Ⅴ 神の血 -11
「おい、飲みに行かねぇか」
暗い部屋に入り込んできた良は、そっと昂に囁いてきた。
昂は体を起こし、隣の寝台で規則正しく寝息を立てている彩を覗きこんだ。深い眠りの底にいて、起きる気配はない。
奏に関しては、昼間の散策では、何の収穫もなかった。昂も彩も、何となく奏はこの町にはいない気がしていたので、宿に戻る時も特に何も言わずに戻った。
お忍びの燦は、誰にも見とがめられずに町を歩けたことにご満悦で、機嫌よく帰って来た。
ナナライのもてなしで食事を取り、明日の出発に備え、各々部屋に戻った。兄妹と言ってある昂と彩は同室だったが、彩は歩き回って疲れたのか、すぐに眠りに落ちたようだった。
昂はいろんな思いが頭をめぐって、なかなか寝付けなかった。編んだ燦の髪の感触や、良の意外な一面を見て、本人にも正体が分からないモヤモヤしたものが、昂が眠りに落ちるのを妨げていた。
良も眠れなかったのか、それとも単に夜の町に出たかっただけなのか分からないが、昂には渡りに船だった。だが一応、王女のお付きとして逡巡してみる。
「俺たちがここを離れていいのか?」
「平気だろ。大体、ちゃんとした護衛がついてるんだ。守るってだけなら、俺たちがいる方が邪魔だ」
「……まぁな」
昂はあっさりと良の誘いに乗った。
燦や彩には悪いが、二人と離れて、気分転換したかったこともある。
昼間はともかく、今は二人とも部屋で眠っている。問題はないだろう。
「行こうか。でも、どこに店があるのか分かるのか?」
そういえば、昂は針森の村を出てから、飲みに出ていない。彩と一緒だったからだ。
良はフンと鼻を鳴らして、なぜか得意げに言った。
「町の飲み屋ってのは、どこに行ったって、だいたい同じようなところにあるのさ」
自信満々の良を昂は信用することにした。
とにかく外に出たかったのだ。
「お前、村出てから飲んでないのか?」
ジーニを物珍しそうに、眺めて、匂って、恐る恐る口をつけた昂に、良は半分呆れながら言った。
ジーニはアウローラ公国で一般的な酒だが、そのすっきりした飲み口で、ガザでも人気がある。決して珍しい酒ではない。
ただ針森では、赤い実を発酵させて造る、ラシャという酒を飲む。昂はジーニを飲んだことがなかった。
「うん、彩がいたからね」
良の言葉に答えながらも、昂はジーニを覗きこんで、もう一度口に含んだりしている。納得がいったのか、杯を傾けて喉に通すと、良の顔をやっと見た。
「おいしいね、これ」
屈託なく言う少年に、良はしみじみと言った。
「……お前、案外真面目なんだな」
針森でも、外の世界でも、十三歳を越えて、大人の仕事をいっぱしに手伝うようになると、大体酒も覚えてくる。十六歳では普通に飲める。
昂も飲めない性質ではなさそうだった。それなのに、幼い子と一緒だったからと、飲酒を控えていた。
十六歳とは思えない分別だ。
良がわざとらしく褒めたたえると、昂は嫌そうに顔をしかめた。
真面目という言葉は、昂ぐらいの歳では誉め言葉ではない。
「奥さんは何て言ってるの?」
苛立たしさ紛れに、突っかかるように言う。良への逆襲の為に放った話題だったが、実際聞きたくもあった。結婚しても夫婦が一緒に暮らさない針森では、束縛もされないが、見捨てられるのも早い。
何年も針森を離れていれば、帰って来た時に、相手が待っていてくれると期待してはいけない。針森では、実際に肌を温めてくれる相手を求める。
数週間、村の外で仕事をして帰って来る信が、いつも焦ったように蘭のもとに戻って来るのを、昂は思い出していた。
良は動じる風もなく、少し遠い目をして言った。
「特に、何も。ただ、おかえり、って言ってくれて、怪我はしてない?って聞いてくれる」
良の目が、ドキッとするほど優しく細められたので、昂はからかうのをやめた。
「寂しいって言われないのか?行かないで、とか」
昂が訊くと、良は首を横に振りかけて、止めた。
「目では言ってる。でも、口では絶対に言わない」
「どうして?」
一緒に居たいのなら、言うべきだ。自分を置いていったら、わたしもいなくなるぞ、と脅すぐらいのことをしてもいい。
良の妻に代わって怒り始めた昂を、良は「そうだな」と宥めた。
「俺の村は貧しい」
良はジーニをすすりながら、淡々と語り始めた。
「神々の山の山すそで、細々と放牧をして暮らしている村なんだがな、それだけじゃあ、とても村全員の口を養ってはいけない。だから家畜の世話をはじめ、村のことは女がする。男は村の外で稼いでくる。俺の村では、それが普通だ。村には普段、女子供と年寄りしかいない」
昂は想像してみた。動物と女と子ども、そして年寄り。男のいない風景。それは穏やかなのだろうか、うら寂しいのだろうか。そんな世界と良は、やはり昂の中では繋がらなかった。良と良の家族は、違う世界に住んでいる。
「寂しくはないのか?」
それはすごく寂しいことの気がした。
「寂しいさ」
良はなぜか笑いながら言った。
昂は押し黙って、ジーニを飲み始めた。
そんな昂を、良は面白そうに見ている。
「で、青少年は何を悩んでいる?」
昂はきまり悪くなって、より真剣にジーニを飲む。
あんな話を聞いた後では、自分の悩みなど、子どもっぽい気がして言い出しにくい。
良は昂の心境が分かるのか、ニヤニヤしながら覗き込んでくる。
「安心しろ。俺とお前では、生きている年月が違う」
「……」
「俺だって、お前ぐらいの時は、青臭い悩みに身もだえしたものだ」
「……」
「王女様、可愛いよな」
下を向き続けた昂は、ついにテーブルにおでこを打ち付けた。
「どうした?大丈夫か?青少年」
良が楽しそうに追い打ちをかける。
「俺、多分女の子を好きになったことなかったんだと思う」
昂がテーブルに伏したまま、ぼそぼそとしゃべり始めた。過去形な上に推測だ。
「うん、うん」
良は楽しそうに相槌を打つ。
「燦としゃべっていると、何ていうか……」
言葉に窮して、昂は結局黙った。ふわふわしてしまう、というのが正直なところだが、恥ずかしくて言葉に出来ない。
その時、くすっと笑う声が、二人の後ろで聞こえた。
ぎょっとして二人が振り向くと、妙齢の女性が申し訳なさそうに二人に笑顔を向けた。
「ごめんなさい、話が聞こえてしまって」
そう言うと、昂にニッコリほほ笑みかけた。
何歳くらいだろう?昂よりはもちろん上だが、良よりは明らかに若い。
空ぐらいかな?
だが、確信は持てなかった。顔立ちや身体は若々しい。だが、身にまとっている雰囲気や仕草は、妙に老練されていた。
「可愛いお客さんね」
言われて、昂の顔はカッと赤くなる。良は気の毒そうに昂を見てから、物言いたそうに女に目を向けた。
しかし女は気にするふうもなく、飲んでいたジーニを掲げた。
「いいじゃない。恋はするものよ」
それから片目を瞑って、歌うように言った。
「あなたのお姫様に、乾杯」




