Ⅴ 神の血 -23
ラウル・サボンの館の裏口から少し離れたところに、館の庭園を管理する小屋がある。小屋の前には平板を渡しただけのベンチがあり、そこに庭師が足を投げ出して座っていた。ぼおっと遠くを見つめ、煙草をくゆらせている。こちらも、主人が不在とあって、気が緩んでいるのだろう。
そこからは館の裏口がちょうど見えた。突然、裏口から小さな子供を背負った少年が出てきて、林の中に消えていった。
馬の微かな嘶きと、それを宥める声が遠くに聞こえ、その音が次第に小さくなり、そのうち聞こえなくなった。
庭師はほっと息をつくと、立ち上がった。
「うまくいっているのか、空」
急に声をかけられて、庭師姿の男は珍しく動揺した。近づいてくる気配に気が付かないなんて、とんだ失態だ。
そんな失敗を前にしたのはいつだったか。庭師に扮していた空が振り返ると、同郷の男が腰に手を当てて睨んでいた。
空ははぁっとため息をつく。
この男なら、自分が気が付かなかったのも仕方ないかもしれない。
「なんで、こんなところにいるの、信?」
空の言葉に、信の眉がピクリと動いた。
「お前がここにいるからだろう。公国嫌いのお前が、この国にいて、何か企んでいる」
企んでいる、か。
信にそれを言われると、押し殺してきた怒りが、不意に吹き出してくる。
「それを止めに来たって?昔、この国に仕えた身として?」
せせら笑うように言う空に、信の表情が消えた。
「この国のことは知らん。分かっているだろう?お前が、俺の息子にちょっかいを出そうとしているからだよ」
信は、昂たちが消えた林に目をやった。
空は指に挟んでいた煙草をもうひと吸いすると、投げ捨てた。
「ちょっかい?どうやって?昂がこの国でどうにかなるわけがないって、信は知っているだろう?」
空がそう言うと、信は無表情なままで頷いた。
「だからお前が何を考えているか分からん」
空は嬉しそうに鼻を鳴らした。それから、空も林の方を見る。
「息子を追わなくていいの?心配で来たんでしょ?」
信は空の目を見た。空の目は澄んでいた。迷っていない者の目だ。
「昂は自分でどうにかできる。俺はお前の真意が聞きたい」
空は微笑んだ。その微笑みがあまりにも静かで、信は驚いた。
今までのやり取りを考えると、唐突ともいえる微笑み。不意を突かれて、信は言葉を失った。何もかも悟りきったような、凪いだ笑み。それでいて、一瞬で壊れてしまいそうな、儚い微笑。
そんな微笑みを、信は昔見たことがあった。
蘭の、あの時の、微笑み。
「信は俺の望みを知っているはずだよ」
それは一瞬だった。
痛みを感じたかどうかも分からなかった。
信の意識は暗闇に落ちていった。




