第25話:【開かずの会議室】捕らわれのプリンセス、社内設備におもてなしされる
ステラライブ事務所には、開かずの会議室がある。
……という怪談を聞いたのは、その日の昼過ぎだった。
「ねえ玲司、聞いて聞いて」
昼休憩中。俺が第三会議室の隅で、昨日持ち上がった安全啓発教材の資料を修正していると、姉貴――星宮ハルカこと黒瀬遥香が、楽しそうな顔で近づいてきた。
手にはスマホ。嫌な予感がする。
「聞きたくない」
「今回は玲司の尊厳、あんまり関係ないよ」
「あんまり?」
ゼロではないらしい。
姉貴はスマホ画面を俺へ向けた。
【設備管理より】
【第四会議室の魔力ロックが誤作動しています。現在、原因を調査中です。関係者以外は近づかないでください】
「第四会議室?」
「うん」
「関係者以外は近づくな?」
「うん」
俺はゆっくりと姉貴を見る。
「近づくなよ」
「もう近づいた」
「なぜだ」
「配信用の資料を取りに行こうとしたら、いつの間にか第四会議室の前に着いてて」
俺の表情が固まる。ただの方向音痴ではない。
姉貴の特殊職業。
【捕らわれのプリンセス(ヒーロー見ぃつけた♡)】
危険イベントへ吸い寄せられる。あるいは、危険イベントの方から姉貴へ寄ってくる。
「それで?」
「ドアが開いたから入った」
「なぜだ!」
「だって、事務所の会議室だよ?」
「お前の職業は、事務所内だから休むような良心的な能力じゃないだろ!」
「あー」
「今理解するな。入る前に理解しろ」
姉貴は悪びれもせず続けた。
「中に入ったら、ドアが閉まって出られなくなった」
「現在進行形か?」
「うん」
俺は固まった。目の前にいる姉貴を見る。どう見ても目の前にいる。
「お前、ここにいるだろ」
「これはアバター」
「は?」
姉貴が自分の頬を指で押す。指先が、輪郭を構成する光の粒子へ沈んだ。社内連絡用の簡易アバター。本体ではない。
「本体は?」
「第四会議室」
「今すぐ言え!」
「今、言ってるじゃん」
「閉じ込められてから何分だ!」
「十五分くらい。紅茶が出てきたから、ちょっと様子を見てた」
「様子を見るな!」
俺はノートPCを閉じ、机の上の資料を放り出す。
昨日、静かな会議室で誰にも邪魔されず資料を直したいと思った。翌日、静かな会議室そのものが姉貴を捕獲した。
俺の願いを斜め方向に叶えるな。
「玲司、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。椅子もふかふかだし」
「閉じ込められてる本人が言うな!」
「天蓋付きのソファもあるよ」
「会議室だぞ!?」
俺は第三会議室を飛び出した。姉貴のアバターが、投影ドローンに追従されながら後ろをついてくる。
「身体に異常は?」
「ちょっと眠いくらい」
「それが異常かもしれないだろ!」
「でも昼食後だし」
「判断しづらい!」
廊下の先から、チーフマネージャーが走ってきた。
「黒瀬くん! 大変だ!」
「知ってます。姉貴が第四会議室に捕まりました」
「なぜ、もう知ってるの!?」
「本人がアバターで報告してきました」
チーフが、ふわふわ浮いている姉貴を見る。
「閉じ込められながらリモート接続できるの?」
「通信回線は生きています。あと紅茶二杯目です」
「どういう状況?」
「俺が聞きたいです」
俺たちは第四会議室へ急ぐ。
廊下の突き当たりには、設備管理のスタッフを中心に数人が集まっていた。魔力認証端末が赤く点滅し、扉は固く閉ざされている。
ドアの表面には、薄い金色の装飾紋様が浮かんでいた。蔓草。王冠。小さな塔。
なぜ、事務所の会議室が王宮化している。
「システムからの解除命令を受け付けません」
設備管理のスタッフが青ざめた顔で言う。
「空間自体が固定されています。無理に開けた場合、内部への影響が判断できません」
その判断は正しい。内部には姉貴がいる。空間異常ごと扉を壊せば、何が起きるかわからない。
