第37話:【第二の人生】塔と運命を共にした執事が翌朝には再就職していた
スタッフジャンパーのジッパーを上げ、玄関へ向かう。
探索者協会。消滅した封印塔。不自然な残留魔力。午後一時から行われる、関係者への聞き取り。
嫌な予感しかしない。
できることなら、今すぐステラライブへ向かいたい。だが、せめて家を出るまでくらいは平穏であってほしい。
そう願いながら、リビングの前を通りかかった時だった。
「……おかわりはいかがでしょうか」
「…………」
聞き覚えしかない声がした。
俺は立ち止まる。
気のせいだ。
昨日はいろいろありすぎた。封印塔。捕らわれのプリンセス。巨大紅茶番人。強制フル口上。我がレディ。強制お姫様抱っこ。
脳が疲れている。幻聴くらい聞こえても不思議ではない。
俺は深呼吸し、リビングのドアを開けた。
「本日はダージリンをご用意いたしました」
「…………」
閉めた。
「落ち着け」
見間違いだ。昨日の黒歴史が、幻覚になって現れただけである。
もう一度、開ける。
いた。
昨日の小さな鎧姿ではない。純白の燕尾服。完璧に整えられた銀髪。白い手袋。
小柄な身体で背筋を伸ばし、銀のティーポットを優雅に傾ける一人の執事。
紅茶騎士セバスティアンがいた。
「いるじゃねぇかァァァァ!」
「はい。おります」
「返事をするな!」
俺の絶叫が朝のリビングへ響いた。
だが、セバスは眉一つ動かさない。ティーポットを静かに置き、俺へ向かって一礼する。
「おはようございます、救助者殿」
「おはようございますじゃねぇ!」
「本日も実に爽やかな朝でございます」
「お前がいる時点で爽やかじゃない!」
「紅茶の香りが強すぎましたか?」
「香りの問題じゃない!」
昨日、お前は何と言った。
塔の管理者として、塔と運命を共にする。そう言った。静かに。少しだけ格好よく。
俺たちが脱出した後、白亜の塔は光の粒となって消滅した。俺は、あれがセバスとの別れだと思っていた。本当に少しだけだが、胸に来るものもあった。
それなのに、翌朝、普通に紅茶を淹れている。
「お前、塔と運命を共にするって言ったよな!?」
「はい」
「塔は消えたよな!?」
「はい」
「じゃあ、何でここにいる!」
「塔と運命を共にいたしましたので」
「うん」
「塔は無事、消滅いたしました」
「うん?」
「よって、運命も終了いたしました」
「運命が終了するのか!?」
「契約満了でございます」
「業務委託みたいに言うな!」
セバスは淡々と説明を続ける。
「塔の消滅に伴い、試練官としての使命も失われました」
「そこまではわかる」
「約七百八十年に及ぶ勤労生活へ終止符を打ち、昨日付で円満退職いたしました」
「勤めすぎだろ!」
「若い頃には、予定より試練を一つ増やすなど、やんちゃもいたしました」
「陰湿な若気の至りだな!」
「今では良い思い出でございます」
「救助者側にとっては悪夢だ!」
リビングの奥から、明るい声が飛んできた。
「玲司、おはよー!」
姉貴だ。部屋着姿で、焼きたてらしいスコーンを手にしている。
「姉貴」
「なに?」
「何で普通に受け入れてるんだ」
「セバスちゃんのこと?」
「ほかに誰がいる!」
「だって、帰る家がなくなっちゃったんでしょ?」
「本人も塔と運命を共にしたって言ってただろ!」
「でも、無事だったよ?」
「無事すぎる!」
セバスが丁寧に頭を下げた。
「正確には、元・塔管理者兼試練官でございます」
「そこを訂正するな!」
「現在は無職です」
「急に生々しくなるな!」
姉貴は、なぜか嬉しそうに胸を張った。
「だからね」
「嫌な予感しかしない」
「今日から、うちで働いてもらうことにしたの!」
「早い!」
「姫様専属執事として再就職いたしました」
セバスが深々と一礼する。
「今後とも、末永くよろしくお願いいたします」
「末永くいる気なのかよ!?」
「第二の人生でございます」
「人生二周目をうちで始めるな!」
姉貴は満足そうに頷く。
「セバスちゃん、お料理もできるんだよ」
「紅茶だけじゃないのか」
「掃除、洗濯、料理、裁縫、護衛、礼儀作法、茶会運営。王宮外交補佐まで対応可能でございます」
「最後だけ規模がおかしい!」
「馬車整備も可能です」
「この時代に使う予定はない!」
「昨日起きたことを考えれば、今後必要になるかもしれないよ?」
「…………」
封印塔。紅茶騎士。巨大番人。すべて、この街で起きた。
「否定しきれないのが腹立つ!」
「加えて、七百八十年の実務経験がございます」
「求人面接を始めるな!」
