02 千客万来
「突然の来訪、失礼いたします」
やがてドラゴンによって洞穴まで案内された行商人は、恭しげに一礼した。
白いターバンのようなものを頭と顔に巻きつけて、すらりとした長身には白いマントを纏った、以前に見た通りの姿である。その睫毛の長い切れ長の目には、黄色みがかった瞳が静かに瞬いていた。
彼も雨粒を弾く魔法を体得しているらしく、その身はまったく濡れていない。いっぽう雨の屋外でタープを張った咲弥たちは濡れた雨具をハンガーに吊るしたのち、もとの姿に戻っていた。
「行商人さん、おひさしぶりだねぇ。お元気そうで、何よりだよぉ」
「はい。サクヤ殿がこちらの山にいらっしゃるのは六割から七割ていどの確率とうかがっておりましたので、今日という日に再会できたことを心より喜ばしく思います」
言葉の内容は丁寧であるが、内心のわからないクールな声音である。その沈着さと凛々しさは、ルウといい勝負であった。
「あれあれ? ロキくんは一緒じゃなかったのぉ?」
「うむ。ずいぶん雨が強くなってきたため、もうしばし山の見回りを続けるのだそうだ。夕刻にでも招待すれば、喜ぶのではなかろうかな」
「りょうかぁい。ロキくんにも、新しい食材を味わってほしいもんねぇ」
ドラゴンとそんな言葉を交わしてから、咲弥はあらためて行商人と向かい合った。
「それで、行商人さんも何か商品を届けてくれたんだよねぇ? やっぱりあたしが検分するべきなのかなぁ?」
「うむ。それなる品々を有効に活用できるか否かは、ひとえにサクヤの手腕にかかっているのであるからな。サクヤに有用と認められる品が存在したならば、我々が対価となる品を山で収穫するとしよう」
すると、草籠に積まれた収穫に目を走らせていた行商人が発言した。
「そちらは『世捨て人の悦楽』と『サラマンダーの心臓』ですね。残るふた品には、見覚えがないようです」
「ふむ。しゅわしゅわの実は新たに生まれた種であるが、其方もヤツデモドキを見知っておらぬのだな」
「はい。おそらくは砂漠に面した地域には存在しない種であるのでしょう。それで味や滋養が一定の水準に達していれば、確かな商品に成りえます」
「左様であるか。しかし、畑で収穫される作物は、すべてサクヤとコメコ族のものであるのでな。商談が成立した場合は、我々が山で収穫する野生の品を取り扱うことになる」
「承知いたしました。ではまず、こちらで準備した品を検分していただきたく思います」
行商人が指先で虚空に魔法陣を描くと、そこから木箱が出現する。行商人は、その中から小さな野菜を取り出した。
「私がこのたび準備しましたのは、いずれも南方の実りとなります。こちらは、『紫の悪夢』と呼ばれる野菜です」
「ほうほう。いきなり物騒なお名前だねぇ」
「はい。こちらの野菜を煮込むと煮汁が鮮やかな紫色に染まりますため、そのように命名されたのでしょう。ですが、滋養も豊かですし、南方には数々の名物料理が存在いたします。……よろしければ、解析をどうぞ」
行商人がその野菜を差し出すと、ドラゴンも「うむ」と尻尾をのばした。
外見は、野球のボールぐらいの大きさをしたまん丸の形状である。表皮はほとんど真っ黒に見えるぐらい、深い紫色をしていた。
「なるほど、これは……サクヤの世界のナスと似た成分であるようだ。そして、カリウムやビタミンKといった滋養は、ナスをも上回るようであるな」
「カリウム……?」と行商人が小首を傾げると、ドラゴンは楽しげに目を細めた。
「それは、サクヤの世界における栄養素の呼称である。カリウムは、体液の浸透圧調整に優れた滋養であるな」
「なるほど。こちらの『紫の悪夢』は、商品たりえますでしょうか?」
「滋養のほどに、不足はない。あとは味次第であろうな」
