第45話:【二人目は聞いてない】勇敢な剣士をお姫様抱っこするな
聞いたところで許可はしない。だが、心の準備くらいはさせてほしかった。
【救助対象の安全を確認します】
【処理順序を決定】
【第一救助対象:姫君】
「まず姉貴か」
少しだけ安心した。一人目は、もう何度か経験している。慣れたくはない。断じて慣れてはいないが、未知の地獄ではなかった。
俺の身体が勝手に姉貴へ向き直る。檻の扉は開いている。姉貴は豪華な椅子へ座ったまま、足元に置かれた紅茶からきちんと距離を取っていた。
そこは偉い。
そもそも、檻の中に豪華な椅子と小さなテーブルが用意されていることがおかしい。
「迎えに来てくれたんだね、ヒーローさん」
「自分で歩けるか」
「歩けるよ?」
【姫君の歩行能力を確認】
【歩行可能】
「なら歩け」
【却下】
「なぜだ!」
【姫君救出時の正規搬送方法を優先します】
「その正規を廃止しろ!」
俺の右腕が、姉貴の背中へ回る。左腕が膝裏へ入った。
「待て。せめて普通に肩を貸せ!」
【不可】
ひょい。
姉貴の身体が、軽々と持ち上がる。完璧なお姫様抱っこ。揺れはない。姉貴の身体を傷つけないよう、背中と膝裏へ均等に力が分散されている。
能力の補正だけは無駄に優秀だった。
「ありがとう、ヒーローさん」
「慣れた顔をするな」
「だって、れ――」
「今は名前を言うな!」
「まだ何も言ってないよ?」
「言おうとしただろ!」
「ヒーローさん、安定感があるなって」
「絶対に違う!」
安全記録用カメラが自動旋回した。正面。斜め。俺の腕の中にいる姉貴。三方向から、救助姿勢を完全に捉えている。
「カメラを止めろ!」
「安全記録です!」
防護壁の向こうから、協会監視員が答えた。
「もう安全だろ!」
「救出後の搬送までが救助活動です!」
「正論で俺を追い詰めるな!」
俺は姉貴を、模擬通路の外に置かれた安全確認用の椅子へ下ろした。背中を支え、両足が床へついたことを確認し、身体が安定してから腕を離す。
「姫様の搬送姿勢、九十九点」
セバスが深く頷いた。
「上がったな……」
前回より一点高い。成長を喜べない。
「私は九十八点と評価いたします」
背後からエリオットが告げた。
「なぜ一点下げた」
「着地直前、救助者殿の左肩がわずかに上がりました」
「周囲確認だ!」
「実用上は正しい判断です。しかし、儀礼上の美しさが――」
「実用性と儀礼美の議論は必要ない!」
「私は百点だと思うよ」
「姉貴も参加するな!」
「安心できたから」
「評価項目を増やすな!」
姉貴は楽しそうに笑っていた。助かった本人が元気なのはいい。いいのだが、俺の尊厳を踏み台にして元気になるな。
これで一人目は終わった。あとは操へ肩を貸し、普通に医務室へ運べばいい。
【第一救助対象の搬送を完了】
【第二救助対象へ移行します】
終わっていなかった。わかっていた。わかっていたが、聞きたくなかった。
俺の身体が、ゆっくりと操へ向き直る。操は剣を支えにして立っていた。顔色は悪い。右腕も完全には上がっていない。
それでも、俺と目が合うと背筋を伸ばした。
「私は歩けるわ」
「そうか」
「ええ」
「なら歩け」
【第二救助対象の状態を再確認】
「再確認するな」
【自力歩行可能率:三十八パーセント】
「低い!」
「勝手に数値化しないで」
「さっき一歩目で倒れただろ!」
「少し足に力が入らなかっただけよ」
「それを歩けないと言うんだ!」
「壁があれば歩けるわ」
「壁を使う前提で大丈夫を主張するな!」
操は近くの壁へ手を伸ばそうとした。だが、右脚がまた揺れる。俺は反射的に一歩踏み出した。操は剣を床へつき、どうにか踏みとどまる。
「ほら、立てた」
「剣を杖にするな」
「実用的でしょう?」
「武器の用途を変えるな」
【転倒危険性を確認】
