになって別々の道を歩いているが、当時は毎回必死だった。
「で、お前は今日も元気そうだな」
「おう! 筋肉は裏切らないからな!」
「睡眠も大事だぞ」
「それな!」
「栄養も」
「それな!」
「事務所は?」
「……」
「裏切られたな」
「玲司ぃ!」
つい笑った。
「今の罠だろ!? 絶対いま罠張っただろ!?」
「お前なら踏むと思った」
「親友への信頼の使い道がおかしい!」
「昔からだ」
「否定できないのが悔しい!」
海斗も笑う。ただ、その笑いが二割ほど軽い。普段のこいつなら、ここからどうでもいい話を三つは重ねてくる男だ。それが今日は、スポーツドリンクへ手を伸ばして自分から話を切った。
「何かあったのか」
「え?」
「顔が減量末期になってる」
「そんなに!?」
「水抜き三日目」
「危険水域じゃん!」
頬をぺたぺた触ったあと、海斗は観念したように肩を落とした。
「……そんなにわかる?」
「何年の付き合いだと思ってる」
「中学からだから、えーと」
「数えるな。面倒だ」
「玲司が振ったんだろ今の!」
「で?」
促すと、海斗は鞄を引き寄せ、「まあ、お前になら言うか」と一冊取り出した。赤い。表紙も、縁取りも、中央の炎を模したロゴも、とにかく赤い。
【新時代の熱血ヒーロープロジェクト】
【シャインレッド始動!】
俺は静かに表紙を閉じた。
「玲司?」
「見なかったことにする」
「現実は消えないんだよ!」
「消えない現実には最近詳しい」
「お前に何があったんだよ!」
ありすぎる。姉貴がプリンセスになり、操に正体はバレ、家には紅茶を淹れる騎士が住み着き、俺はSランク昇格審査の対象にされ、ついでに胸郭が採点されている。説明するだけで疲れる案件だ。
「そういや」
海斗がふと、声のトーンを一段落とした。
「遥香さん、元気か?」
昔からこいつは、姉貴の話になると急に行儀がよくなる。姉貴は俺たちより二つ上で、中学でも高校でも在学時期が重なっていた。本人の前では死んでも言わないが、当時は「学園のマドンナ」などと呼ぶ連中までいた。海斗がその辺をどう思っていたのかは知らない。ただ、俺への態度より三割ほど丁寧なのは昔からだ。
「元気だ」
「そっか。ならよかった」
「最近、家に執事が住んでる」
「なんで!?」
「俺も知りたい」
「元気の方向がおかしくない!?」
「かなりな」
話を戻して、俺は企画書を開いた。赤いスーツ。マント。炎をまとった拳。前衛突撃。決めポーズ。熱血口上。ついでにイメージイラストの海斗は、無駄に歯が白い。
「お前じゃないな」
「だろ!?」
「顔はお前だ」
「そこじゃねえよ!」
「役割が違う」
「……そうなんだよ」
海斗はAランク探索者だが、本職は前で殴る側じゃない。防御結界、火炎支援、退路確保、罠解除。体格だけ見れば最前線で暴れていそうな男が、実際に一番強いのは戦場全体を見渡せる後ろだ。
「事務所はなんて?」
「最近、黒銀ヒーローがめちゃくちゃ話題だろ?」
「知らんな」
「嘘つけ! ニュース見ろよ!」
「見てない」
「オレでも知ってるぞ!? ヒーロー見参ニキ! 見参完遂ニキ! 安全第一の人!」
「知らん」
「なんで急に記憶喪失になるんだよ!」
知っている。全部俺だ。海斗は高校時代から俺が探索者・黒瀬レイであることは知っているが、卒業時に能力が変わってからの詳細は話していない。黒銀ヒーローの件も同じだ。
「オレ、黒銀ヒーロー結構好きなんだよな」
「……そうか」
「救助の判断が本物なんだよ。動きにも無駄がないしさ。ああいうの、格好いいじゃん」