「承知いたしました。いずれの品もひと品ずつ味見用として献上いたしますので、のちのちお味をお確かめください」
そう言って、行商人は『紫の悪夢』なる品を『祝福の閨』に置いた。
「では次なるは、『オークの棍棒』です」
「ふむ。そちらも、見知らぬ品であるな」
「はい。南方区域はきわめて温暖でありますため、独自の生態系が形成されているのでしょう」
そのように語る行商人の手に握られているのは、まさしく棍棒のように禍々しい姿をした何かである。長さは三十センチ弱もあり、ニンジンのような円錐の形状で、もっとも太い部分は十センチ以上も幅がある。そして、褐色の表皮にはドリアンのように細かい棘がびっしりと生えていた。
「ふむ……こちらも、滋養のほどは申し分もないが……我には覚えのない組み合わせで構成されているようだ。これこそ、味を確認する他あるまいな」
「はい。表皮はきわめて頑丈ですが、鉈などで断ち割ることが可能です」
そちらの品も『祝福の閨』に置き、行商人は新たな品を取り出した。
次なる品も、野球のボールのような大きさと形状をしている。ただし表皮には細かい筋がびっしりと入っており、一見では白い糸玉のようであった。
「こちらは、『アリアドネの情愛』となります。南方区域でこよなく好まれている、甘みと酸味の強い果実となります」
「ふむ。果実であるか」と、ドラゴンはルウのほうに向きなおる。
ルウはぴこぴこと尻尾を振りつつ、厳粛な面持ちで一礼した。
「私もそちらの果実に関しては、名前しか存じあげません。ですが、きわめて美味なる果実であると聞き及んでおります」
「左様であるか。成分は……サクヤの世界で言うところの、柑橘系に属するようであるな」
「ほうほう。それはお菓子なんかにも活用できそうだねぇ」
「そしてこちらは、先日の祝祭にてお目にかけた『夜のしずく』となります。サクヤ殿も豆そのものの味見はされていないかと思いますので、よろしければどうぞ」
と、黒くてしなびた豆粒が取り出される。祝祭の場では、細かく挽かれて乳酒に添加されていたのだ。ただその時点で、好ましい味わいであることは察することができていた。
「こちらではコメコ族のお二方も口にする機会が多いと聞きましたので、集落長殿が商品に適していないと判じた『雷鳥の残り香』は持参いたしませんでした。最後の品は、蜂蜜酒となります」
「ほう、蜂蜜酒であるか。それは中原でも、口にする機会があったな」
と、ドラゴンはまたルウのほうに視線を飛ばす。
ルウは凛々しい面持ちのまま、もじもじと身を揺すっていた。
「蜂蜜酒は、私も好んで口にしておりました。南方区域の蜂蜜酒というものは、ひときわ甘みが強くて濃厚な味わいであると聞き及びます」
「左様であるか。まあ、我々がこの地で蜂蜜酒を楽しむには、外界から買いつけるしかないのであろうな」
ドラゴンは楽しげに目を細めてから、行商人に向きなおった。
「味の知れぬ『オークの棍棒』を除く四品は、おそらく買いつける甲斐があろう。あとは、我々が十分な対価を準備できるか否かであるな」
「はい。本格的な取り引きは次回以降に持ち越すとして、まずはお味を確かめていただきたく思います」
「うむ。ではまず、サクヤにひと品ずつ味見をしてもらい――」
そのとき、再び『ツウシンツウシン』という無機質で可愛らしい声が響き渡る。
ドラゴンは小首を傾げつつ、丸い小石を取り出した。
「ロキよ、先刻はご苦労であったな。このたびは、如何なる用向きであろうか?」
『……ヨンメイノボウケンシャ、ライホウ。リュウオウ、メンカイ、モトメテイル』
とたんに、ケイが「なんだよー!」と地団駄を踏んだ。
「どいつもこいつも、メシ時を狙って来るんじゃねーよ! いつまで経っても、メシが食えねーじゃねーか!」
