第26話:【救助所作六十五点】異界会議室でお茶会する姉と、魔獣のスコーンを毒見する弟
俺は第四会議室のドアノブを握り、最後の封鎖条件へ魔力を流した。
力を入れすぎるな。空間そのものを壊すな。ロックを構成する魔力だけを、逆方向へ押し返す。
普段、人工魔力誘導核を解除する時と同じだ。複雑に絡んだ魔力の糸から、一本だけを選び、指先で引き抜く。
「外周、保つわ」
隣で操が短く言った。
「言われなくてもわかってる」
「なら、黙って合わせる」
「最初からそうしてくれ」
口ではそう言ったが、正直かなりやりやすい。
俺が押し返した魔力の流れを、操が外側から押さえてくれている。余計な力を入れずに済む。
こういう時だけ、本当に相性がいい。
カチリ。
認証端末が、黄色から緑へ変わった。扉を覆っていた金色の装飾紋様が、端から薄れていく。
王冠。塔。蔓草。
最後に、小さなハートマークが一度だけ光った。
なぜハートだ。姉貴の職業名に寄せるな。
俺はドアノブを回した。
ガチャリ。
第四会議室の扉が開く。中から、ふわりと紅茶の香りが漂ってきた。
「……会議室だよな?」
思わず呟いた。
普通の第四会議室には、長机と椅子とホワイトボードしかない。少なくとも、昨日まではそうだった。
だが、扉の向こうに広がっていたのは、完全に別の空間だった。
壁には王宮風のタペストリー。天井には小さいながらも豪華なシャンデリア。長机があったはずの場所には、白い天蓋付きソファ。部屋の中央には、三段トレーと銀色のティーポット。
そして、天蓋付きソファの中央には、ティーカップを片手に優雅に座る姉貴本体。
その周囲には、三匹の小さなメイドスライムがいた。半透明の丸い身体に、白いフリルのような模様を浮かべている。一匹は紅茶ポット。一匹はシュガーポット。もう一匹は、焼き菓子の皿を抱えていた。
完全にお茶会である。誘拐現場ではない。強いて言えば、扉が開かないだけの高級ラウンジだ。
「玲司、来てくれたんだ」
姉貴が、ぱっと笑った。
「来るに決まってるだろ。閉じ込められたんだから」
「でも、紅茶おいしかったよ」
「感想を言うな」
「スコーンもおいしかった」
「食レポを続けるな」
俺の後ろで、チーフマネージャーが口を開けて固まっている。
「本当に、昨日までは普通の会議室だったんです……」
「会議用の長机はどこへ行ったんですか」
「僕が聞きたい」
操は敷居を越えず、室内の魔力を確認した。
「予想どおりね。快適さで脱出意思を奪う、捕縛型の小規模異界」
俺は姉貴を見る。
紅茶。スコーン。天蓋付きソファ。メイドスライム。
完全に効いている。
「捕縛条件は外れているわ。でも、ハルカさんが領域内にいる間は空間が維持されるみたいね」
「つまり、姉貴を外へ出せば消える?」
「おそらく。長くいるほど結び付きが深くなる。早く出しましょう」
「怖すぎるだろ」
姉貴はティーカップを持ったまま、なぜか胸を張った。
「捕らわれのプリンセスです」
「得意げに言うな」
「職業に忠実だったよ」
「忠実になるな!」
その時、メイドスライムの一匹が、俺の前へ近づいてきた。
ぷるぷる。
小さな身体で皿を掲げる。そこには、焼きたてに見えるスコーンが一つ載っていた。
いらない。相手は魔獣だ。何が入っているかわからない。
ただし、ものすごく良い匂いがする。
メイドスライムは断られたことが悲しいのか、少しだけ身体をしぼませた。
やめろ。罪悪感を刺激するな。
「玲司、一個食べてみて」
「食べない」
「おいしいよ?」
「魔獣の出した食べ物だぞ」
「私、もう三個食べたけど平気」
「三個も食べたのか!」
走ってきたせいか、妙に腹も減っている。
「……一個だけだ」
「食べるんだ」
「毒見だ」
操が冷静に言った。
「救助対象が三個食べたあとに?」
「今後の安全確認だ」
「ずいぶん遅い安全確認ね」
俺はスコーンを手に取り、少しだけ口へ入れた。
外は、さくり。中は、しっとり。バターの香りが遅れて上がってくる。
うまい。かなりうまい。
悔しいが、専門店でも通用しそうな味だった。七年間の探索者生活で、魔獣の手料理に負ける日が来るとは思わなかった。
「どう?」
姉貴が聞く。
「……危険な味だ」
「おいしいんだ」
「おいしい」
「素直でよろしい」
「ただし、もう食べるな」
俺はメイドスライムを見下ろした。
「お前ら」
三匹が一斉に、ぷるりと震える。
「姉貴を閉じ込めるな」
反省しているようにも見える。何も理解していないようにも見える。
一匹が、姉貴のティーカップへ紅茶を注ごうとする。
「おかわりもするな」
ぴたりと動きが止まり、しょんぼりとポットを下ろした。
「玲司、強く言わなくても」
「姉貴は黙ってろ。お前は人質側だ」
「お客様だよ」
「待遇で立場を忘れるな」
操がメイドスライムへ端末を向ける。
「この子たちは、ハルカさんの特殊職業に引き寄せられ、一時的な給仕役として生成されたようね。完全な魔獣というより、封鎖空間の一部に近いわ」
「生成された給仕役……」
「ハルカさんの職業には、捕縛中の生存を補助する効果もあるのかもしれない」
「食事と寝床を用意する代わりに、脱出意思を弱める?」
「今のところは仮説だけど、辻褄は合うわ」
姉貴が再び胸を張る。
