第35話:【強制お姫様抱っこ】プリンセス補正だけは絶対に許さない
正式封印まで、残り三分。黒い魔力をまとった巨大番人が、螺旋階段を踏み砕いて突進してくる。
もう速度を隠す必要はない。黒銀ヒーローの姿も、戦闘能力も、胸郭も、フル口上も、全国へ生配信済みだ。
これ以上、失う尊厳など――。
【ヒーロー側尊厳残量:二十一パーセント】
「まだ残ってたのかよ!」
俺の口が勝手に開き、無駄に低く甘い声が塔へ響いた。
〝姫を捕らえる檻など〟
(喋るな俺!)
〝我が拳の前では、脆き硝子に等しい〟
(どこから出てきた、その台詞!)
巨大番人の右拳が振り下ろされた。俺は半歩踏み込み、その懐へ入る。紅茶色の鎧へ、右拳を叩き込んだ。
ドゴォォォォォンッ!
巨体が大きく揺れる。鎧は軋んだが、番人は踏みとどまった。
「グォォォォォォォン!」
反撃と同時に、全身から柑橘系の蒸気が噴き出す。
アールグレイ。たぶん、アールグレイ。
「戦闘中に茶葉を主張するな!」
横薙ぎに振るわれた左腕を、前腕で弾き返す。
バギィンッ!
砕けた鎧片と衝撃は、すべて足元へ落とした。姉貴にも、檻を解析している操にも、配信用ドローンにも飛ばさない。
安全第一。物理で。
>本格戦闘きた!
>紅茶の香りがするボスw
>破片が誰にも飛んでない
>安全第一(物理)だ
>操さんとの役割分担が速い
操は姉貴を閉じ込める檻の前に立ち、剣先で魔力の流れを追っていた。小型記録端末は腰へ戻し、両手で剣を握っている。
「ヒーロー!」
「何だ!」
「檻は三層構造! 外側が封印術式、中層が救助者認証、内側がハルカさんの保護結界!」
「閉じ込めながら守るな!」
「まとめて壊せば、ハルカさんごと塔の中枢へ転送される! 外層は私が切る。番人を檻から引き離して!」
「了解、探索者!」
「……探索者?」
配信中に名前を呼べないんだよ。
操は一瞬だけ俺を見たが、すぐ意図を察して檻へ向き直った。
「了解!」
余計なことは聞かない。黒銀ヒーローと黒瀬玲司の距離感を、配信上で結びつけないためだ。
ありがたい。
巨大番人が両腕を広げた。床に散らばったティーポット型の槌の破片が浮かび上がり、紅茶色の魔力で再構築される。完成したのは、巨大なティースプーン型の大剣だった。
「武器の方向性が、ずっとお茶会なんだよ!」
番人が大剣を振り下ろす。俺は刃をかわして背後へ回った。
〝我が拳は、囚われし姫へ捧げる〟
(実の姉に捧げるな!)
声を止めようと、左手を喉仏へ向ける。その瞬間、巨大番人の全身から紅茶色の魔力弾が雨のように放たれた。
「探索者、伏せろ!」
操と檻へ向かう分だけを拳で打ち落とす。自分へ飛んでくる攻撃は、黒銀スーツで受けた。
胸元に魔力弾が直撃する。
ボフッ!
紅茶色の蒸気が弾けた。
>胸で受けた!?
