Ⅴ 神の血 -27
「ッ」
起き上がろうとして、信は頭を押さえた。
「参ったな」
視界はまだぼんやりして、胸はむかむかする。空に昏倒させられたのだろうが、どうされたのかちっとも分からなかった。
これほど差があるとは。
自分は歳をとったし、空の俊敏さは子どもの頃から群を抜いていた。村を出てからは、腕利きの隠密としてその名を馳せていたのは、村に戻った信も知っている。
だが、何とかなると思っていた。
甘く見ていたのは自分の衰えか、相手の力量か。どちらにしろ、自分は相手にならなかった。
「あ、気が付いた?」
妙に呑気な声が、少し離れたところで聞こえた。信が声の方を向くと、少年のような若者が、興味深そうに信を見ていた。
「誰だ?」
再び襲って来た頭痛に顔をしかめながら、信は相手の正体を確かめようと、身体を起こそうとした。
「あ、だめだよ、急に起きたら」
若者がさっと近づいて来た。信がとっさに身を守ろうと手を上げると、額からズルッと落ちたものがあった。
濡れた布だ。額を冷やしてくれていたらしい。
周りを窺うと、どこかの小屋のようだ。この若者が運び込んで、介抱してくれたのだろう。
「あんた、昂の父親だろ?」
相手は信の様子に構わず、顔を覗きこんできた。
「お前は……ガザの者か?」
信は相手を検分するように、目を眇めた。その身のこなしは、恐らく兵士か隠密だろう。
若者は屈託なく笑った。
「察しの通り、俺はガザの隠密。隼っていう。あんたの息子とも、一時一緒にいたよ」
「そりゃ世話になった」
信は警戒を解かずに応じた。今は誰の所で働いているかが問題だ。空にやられた自分を、すぐに回収できたということは、空の近くにいた可能性が高い。
「いっとき、というからには、今一緒にいるわけではないということだろう?今はこの国で何をしていた?」
詰問口調で言う信に、隼の口が「げっ」という形に歪んだ。
「……言い方が空にそっくり」
「空のところにいるのか?」
「今はね。空は俺の育ての親みたいなもんだから、逆らえないの。あの人、昂が大公の実の息子っていうのを利用して、何かしようとしてるよ」
あっさりと暴露した隼の言葉に、信は首をひねった。
「空が?昂を使って?」
納得がいかない顔で、考え込んでいる。
「何?空はそんなことしないとか思ってる?あの人は、なんでもするよ。自分の故郷の、昔馴染みの子どもだって利用するよ」
「ああ、そうだろうが」
煮え切らない信に、隼は次第にイライラしはじめる。
「じゃあ、何だよ。昂が蘭と大公の間の子だって、あんたも分かってるだろ?」
信は真顔で隼を見た。
「いや、俺の子だ」
隼は嘲るように信を見て、鼻で笑った。
「は?そこから?どう見たって、昂は大公の子だろうよ。あの金髪といい、顔だって少年の頃の大公とそっくりだって、あんた以外の皆が分かってるよ」
そう言われても、信は動じなかった。
「この国やガザでは、そうかもしれん。だが針森では、正真正銘、昂は俺の子だ。そして、昂もそう思っているということだ」
「だけど、いくら昂がそう思っていたって」
今度は隼が納得のいかない顔をした。この人が親だと思い込んだところで、血が変わるわけではない。
「こちらも理屈じゃない」
信は諦めたように言った。所詮、外の人間には分からない。
「針森では血は関係ない。そこに存在しているということが全てだ」
昂は信の息子として存在している。それ以上でもそれ以下でも、それ以外でもない。
「空もそれは分かっているはずだが」
再び考え込む信を、隼はじっと見ていた。
まだ心の底から納得がいったわけではないが、ずっと疑問に思っていたことの糸口が見えた気がした。
凛王妃、空、昂たちの不思議なつながり。凛などは、何十年も針森の地を踏んではいないというのに、心があの地でつながっている気がする。
「でも、空は何かこの国にしようとしてるよ。俺は凛様に言われて、それを止めに来た」
隼がそう言うと、考えに沈んでいた信がパッと顔を上げた。
「凛か!」
その呼び方に、隼は意地悪な気分になった。空が話してくれた昔話を思い出した。
「そういえば、あんた凛様を振ったんだってな」
そう言われて、信は面食らった。
「何だって?」
隼は気を取り直したのか、笑いながら首を振った。
「まぁ、いいや。俺の主人は凛様だよ。空が思っているより、凛様は空のことを想っている。昂にも空のことを頼んでいたよ。空は死ぬつもりだから、助けてやってくれってね。ちょっとみっともないくらいだった」
隼は口を尖らせた。
「空はいつも独りだと、自分では思ってるんだろうけどね、意外に想われてるんだよね」
その言い方に、信は少し笑った。
「あいつは自意識過剰だからな。独りを気取りたいんだろうよ」
隼は鼻を鳴らした。それが少し水っぽい音だったが、信は気が付かないふりをした。
空が何をしようとしているか。それを突き止め、阻止しないといけない。
昂がこの国でどうにかなるわけがないって、信も知っているだろう?
信は俺の望みを知っているはずだよ。
空の望み……
それは……
「俺、絶対に王宮を許さないよ」
少年空の言い放った怒りの言葉が、時を越えて信に突き刺さった。
「空はこの国を焼こうとしているのかもしれない」
信の呟きに、隼は目を見張った。
「公国を?どうやって?」
信は打ちのめされたように、首を横に振った。