「……そうか」
「でも名乗った直後だけ、めちゃくちゃ帰りたそうな顔してるんだよな」
「見るな」
「なんで玲司が怒るんだよ!?」
「一般論だ」
危ない。こいつは無駄に人を見る。昔からだ。
「で、事務所が言うわけ。黒銀が人気なら、うちは赤だ! って」
「なぜ」
「主人公は赤だから!」
「雑だな」
「それな! しかも『海斗くんは身体が仕上がってるから前衛映えする』ってさ!」
「事務所は裏切ったな」
「だからそこ掘るなって!」
「身体が仕上がっていると、人生を誤解される」
「実感の重みがすごい!」
ページをめくると、前口上まで載っていた。
【燃え上がる勇気!】
【闇を照らす赤き光!】
【シャインレッド――ここに参上!】
「……普通だな」
「普通なんだけどさ」
海斗が目を逸らす。
「オレ、こういう台本読むの苦手なんだよ」
「知ってる」
「即答!?」
「読んでみろ」
「ここで!?」
「観客が少ないうちに失敗しておけ」
「失敗前提!?」
「お前ならやる」
「信頼がひどい!」
ぶつぶつ言いながらも、海斗は立ち上がった。企画書を両手で捧げ持ち、なぜか決めポーズまで添える。近くのマシンを使っていた数人が、ちらりとこちらを見た。やめろ。他人の名乗りなのに俺の胃が痛い。
「いくぞ!」
「勝手にしろ」
深く息を吸う音がした。
「燃え上がる勇気!」
「合ってる」
「闇を照らす赤き光!」
「いけるな」
「シャインレッド――ここに、参勤交代!」
「江戸へ行くなァ!」
ジムの天井まで俺の声が響いた。数秒の沈黙のあと、少し離れた場所でダンベルを持ったマッチョが、そのまま静かに俯く。肩が震えていた。
「違う違う違う! 今のなし!」
「どこから交代が湧いた」
「オレにもわからない!」
「大名か」
「違うって!」
「隔年で江戸へ帰る赤いヒーロー」
「勝手に設定足すなって!」
海斗が頭を抱え、俺は笑いを堪えるのをやめた。
「お前……昔から、こういうのだけは本当に弱いな」
「笑わないでくれよ玲司! 親友だろ!?」
「親友だから笑ってる」
「最悪だ!」
「何をやってるの、あなたたち」
背後からの声が、笑いの余韻を一瞬で冷ました。振り返ると、黒いトレーニングウェア姿の操が立っている。
「操」
「五月雨!? 久しぶり!」
「ええ。久しぶりね」
「ハルカさんを事務所まで送って、ちょうど護衛を交代してきたところよ。少し時間が空いたの」
「なるほど、それでジムか」
「第一声がオレの参勤交代だったんだけど!」
「聞こえていたわ」
「忘れてくれ!」
「無理ね」
「即答!?」
操は海斗の手から企画書を抜き取り、数秒で目を通した。
「シャインレッド」
「笑うなら笑ってくれ……」
「名前は悪くないわ」
「だろ!?」
「配置が悪い」
海斗の勢いが止まる。操は「前衛突撃」の四文字を、指の背で軽く叩いた。
「あなた、後衛でしょう」
「それな! そうなんだよ五月雨、オレずっとそれ言ってんの!」
「高校の時から、あなたは後ろにいる時が一番視野が広かった。私が前を止めて、玲司が中を動けたのは、あなたが退路を維持していたからよ」
「……」
「体格だけを理由に前へ置くなら、明確な配置ミスね」
海斗が、少しだけ俯いた。いつもなら「ほらな玲司!」と胸を張るところだ。それがない。
「でもさ」
やがて、ぽつりと落ちた。
「オレもAランクなんだよ」
「ああ」
「Aランクなのに、前に出るのが怖いって言ったら……なんか、逃げてるみたいじゃん」
さっきまでの声量が、嘘みたいに引いていた。
