Ⅴ 神の血 -1
やはり十年前のようにはいかない。
蘭は背中に背負った薬草籠を、背中を揺らせて背負いなおした。
久しぶりの薬草採りだ。
空が姿を消してから、やはり薬師は青一人では、立ち行かなくなった。見立てや処方、調剤、管理は出来るが。薬草を集めることが難しい。青ももう高齢だ。昔のように体力に任せて、森を駆け回ることは出来なくなった。
そこで、植物に興味がある陽と蘭が手伝うことにした。
記憶力のいい蘭は、十年前に覚えた薬草をほとんど覚えていたが、体の機能は昔のようにはいかなかった。
代わりに息子の陽が成長し、教えれば、自分の代わりに採って来てくれるのが嬉しい。
この子はよい薬師になるだろう。それまで、どうにかして、青を支えてあげなければ。
陽が村に居ついてくれるといいが、と考えていると、当然、もう一人の息子のことに思いは行く。
今、どうしているだろう。怪我はしていないだろうか。玲さまからの預かりものを、ちゃんと届けられただろうか。凛とはどんな話をしたのだろうか。
そして、どんな道を選んだのだろうか。
今日は、陽は一緒ではない。
一人でゆっくりと森を歩く。今日の目的
は、量を集めることではない。森のはずれの、崖の近くにある薬草を採りに行く。子どもたちはもちろん、狩師たちもめったに来ないほど森の端であるが、その薬草は気付け薬を作るのに必要で、切らすことは出来ないものであった。
薬師と拾い師がたまに来るだけの場所に、先客がいた。
しかも地に伏していた。
蘭が慌てて近づくと、さらにそれがここにいるはずのない人であることに、驚いた。
「玲さま?」
最高位の口伝師が、地面に耳をつけて、横になっていた。
倒れているわけではないことにほっとしながら蘭が声をかけると、玲のこめかみがピクリと動いた。
「……蘭」
その夢から醒めたような声に、蘭はドキリとする。
玲は口伝師であるが、霊視の能力も高く、霊媒師のような力もある。
「なにかありました?」
恐る恐る蘭が訊くと、玲はゆっくりと体を起こした。
座り込んだまま、頭がゆっくり揺れている。蘭が静かに待っていると、しばらくして揺れが収まり、目の焦点が戻ってきた。
「地の奥が騒いでいる」
恐れが混じった声に、蘭の心臓は跳ねた。
玲はゆっくり蘭の方に顔を向けた。
「昂からなにか便りがあった?」
「いいえ」
蘭が答えると、玲はそのまま何も言わなかった。玲の意識が彼女の内側に向いていることを、蘭は感じた。
昂に何かが振り掛かることは、百も承知で送り出した。たとえあの双子を連れて行かなかったとしても、昂が凛に会いにいけば、渦中に飛び込むことになる。
飛び込めば、自分で切り開くことも出来る。
ただ、それとは別に、母親として息子は心配だった。
「あの子たちに関わることですか」
蘭が思わず尋ねると、玲は微笑んだ。
「蘭の息子にあの二人を押し付けておいて、何も教えないのは、卑怯ね」
玲がそっと胸を押さえたのを、蘭は見ていた。
「彩と奏はね、山で生まれたのよ」
「山?」
蘭が繰り返すと、玲は頷いた。
「神々の山」
玲が言うと、蘭も頷いた。
「ピラティウス山ですね」
ガザ国とアウローラ公国の国境に聳え立つ山脈は、両国から神の山と崇められている。ガザでは黄神山脈、別名「神々の山」と呼ばれており、アウローラ公国ではピラティウス山と呼ばれていた。
「おそらく山守の子ね。わたしの前に現れた山守は、そう言わなかったけど」
山守とは、山の中で独自の規律を作って、粛々と生きている者たちのことである。彼らは世の中の理とは別の所で生きており、お互い不可侵なはずだった。
「ある日、山守が村にやってきて……いいえ違うわね、社のわたしの前に現れたの。二人の赤ん坊を両手に抱いてね。この子たちは山の中では育てられぬ、汝が育てられよ、とね」
それは、二人が障害を持って生まれたからだと、玲は思った。山で育てるのは難儀なのかもしれないと。
「でも、すぐに分かったの」
この二人が感情を昂らせると、針森は騒めいた。森が騒いでいる時は、二人の機嫌が悪いと、他の口伝師は言っていたが、玲は反対だと思った。
二人の機嫌が悪いと、森が騒めくのだ。
しかも双子というのは感応しやすい。片方の感情に、もう片方もつられてしまう。
神の山では育てられなかったはずだ。神の山は命が濃い。自然に影響を与えてしまう二人と、結び付きすぎてしまうだろう。
玲はなるべく、彩と奏が、お互いがお互いを宥められるように育てた。
しかし、その均衡状態を、いつまでも続けておくわけにはいかなかった。
ぴったりと盛り上がった水を、永遠に零さずにおくことは不可能だ。
それなら根本的に変えなければ、と思った。
二人を針森から遠ざけ、そして、二人を一人ずつにする。
「わたしは何の説明もせずに、それを昂に託したのです」