>救助用サスペンションきた
>本人めちゃくちゃ嫌そう
「ヒーロー、損傷は!?」
操が檻から目を離さずに聞く。
「ない!」
「なら続ける!」
「冷静で助かる!」
操の剣が、檻の外側を走った。金色の鎖が一本、音を立てて砕ける。
「外層、一部解除!」
「よし!」
「中層は救助者認証と連動している! 番人を倒さない限り開かない!」
「結局、倒すしかないのか!」
どこからともなく、セバスティアンの渋い声が響いた。
「姫様を迎える騎士は、番人を打ち倒し、姫様を抱き上げ、規定の姿勢で塔を出るまでが伝統でございます」
「最後の項目を消せ!」
「姿勢が乱れた場合、退出儀礼は再試行となります」
「再試行!?」
操の剣先が、一瞬だけ止まった。
「つまり、ハルカさんを救出しても、規定どおり外へ出るまで術式は解除されないのね」
「重要情報だけ言え!」
檻の中から、姉貴が小さく手を上げた。
「私、揺れない方が助かるかも」
「お前は利用者目線を出すな!」
「だって、また塔の中へ戻されたら困るし」
「正論なのが腹立つ!」
俺が番人を引きつけている間にも、鐘は一定の間隔で鳴り続けていた。
ゴォン。
【正式封印まで:残り一分】
「一気に減ったな!」
巨大番人の鎧が変形する。紅茶色のマントが広がり、その背後に巨大なティーカップ型の結界が浮かび上がった。
本当に最後まで、お茶会で押し通す気らしい。
「封印儀式の出力が上がった!」
操が叫ぶ。
「残り一分!」
「わかった!」
俺は床を蹴った。今度は隠さない。最短、最速で巨大番人の懐へ飛び込む。
ティースプーン型の大剣を左肩で受け、右手で刀身を掴んだ。
バキィンッ!
そのまま握り潰す。巨大番人の胸へ拳を叩き込もうとした瞬間、余計な表示が視界へ割り込んだ。
【推奨フィニッシュ台詞:紅茶の香りに惑う悪よ、我が正義の一撃で目を覚ませ】
「長い!」
【短縮版:正義の一撃、抽出完了】
「紅茶に寄せるな!」
喉が震える。
〝正義の一撃――〟
(言うな!)
〝抽出完了〟
言った。戦闘中に。ヒーロー声で。抽出完了、と。
>抽出完了www
>紅茶番人に合わせてきた
>絶対本人の意思じゃない
>強制台詞説が濃厚に
操の肩が一瞬だけ揺れたが、すぐ檻へ剣を走らせる。
俺は羞恥ごと拳を叩き込んだ。
ドンッ!
何層もの魔力障壁に阻まれる。浅い。核は胸部中央、ティーポットの紋章の奥だ。
「そこか!」
拳を引き、もう一度踏み込む。床が砕け、塔全体が鳴動した。
「ヒーローさん!」
姉貴の声が聞こえる。
「怖かったけど……来てくれて安心した!」
やめろ。そういう素直な感謝はやめろ。能力が一番喜ぶ。
案の定、俺の口が勝手に動いた。
〝君の声が届く限り〟
(やめろォ!)
〝この身は何度でも、光を纏う〟
(それ以上は本当に言うな!)
左手で喉仏を押さえる。だが、能力は抵抗を無視して最後の一節を続けた。
〝待たせたな、我がレディ〟
言った。
終わった。
俺は実の姉へ。全国生配信で。限界オタク幼馴染の目の前で。我がレディと。
姉貴が檻の中で顔を赤くした。
「ヒーローさん、それはちょっと照れるかも……」
俺が一番照れている。
操の剣先が、一秒だけ止まる。
「今のは……」
「忘れろ!」
「それは無理」
「即答するな!」
操はすぐに檻へ向き直った。
「外層、残り一割!」
「終われえええええええ!」
残った羞恥心を、すべて拳へ乗せる。衝撃を核だけへ集中し、塔にも、檻にも、操にも、ドローンにも流さない。
安全第一。物理で。
尊厳は、もう知らん。
ドゴォォォォォォォンッ!