「履歴書も用意しております」
「用意してるのかよ!?」
セバスが、どこからともなく一枚の紙を取り出した。
姉貴は受け取る前に、笑顔で首を振る。
「履歴書はいらないよ!」
「ありがとうございます」
「採用!」
「早い!」
「面接終了!」
「面接してない!」
セバスが満足そうに一礼した。
「内定、誠にありがとうございます」
「もう内定した! そもそも、給料はどうするんだ」
「え?」
「雇うなら給料が必要だろ!」
「紅茶とスコーンじゃ駄目かな?」
「現物支給にも程がある!」
「衣食住をご提供いただければ、当面は問題ございません」
「当面?」
セバスは穏やかに微笑む。
「姫様を狙う脅威が消える日まで、お仕えする所存でございます」
「…………」
少しだけ。本当に少しだけ、格好いいと思った。
姉貴も目を輝かせている。
「セバスちゃん……!」
「その後は一年ごとの自動更新となります」
「サブスクじゃねぇか!」
「解約は三か月前までに、書面にてお願いいたします」
「縛りが強い!」
「なお、姫様からの解約は受け付けておりません」
「一生いる気だろ!」
格好いい空気は、塔より早く消滅した。
「せめて俺の許可を取れ」
「玲司の許可?」
姉貴が首を傾げる。
「何で?」
「ここは俺の家でもあるだろ!」
「家事、楽になるよ?」
「論点をずらすな!」
「朝ご飯も毎日作ってくれるって」
「…………」
テーブルを見る。
焼きたてのスコーン。半熟のスクランブルエッグ。香ばしく焼かれたベーコン。サラダ。湯気の立つスープ。そして、上品な香りの紅茶。
完璧な朝食だった。
「屈しないぞ」
俺は言った。
「食事で懐柔されるほど、俺は単純じゃない」
「冷めてしまいますので、どうぞ」
「いただきます」
着席した。
俺は悪くない。食べ物に罪はない。
スコーンを一口。外は香ばしく、中はしっとりしている。
「……うまい」
「ありがとうございます」
「違う。事実確認だ」
「うまいんだね」
「事実としてな!」
紅茶も飲む。華やかな香りと、穏やかな渋み。
「……うまい」
「二回目だね」
「数えるな!」
まずい。このままでは、食事によって俺まで採用賛成派へ取り込まれる。
さらにセバスは、白いカードを一枚取り出した。
「再就職に伴い、名刺も作成いたしました」
上質な紙。金色の縁取り。ティーカップの紋章。
【紅茶騎士セバスティアン】
【星宮ハルカ様専属執事】
【業務内容:給仕・護衛・救助者指導】
「俺の指導が正式業務になってる!」
「百枚ほどございます」
「配るな!」
「すでに近隣の方々へ、転居のご挨拶としてお渡しいたしました」
「根回しが早い!」
壁の向こうから、ゴンと音がした。
「昨日の夜から、うるさいぞ!」
「すみません!」
俺は反射的に頭を下げる。
「隣人の方には、茶葉と焼き菓子をお渡ししました」
「すでに買収してる!」
壁の向こうから声が返ってきた。
「スコーン、うまかったぞ!」
「懐柔されてる!」
「今後ともよろしくお願いいたします」
セバスが壁へ一礼する。
「こちらこそな!」
「住民同士の関係構築まで終わってる!」
姉貴。隣人。うますぎる朝食。
俺の知らない間に、退路が完全に断たれていた。
「一つだけ確認する」
「何なりと」
「お前、ここで何をするつもりだ」
セバスの穏やかな表情から、わずかに笑みが消えた。
「姫様をお守りいたします」
「塔を起動した何者かがいるからか」
「発信者は特定できておりません。ですが、塔の起動術式へ外部から接続された痕跡がございました」
姉貴もスコーンを置いた。
「私が狙われたの?」
「まだわからない」
俺が答える。
「塔を起動した人間と、姉貴をプリンセスに選んだ塔の意思は別かもしれない」
「そのとおりでございます」
「経路は追えないのか」
「塔との接続が切れた時点で消失しております」
俺が感じたものと同じだ。
転移術式の外周にあった、塔本体とは性質の違う細い魔力経路。俺とセバスが別々に感知している。
外部接続が存在した可能性は高い。
「その正体が判明するまで、姫様のそばを離れるつもりはございません」
姉貴が狙われている可能性を考えれば、護衛が増えるのはありがたい。俺が常に姉貴のそばにいるわけにもいかない。
黒瀬レイとして、俺自身も動く必要がある。
セバスの詳しい力はわからないが、七百八十年間も塔の試練を管理していた存在だ。ただ紅茶を淹れるだけではないだろう。
「わかった」
俺は息を吐いた。
「事件が解決するまでだ」
