一歩
「うぅぅ・・・」
両手で顔を覆って呻くティアナに構わず、クロードは彼女を抱えて歩みを進めていた。
泉に行くことになり準備ができると森の中に入ろうとしたティアナを引き留めたのがついさっきのことだ。怪我をした足でどうやって行くつもりだと聞くと、当然のように歩いていくと答えた彼女を無言で抱きかかえた。今のティアナでは泉に到着する前に足の怪我がさらに悪化させてしまうのはわかっていた。抱えていくのが一番早くて効率がいいことをわかっていたクロードは許可を得る前に行動していた。当然ティアナは驚いて慌てたが、それを完全に無視した。彼女もクロードの行動を理解しているようで、すぐに大人しくなったが、顔を覆って呻くことで抗議をしているつもりなのかもしれない。
それらをすべて黙殺して歩き続けると、彼の首から下げられた魔封石が小さな音を鳴らした。ログから預かった泉に行くために必要な魔封石だ。これがなければ森の管理者であるログから許可がもらえたことにならず、泉にたどり着くことはできない。仕組みはわからないがこの石が泉への道を開いてくれるようだ。歩いていると時々小さな音が鳴る。この音が泉の精霊に届いて泉まで案内してくれるとログから聞いたことがある。
音が鳴るたび、顔を覆っているティアナがわずかに手をよけてクロードの胸元に視線を向けてくる。魔封石士として気になる石なのだろう。どういう構造なのか石に刻まれている魔方陣が気になっているようだ。だが、泉に行くための特別な石なので簡単に構造が読み解けるようにはなっていないそうだ。魔封石に詳しくないクロードにはわからないが、森に入る前にティアナがログから許可をもらって石を眺めていたが、彼女曰く簡単に魔方陣が見えない工夫がされているという。その様子を見て、本当に魔封石が好きなのだなと思ってしまった。
クロードのための魔封石を作りたいと申し出てくれたティアナに疑いを持っているのは確かだ。だが、最初のころと比べれば、今は彼女の魔封石に対する想いを理解できるようにはなってきている。それでも魔力制御できる魔封石を作ってほしいとはまだ言えない。やはり怖いのだ。また暴走させたら今度はどんな被害が出るのか。どれだけの人を傷付けるのか。制御できないことへの恐怖と悔しさが先に立ってしまう。
「まだなの?」
顔を隠したままティアナが尋ねてくる。
「そんなに近くない」
「うぅぅぅ」
早くこの状況を改善したいのがありありと伝わってくる。森の中は足場が悪い。落ち葉で足元が滑りやすくなっているところもあれば、木の根が地面から顔を出してつまずく可能性もある。余計な怪我をされては回復のために泉に行く意味がなくなってしまう。もう少し歩けば開けた場所に出るはずだ。それまではこの状況を我慢してもらうしかない。1人うなりながら耐えているティアナを見下ろすと、クロードは自然と口元に笑みがこぼれていることに気づいていなかった。
森の中を進んでいくとだんだん木の本数が減り始め、やがて開けた場所に到着した。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
そう言ってクロードは抱えていたティアナを降ろした。やっと解放されたことにほっとしている彼女だったが、開けた空間を見て声を上げた。
「わぁぁ」
そこはそれなりに開けた空間になっていた。その場所だけ木が1本もなく、森の中にポツンとできた空間になっている。上を見上げれば木の枝が邪魔をしないぽっかりと開いた青空がのぞく。その空間の中心に小さな泉が1つ存在する。
「あれが治癒の泉」
この開けた空間には中心に泉だけがある。あとは短い草が生えているだけだ。とても殺風景な空間のはずなのに、そこに満ちた空気は穏やかで居心地がいい。
ゆっくりとした足取りで泉に近づいていく彼女の後ろをクロードも歩く。
泉は透明度が高く、膝くらいまでの深さしかないことがわかる。
「この泉に足を浸けてみろ。痛みが和らぐはずだ」
「わかったわ」
頷いたティアナは泉の淵に腰を降ろし、そっと両足を泉の中に差し入れた。女性の足を見ることはマナー違反とされているため、クロードは彼女が腰を降ろすと同時に後ろを向いていた。すぐに怪我が回復するわけではないのでしばらく時間がかかる。それまでこのまま待機するしかない。
「クロード」
ふいに声をかけられ首だけを巡らせて視線を向けると、ティアナは首を傾げてこちらを振り返っていた。
「そんなところに立ってないでこっちに来たらどう?」
そう言って自分の隣の地面をぽんぽんと叩いた。
