Ⅵ 破壊 -7
疾走する馬に、昂はただ、しがみついていた。
連れて帰ると約束したのに……
舌を噛まないように喰いしばっていた歯に、昂は更に力を込めた。
彩を残し、燦に見送られて出たのが、随分昔のようだ。実際には一週間とたっていないのに、昂は長い時がたってしまったように感じた。
早く会わせてやりたい。
早く会いたい。
昂は馬の背中の上で、幾度戻ろうかと思ったか分からない。
だが、ドナ爺の言うように、こっちの厄介ごとに、さっさと片を付けた方がいいと思った。
俺がこの国の公子だって?
敵はしつこく昂を追ってくる。
昂が乗っている馬は、相当脚が速いらしく、敵は弓の届く射程範囲には迫れないようであったが、それでもあきらめて馬影が見えなくなることはなかった。
不意に、昂はおかしくてたまらない気持ちになった。笑い事ではないのに、笑いがこみ上げてくる。
あいつらは俺が大公になるかもしれないからと、狙っているわけだ。
急に笑い出した昂に驚いたのか、馬のスピードが少し落ちた。
勘違いも甚だしい。いい迷惑だ。
昂は笑いを収めると、ピタリと馬の背中に自分を添わせ、念じるように囁いた。
「頼むぞ」
それにこたえるかのように、馬はまたスピードが上がっていった。
昂はそれ以後、何の指示もしなかった。
馬は昂をどこに連れて行けばいいか、分かっているようだった。
「行ったか……」
追っていた馬影が見えなくなったのを確認すると、昂を襲った騎馬の一人がそう呟いた。おもむろに胸元から何かを取り出し、左右の味方である騎馬に投げつけた。
その速さは尋常ではなく、相手が何事か気が付く前に、その喉には小刀が突き立っていた。
左右の馬上の人間が、同時に馬から滑り落ちた。その目は虚空を見つめ、絶命しているのは明らかだった。騎手を失った馬は、走るのを止め、おぼつかない足取りでぐるぐると辺りを歩き始めた。
そこに後続の騎馬隊が突っ込んできた。
仲間が突然斃れているさまに、騎馬隊は事態を把握できなかった。標的はただ全力で逃げているだけに見えた。反撃する様子はなかった。
仲間の死体と、彷徨う馬にぶつかりそうになり、騎馬たちは次々と棹立ちになった。馬上の人間がなんとかこらえて、馬を元に戻した時、横から斬撃に襲われた。
気が付いた時には、自分の身体も血を吹いていた。何とか敵を確認しようと、絶命する前にその者が見たのは、味方であるはずの自分と同じラウル公の兵であった。
一人残った兵士は、血の付いた刀を振って血を払うと、鞘に納めた。
近くにいた馬の手綱を、騎乗したまま取ると、その一頭だけ連れて、元の道に戻った。
少し戻ると、壊れた馬車の近くに座り込んでいる老人に近づいた。
老人はだまって、兵士を見上げた。
兵士は馬から下りると、引いてきた馬の手綱を老人に手渡した。
「ありがとう、爺さん。あいつにいい馬を貸してくれて」
気安いと言っていいほどの口ぶりに、老人は怪訝な顔で兵士を見つめた。
「お前さん……」
老人は息を呑んだが、兵士は何も気が付かないかのように、立ち上がった。
「その馬で、主人のところに帰ってよ」
そう言って歩き出した兵士に、老人はハッと我に返ったように、叫んだ。
「待て!ナルをどうする気だ!」
兵士は、少し離れたところに立ち尽くしている奏に向かって歩いていた。
奏の先にはユースティスが、相変わらず馬の上で呆然としていた。
奏はユースティスに向かって、走り出した。
ユースティスは動かない。
兵士はあっさり奏に追いつくと、その身体をひょいっと抱え上げた。
「逃げなくてもいいじゃない。傷つくなぁ」
奏は兵士を睨みつけた。
「だめだよ。ちゃんと、昂と一緒に神殿に行かなきゃ」
奏は手を伸ばすと、兵士の覆面をはぎ取った。
「クロウ」
ユースティスがやっと一言発した。だがその声は、やはりどこかぼんやりしていた。
クロウ……空は、仕方なさそうにユースティスに目を向けた。
「父親に一喝されて、すっかりしょげてしまったんですか?こんなところまで来て、昂に会ったのに、殺そうとも、助けようともしない。あんた、一体何がしたい?」
それだけ言うと、空は暴れる奏を抱えたまま、乗っていた馬のところに戻った。
奏を馬上に押し上げ、自分も後ろに跨る。
そうすると、ユースティスにもドナ爺にも目をくれず、馬に鞭を入れると土煙を残して去っていった。