「ありがとうございます」
「しばらくだぞ」
「承知しております」
「自動更新はないからな」
「善処いたします」
「約束しろ!」
姉貴が嬉しそうに手を叩いた。
「じゃあ決まりだね!」
「決まりではない。条件付きの保留だ!」
「セバスちゃん、今日からよろしくね!」
「誠心誠意、お仕えいたします」
「聞け!」
結局、塔と運命を共にしたはずの紅茶騎士は、翌朝には黒瀬家へ再就職した。
俺の同意は、半分くらいしか取れていない。
その時、玄関のインターホンが鳴った。
ピンポーン。
「……今度は誰だ」
時計を見る。ステラライブへ向かうには、そろそろ家を出なければならない。
「俺が出る」
嫌な予感を抱えたまま玄関へ向かい、ドアを開ける。
そこには、協会の紋章が入った資料ケースを持った操が立っていた。
操は俺を見る。次に、俺の肩越しからリビングを覗き込んだ。
純白の燕尾服。銀髪。ティーポットを持つセバス。
「……いた」
「そこはもっと驚くところだろ!」
「塔と運命を共にしたはずでは?」
「そう! 俺も今それを確認してた!」
セバスが操へ向かって優雅に一礼する。
「塔との運命は、昨日をもちまして終了いたしました」
「そう」
「本日から第二の人生でございます」
「なるほど」
「なるほどじゃねぇ!」
操は俺の横から、床を埋める茶器や茶葉の樽、巨大な食器棚、装飾過剰な槍を確認した。
「引っ越しも完了しているのね」
「夜明け前にな!」
「行動が早いわ」
「感心するな!」
操はセバスへ視線を戻す。
「紅茶騎士セバスティアン」
「お初にお目にかかります、探索者殿」
「塔の元管理者なら、今日の聞き取りへ同行してもらう必要があるわ」
「かしこまりました」
「即答するのか」
「現代社会への初出勤でございますので」
「協会はお前の職場じゃない!」
セバスは胸元から例の名刺を取り出し、操へ差し出した。
操の視線が、最後の一行で止まる。
「救助者指導」
「そこを見るな!」
「救助作法については、私も興味があるわ」
「業務としての話だよな?」
「もちろん」
操は一拍置いた。
「抱き上げる角度、九十七点の理由も――」
「聞くな!」
「事故報告書に必要かもしれないでしょう」
「絶対に必要ない!」
セバスが満足そうに頷く。
「さすがは探索者殿。着眼点が鋭うございます」
「二人で組むな!」
操は名刺を資料ケースへしまった。
「詳しい話は協会で聞くわ」
「喜んでお答えいたします」
「ただし、ヒーロー本人の個人情報に関する推測は不要よ」
俺は操を見る。
「……そうなのか?」
「必要なのは塔の術式と、能力がどう干渉したかでしょう。正体ではないわ」
「そのとおりだ!」
「どうして玲司が嬉しそうなの?」
「個人情報を尊重する姿勢に感動した」
「そういうことにしておくわ」
その目は、まったく納得していなかった。
だが、操は追及しない。少なくとも今は。
「あと三十分よ」
「急ぐぞ。姉貴も準備しろ」
「朝ご飯は?」
「もう食べてただろ!」
「操ちゃんもスコーン食べる?」
「時間がないから、一つだけいただくわ」
「受け取るな!」
姉貴が嬉しそうにスコーンを包む。
セバスは、いつの間にか操の分の紅茶を携帯用ボトルへ注いでいた。
「移動中にお召し上がりください」
「ありがとう」
「順応が早い!」
セバスが優雅に手を打つ。
「それでは、協会の皆様へ焼き菓子をご用意いたします」
「参考人が調査担当者を買収するな!」
「ご挨拶でございます」
「賄賂に見えるからやめろ!」
「では、控えめな詰め合わせにいたします」
「持っていくのかよ!」
結局、姉貴はスコーンを持ち、操は紅茶を飲みながら資料を確認し、セバスは焼き菓子の詰め合わせを両手に抱え、俺だけがスタッフジャンパー姿で玄関に立ち尽くしていた。
協会による聞き取り。塔の残留魔力。外部から送られた起動信号。確認しなければならないことは、山ほどある。
なのに、我が家では、異世界の紅茶騎士と現役Aランク探索者による封印塔緊急対策会議が、朝食付きで始まっていた。
「……頼むから」
俺は天井を仰ぐ。
「普通にステラライブへ行かせてくれ」
「もう出発いたしますよ、救助者殿」
「お前が一番普通じゃないんだよ!」
俺のツッコミが、朝の玄関へ響き渡った。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
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