Ⅴ 神の血 -3
「返事が来たそうだよ」
ユースティスは上機嫌で、傍らの男に話しかけた。
「そうですか、それはよかった」
男はそう答えてから、今日のユースティスの予定を読み上げていく。
「ご機嫌がよろしいということは、よい返事だったということですか?」
予定を言い終わってから、男はユースティスに尋ねた。ああ、とユースティスは頷く。
「王女様は来て下さるそうだ。お前の言うとおりにしてよかった」
興奮気味に言うユースティスに、男は少しも表情を変えないで頷いた。
「では、そのように手配しましょう。王女様とご同行の方はどなたでしょうか」
淡々と進める男に、ユースティスはメモ書きを確認した。
「ご友人だそうだよ。少年と少女、あともう一人は護衛かな。兵士が一人」
「……分かりました。ではそのように」
男は一礼すると、部屋を辞した。
ユースティスは男が出て行った扉を見ながら、息を吐いた。
父もたまにはいいことをする。
父親ラウルのツテでやって来た男を、ユースティスはしぶしぶ雇ったが、ラウルの言う通り、非常に有能な男だった。
クロウと名乗った男は、口数が少なく不愛想だが、雑務は効率的に処理でき、的確な助言までしてくれた。
大公の兄たちに先んじるために、ガザ国の王女と親密な関係になっておくよう勧めたのは、クロウだ。大人同士だと周りを刺激するが、子ども同士ならそう警戒もされない。
たとえ婚約がままごとだと思われても、向こうもこの機会を逃さないだろうと、クロウは言った。
その通りだった。
カタン
音が聞こえて振り返ると、ナルが茶器を机に並べていた。
少し顔色が悪いような気がする。
ユースティスは、ナルが気付くように手を振ってから、自分の唇を指さした。
ど・う・し・た?
ユースティスは暇を見つけては、自分の唇の動きを読ませて、言葉というものをナルに教えていた。それは使用人たちの間でも広まり、手が空いたものは、ナルに言葉を教えようとするのが、一種の流行りになっていた。
おかげでナルは少しずつ、言葉が理解できるようになってきた。元来目がいいので、唇の動きを見極めるのは、そう問題ではなかったようだ。だが、やはり声は出そうとしなかった。
ナルはじっとユースティスの唇を見つめたが、なんでもない、というように目を逸らしてしまった。ただ、その途中に、ちらりと扉の方に目線が行ったことに、ユースティスは気が付いた。
「クロウか?」
ナルがクロウに初めて会った時、お互い特に何の反応も示さなかった。ナルはじっとクロウを見上げると、ぺこりと頭を下げた。クロウも相変わらずの無表情で、それに応じた。その様子を見ていたユースティスは、なんとなく、似たような反応だなとは思ったが、それ以上は何も思わなかった。
新しい者が入ると、やはり気になるのだろうか。そういえば、ナルがここに来てから、クロウは初めての新参者だ。
ナルはゆっくり横に首を振った。
それから、並べた茶器の一つを指さした。
淡い花柄の茶器。
「またか?」
その茶器は、ユースティスの婚約者がお気に入りの茶器であった。あの自由奔放な公女様は、案外可愛らしい趣味をしている。
ターシャはユースティスとの婚約が、世間に知られるようになると、待っていましたとばかりに、ユースティスの館に遊びに来るようになった。
あんな高説をぶっておいて、実は自分が外に出る口実が欲しかっただけではないのかと、最近ユースティスは訝っている。
まぁ、大公の娘ともなれば、自分の館の外には自由に出ることができない。あのターシャは、さぞ鬱憤が溜まっていたのだろうとは思うが。
そんなことを考えているうちに、廊下が賑やかになった。
無遠慮に扉が開かれ、婚約者の上機嫌な声が響き渡った。
「ごきげんよう、ユースティス!」
「いつも元気ですね、ターシャ」
ユースティスが苦笑しながら、ターシャを招き入れると、ターシャは素早く部屋の中を見渡した。
「……いないわね」
安堵しながら、ターシャは部屋に入り、いつもの椅子に腰かけた。
「クロウですか?」
ターシャはなぜかクロウが苦手なようだ。
「あれは優秀な男ですよ」
ユースティスが取りなすと、ターシャは眉を寄せた。
「なんか、胡散臭いのよね。何考えているか、分かんないし」
「でも、父が連れてきたんです。身元はしっかりしているはずです」
ユースティスがそう言うと、ターシャは黙ってユースティスをじっと見た。
その目に押されて、ユースティスも黙る。
だから怪しい、とターシャは思っているわけだ。
「そうね」
ターシャはそっけなくそう言うと、キョロキョロと部屋を見回した。
「ナルは?」
ターシャはどちらかというと、ナルに会いに来ている気がする。
扉が叩かれ、ナルが盆を下げて入ってきた。蜜茶の甘やかな香りが鼻をくすぐる。
「あ、今日は蜜茶なのね」
ターシャが嬉しそうな声を上げた。
ナルは豆茶より蜜茶の方が身近なようで、最近はよくこちらを入れてくる。ガザの出なのかもしれない。
ナルはターシャと目が合うと、頬を緩めた。
ターシャはナルの入れた蜜茶をゆっくり飲むと、ほぉっと息をついた。
「ああ、美味しい」
そう言うと、茶器を持ったまま、ユースティスに目を向けた。
「伯父様たちの周りが、スカスカになってきたそうよ」
無邪気な口調のまま、剣呑な話を始めた婚約者に、ユースティスはため息をつきつつ、耳を傾けた。