【強制搬送を実行します】
「待て!」
「私も待ってほしいわ」
操が真顔で言った。ようやく意見が一致した。
「五月雨は自分で歩ける」
「ええ」
「俺が横から支える」
「それで十分よ」
【却下】
「二人分まとめて却下するな!」
俺の身体が歩き始める。操との距離が縮まった。一歩。二歩。
「ヒーローさん」
「何だ」
「止められないの?」
「全力で抵抗してる!」
「そう」
「簡単に納得するな!」
操は逃げようとした。しかし、右脚が動かない。一歩下がったところで、背中が模擬通路の壁へ当たった。
「逃げ道がないわ」
「俺もだ!」
俺の右手が上がる。操の背中へ回ろうとする腕を、必死に左手で押さえた。
「止まれ!」
【専用搬送口上を開始します】
「そっちも止まれ!」
声が低くなる。よく通る、無駄に格好いい声へ補正された。操の目が大きく開く。
「勇敢なる剣士よ」
(言うな)
「戦いは終わった」
(知ってる)
「今は――」
右手が、俺の抵抗を振り切った。操の背中へ回る。
「この腕に身を預けろ」
(預けさせるなァァァァ!)
スタジオが静まり返った。
姉貴が両手で口元を押さえている。笑いを堪えている顔だ。防護壁の向こうでは、チーフが視線を逸らしていた。大人の配慮。ただし、肩が震えている。
「……ヒーローさん」
「俺の趣味じゃない」
「まだ何も聞いてないわ」
「聞く顔をしてた!」
「バイザー越しに?」
「雰囲気でわかる!」
「本当に便利ね。その一般論」
「今は追及するな!」
左腕が操の膝裏へ入り、右腕が背中を支えた。
「待って」
「俺に言うな!」
「剣を持ったままは危ないわ」
「そこは冷静だな!」
操は剣を鞘へ戻した。俺の能力は、それを待っている。安全配慮だけは完璧だった。
そして。
ひょい。
操の身体が、俺の腕の中へ持ち上がった。
「……」
「……」
近い。姉貴を抱える時とは違う。操は俺とほとんど身長が変わらない。腕も脚も長く、鍛えられた探索者の身体には確かな重さがある。
それでも能力の補正は、一切の無理なく操の背中と膝裏を支えていた。
操の左腕が、体勢を安定させるため俺の首元へ回る。顔が、さらに近づいた。
「首に腕を回すな」
「落とす?」
「落とさない」
「なら、安全のためよ」
「その言葉を使えば何でも許されると思うな!」
操は返事をしなかった。俺の肩。胸元。腕の位置。背中へ回した右手。一つずつ確認するように視線を動かしている。
「見るな」
「安全確認よ」
「絶対に違う!」
操は俺の首元へ回した腕の位置をわずかに直した。その動きで、耳が俺の胸元へ近づく。
「何をしてる」
「心拍の確認」
「俺は救助対象じゃない!」
「速いわね」
「戦闘直後だからだ!」
「それだけ?」
「それ以外に何がある!」
操は答えなかった。顔を近づけられているからだ。絶対に、それだけだ。
黒銀スーツ越しに伝わる自分の鼓動が、さらに速くなる。
「今、速くなったわ」
「喋るな!」
「どうして?」
「振動で体調が悪化するかもしれない!」
「声で悪化するほど弱ってないわよ」
「なら黙って安静にしてろ!」
安全記録用カメラが、再び自動旋回した。今度は俺と操を、真正面から捉える。
「追うな!」
【安全記録映像を保存しました】
「保存するな!」
「事故調査用の記録なので、現場判断では消せません!」
協会監視員から返事が飛んだ。
「削除申請を出す!」
「申請の可否は事件処理後に確認してください!」
「事件処理より先に処理したい!」
「私に言われても困ります!」
味方がいない。
「操ちゃん」
椅子へ座った姉貴が、楽しそうに手を挙げた。
「乗り心地どう?」
「聞くな!」
「揺れはないわ」
「答えるな!」
操は真面目な顔で続ける。
「背中と膝への負担も少ない。腕の位置も適切ね」
「詳細な感想を言うな!」
