Ⅵ 破壊 -6
ピラティウス山の麓にある大神殿には、ドナ爺が送って行ってくれるらしい。
桂妃庭に飛び込んだあくる日、昂と奏が目を覚ますと、もう馬車が用意してあった。
奏は二人の間にいた。御者の席に三人がぎゅうぎゅうで座り、後ろの座席は空っぽだ。
おかしな感じだが、昂はなんとなく、馬車の中にいたくなかった。ドム爺の隣に乗り込むと、奏は誰かが何か言う前に、ドム爺と昂の間に、小さな体を押し込んだ。
昂は頭を掻いた。
そりゃ、奏だって、一人で後ろにはいたくないよな。
ドム爺は、ちろりと二人を見たが、何も言わずに出発の合図を馬に送った。
「アラン様って、どんな人?」
しばらくして、昂はドム爺に話しかけた。
奏はもちろん、ドム爺もおしゃべりな性質ではない。昂が話を振らないと、沈黙のまま大神殿まで行きそうだった。
ドム爺はまたちらりと昂の顔を見た。しばらく黙り込んだままだったので、答える気がないのかと思ったとき、思いのほか明るい声で爺が答えた。
「やんちゃ坊主じゃった。それが、大人になって立派な大公様になられた」
懐かしそうにドナ爺がしゃべる。
アランの昔のことなど訊いてはいないのに、この老人にとっては、アラン様は昔のやんちゃ坊主なのだ。
「爺さんは、アラン様を直接知っているの?」
ドナ爺は少し迷ったかのように、黙ったが、すぐに気を取り直したように口を開けた。
「儂は、アラン様の馬番だったのさ」
その声には、彼がそのことに誇りを持っていることが感じられた。
「ふーん」
しかし昂は、悪いがドナ爺の過去の栄光に興味があったわけではない。それどころか、今のアランを知ることが出来なくて、残念なくらいだ。
「ねぇ、俺って、アラン様に似てるの?」
昂が何の前触れもなく、あっさりと尋ねていた。ドナ爺は思わず、昂の顔を見た。
まるで言わされているかのように、呟いた。
「……お前は、アラン様が少年の頃にそっくりだ」
「ふーん」
昂は他人事のように、興味なさそうに相槌を打った。
「驚かないのか?いや、驚かなかったのか?」
桂宮に告げられた時に。
ドナ爺は、今度はしっかり前を向いたまま、昂に尋ねた。
昂も前を向いたまま、質問には答えず、笑って言った。
「それでも爺さんは、俺への態度を変えないね」
昂がアランの息子だと思っているのなら、態度も公子のそれへと変わっているだろう。だが、ドナ爺の昂への態度も言葉遣いも、出会った時と変わらない。
「変えてほしいのか?」
ドナ爺が固い声で言った。その声に、昂は老人の迷いを感じた。昂にどう接するべきか、彼も悩んだのかもしれない。それでも、態度を改めずにいてくれたことが嬉しかった。
「いんや」
昂は大げさなくらい、首を横にぶんぶん振った。
「それが答えだよ。それに、俺は驚かなかった。アラン様の息子じゃないからね。でも、まぁ、納得はできた」
ドナが昂の顔を見て驚いた理由。その顔には逆らえないと言った理由。
誰か分からない連中から、ちょっかいを出される理由。
恐らくその理由は一緒だ。
ドナ爺は少し考えてから、そうか、と頷いた。
昂は横に座っている奏を見た。何を考えているのか、ジッと前だけを見ている。
耳が聞こえないのだから、横並びに話されても、何も気が付かないだろう。頭越しならなおさらだ。
昂が頭を撫でようと、そっと奏の頭に触れると、奏は過剰なほどビクッとした。今まで隣に誰かいるということを、忘れていたかのようだ。
はっと昂を見上げた目が、恐怖で引きつっていた。
「どうし……」
言いかけたところで、ドナ爺が手綱を引いた。
ヒュンッと空を切り裂く音がして、昂たちの目の前を矢が横切っていった。
ドナ爺が気が付かず、馬をそのまま走らせていたら、矢は昂の頭に命中していた。
あの矢には、殺気を感じた。こけおどしではない。
「頭を低くして、しがみついておけ」
ドナ爺は低くそう言うと、手綱を繰った。
馬が飛ぶように、走り出した。
ガタガタと車輪を鳴らしながら、馬車は疾走する。昂は奏を抱えて、馬車にしがみついていたが、今にも弾き飛ばされそうだった。
しかしドナ爺の馬がいくら疾くても、ドナ爺の手綱と鞭遣いがいくら巧みでも、騎乗した馬には敵わない。
最初は驚いて遅れをとった敵も、見る間に距離を詰めてきた。
ドナ爺は急に馬車を止めると、馬車と馬を繋いでいる綱を切った。
「昂、この馬に乗っていけ。これは人も乗せられる。ひたすらピラティウス山に向かって行けばいい!」
昂は馬とドナ爺を見比べた。
「お前さんなら乗れる。大丈夫だ。しがみついていたら、コツはつかめる。ナルも一緒にのせても、何とかいけるだろう」
今まで気が付かなかったが、馬には鞍が、ちゃんとつけてあった。
昂はきっぱりと首を横に振った。
「それじゃあ、爺さんはどうなる?」
敵が誰か分からないが、捕まってただで済むとは思えない。
ドナ爺は、鼻で笑った。
「いたいけな爺は、お前に脅されて、手伝わされたと、泣いておくわ。演技には自信がある。心配するな」
昂は逡巡したが、背後に迫る敵を見た。ここで皆で捕まれば、また一からだ。それに、この機を逃せば、アランに会うことは難しいかもしれない。
昂は奏を連れて、馬車を飛び降りた。
片足をかけて馬に上る。二度目だからか、すんなりと跨がれた。奏も上げようと、下に手を伸ばした。
しかし奏は動かなかった。
昂の方を見ていなかったので、昂が手を伸ばしたのにも気が付かなかった。
彼は少し離れたところに佇む一騎、その馬上の人に目を奪われていた。
「ユースティス?」
昂は奏が見ている人物を見て呟いた。遠いのではっきりは見えない。だが、その人はユースティスに見えた。途方に暮れた子どものように、馬と共に佇んでいる。
突然、奏はその一騎の方へ駆け出した。
「おい、奏!」
昂は慌てて呼び止めるが、奏には聞こえない。
敵の方へ走っていく奏に、だが敵は見えないかのように見事に無視して、昂の方に迫って来た。
「敵の狙いはお前だ!早く行って、アラン様にお会いしろ。行け!」
ドナ爺が叫んだ。
昂が迷っている間に、その声に押されるように馬が走り出した。




