Ⅴ 神の血 -24
奏を背負って館を出ると、ユースティスの館の老人が、木立に隠れて待っていた。馬は大人しく繋がれている。昂たちが近づくと、老人は黙って腰を上げた。
奏を二人がかりで馬上に押し上げ、老人が後ろに跨った。奏は戸惑い、馬も驚いたようだが、少し歩かせるとどちらも落ち着いたようだった。
そのうち奏は馬の背中の揺れが気持ちいいのか、寝息を立て始めた。
初めての馬の背でよく眠れるものだと、老人は呆れていたが、その口元は笑っていた。
「公舎に連れて行ってくれないか?」
元来た道に馬を向けた老人に、馬の横についていた昂は嘆願するように言った。
「この子の双子の姉が待っているんだ」
老人の顔が険しくなり、そのまま答えない。
昂がしびれを切らし、なおも言い募ろうとした時、老人が口を開いた。
「儂はユースティス様に仕えている者だ。主人のものを勝手にするわけにはいかん」
渋い口調だ。老人の本意でないことは明らかだった。だが、その立場というものを覆すことが、並々ならないことだと、昂はこの旅の中で学んでいた。
人を一番縛ってしまうものだ。
「奏は真っ暗な場所に閉じ込められていた。ラウルっていうのはそういうことをする奴だろう?そんなところに奏を置いていけないよ。俺のせいで、奏は人狩りに捕まった。絶対にもうひどい目にあわせたくない」
老人は何度か目をしばたかせると、自分の前で眠る少年を見た。
「そうか、ナルはソウというのか」
それから奏の頭を撫でた。
「この子の名前が分からなくてな。なんせ口もきけないし、字も読めない。本人には聞こえんでも、呼び名は必要だと言ったのはユースティス様だ。正義感が強くて、お優しい方だよ。ナルも良く働いていた。耳が聞こえないのに、よく理解できるなと皆が感心するほど、人を見てすぐに仕事を覚えていた。皆に可愛がられ、少なくともユースティス様の館では、館の一員として大事にされていた」
昂はユースティスの顔を思い出した。無邪気に彩の顔に驚き、昂の敵意に戸惑っていた。
確かにあの男は奏を虐げなかったかもしれない。だが……
「だけど、ユースティスの父親のラウルは、奏を虐げるのだろう?息子を傷つけるために。そして、ユースティスはそれを止められない」
昂が冷たいともいえる声でそう言うと、老人は黙った。
それから、ため息交じりで言った。
「そうだな、ユースティス様は、忌み嫌いながらも、結局ラウル様をはねつけられない」
「爺さん!頼む!」
昂は馬の手綱を取り上げようとした。馬が驚いて体を振ろうとするのを、老人は一瞬で押さえ宥めた。
「馬鹿者。ナルが落ちてしまうだろうが」
老人は静かに昂を諫めると、続けてこう言った。
「お前がそうしたいのなら、する方法が一つある」
「なんだよ?」
昂が素直に目を輝かす。老人はそれを一瞥すると、厳かに言った。
「儂を殺して、馬を奪えばよい」
途端に、昂の顔が困ったようにくしゃくしゃになる。
「そんなことできるかよ」
あっさりしっぽを巻いた昂に、老人は声を上げて笑った。
「甘いな。そんな覚悟じゃ、誰も守れん」
「殺せれば、守れるわけでもないだろ」
弱々しく言う昂に、老人はなぜか嬉しそうな顔をした。
「分かった、白亜宮に連れて行ってやる。その代わり、儂ももう帰れん。だから儂も匿ってもらわなきゃならん。まず、頼れる人のところに行く。それでいいか?」
突然の話の転換に昂は混乱しながらも、首を縦に振った。どうして、老人は主人を裏切る道に鞍替えしたのか、自分の言動の何が老人にそうさせたのか、昂は皆目見当がつかなかった。
だが、とりあえず公舎に連れて行ってくれそうなので、昂はあれこれ聞かないことにした。
陽はもう落ちかけていた。会食は終わっただろうか。
自分を見送ってくれた燦の顔を思い出しながら、昂は足を速めた。




