06 宴の始まり
それから、数時間後――
赤みを帯びた太陽が砂漠の果てに半分ほど姿を隠したところで、広場にすべての住民が集められた。
調理を終えてくつろいでいた咲弥たちも、その片隅にひっそりと参じる。広場の北の端では、石の台座の上にちょこんと立った集落長が明るく輝く紫色の瞳で人々を見回していた。
「それでは、ちょーめいのおいわいをかいしするのです! ちょーろーさまをおよびするのです!」
広場には、歓声があふれかえる。
ただし、誰もが幼子のように可愛らしい声をしているため、幼稚園児がはしゃいでいるような様相であった。
そしてそこに、軽やかな笛の音が重ねられる。
キャメットの角で作られた角笛の合奏だ。素朴な音色で紡がれる異国的な旋律が、咲弥の胸に郷愁めいた思いをかきたててやまなかった。
そんな中、ひとつの家屋から三つの人影が現れる。
立派な髭を生やした男性と、それよりもふた回りは小さい本当の子供と、そして腰の曲がった老婆である。そちらの老婆も他の面々と同じようにちんまりとした体型であるが、くるくるの巻き毛はほとんど真っ白で、その顔は乾物のように皺くちゃであった。
男性と子供が左右から手を引いているが、長老は自分の足でしっかり歩いている。
そして、集落長の隣に設置されていた台座の上に、ちょこんと座った。
「それでは、ほかのしゅーらくからおこしいただいたしゅーらくちょーたちに、おいわいのおことばをたまわるのです!」
「はいなのです。ひゃくにじゅーのよわいをかさねたちょーろーさまに、こころよりのしゅくふくをささげるのです」
三名のコメコ族が長老の前に進み出て、膝をついた。こちらは、髭の男性に若い男女という組み合わせだ。そして、土器の皿にのせられたひとかたまりの乾酪が長老に捧げられた。
本日は、他なる十の集落から三名ずつの客人が招かれている。そちらの面々も容姿に変わるところはなかったが、ただ頭の巻き角にそれぞれ色の異なる布の切れ端をリボンのように巻いていた。それが他の集落に立ち入る際の習わしで、集落ごとにカラーリングが決められているのだという話であった。
それらの面々がひと組ずつ、お祝いの言葉と品を捧げていく。
お祝いの品はいずれも簡素かつささやかな内容であったが、それも清貧な生活を送るコメコ族の習わしであるのだろう。長老の座席の隣に置かれた台座は、十組のお祝い品で埋め尽くされることになった。
「ではつぎに、しゅーらくのそとからおこしくださったりゅーおーさまのごいっこーさまにごあいさつをたまわるのです!」
集落長の言葉とともに、咲弥たちの眼前の人垣がモーゼの十戒のように開かれた。
その道を通って、咲弥たちは前進する。こちらの集落の面々は誰もが瞳を輝かせていたが、ついさきほど到着した他なる集落の面々は生まれたての子羊のようにぷるぷると震えてしまっていた。
(ドラゴンくんたちはこんなにかわゆいのに、やっぱり怖がられちゃうんだなぁ)
咲弥たちが長老の前に立ち並ぶと、てけてけと進み出たアトルとチコが紹介してくれた。
「せ、せんえつながら、ぼくたちがごしょーかいするのです!」
「こ、こちらがりゅーおーさまで、こちらがサクヤさま、ヒナさま、ケルベロスのケイさま、ルウさま、ベエさま、そしてギューさまなのです!」
この中で、ドラゴンだけは長老と面識を持っている。
ドラゴンは一同を代表して、長老にお祝いの言葉をかけた。
「我はこれまでに、百二十の齢を重ねたコメコ族というものを見聞きしたことはない。苦難の多き現世を長く生きた其方に、祝福の言葉を捧げよう。天にのぼるその日まで、同胞の健やかな姿を見守ってもらいたい」
ドラゴンはいつも通りの、落ち着いたダンディな声である。
すると、ぷるぷる震えていた三十名の客人たちも、驚嘆の面持ちになった。彼らはおそらくこの場で初めてドラゴンの姿を見て、その声を聞いたのだ。きっとコメコ族も魔族に負けないぐらい豊かな感受性を備え持っているのであろうから、ドラゴンの誠実な人となりもいくばくかは伝わっているはずであった。
「……長老はサクヤに関心を抱いているという話であったので、サクヤからもひと言もらっては如何であろうかな?」
「はいなのです! よろしければ、おねがいしますのです!」
ドラゴンからは優しい眼差し、集落長からは熱い眼差しを向けられて、咲弥は一歩だけ進み出る。そして、心に浮かんだ言葉をそのまま告げることにした。
「アトルくんとチコちゃんにはいつもお世話になってるんで、二人が大切に思ってる長老さんのお祝いに招待してもらえて、すごく嬉しいですよぉ。どうかこれからも長生きして、みんなと楽しく過ごしてくださいねぇ」
すると、長老は皺くちゃの顔でにこりと笑ってくれた。
「ありがとうございますのです……いきているあいだにサクヤさまとおあいできて、こーえいのかぎりなのです……」
その声はやっぱり幼子のように可愛らしいが、とてもゆったりとした口調であるためか、どこか風格のようなものが感じられる。
