Ⅴ 神の血 -17
会食の直前に、昂が燦のところに来た。本当に直前だ。だから燦は、昂が自分を呼びに来たと思った。
気合を入れて立ち上がった時、その力の入った顔を見て、昂がぷっとふきだした。
「せっかく綺麗なのに、そんなに鼻の穴を広げて気合入れてたら、台無しだろ」
鼻の穴広げて?
噛みつきそうになった燦の両腕を、昂は優しく抑えた。
「そうそう、それで大丈夫」
優しい顔で笑った後、こう付け加えた。
「奏の居場所が分かった。あのユースティスって奴のところ。ユースティスもターシャも否定しているけど、奏の身が危ないんだ。俺、今から行ってくる。会食、一人で大丈夫か?」
燦は目を剥いた。この時の為に、昂たちを連れてきたのだ。
側にいてくれないのなら、連れてきた意味がない。
だが、燦の口からはすぐに言葉が出なかった。
昂たちが奏を探す為について来たことも、知っていた。それでいいと思っていた。二人がどんな想いで奏を探しているのか、自分は分かっているつもりだったからだ。彩を助ける為に必死だった、昂の姿を知っている。
分かった。いってらっしゃい。こっちは大丈夫。
そう言いたいのに、不安が燦の口に蓋をする。
わたしは王女のなりそこない。心の小さい、化け物だ。
昂は燦の顔を覗きこんだ。
「燦、また鼻の穴膨らんでる」
昂の顔が間近にあって、燦は飛び上がった。
「大丈夫だよ、燦。ターシャと仲良くなるんだろ?」
昂は燦の頭を撫でた。
「燦なら、なれるよ。あの子、いい子だよ。燦によく似てる。ユースティスの言うことはともかく、ターシャの言うことは信用できる。だから、自分の目で見てくるよ」
昂はそう言うと、爽やかな笑顔を残して、さっさと出て行った。
「わたし、何も言ってないのに」
燦はそう一人で呟くと、クスクス笑い出した。
わたしに似ているって、どんな子だろう。
出迎えてくれた時の、キラキラとした目を思い出した。その目で、あこがれを持って見つめられると、こそばゆくなってくる。
ターシャと話すのが楽しみになっている自分がいた。
昂は不思議だ。世間知らずとはいえ、燦が王女だと知った後も、変わらず接してくれる。悩むことが当たり前で、出来なくてもどかしい気持ちを抱える、同年代の女の子として接してくれるのは、昂だけだ。
普通の女の子として接してくれるのが嬉しいなんて、それも王女としては失格だろうか。
大丈夫だよ。
昂の声が甦った。
燦なら、大丈夫。
王女でも、燦様でもない……燦なら、大丈夫。
燦は背筋を伸ばすと、ゆったりと椅子に座りなおした。
皆が燦王女の可憐さにため息をついた。
エメラルドグリーンというのだろうか、鮮やかな碧に、嫌味にならないほどの黒いレースをあしらったドレスは、彼女の淡い金色の髪を際立たせた。
気取るふうもなく、構えるふうもなく、燦はターシャたちの待つテーブルに向かった。ターシャが立ち上がり、父を紹介した。
一丁前に大公を王女に紹介する十歳の公女に、皆が微笑んだ。
燦王女が席に付くと、和やかに会食が始まった。
そこで皆が初めて、おやっと思った。王女の隣の席が二つ、空いているのだ。
「サン様」
ターシャが声をかけた。燦は微笑んで応える。
「燦と呼んで、ターシャ」
親しみのこもった声で言われると、ターシャは赤くなった。
「では、サン。ご友人もご一緒だとうかがったのですが」
そう言って、空席の二つを指さす。
「ああ」
と、燦は鷹揚に頷いた。
「一人が体調を崩してしまったの。もう一人は、その傍についています。まだ幼い少女なので。せっかくのお食事の席に呼んでいただいたのに、申し訳ありません」
「そう……ですか」
先ほどの昂とのやり取りを思い出して、ターシャは内心戸惑った。準備があるからと言うので、会食に出席すると思ったのだ。臥せっていた少女はともかく、昂は出てくると思った。
相手の言うままにそう思い込んでいたと気が付いて、ターシャは恥ずかしくなった。
ユースティスの方をチラリと見ると、近くの者と談笑していた。ユースティスはさすがにサボン家の嫡男だけあって、こういう席には慣れている。十歳の公女との婚約者という、突拍子もない立場ながら、存在が浮くこともなく、場に馴染んでいた。
ターシャの視線に気が付くと、周りに気づかれないように、空いた二つの席に視線を送ると、小さく肩をすくめた。
ユースティスは、彼らが来ない事をある程度予想していたのだ。出席しないで、何をするかということを。
ターシャは唇を噛んだ。
いい気になって、自分は大人より有能だと思い込んでいた。わたしはやはり子どもだ。
母タミアの言葉が頭をよぎった。
あなたはきちんと子どもであることを、自覚しなさい。
ターシャの顔を注意深く見ていた燦は、クルクルとその表情が変わっていくのを、しっかりと見ていた。
その心の移ろいが、燦には手に取るように分かった。
自信と落胆、それに羞恥。
でも、この子の目は何て強いんだろう。
負けないように、唇を噛んでいる。わたしにそんな強さはなかった。
「ターシャ」
燦は親しみを込めて、公女に呼びかけた。
ターシャがパッと顔を上げた。真っすぐ燦を見つめてくる。その強い眼差しに、燦も内心頷いた。
確かに、この子は信用できる子だ。
「改めて、この国に呼んでくれてありがとう。あなたに会うことができて、本当によかったわ」
そうして口元をターシャの耳に近づけて囁いた。
「あなたに話があるの」