「後ろから結界張って、逃げ道作って。得意だし、好きなんだけどさ。でも『ヒーローなら先頭に立て』って言われると、オレ、できないから後ろにいるだけなのかなって」
操は何も言わず、俺を見た。
昔から、そうだった。操が前、俺が中、海斗が後ろ。誰か一人でも立ち位置を変えれば、三人の動きは噛み合わなくなった。海斗が後ろにいたのは、前へ出られなかったからじゃない。
「海斗」
「ん?」
「無理に前へ出るな」
海斗が顔を上げる。
「操が前を止めて、俺が中を走って、お前が後ろを閉じる。あれが一番、全員で帰れた」
「……玲司」
「自分が一番力を出せる場所に立つ。それは逃げじゃない」
一度、間を置く。
「役割だ」
海斗はしばらく黙っていた。やがて息を吐き、肩の力を抜く。
「……お前、たまに妙にいいこと言うよな」
「たまには余計だ」
「今のは珍しく正論ね」
「操も珍しくは余計だ」
三人でいると、時間が高校まで巻き戻る。操が真顔で刺し、海斗が大声で騒ぎ、俺が止める。ときどき俺が海斗を罠へ落とし、操が横から埋める。あの頃から、大して変わっていない。
「玲司、楽しそうね」
「どこがだ」
「笑ってる」
「海斗が江戸へ行くからだ」
「まだ擦る!?」
叫んでから、海斗はドリンクを一口飲んで、少しだけ声を落とした。
「……でも、ありがとな」
「ああ」
「まあ、お披露目配信の日はもう決まってるから、やるしかないんだけどな!」
「前口上は練習しておけ」
「それな……」
「もう一回やる?」
操が言うと、海斗は企画書を構え直した。
「よし、今度こそ!」
「江戸へは行くなよ」
「行かない!」
深呼吸。
「燃え上がる勇気! 闇を照らす赤き光!」
ここまではいい。
「シャインレッド――ここに、参上!」
一拍置いて、近くのマッチョが拍手した。奥のマシンからも拍手が続く。海斗が満面の笑みで振り返った。
「言えた!」
「江戸から帰ってきたな」
「玲司ぃ!」
*
夕方、黒瀬家へ帰ると、姉貴がリビングのソファで配信資料をめくっていた。
「玲司、おかえり。ジムどうだった?」
「海斗が江戸から帰ってきた」
「……海斗くん?」
姉貴が顔を上げる。
「懐かしい! 元気だった?」
「元気だ。今度、赤いヒーローになるらしい」
「どういう再会してきたの!?」
「俺に聞くな」
「海斗くん、昔から玲司と一緒だと賑やかだったもんね」
「俺は静かだった」
「玲司が一番笑ってたよ?」
「記憶を改ざんするな」
そこへセバスが、紅茶と皿を音もなく運んできた。
「救助者殿。トレーニング後の高タンパクスコーンでございます」
「俺の筋トレ日まで把握してるのか」
「姫様の安全に関わりますので」
「俺の胸筋を安全保障へ組み込むな」
「本日は大胸筋へ十分な負荷を?」
「聞くな!」
スコーンをつまむ。腹が立つほど美味い。
平和だ。姉貴は捕らわれていないし、塔も生えていない。胸郭は採点されているが、そこはもう諦めた。
そう思った瞬間、テーブルのスマートフォンが震えた。
【探索者協会公式アプリ】
【重要】
【Sランク昇格正式審査の日程および審査協力について】
俺は画面を伏せた。
「玲司?」
「何でもない」
「今、重要って見えたけど」
「集団幻聴だ」
「画面なのに!?」
赤いヒーローにされる親友と、正式に動き出した俺の審査。
どうやら俺たち二人とも、しばらく平穏へは帰れないらしい。江戸より、よほど遠い。
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