巨大番人の胸部が、内側から砕けた。ティーポットの紋章が割れ、紅茶色の鎧が次々と霧へ変わる。
「グォォォォ……」
爽やかな香りを残し、巨体が消滅した。同時に、檻の中層を構成していた金色の紋様も消える。
「認証層、解除!」
操が最後の鎖へ剣を振り下ろした。
「ハルカさん!」
檻の外層が砕ける。残った保護結界も、花びらのような光となってほどけていった。
姉貴は無事だった。怪我もない。むしろ、いつの間にか紙包みのスコーンを持たされている。
「持って帰るな!」
「私が取ったんじゃないよ。気づいたら持ってたの」
「封印塔の土産を受け取るな!」
セバスティアンの声が響く。
「試練、突破でございます」
嫌な予感がした。
「よって、塔の伝統に従い、姫様の正式退出儀礼へ移行いたします」
「やめろ」
【捕らわれのプリンセス:救出成功】
【ヒーロー側ペナルティ効果を起動します】
「ペナルティって言うな!」
【強制お姫様抱っこモード】
「起動するなァァァァァ!」
身体が勝手に姉貴へ歩み寄る。
「え、ちょっと、ヒーローさん?」
「逃げろ!」
「助けてもらったばかりなのに!?」
「今度は俺から逃げろ!」
「救助者が言う台詞ではないわ!」
操が叫ぶ。だが、身体は止まらない。右手が姉貴の背中へ回り、左手が膝裏へ入る。
ひょい、と。
姉貴の身体が軽々と持ち上がった。
お姫様抱っこ。完璧なフォーム。揺れ、ゼロ。
「退出儀礼の認証が始まったわ」
操が、姉貴の周囲へ浮かんだ魔力紋様を確認する。
「姿勢を崩さず、そのまま塔の外へ」
「俺の意思でやってると思うか!?」
「思っていないから安心して」
「何も安心できない!」
姉貴は俺の腕の中で、顔を赤くしながら小声で言った。
「……ありがとう、ヒーローさん」
「今だけは、それでいい」
「うん」
>お姫様抱っこきた!
>様式美!!
>揺れゼロwww
>ハルカちゃん無事でよかった
>見参完遂ニキありがとう
俺は姉貴を抱えたまま、勝手に優雅な足取りで階段を下り始めた。塔の照明まで、俺たちだけを追ってくる。
どこの結婚式だ。
【退出儀礼中。推奨台詞:姫よ、帰ろう。君の星空へ】
「言わない!」
姉貴が腕の中で笑いを堪えている。
「ヒーローさん、何か言わないの?」
「笑うな。俺は戦っている」
「何と?」
「俺自身とだ」
数段後ろを歩く操が告げる。
「退出認証は正常。その姿勢で外へ」
「最悪の正論だ!」
塔の入口まで戻ると、セバスティアンが扉の前で一礼していた。
「お見事でございました。抱き上げる角度、九十七点」
「採点するな!」
「残り三点は――」
操が反射的に聞きかけ、自分で口を閉じた。
「……今は聞かないわ」
「永遠に聞くな」
「それは約束できない」
「約束しろ!」
姉貴が俺の腕の中から手を振る。
「セバスちゃん、紅茶すごくいい香りだったよ」
「至上の喜びでございます」
「仲良くなるな」
塔の扉がゆっくりと開き、外の光が差し込んだ。セバスティアンは、もう一度深く頭を下げる。
「姫様。どうか、これからもお健やかに」
「セバスちゃんは来ないの?」
「私は塔の管理者。塔と運命を共にいたします」
姉貴の顔が、少しだけ寂しそうになった。
「そっか……」
「されど、救助者殿の所作には、まだ改善の余地がございます」
「最後まで失礼だな!」
「いずれ再び、改めて指導いたしましょう」
「二度と会わない!」
「紅茶をご用意して、お待ちしております」
「待つな!」
セバスティアンは胸へ手を当て、優雅に一礼した。次の瞬間、塔全体が金色の光に包まれる。
俺たちが外へ出ると、巨大な扉が静かに閉じた。白亜の塔が、上部から少しずつ光の粒へ変わっていく。
最後に、小さな窓からセバスティアンが手を振った。姉貴も、俺の腕の中から手を振り返す。