「ロイヤル・トリートメントです」
「横文字にして正当化するな」
「捕まることを前提にすれば、理にはかなっているわね」
「その前提を捨てろ!」
姉貴がようやくソファから立ち上がった。
その瞬間、三匹のメイドスライムが、一斉に名残惜しそうに震えた。
「ごめんね、みんな」
姉貴がしゃがみ込み、メイドスライムたちへ手を振る。
「お茶、おいしかったよ」
「魔力異常に別れを告げるな」
姉貴が扉を越えた直後、操が室内を見渡した。
「ハルカさんが領域から離れたことで、空間の維持条件も完全に消えた。じきに元の会議室へ戻るはずよ」
その言葉どおり、室内の景色が少しずつ薄れていった。
シャンデリアが光の粒子になる。壁のタペストリーが消え、天蓋付きソファが透けていく。
三匹のメイドスライムは姉貴の前へ並び、そろってぺこりと頭を下げた。そして、淡い光の粒となって消えた。
最後に残ったのは、普通の第四会議室だった。
長机。椅子。ホワイトボード。蛍光灯。
数秒前まで王宮のサロンだったとは思えない。
「……戻った」
チーフが呟いた。
姉貴は、少し残念そうに長机を見る。
「メイドスライムちゃん、かわいかったのに」
「再会を望むな」
「でも、かわいかったよ?」
「次も無害とは限らないだろ」
「次?」
「次を期待するな!」
俺は疲れ切って息を吐いた。
変身はしなかった。黒銀スーツにもなっていない。名乗りもしていない。喉仏を押さえる必要もなかった。
今回は、完全に通常状態で姉貴を救出できた。誰にも見られていない。誰にも笑われていない。俺の尊厳は一ミリも削れていない。
上出来だ。
そう思ったのも、束の間。
「玲司」
操が俺を見ていた。
「何だ」
「今の解除、六十五点」
「低いな!」
「解除技術と声かけは良かった。でも、救出直後に魔獣のスコーンを食べた」
「あれは毒見だ」
「救助対象が三個食べたあとに?」
「……」
姉貴が楽しそうに聞く。
「操ちゃん、見参未遂ニキなら何点?」
「今は比べないわ」
操は短く答えた。
「今日救助したのは玲司でしょう。だから、玲司の点数」
「採点されること自体が納得いかないんだが」
「次は七十点を目指しなさい」
「次を前提にするな」
チーフが困ったように笑っている。
「とにかく、全員無事で良かったですね」
「そうですね」
俺は肩の力を抜いて頷いた。
「設備の点検は今日中に進めます。第四会議室は本日中、使用禁止にします」
「お願いします」
「それと姉貴」
「なあに?」
「二度と、勝手に開いた扉へ入るな」
「はーい」
「返事が軽い」
「気をつけるって」
「本当に気をつけろ。お前の特殊職業、思っているより危険だぞ」
「でも、おもてなしもあるよ?」
「メリットで監禁を肯定するな」
まったく反省していない。
捕らわれる気はないのかもしれない。だが、捕らわれないために努力する気も薄そうだ。そして今日の件で、捕らわれた先が快適だと学習してしまった。
最悪の教育効果である。
*
その日の午後。第四会議室事件は、ステラライブの社内チャットで、
『ハルカさん、会議室におもてなしされる事件』
として広まった。
広めたのは姉貴である。
チーフからは、第四会議室の使用禁止と、
『星宮さんは不用意に開いた扉へ入らないでください』
という名指しの注意が出た。
当然だ。
その直後、姉貴から個別メッセージが届く。
『私はうれしかったよ』
『来てくれてありがとう』
俺はしばらく画面を見つめた。
こういう真っすぐな言葉は困る。怒られる方が楽だ。からかわれる方が対応しやすい。
『次からは開いた扉へ入るな』
それだけ返す。
『はーい』
返事が軽い。
*
夕方。第三会議室で安全啓発教材の資料修正へ戻っていると、姉貴がスマホを持って近づいてきた。
「玲司」
「何だ」
「今日の雑談配信で、会議室の話をしてもいい?」
「駄目だ」
「どうして?」
「危機管理上の問題がある」
「でも、危険な扉に入らないように注意喚起できるよ?」
「紅茶がおいしかった話が八割になるだろ」
「六割くらいだよ」
「さらに駄目だ」
「操ちゃんの六十五点も話題になりそう」
「絶対に話すな」
姉貴は少し考える。
「じゃあ、名前は出さないようにするね」
「話自体をするなと言ってる」
「弟スタッフが助けてくれたって」
「名前を伏せても特定可能だろ!」
「でも、星の子たち、心配してたし」
「何をだ」
「最近、私の特殊職業がどうなったか」
それは確かに、視聴者が気にしている内容ではある。危険性を知らせる必要もある。
だが、姉貴へ任せた場合、必ず紅茶とメイドスライムが主役になる。
「話すなら、事実だけにしろ」
「うん」
「盛るな」
「盛らないよ」
「紅茶を褒めるな」
「事実を隠すのは良くないと思う」
「すでに不安しかない」
姉貴がスマホを胸元へ抱え、にこりと笑った。
「大丈夫。ちゃんと安全啓発するから」
その笑顔を見た瞬間、俺は理解した。
大丈夫ではない。絶対に、大丈夫ではない。
その日の夜。姉貴は五万人の視聴者へ向けて、
「今日、会議室に閉じ込められちゃって〜」
と、満面の笑みで語り始めた。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




