Ⅴ 神の血 -18
「ナルを?」
応対に出た侍女は小首を傾げて、ガザ王女のお付きの者だという若い男を見た。
美しい金髪を綺麗になでつけ、身なりは確かに立派だ。
「ユースティス様との間で、そのナルという少年の話が出て、王女様がぜひ会いたいとおっしゃられたので、わたしが迎えに遣わされたんです」
困ったように微笑みかける男の笑みは魅力的で、侍女は赤くなった。
ナルはターシャ様にも気に入られている。ありそうな話ではあった。
「どうぞ、中でお待ちください」
侍女は男を中に入れると、ナルを探しに、館をまわり始めた。
「ねぇ、ナル見なかった?」
他の使用人に会うたびに、ナルの消息を訊くが、皆の返事は曖昧だった。
「朝方、奥に行くのを見たけどねぇ。でもそれから見てないなぁ」
「ターシャ様を案内していたのは見たけど……」
侍女は困って、焦りだした。何より、ガザ国王女のお召しだ。どこにいったか分からないでは、お怒りになられるかもしれない。
探し回って、とうとう館の裏まで出てしまった侍女は、厩番の爺に行き当たった。
一応尋ねてみると、ああ、と爺は頷いた。
「ナル坊なら、ラウル様に呼ばれて、あっちの館に行ったで」
「ラウル様?」
後ろで声がしたので、侍女は驚いた。
振り返ると、客人の男が立っていた。
「ちょっと!お待ちくださいと申しましたのに!」
侍女が焦って男に詰め寄った。ガザ国王女の従者だと本人が言うだけの人物に、館の中を歩き回られたと知られれば、咎められてしまう。
だが、男は侍女に構わず厩番に詰め寄った。
「爺さん、それ本当か?ラウル様っていうのは、誰なんだ?」
厩番は驚いて、男を見上げた。
そのまま目を見開き、口をあんぐり開けた。
「あんたぁ」
目をそこから引き離すことができないかのように、吸い寄せられるように男を見ている。
「爺さん!」
何も言わない厩番に、男は焦れて叫んだ。
「あ、ああ……」
厩番は夢から醒めたように、もう一度男を見ると、「ちょっと待て」と馬を引き出してきた。
「連れて行ってやる。乗りなされ」
急な展開に男は驚いたようだが、厩番が頷いたので、素直に従った。馬には鞍が付けてあった。
「ちょっと、何勝手に」
焦ったのは侍女だ。見知らぬ男を館に引き入れてしまっただけでなく、厩番は馬を勝手に引き出してしまった。
何とか止めようとする侍女を、厩番は押しとどめた。爺のくせに意外に力が強く、侍女は驚いて、うろたえる。
「この顔の方に逆らっちゃならん」
侍女が意味が分からずポカンとしている間に、厩番と馬は遠くに行ってしまった。
「なんで俺の手助けを?」
昂は当惑顔で、馬を引く老人に話しかけた。
老人とは初対面だ。どんなに記憶を辿ってみても、老人の顔には見覚えがなかった。
老人はチラリと昂を見上げると、また前を見た。
「お前さんが分からないんなら、儂の勘違いかもしれん」
ますます分からない。
しかも老人は、それ以上何も言おうとしなかった。
そのまま黙って二人は進み続けた。老人も考え込んでいるようである。
「そのラウル様ってのは、どういう人なんだ?」
昂は老人の真意を聞き出すことを諦め、奏の救出に集中することにした。
「ラウル様はユースティス様のお父上だ。あまり仲がいい親子ではないがの。それでも本妻では唯一のご子息だし、ユースティス様を後継ぎになさるだろう……ナルはな、ラウル様がユースティス様の為に、どこからか買ってこられた。ユースティス様は人買いがお嫌いで、断るつもりだったらしい。まぁ、それを知っていて、嫌がらせにラウル様も買ってきたんだろうが。ところが、ユースティス様はナルを気に入ってな、連れて帰った」
老人の声が沈んでいった。
「ユースティス様がナルを気に入ったのを見て、ラウル様はご満悦だったよ。毛嫌いしている自分からの贈り物を、息子がまんまと気に入ったのを見てね」
その声には棘も含まれていた。どうやら、この老人はラウル様が嫌いらしい。
「取り上げた時が楽しみだと、おっしゃっていた」
昂の背筋に冷たいものが駆けあがっていった。
「……爺さん、乗ってくれよ。急ごう」
取り上げた時……それはどんな時だ。
奏が恐怖を感じていると言った、彩の声を思い出した。
急がなければ。
だが老人は戸惑ったように昂を見た。
「だが、お前さん、馬は初めてだろう?それにしちゃうまいが、儂をのせて走らせられんだろう」
昂はそれには答えず、立ち止まった馬から飛び降りた。
「爺さんは馬を操れるだろ?俺は走るから、案内してくれ」
そう言って、黒い布を頭に巻いた。
それをまじまじと見ながら、老人が呟いた。
「そうやると、ますますそっくりだな」
「え、何?」
聞きそびれて、昂が訊きなおすと、老人は頭を横に振った。
「いや、なんでもない。急ごう」
そう言うと、老人とは思えない身のこなしで、馬に飛び乗ると、走らせ始めた。昂があわてて後について走る。
もちろん馬の全力ではないだろうが、なかなかのスピードで老人は馬を走らせた。昂が全力で走って、ギリギリの速度だ。
久しぶりに走るのは気持ちがよかった。
汗を散らせながら走っていくと、行く先に大きな館が見えた。老人が木陰で馬を止める。
「あれがラウル様の館だ」
立派な館だ。少し、狼公の館に雰囲気が似ている。相手を呑み込もうとする威圧感。
「裏に回ると、厩と井戸がある。その近くに、裏口がある。もちろん、正面から入ってもいいが……儂なら裏口から、忍び込む」
正面から行かない方がいい用事だと、見破られているな。
昂は少し考えて、老人に向き直った。
「ありがとう、爺さん。助かったよ」
老人は眩しそうに昂を見下ろすと、馬を下りた。
「お前さん、なんという名前だ」
「昂」
老人は昂が名乗るのを聞いて、頷いた。
「コウ、儂は何も気まぐれで、お前さんを助けたわけじゃない。覚悟を持って、主人に伺いもたてず、勝手に行動した。お前さんを信じたからだ」
老人は昂の肩をつかんだ。
「儂は昔、王宮で厩番をしていた。その誇りにかけて、お前さんに味方した」
どう返事をしていいか分からず、昂はただ老人の目を見た。
「がんばれよ。ナル坊を頼む」
老人が、行け、と目配せした。昂はとりあえず疑問を胸におさめ、頷いた。
何もかも、奏を救ってからだ。
昂は目の前の館を見据えると、裏口にまわるため、低木に身を潜めながら進んでいった。
老人は昂が裏口に回るのを見届けてから、馬の口縄を少し奥まった木に括った。
それから、館の見える木の側に腰を下ろした。