クロードは少し考えてから彼女の後ろに背中を向けて座った。ちょうど背中合わせになると、ティアナの視線を感じるが黙って座り続ける。するとくすりと笑う声が聞こえただけで、彼女は何も言わなかった。
しばらくそのままでいると、沈黙に耐えられなくなったのか再びティアナが声をかけてきた。
「クロードはどこの生まれなの?」
「は?」
唐突な質問に困惑の声を上げて振り返ると、彼女もこちらを振り返っていた。
「足の回復まで時間がかかるから、少し話しましょう」
ね。と楽しそうにするティアナに戸惑う。
「貴族令嬢っていうのはみんなそんな感じなのか?」
小さなつぶやきだった。だが、彼女には聞こえていたようで首を傾げる。
「そんなって、どんなイメージなの?」
クロードの中での貴族令嬢はもっと高飛車なイメージだった。自分を主張してきて反対されれば癇癪を起す。好きな物を家族にせがんで手に入れる。親に甘やかされて育っているという印象だ。
顔を合わせて言うには少しためらいがあったので前を向いて彼女と背中越しの会話にした。クロードのイメージを伝えるとティアナはしばらく黙っていた。あまり良いイメージを持っていないことが伝わっただろう。ティアナに会うまでは本当にこのままのイメージで生活していた。王都にいた時間が少なかったため、貴族と接触する機会もなかった。
貴族令嬢が思っていたのと違うのだとわかったのはティアナが来てからだ。だが、彼女だけが特別変わっているだけで、ほかの令嬢はイメージ通りなのかもしれない。ティアナは魔封石に関しては目の色を変えてくる女性だ。そもそも魔封石の店を持ちたいと思う令嬢が他にいる気がしない。
「貴族と接点がないと、一般庶民はそんな風に思うのかしらね」
しばらく黙っていたティアナだったが、感心したような納得している声が聞こえてきて驚いた。良いイメージでないことから機嫌を損ねるかと思ったが、彼女は周りの認識を確認して1人納得している。
「よし!」
何がよしなのかわからなかったが、振り返って様子を見ようとした瞬間、背中に重みが感じられてクロードは腹に力を込めた。どうやら彼女が背中合わせで寄り掛かってきたのだ。女性が寄り掛かっても潰れるようなクロードではない。わずかに押し返して支えるとティアナは1つの提案をしてきた。
「考えたら、クロードのこと何も知らないのよね。私も詳しい話をしてなかったわ。今なら時間もあるし、少しお互いのことを話しましょう」
そう言われてそうだと思ってしまった。初めて会ったときに挨拶をして、そのあとは魔封石の話になってしまったのでクロードが完全拒否でそれ以降の会話があまりできていなかった。顔を合わせれば魔封石を作りたいと言われると思って、できるだけ話しかけられないようにしていた。そのせいで3か月以上経った今でもティアナのことをほとんど知らない。
「私はティアナ=フロース。19歳」
「それは知っている」
クロードの返事を待たずにティアナは話始める。自己紹介をするので自然と突っ込んでしまった。
「フロース伯爵家の1人娘で、家族は父と母と4歳上の兄がいるわ。3年前にこの国の第1王子の婚約者に決まって、今まで妃教育をしてきたけど、もうすぐ4か月になるかな?婚約破棄になってここにいるのよ」
婚約破棄の詳しい理由はログもクロードも知らない。そこは聞くべきではないと考えて口にしないでいる。だがティアナが町に来てから第1王子に新しい婚約者が決まったことを考えると、王子にティアナ以外で結婚したい相手が見つかったから破棄されたように思われる。王子に捨てられた可能性を考えれば話を深く聞くことはできなかった。それにクロードは庶民出身の一応騎士団の騎士であり、ティアナは貴族令嬢だ。身分の差がはっきりしている。余計なことを聞いていい立場でもない。
そんな彼の立場など関係なくティアナは話を続ける。
「王子の婚約者に決まる前は魔法学園で魔法の勉強をしていたの。その時に魔封石に関する勉強もして、そこで魔封石の面白さを知ったのよ」
背中を向けているのでわからないが、彼女の声から昔を懐かしんで楽しそうな響きがあった。
「魔術師は呪文を唱えて自分の中にある魔力を望んだ形に変えていくものだけど、魔封石士は魔石の中に魔方陣を刻んで魔力を流し込むことで、誰でも魔法を使うことができる道具を作り上げる。使い方によっては庶民の生活を潤わせることのできる存在になるわ」