それに、近くで見るとその顔はいっそう皺くちゃで、生まれたての子猿か何かのようであったが――たるんだまぶたの下に瞬く紫色の瞳は、星のように明るくきらめいていた。
「それではさいごに、ぎょーしょーにんさまからもおいわいのおことばをいただくのです!」
どこからともなく出現した行商人が、長老に向かって深々と頭を垂れた。
「さしたる縁もない身で祝いの席に招待されたこと、心より光栄に思っています。今後もコメコ族の方々とは末永く商売をさせていただきたく願っていますので、どうぞお見守りください」
「ありがとうございますのです……わたしたちがこのちですこやかにくらしていけるのも、ぎょーしょーにんさまがたいせつなしなじなをはこんでくださるからなのです……どうかこれからも、よろしくおねがいしますのです……」
「はい」と面を上げた行商人は、そのまま切れ長の目で長老の姿を静かに見据えた。
「ひとつおうかがいしたかったのですが……数十年前、コメコ族の一団が砂の民の集落にさまざまな商品を持ち込んだことから、我々の交易が開始されたものと聞き及んでいます。長老殿は当時からそれなりの齢であられたかと思いますが……その件に関して、何かご存じでしょうか?」
「はいなのです……そのいちだんのひとりが、わたしなのです……」
長老の返答に、行商人はぴくりと肩を震わせた。
「それは、私の祖父が赤子であった時代の話となります。ですが、長老殿はすでに壮年の齢であられたのではないでしょうか?」
「はいなのです……それでもわたしはいちぞくのなかで、さんばんめのちからもちでしたので……どーほーのおやくにたちたかったのです……」
そう言って、長老は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「あのひにすなのたみのかたがたが、どんなさばくのおくちでもしょーひんをとどけるといってくださったので……わたしたちは、さばくでいきていくけつだんをくだすことができたのです……いまのすこやかなくらしがあるのも、すべてしんせつなすなのたみのかたがたのおかげなのです……」
「……そうでしたか。コメコ族の方々と正しき絆を結ぶことがかなった先人たちの行いを、誇らしく思います」
行商人はもういっぺん頭を下げてから、引き下がった。
集落長はにこにこと笑いながら、あらためて声を張り上げる。
「それでは、わたしからもおいわいのしなをけんじょーするのです! こちらはぎょーしょーにんさまからちょーだいした、おいわいのくびかざりなのです!」
集落長がポンチョの内側から桜色の首飾りを取り出すと、広場に歓声がわきたった。
「ただしこちらのしなは、りゅーおーさまからたまわったキバジカのしゅーかくでちょーだいすることがかなったのです! そして、それでもちょっぴりたりなかったぶんを、ぎょーしょーにんさまがおまけしてくださったのです! つまりこちらは、りゅーおーさまとぎょーしょーにんさまからのおくりものであるのです!」
すると、ドラゴンが粛然と「否」と応じた。
「確かにキバジカを捕らえたのは我々であるが、それをさばいたのは其方たちである。我々にキバジカをさばく手腕はないため、其方たちの手腕がキバジカの身を商品に換えたのだ。ゆえに、これは三者合同の贈り物と称するべきであろうな」
「かんだいなおことば、きょーしゅくのかぎりなのです! われわれもおーいなるほこらしさをもって、こちらのしなをちょーろーさまにけんじょーできるのです!」
集落長はドラゴンに向かって深く深く頭を下げてから台座を跳び下りて、長老のもとに駆け寄った。その手が恭しく首飾りをかけると、広場中から拍手と笛の音の渦が巻き起こる。その拍手の勢いと人々の幸せそうな表情に、咲弥は思わず胸を詰まらせてしまった。
「ありがとうございますのです……わたしのいのちをてんにかえすそのひまで、だいじにつかうとおやくそくするのです……」
長老もまた皺くちゃの顔で微笑んで、咲弥の心をいっそう揺さぶった。
隣の陽菜などは、手の甲で目もとをぬぐっている。咲弥たちの暮らす世界において、これほど純真な思いがあふれかえる場はそうそう存在しないのだった。
「それでは、ちょーめいのおいわいのかいしなのです! おいわいのひをともすのです!」
こちらが語っている間に、太陽はすでに没しかけていた。
そんな黄昏刻の薄暗がりに、ぽつぽつと小さな明かりが灯り始める。どっさりと準備されていた蝋燭に、ひとつずつ火が灯され始めたのだ。
こちらの蝋燭は、デザートリザードの脂をしぼって作られたものであるらしい。そして、デザートリザードはそれほど脂肪の豊かな生き物ではないため、蝋燭もたいそう貴重であるそうなのだ。普段は滅多に使われることもなく、日が落ちたらすぐに就寝するのだという話であった。
その貴重な蝋燭が、ここぞとばかりに消費されている。
これもまた、祝祭ならではの行いであるのだ。あちこちに灯された小さな火に石造りの建物や人々の姿がぼんやりと照らし出されて、得も言われぬほど幻想的な光景であった。
