Ⅴ 神の血 -16
扉が叩かれる音がして、昂は顔を上げた。
一瞬躊躇ったが、青い顔をしている彩を寝椅子に残して、扉をそっと開ける。
「公女さま」
驚いた昂の声を、ターシャは「シッ」と制した。「ターシャよ」と小声で言いながら、身体を部屋の中に滑り込ませた。
扉を閉めていいものか悩んでいる昂には目もくれず、ターシャは寝椅子に横たわっている彩に近づいた。
「この子、具合が悪いの?」
「ええ」
気取らないターシャに、昂の口調も自然に砕けたものになる。戸惑いながら答える昂を横目に、ターシャは彩に近づいた。
彩は都に入ってから、頭が痛いと言い出した。
ターシャは目線を彩からそらさず、呟いた。
「わたしこの子に似ている子を知っているの」
彩は身じろぎし、昂は先ほどとは違う目でターシャを見た。
奏が都にいることは分かっていた。彩が馬車の中で、奏が近くにいることを感じていたからだ。中央に近づくほど、奏の存在を確信していった。
それと同時に「奏の声が聞こえる」と彩は言い出した。決して発せられない、心の声。彩にだけ聞こえる奏の声だ。
「でも何も視えない。声は聞こえるのに」
恐怖の声だ、と彩は言った。
「でも、立ち向かおうとしてる」
彩とそっくりなら、奏である可能性が高い。しかも、このタイミングで。
「どこで見たんですか?」
昂は慎重に聞いた。奏がいるところは、狼公から奏を買った人物だ。
ターシャの目が見開かれた。
「そっくりな子が存在するのね」
真剣な目に、昂は頷いた。
燦の目によく似ている。一途で正直な、信頼できる目だ。
昂は跪くと、ターシャの目線に自分の目を合わせた。ゆっくりと言う。
「この子の双子の男の子を探しています。ずっと行方不明なんです。ターシャが見たのは、きっとその子です」
ターシャの目は揺れ、青い顔のまま横たわっている彩に向けられた。
「わたしの婚約者のところの使用人よ。耳が聞こえない子でしょう?」
ターシャは戸惑っているようだった。
昂も戸惑っていた。
彩に気を取られて、馬車を降りた時、公女の隣にいる婚約者の顔までは見ていなかった。
ターシャの婚約者が奏を買ったのか?
昂はもう一度ターシャを見た。不安そうな顔でこちらを見ている。
本当は、今すぐターシャの婚約者ユースティスのところに行って問い詰めたいが、騒ぎにすると奏が危険になるかもしれない。
「ありがとう、ターシャ。後で訪ねてみます。婚約者殿の館の場所を教えてもらえますか?」
ターシャが口を開こうとした時、部屋の扉がノックされた。
昂とターシャが顔を見合わせ、昂が扉を開けに行くと、まさにそのユースティスが立っていた。
「やぁ、ターシャ、ここにいたんですか」
入ってきたユースティスは、そこにターシャがいることを不思議がることもなく、部屋の中を見回した。
寝椅子に横たわる彩に目を止めると、「本当だ」と無邪気に驚いた。
「あなたの言う通りですね、ターシャ。ナルにそっくりだ」
「ナル?」
聞き咎めて、昂が眉を寄せる。
その声は隠しようがない警戒心が滲んでいた。
「わたしがつけたんです。名前が分からなかったもので」
ユースティスは昂の声音に気が付かず、説明する。そばでは、ターシャがハラハラするように、二人を見ていた。
「その子はどうしてあんたのところに?」
そう言われて、ユースティスはやっと昂の敵意に気が付いた。
ああ、と呻くように言う。
「ナルは父が買ってきたんです。あなたのご兄弟でしたか?」
昂は呼吸を止め、深く吐いた。昇ってくる怒りを、なんとか寸前で止める。
「ナルを迎えに行ってくる。あんたの屋敷を教えろ」
睨みつける昂に、ユースティスは大体の事を悟ったようだった。昂を見つめると、頷く。
「分かりました。会食の後に、一緒に行きましょう」
物分かりが良さそうにいう青年貴族の顔を、昂は思いっきり殴りたくなった。代わりに、壁を思いっきり拳で叩く。
「そんなに待てるか。奏はひどく怯えている。何かひどい目にあってるんだ」
激しい剣幕で昂が怒鳴りつけると、ユースティスは、初めて戸惑ったような顔をした。
「いや、まさか。そんなことはあり得ません」
「現に、彩が感じてる。この子たちにはお互いが分かる不思議な力がある。隠しても、分かるんだ」
「いや、隠してなど……」
首を横に振るユースティスに詰め寄ろうとした昂の前に、ターシャが立ちはだかった。
「本当よ。わたしもナルの事知っているわ。ユースティスはナルを大切にしてるし、ナルもユースティスを大事に思っているわ」
十歳の公女は、昂をまっすぐ睨みつけて、言った。
「疑うんなら、見に来れば分かるわ」
昂はターシャを見つめ、息を吐いた。
ユースティスを信じたわけではない、だが……
「分かったよ」
昂は一つ頷くと、会食に行く用意をするからと、二人を追い出した。




