Ⅴ 神の血 -2
「姫様に付いて、アウローラ公国へ行ってくれ」
泣く子も黙る国軍大将が低い声を出したので、良は思わず息を呑んだ。
訓練の後、渋い顔をした大将が近づいてきたときは、肝が冷えた。しかも、自分で言い出したくせに、気に喰わない様子がありありと見受けられる。
「アウローラ公国……ですか?」
恐れている風も、臆している風もなく、昂が答えた。櫂を正面から見つめている。良は昂を密かに称賛した。
「姫様が公国の公女さまに招かれて、赴くことになった。隼には先に公国に入ってもらう。姫様に護衛はつけるが、側に付いている者が欲しい」
「で?俺ですか?」
釈然としない顔で昂が問うと、櫂も釈然としない顔で頷いた。
説明しようと、櫂は口を開きかけたが、途中で放棄した。
「知らん。姫様が、お前たちがいいと言うのだ」
「お前たち?」
切れた櫂を見ながら、昂が首を傾げると、櫂は後ろにいた良を指さし、それから城の西側に指を向けた。そちらには彩の部屋がある。
彩も?
昂は眉を顰めた。
せっかく安全なところに落ち着いたのだ。また連れ出すのは、嫌だった。
「王妃様が賛成なさった」
吐き捨てるように言った櫂の不機嫌な顔を見ながら、昂は頭を巡らせた。
空のこと……そして、取り返さなくてはならない、彩の片割れ、奏。
アウローラ公国の第二公女から、婚約を知らせる書簡と、年が近い燦にぜひ我が国に来てほしいという招待状が届き、櫂は頭をひねりながらガザ王炎のところに持っていった。炎は一読すると、凛と燦を呼ぶように、侍従を使わせた。
自治領とはいえ、属国に近いアウローラ公国が、ガザ国の王女を国に呼びつけるのは礼を欠いている。普段なら一蹴することも出来たが、婚約の祝いの席への招待なら話は別だ。
祝い事の招待を拒むことは、両国の親交に差し障る。
しかし微妙なのは、はっきりと婚約の祝いの席の招待とは言っていないことだ。婚約をするという知らせと、国への招待とは別々の書簡に書かれていた。
しかも第二公女は十歳だ。
やっかいなこの書簡に、櫂が眉間に皴を寄せている所で、当の本人があっさり承諾した。
「わたし行きます」
燦ははっきりとそう言った。悩む様子も見せなかった。
姫様は事が分かっていないと思った櫂は、書簡の胡散臭さも、第二公女が十歳であることも伝えた。
だが、燦は考えを変えなかった。
「十歳ね、なるほど確かに歳は近いわね。大人たちよりは」
ねぇ、櫂、と燦は先を続ける。
「公国がわたしに何かを企てて、何の得があるというの?」
確かに燦を害すれば、アウローラ公国は一瞬でガザに押しつぶされてしまうだろう。
「わたしを招待してくれたのよ。わたしはその第二公女に会ってみたい」
燦のその言葉を聞いて、櫂は黙って座っている炎王に目を向けた。
「と、おっしゃっておられますが」
その目は王に対してというよりは、お前の娘を何とかしろと文句を言っているようであった。
目を閉じて考えていた炎は、おもむろに目を開けると、首をひねった。
「うーん、分からん」
そう唸ると、一同を見回した。そして最後に燦を見ると、頷いた。
「婚約が本当なのか、お前に会いたいのが本当に公女なのか分からん。だから、公国を見てきてくれるか」
ついこの間まで、娘が城を出ることを許さなかった父王とは思えない言葉に、燦は驚いて目を見開き、櫂は思わず立ち上がった。
「何、言ってるんですか?そんな分からんところに、姫様を遣るわけにはいかないでしょう!やっと、家出から戻られたというのに!」
家出と言われて、燦は思わず俯いた。
「あれと、今回は違うよ」
宥めようとする王に、櫂は怒鳴りつけたくなった。
この間まで、娘の家出に消沈していたのは、どこのどいつだ。
炎は口の端を持ち上げた。こういう顔をする時は、炎が王として攻めている時だ。
「燦と第二公女殿が親密になれば、それは我が国の利にもなる」
炎はそう言ってから、ちらりと櫂を見た。
あ、やられた。櫂は観念した。
国に貢献できるという言葉は、今の姫様には一番効く。これを言われたら、是が非でも行くと言ってきかないだろう。
案の定、燦の目の色が変わった。
櫂はあきらめて、王妃を見た。
「凛様もよろしいんですか?」
先ほどから、一人だけ涼しい顔で成り行きを見守っていた王妃は、微笑んだ。
「ええ、もちろん」
もちろん、ね。
櫂は内心舌打ちしながら、話を進めた。
「では、隠密を先行させましょう。隼も連絡係として出した方がいいが、そうなると姫様の側が……」
「昂たちがいい」
櫂の話の途中で、燦が話を割った。
「はい?」
櫂が思わず素で、問い返す。
「昂と彩と良を連れて行く。わたしの側に付いていてもらえれば、心強い」
きっぱりと言う燦に、櫂は頭を抱えた。
なぜ、あの三人?
「姫様、遊びに行くんじゃありませんよ」
「分かっている。だから気心が知れている者がいい。公女様と仲良くならなくてはならないんでしょう?」
いや、駄目だ。大公の息子である金髪の少年を、アウローラ公国に入れてはいけない。しかも、王女と一緒に。
櫂が炎を見ると、炎の顔も引きつっていた。
「あの三人は駄目だ。大体、お前の警護にはならないだろう」
「護衛は別につければいいわ。わたしは近くにいる者が欲しいの。公女様の部屋に兵を連れて行くわけにはいかないでしょう」
こんなに我を通そうとする燦は珍しかった。珍しい娘の姿に、炎は気圧されてしまう。
昂が大公の息子であることを、燦に言ってしまうべきか。
二人がそう思った時、凛が口を開いた。
「連れて行けばいいわ」
凛は相変わらず、涼しい顔をしていた。
「友人なんでしょう?ターシャには、わたしから伝えておくから、皆で行ってらっしゃい」
第二公女の名前を親し気に呼ぶ王妃に、一同は呆気にとられた。凛は皆の顔を見渡すと、微笑んだ。
「そうしないと、何も始まらないし……何も終わらないわ」