「かなり安定しているわ」
一拍。操の頬が、わずかに赤くなった。
「……今のは忘れて」
「全員聞いてる!」
「安全記録にも残りましたね」
チーフが小さく言った。
「追い打ちをかけないでください!」
セバスが腕を組む。
「勇敢な剣士の搬送、九十九点」
「また九十九か!」
「姫様より体格のある五月雨殿を、姿勢を崩さず運んでおります」
「分析するな!」
「私は九十八点といたします」
エリオットが告げた。
「また一点低い!」
「救助対象へ接近する際、左肩が先に入りました」
「負傷した右側を避けたんだよ!」
「実用上は正しい判断です」
「なら減点するな!」
「儀礼上の美しさが――」
「その議論はもういい!」
操が、俺の腕の中でわずかに目を細めた。
「左肩から入るのね」
「怪我を避けただけだ」
「高校の頃も、負傷者を運ぶ時はそうだった」
心臓が跳ねる。
「一般的な救助方法だ」
「右手は肩甲骨の下」
「安定するからだ」
「左腕は膝の少し上」
「揺らさないためだ」
「持ち上げる前に、相手の呼吸を確認する」
「安全確認だ!」
「走り出す前に、一度だけ右手の指を開く」
「滑らないように――」
言いかけて、止まった。
操は高校時代、何度も俺の隣で戦っている。怪我人を運ぶところも見ていた。こいつ自身を運んだことだってある。
「ずいぶん詳しいな」
俺は無理やり平静を装った。
「観察していたから」
「一般的な動きだ」
「全部が?」
「そうだ」
「声も?」
「能力による補正だ」
「言葉遣いも?」
「偶然だ」
「右手の癖も?」
「探索者にはよくある!」
「初めて聞いた一般論ね」
「今日からある!」
操は、それ以上追及しなかった。俺の首へ回した腕へ、わずかに力が入る。バイザーの奥、俺の目をまっすぐ見つめていた。
黒銀ヒーローに憧れる探索者の目。そこへ、幼馴染を確かめるような色が混じっている。
逃げたい。だが、腕の中に負傷者がいる。逃げられない。
「高校の頃より――」
「比較するな!」
「まだ何も言ってないわ」
「言おうとしただろ!」
「安定している、と言おうとしただけよ」
「それが比較だ!」
「鍛えたのね」
「ああ。現役だから――」
言ってから気づいた。操の眉が上がる。
「現役?」
「黒銀ヒーローは現役の探索者だろ!」
「自分で言うのね」
「一般論だ!」
「便利な言葉ね」
もう駄目だ。喋るほど証拠が増える。
俺は口を閉じ、操を安全確認用の椅子まで運ぶことへ集中した。歩幅は小さく、揺らさない。操の負傷した右側へ衝撃を入れない。
いつもどおりの救助だ。いつもどおりに動くこと自体が、今は証拠になっている気もするが。考えない。
安全確認用の椅子へ着いた。これで、ようやく下ろせる。
そう思ったのに、操の左腕が俺の首から離れなかった。
「着いたぞ」
「わかってるわ」
「なら離せ」
「今、足へ力が戻っているか確認してるの」
「首を締める必要はないだろ!」
「体勢を安定させているだけよ」
操は一拍遅れて、ゆっくりと腕を離した。頬が、わずかに赤い。
俺は見なかったことにする。安全のためだ。俺の精神の。
操の背中を支えたまま、椅子へゆっくり下ろす。足を床へつける。右脚に力が入らないことを確認し、身体が傾かないよう背もたれへ預けた。
腕を離そうとした、その直前。
操が、小さな声で呟く。
「……やっぱり」
「何がだ」
「別に」
操はそれ以上、何も言わなかった。玲司とも呼ばない。黒銀ヒーローの正体を暴こうともしない。
ただ、その目はもう、正体不明の黒銀ヒーローだけを見ている目ではなかった。
少なくとも、俺には。
黒瀬玲司を見ているようにしか思えなかった。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