「うむ。今日はまさしく、千客万来であるな。とりあえず我が迎えに出向くので、サクヤは味見をよろしく願いたい」
そんな風に言ってから、ドラゴンは陽菜に向きなおった。
「ヒナはあれなる者たちと、初めての対面であったな。何も心配はいらぬので、心安らかに待つがいいぞ」
ヒナは「うん」と、はにかんだ。かの冒険者たちは月イチペースで顔を見せていたのだが、陽菜がキャンプに参加するようになってからはぷっつりと音信が途絶えていたのだ。今回の来訪は、二ヶ月以上ぶりになるはずであった。
「横から失礼いたします。皆様方はそれなる冒険者の方々から、北方に面する区域の食材を献上されているというお話でしたね」
行商人の問いかけに、ドラゴンは「うむ」と鷹揚に応じる。
「それなる冒険者たちは、時おりこうしてこの山を訪れている。其方も冒険者を忌避する立場ではなかろうな?」
「はい。冒険者の方々と商いをする機会はありませんでしたので、良きにつけ悪しきにつけ一切の縁を持たぬ身となります」
「では、くれぐれも諍いなどは起こさぬように願いたい。……まあ、其方の側に心配はなかろうがな」
そうしてドラゴンは再び飛び去っていき、咲弥は味見を開始することにした。
まず『夜のしずく』なる黒い豆は、まったくもって罪のない味わいである。乳酒のトッピングで感じた通り、小豆や黒豆を連想させる香ばしい風味であり、砂糖を加えるまでもなく甘い味がする。保存のために乾物に仕立てられているが、煮込んだり細かく挽いたりすれば、いくらでも活用できるはずであった。
蜂蜜酒はマグカップにひと口分だけ注いでもらい、甘党のルウと半分ずついただくことにする。そちらは蜂蜜そのものの強い甘みと風味に、酒ならではの酸味も感じられた。そのまま口にするにはちょっと濃厚すぎる味わいであるが、水で割れば美味しくいただくことができるだろう。
そしてお次は、『アリアドネの情愛』なる果実だ。
行商人のアドバイスに従って、まずは表皮の白い筋をほぐすと、まさしく糸玉のようにするするとほどけていく。その末に現れたのは、瑞々しい朱色の果実であった。
それは八つに切り分けて、他なるメンバーたちとも共有する。確かにこちらは柑橘系の果実であり、甘みも酸味もそれなり以上であった。
「おいしいけど、すっぱいねー! ひなはちょっと、口の中が痛くなっちゃうかも!」
「うんうん。これはこのまま食べるよりも、お菓子の材料にしたほうが無難かなぁ」
「はい。あとは果汁をしぼった上で、飲み物に加えるのも一般的であるかと思われます」
行商人は沈着なる眼差しで、咲弥たちの挙動を見守っている。
そうして残るふた品の味見をするために焚火台と薪の準備をしていると、四名の冒険者を背中に乗せたドラゴンが現れた。
「ああもう、どうしてこの山だけ、こんな大雨なのよ! 余計な魔力を使うことになっちゃったじゃない!」
と、洞穴に足を踏み入れるなり、魔法使いのダークエルフたるウィツィが不満の声をあげる。褐色の肌に白銀の髪と瞳をした、色っぽいながらも威勢のいい女性だ。オフショルダーの黒いドレスめいた衣装にとんがり帽子というハロウィンめいた格好も含めて、相変わらずのようであった。
重厚なる甲冑に身を包んだ若き戦士のミシュコも、金髪碧眼で装飾の多い修道服を纏った僧侶の少女トナも、小柄でがっしりとした体躯で立派な髭をたくわえた射手のテクトリも、みんな壮健のようである。ただし、彼らが来訪する際には転移の魔法でけっこうな魔力を消耗するため、到着時にはいくぶんぐったりしているのが通例であった。
「やあやあ、みなさんおひさしぶりだねぇ。しばらく音沙汰がなかったんで心配してたんだけど、元気そうで何よりだよぉ」