「またね、セバスちゃん!」
「またはない!」
塔は眩しい光を残し、跡形もなく消えた。
外には、配信ドローン、観客、スタッフ、協会職員。そして、黒銀スーツ姿で、姉貴をお姫様抱っこしている俺。
終わった。完全に終わった。
広場から歓声が上がる。
「見参未遂ニキだ!」
「ハルカちゃん無事!」
「お姫様抱っこだ!」
「フル口上、本物だった!」
やめろ。見ないでくれ。特に胸を見るな。
俺は姉貴を地面へ下ろそうとした。
だが。
【強制お姫様抱っこモード:ダンジョン管理ゲート退出まで継続】
「まだ続くのかよ!」
「ヒーローさん、あと少しだから」
「励まされると余計につらい」
後ろを歩く操が、周囲を警戒しながら小さく呟く。
「今日からは、見参完遂ニキ……?」
「変な進化名をつけるな!」
「今のは独り言よ」
「全国配信に乗ってるぞ!」
>見参完遂ニキwww
>未遂じゃなくなった日
>フル見参からのお姫様抱っこ
>助けを呼ぶ大切さは伝わった
管理ゲートの外へ出た瞬間、身体を縛っていた強制力が消えた。ようやく姉貴を地面へ立たせる。
同時に、黒銀スーツへ変身解除の光が走った。
「まずい」
操が見ている。観客も。カメラも。
このまま解除されたら、すべて終わる。
俺は黒銀の光を利用し、広場の端に残る瓦礫の陰へ跳んだ。
「あっ、ヒーローさん!」
「待って!」
待たない。絶対に待たない。
瓦礫の裏へ飛び込み、黒銀のスーツが光とともに消え、下に着ていたシャツとズボンが戻る。
変身解除。黒瀬玲司。二十三歳。短期スタッフ。尊厳は、ほぼ全滅。
でも、姉貴は無事だ。それだけは揺るがない。
「……死ぬかと思った」
社会的に。
数十秒後、俺はシャツの裾を整え、何食わぬ顔で現場へ戻った。姉貴と操が、同時にこちらを見る。
「玲司!」
姉貴が駆け寄ってきた。
「どこにいたの?」
「別ルートを探していた」
「途中から声が聞こえなかったよ?」
「塔の空間に飛ばされた」
「無事だった?」
「ああ」
操は物置、崩れた壁、ヒーローが消えた瓦礫、戻ってきた俺を順に見た。配信用ドローンの位置を確認してから、平然と口を開く。
「塔の消滅に巻き込まれ、別区画から外へ排出されたのね」
「……そういうことだ」
「怪我がないなら、今はハルカさんの状態確認を優先しましょう」
追及はしない。配信中は。
ありがたい。事件後が怖い。
姉貴が、俺の胸元と瓦礫の陰を交互に見た。
「玲司って、ヒーローさんと同じくらい胸板あるよね」
「今は比較するな」
「背の高さも近いかも」
「似た体格の前衛は、ほかにもいるわ」
操が自然に補足する。
「それに、魔力の性質はまったく違って見えた」
「ほら、別人だ」
「ええ」
操は頷いた。その目だけが、まったく納得していない。
「詳しい報告は、配信終了後に聞かせて」
「業務報告ならな」
「そういうことにしておくわ」
逃がす気がない。
その時、姉貴が持たされていたスコーンの包みから、ティーカップの紋章が入った銀色の缶とカードが落ちた。
「あれ?」
「今度は何だ」
姉貴がカードを拾い、読み上げる。
「『姫様へ。紅茶とともに見守っております』だって」
「捨てろ」
「えー」
「未知の魔道具だから、協会で検査するわ」
「正論で紅茶を守るな!」
「裏にも書いてあるよ」
姉貴がカードを裏返す。
「『次回の胸郭審査を楽しみにしております』」
「塔ごと消えたんじゃなかったのかよ!」
俺の絶叫が、もう一度、入口前広場へ響き渡った。
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毎日7:10と19:40の2話更新です。
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