『玲司ー』
扉の内側から声がした。
『中からも音は通るみたい』
「今、開ける方法を探してる!」
『急がなくていいよ。スコーンも来たから』
「紅茶会を続けるな!」
そこへ、黒に近い紺色の探索者ジャケットを着た人影が近づいてきた。
五月雨操である。
「ハルカさんが閉じ込められたと聞いたわ」
「情報が早いな」
「本人から連絡が来たの」
操がスマホを見せる。
『操ちゃん、なんか会議室に捕まった!』
『でも紅茶おいしい!』
「危機感が死んでる」
操は扉へ近づき、金色の紋様へ手をかざした。
「ただの魔力ロックじゃないわね」
「ああ。会議室ごと薄く切り離されてる」
操がこちらを見る。驚きではなく、確認する目だった。
「やっぱり、あんたにもそう見えるのね」
「……雰囲気だ」
「誤魔化し方が雑。でも判断は合ってる」
「採点するな」
「助かるわ。説明の手間が省ける」
「俺を何だと思ってる」
「Aランク探索者」
その言い方には、疑いよりも信頼があった。
俺が何かを隠していることくらい、操は勘づいている。だが今は、姉貴の救助が先だ。それをこいつはわかっている。
「玲司、無茶はしないで。でも、見えているなら言って」
「命令か」
「共有よ。一人で抱え込むなって、昨日言ったでしょう」
「もう使うのか、その話」
「使えるものは使うわ」
操は扉と床の境目を確認する。
「小規模な捕縛領域ね」
「内部ごと開くと、空間がずれる」
「ええ。だから壊さない。外側だけ緩める」
「俺に振るな」
「あんた、Aランクでしょう」
「一応、登録上はな」
「一応で今の解析はできないでしょう」
「今はそこを掘るな」
「わかってる。今は使う」
ひどい言い方なのに、不思議と嫌ではなかった。
『玲司ー。中、王宮のサロンみたい』
「会議室の概念を捨てるな」
『メイドみたいなスライムが紅茶を注いでくれるの』
「魔獣を給仕に使うな!」
操が真剣な顔で頷く。
「対象の警戒心を下げる捕縛型かもしれない。快適だからといって、安全とは限らないわ」
『操ちゃんもいるの?』
「ええ。体調に異常はない?」
『うん! 紅茶二杯目!』
「本当に無事そうね」
操の表情が少し緩み、すぐに探索者の顔へ戻る。
「おそらく、ハルカさんの特殊職業に反応したのでしょうね」
「やっぱりプリンセスか……」
『名前かわいいよねー』
「かわいくない!」
操が装飾紋様へ端末を向ける。
「捕縛領域の核は内部。たぶん、部屋の中の演出物のどれか。ただ、核を壊す必要はないわ。条件が外れれば、領域と一緒に消えるはず」
「条件は?」
「二つあるわ。今、内側から外へ向かう魔力がほとんど出ていない。だから一つ目は、内部の対象が明確に救助を望むこと」
「もう一つは、外側から封鎖を緩めることか」
「そこまで同じ見立てなら、組めるわね」
「組む前提で話すな」
「一人でやるより早い」
「それは否定しない」
「なら決まり」
昔からこうだった。こちらが迷っている間に、当然のように隣へ立つ。
それが面倒で、それが少しだけ楽だった。
「説得は、あんたがやりなさい」
「なぜ俺だ」
「ハルカさんが本気で外に出たいと思うとしたら、あんたが心配している時でしょう」
「そんなことは」
『あるよー』
「内側から肯定するな!」
本人は会議室の中。アバターだけが俺の肩で楽しそうに頷いている。
ややこしい。
「姉貴! 助けてほしいか!」
『うーん……』
「迷うな!」
『出たい気持ちはあるんだけど、紅茶がまだ残ってて』
「紅茶を捨てろ!」
『メイドスライムちゃんも泣きそうな顔で見てるし』
「魔獣に情を移すな!」
操が冷静に言う。
「完全には救助を望んでいないわね」
「プリンセス本人がくつろいでいるせいで、条件を満たせないのか?」
「おそらく」
「最悪の人質だな!」
姉貴は一応出たい。ただし、紅茶を捨ててまで出たいわけではない。