咲弥が焚火台のセッティングをしながら笑いかけると、トナはもじもじとはにかみ、ミシュコは照れ臭そうな笑みを浮かべる。そして、ウィツィとテクトリはそろって仏頂面というのが、毎度のパターンであった。
ただ今回は陽菜にギューに行商人と、彼らにとって初対面となる相手が三名も存在する。それらをうろんげに見回してから、テクトリがぶっきらぼうに言い捨てた。
「少し見ぬ間に、ずいぶん新顔が増えているな。そちらの幼子は……もしや、お前と同郷の人間族か?」
「うん。こちらは田辺陽菜ちゃんだよぉ。よかったら、陽菜ちゃんって呼んであげてねぇ」
「は、はじめまして。田辺ひなです。どうぞよろしくお願いします」
とたんに、トナはぱあっと顔を輝かせ、ミシュコは感心したように目を丸くする。そしてウィツィは探るような目つきになり、テクトリは仏頂面のまま目を細めた。
「初めまして。わたしは、トナと申します。まだ幼いのに、とても礼儀正しいのですね」
「ああ。市井の娘とは思えないほどだな。どうもサクヤの暮らす地では、教育の度合いが高いようだ」
「ふん。そっちの小娘は、礼儀もへったくれもわきまえてないけどね」
トナたちが騒ぐ中、テクトリはひとり無言である。しかし、四対の視線に囲まれていることに変わりはないので、陽菜は可愛らしく頬を染めていた。
「それでこっちは、このお山で生まれた魔族のギューちゃんだよぉ」
咲弥の言葉に、ギューは「ぎゅう」と鳴く。ただその左右で色の異なる瞳は、いくぶん用心深そうに光っていた。ギューは相手の心情を鋭敏に感知することができるので、きっと冒険者たちの警戒心がそのまま反映されているのだろう。
「……なんだか得体の知れない魔族ね。その姿からして、竜族の血筋なのかしら?」
「しかし、竜族の割には魔力が少なすぎるんじゃないか?」
ウィツィとミシュコがそんな言葉を交わしていると、ドラゴンが泰然と声をあげた。
「ギューは世界の融合の影響を受けているため、いささか判別のつかない部分が多いのだ。なおかつ、知性が未熟であるために、余分の魔力は我が封印させていただいた。何も危険はないので、そのように心置きを願いたい」
「ふん。まあ、このていどの魔力であれば、さしたる悪さもできまいな」
テクトリの言葉に、残る三名もうんうんとうなずく。すると彼らの警戒心が解除されたのを察知してか、ギューもいつも通りの明るい眼差しを取り戻しつつ「ぎゅうっ」と鳴いた。
基本的に、ドラゴンは嘘をついていない。ただ、封印されている魔力の量が膨大であることと、こちらの世界の古代の儀式によって誕生したことを隠しているのみだ。その二点さえ包み隠せば、余計な好奇心や警戒心を刺激せずに済むようであった。
「……それでそっちは、砂の民の行商人か」
と、ミシュコがいくぶんうろんげな表情で行商人のほうを振り返る。
行商人が無言で一礼すると、ウィツィが「ふふん」と鼻を鳴らした。
「そういえば、魔獣のひそむ砂漠で暮らす砂の民は下賤の身と見なすっていう風潮があるわよね。どこかの誰かさんはコメコ族とおんなじように、砂の民を見下していたのじゃないかしら」
「ば、馬鹿なこと言うなよ! 誰もそんなこと言ってないだろ! ……ほ、本当だからな?」
ミシュコは慌てふためきながら、咲弥のほうに向きなおってくる。
咲弥は、「あはは」と笑ってみせた。
「あたしは、ミシュコくんを信じてるよぉ。こちらの行商人さんも誠実なお人柄だから、きっと仲良くできるさぁ」
もともと九名のキャンプメンバーに行商人と冒険者が加わって、こちらの洞穴も大変な人口密度である。しかし、『祝福の閨』には新たな食材も山積みにされて、咲弥としては熱意に拍車を掛けられるばかりであった。