「それでは、おいわいのりょーりをつくりあげるのです!」
続いて、石を組んだかまどにも火が灯された。
その上に設置された巨大な石板に、バターのごとき乳脂がたっぷりと広げられる。石板に熱が通って乳脂の焼ける香りが広がると、今度はそこにさまざまな具材がぶちまけられた。
広場のコメコ族たちは、誰もが子供のようにはしゃいでいる。
無数にきらめく蝋燭の明かりとあちこちで吹き鳴らされる角笛の音色が、砂漠の夜を絢爛に彩っていた。
そうして咲弥たちがその賑わいにひたっていると、長老のかたわらにたたずんでいた集落長がちょこちょこと駆け寄ってきた。
「よろしければ、ちょーろーさまのおそばでおくつろぎいただきたいのです! おいわいのりょーりは、そちらにはこばせるのです!」
「はぁい。承知しましたぁ」
咲弥たちが作りあげた料理は、第二陣としてふるまう手はずであったのだ。現在、特大の石鍋は、熾火で保温されているさなかであった。
そうして咲弥たちが長老のもとに向かうと、他なるコメコ族たちが家の中から石の椅子を運んできてくれた。
日中に石切り場で作ってくれていた、あの椅子である。上面が平らに割られた岩塊の下側が地面にうずめられて平行の角度になると、その上に毛皮の敷物がのせられた。
そして、椅子を使わないドラゴンたちのために、チコがタープの下からレジャーシートを運んでくる。ギューとケルベロスたちがそこにちょこんと身を落ち着ければ、ひとまず準備も万端であった。
「りょーりは、ぼくたちがおはこびするのです! しょーしょーおまちくださいなのです!」
と、アトルとチコはすぐさまぴゅーっと駆け去ってしまう。
それと入れ違いで、行商人がやってきた。
「集落長殿からこちらに参ずるようにと申しつけられたのですが、お邪魔ではなかったでしょうか?」
「うむ。同じ客人の身であるのだから、我々に遠慮は無用であるぞ」
ドラゴンはそのように答えていたし、咲弥としても異存はなかった。こちらの行商人はなかなか内心が知れないが、コメコ族を見下したりドラゴンたちを忌避したりしないだけで、咲弥の側に避ける理由はないのだ。
(それに、長老さんに対してもすごく敬意を払ってたもんなぁ)
咲弥がそのように考えていると、行商人が切れ長の目を向けてきた。
「やはり、私は遠慮するべきでしょうか?」
「いやいや、その逆だよぉ。もっと昔の話とか聞かせてほしいなぁ」
「昔の話ですか。しかしそれは私が生まれる以前の話でありますので、詳細は不明であるのです」
そのように語りながら、行商人も三十センチていどの高さしかない石の椅子に腰を下ろした。
「ただ、初めて持ち込まれたデザートリザードの品の質を見込んで、先人たちは継続的な商売を願うことになったそうです。……そもそも我々の集落は侵入者を避けるためにデザートリザードの巣や流砂に囲まれた区域に位置していたにも拘わらず、コメコ族の一団は傷ひとつ負うことなく姿を現したのだと聞き及んでいます」
「あのりゅーさは、あぶなかったのです……どーほーのひとりがのみこまれかけたので、みんなでちからをあわせてきゅーしゅつしたのです……とてもなつかしいのです……」
と、長老は穏やかな声でそう言った。
その左右に控えた髭の男性と小さな子供は、無邪気ににこにこと笑っている。そして、髭の男性が初めて口を開いた。
「きっとそのときにも、ちょーろーがおおきなやくめをはたしたのです。ちょーろーはもうこんぎをあげてたくさんのこをもつよわいであったのに、だれよりもたくさんのデザートリザードをかっていたとききおよんでいるのです。わたしのそぼたるちょーろーは、わがやのほこりであるのです」
「なるほど。長老はそれだけ強靭な肉体を持っているがゆえに、百二十の齢まで生き抜くことがかなったのやもしれんな」
ドラゴンが口をはさむと髭の男性は恐縮した様子でぺこぺこと頭を下げたが、その明るい眼差しに変わりはなかった。
「ともあれ、先人たちは正しい判断を下しました。コメコ族の方々から買い取る品は、いずれの地においても高い評価を受けているのです。それも、コメコ族の方々の誠実な人柄と確かな手腕があってのことでしょう」
「なるほどぉ。だからあなたは、コメコ族のみんなに敬意をもって接してるのかなぁ?」
「はい。商売人にとってもっとも敬うべきは、質の高い取引相手ですので」
それはいかにもビジネスライクな返答であったが、咲弥の抱く印象が揺らぐことはなかった。彼が抱く敬意が上っ面のものではないと、そこはかとなく感じられるのだ。魔力の多寡で相手の質を定める慣習よりも商売人としての倫理観が上回るというのなら、それもまた立派な立ち居振る舞いであるはずであった。
そして長老は、ゆったりとした笑顔で行商人の言葉を聞いている。
どれほど幼子めいた風体でも、やはり余人とは比較にならない風格だ。その温かくてすべてを包み込むような雰囲気は、千年の齢を生きるユグドラシルを連想させてならなかった。