何だ、このイベント。誘拐犯に懐き始めた人質より面倒だ。
「外側から緩める」
俺は扉へ近づいた。
「姉貴の説得はその後だ」
「ええ。私が外周を押さえる。あんたはロックを見て」
「勝手に役割を決めるな」
「嫌なら別案を出しなさい」
「……そのままでいい」
「なら合わせるわ」
操は声を落とした。周囲のスタッフには、ただ解除方針を相談しているようにしか見えないはずだ。
俺は扉へ手を当て、魔力の流れを読む。
封鎖空間はまだ浅い。普通の会議室に魔力異常が薄く重なり、建物の魔力ロックを巻き込んでいるだけだ。
これなら、《ヒーロー見参》を使わなくても開けられる。
たぶん。
いや、絶対に使わない。
事務所の廊下で黒銀スーツへ変身したら、今後出社できなくなる。しかも、ヒーロー見参ビジネス連携機能が仮起動している。
下手をすれば、
〝閉じ込められたレディには、優雅なティータイムを――〟
と、企業案件風の台詞まで混ざる。
死ぬ。絶対に通常解除する。
「右上の王冠紋」
操が小さく言った。
「そこは囮だ。触ると締まる。本命は塔の根元」
「蔓草は?」
「切ると内部が揺れる。残せ」
「了解」
操が、俺の手元から少し離れた位置へ手をかざす。外周の揺れが、すっと静まった。
やりやすい。腹が立つほど、やりやすい。こちらが何をしたいのか、説明しきる前に合わせてくる。
俺は指先へごくわずかに魔力を通し、封鎖の糸を一本だけ逆方向へ押し返した。
カチリ。
認証端末の色が、赤から黄色へ変わる。
「反応が変わった!」
「ロック強度が低下しています!」
チーフが驚いた顔で俺を見る。
「黒瀬くん、今、解除した?」
「たまたまです」
「たまたまで魔力ロックが?」
「事務所との相性が良いんです」
「すごい言い訳だね」
外部の封鎖条件は緩んだ。最後は、姉貴が本気で出る意思を示すこと。
「姉貴! 出たいと言え」
『出たい』
「本気で」
『出たいです』
「気持ちが入ってない!」
『だって、紅茶が』
「紅茶から離れろ!」
『でも』
「姉貴!」
少し強い声が出た。扉の向こうが静かになる。
「そこは普通の会議室じゃない。今は安全でも、このまま空間が深くなれば、どこへつながるかわからない」
『……うん』
「メイドスライムも、ずっと無害とは限らない」
『この子たちは良い子だよ』
「良い子でも、魔獣は魔獣だ」
『……』
「俺が心配してる。だから、本気で出たいと言え」
少しの沈黙。
『紅茶はおいしいけど』
「そこは付けなくていい」
『玲司が心配してるから、出たいです』
金色の紋様が薄くなり、空間が揺れた。
効いた。
なぜ俺の心配が解除条件へ強く作用したのかは、考えたくない。
「今なら開けられる」
操が短く言う。
「外周だけ押さえろ」
「わかってる」
俺は一瞬だけ、横目でその顔を見る。
不必要な追及をせず、必要な場所だけを支える立ち位置。
姉貴は、俺が助けたい人だ。操は、俺が一緒に助けに行ける人だ。その違いが、妙にはっきりした。
「玲司。失敗したら、私が引き戻す」
「縁起でもないことを言うな」
「成功する前提で、失敗した時の手を考えるのが探索者でしょう」
「……そうだな」
「だから、遠慮なくやりなさい」
「命令するな」
「相棒への指示よ」
「いつから相棒になった」
「今」
「勝手に決めるな」
「嫌?」
「……別に」
操が、ほんの少しだけ笑った。
「なら、決まり」
俺はドアノブを握った。
あと一段階。魔力の流れを完全に逆転させれば、扉は開く。
背後には設備管理のスタッフとチーフ。隣には、俺をAランク探索者として信頼している幼馴染がいる。
隠しながら。でも、任せながら。
この距離感は、かなり厄介だ。
俺は息を整えた。
そして、最後の封鎖条件へ指をかけた。
お読みいただきありがとうございます!
毎日7:10と19:40の2話更新です。
続きもお楽しみに!