魔術は魔術師のみが使うことのできる方法であるが、魔封石は魔力がない人間でも使うことができる物になる。それ以外にも魔力を流し込むことで発動させられる石もあるが、それのほとんどが攻撃型や防御型といった戦闘で使うことを目的とした物もある。ティアナが持っている護身用の魔封石は魔力が必
要な物が多い。そこの使うわけをしながら魔封石士は魔封石を作っている。
「婚約者にならなければ、魔封石士になるのが私の夢でもあったの」
「婚約破棄されて、その夢を現実にしたわけか」
「破談になったことで周りはかわいそうな令嬢として見ていたようだけど、私としては不幸になったとは全く思ってないのよ」
ぱしゃんと水が跳ねる音がした。泉に浸している足で水を蹴ったのだろう。それと同時に背中に圧力がかかる。
「クロードも話して」
自分ばかりでは不公平だと言っているのだろう。背中に体重を乗せて物理的にも訴えてくる。
「・・・俺は王都から離れた小さな村で生まれた。父親が王都で魔法騎士をしていたから、両親は若いころに王都にいたらしいが、父親が死んだことで母親の生まれ故郷に引っ越した」
クロードは父親の顔を知らない。クロードが生まれる前に父は死に、母はクロードが宿った体で故郷の田舎に戻っていった。母と子だけの生活ではあったが、小さな村だったこともあり、周りが色々と助けてくれて生きていくだけの生活はできていた。
「7歳になって魔力審査を受けることになった」
この国では7歳になる子供は近くの教会で魔力審査を受けることが義務付けられている。魔力があるかどうかを調べ、魔力がある子供は詳しい属性と魔力の大きさを調べられる。そこで魔術師として教育すべきだと判断された子供は魔法学校に入ることが一般的だ。王都にもあるが、離れた地域でも大きな街に学校はあるのでどこかを選ぶことはできる。
クロードも魔力審査で魔力を確認してもらい、かなり高い魔力を持っていることがわかった。
「魔力持ちだとわかって、詳しく調べることになったとき、自分に魔力があることを知らなかった俺は、初めて他人と触れた魔力のせいで力の制御ができなくなった」
母は魔力持ちではなかったため、魔力を持っていることがどういうことなのか、魔力の制御の仕方など、何も知らないまま検査を受けてしまった。初めて他人の魔力の干渉を大きく受けたことで、力を暴走させたのはその時だった。
「体の内側から力が溢れてくる間隔は覚えているが、それ以降の記憶はない。気が付いた時には教会も周りにいた人たちもボロボロだった」
崩れた教会に怪我をした関係者。検査を受けに来た子供たちの泣き声に幼いクロードは戸惑い、それが自分のせいだと知ったときは自分自身に恐れを抱いた。
力を暴走させてすぐ、王都から魔術師がやってきた。強すぎるクロードの力を制御するための方法を学ぶため、その魔術師と2人で別の村に移動することになった。
「7歳から10年、俺は魔術師の下で魔法を学びながら自分の力を制御できるように修業してきた」
父が魔法騎士であったことを知っていたので、クロードも自分の力を制御できるようなったら魔法騎士になりたいと思っていた。そのためには魔法だけでなく剣術も磨かなければならない。小さな村ではあったが、その村には元傭兵で剣に心得のある人間がいた。剣術はその人から、魔術は魔術師から教わりながら10年鍛えてきた。
「だけど、魔術に関してはどうしても完全な制御までできないでいた」
おそらく初めての魔力暴走がトラウマになって肝心なところで力を抑え込めなくなってしまう。溢れ出す力を抑制することもできず、何度も暴走させてしまった。
「その状態で王都に来たのは?」
「17になった時に魔術師から提案されたんだ。騎士の試験を受けてみないかと」
魔術は全然駄目だが、騎士としての腕は評価されていた。魔法騎士としては無理でも、騎士としてなら王都で勤めていけると考えてくれたのだ。
「騎士の試験には受かった。でもそのあとすぐに騎士団から魔法騎士としての資質があるなら魔法騎士になるように勧められた」
そのためには魔法の制御ができなければいけない。勧められるままに魔法騎士として力の検査を受けることになったクロードだったが、結果は最悪だった。城の敷地内にある騎士団の鍛錬場で魔法騎士として相手と模擬戦をすることになったのだが、抑えきれない力に翻弄され鍛錬場を破壊することになった。幸い、近くに魔術師がいたようで、即座に結界を張ったおかげで被害は大きくならなかったが、周りにいたほかの騎士たちに被害が出た。死者は出なかったものの怪我人が多数出たことで、騎士団でのクロードの立場がなくなってしまった。周りはどう扱うべきか悩み、腫れものを扱うような態度をとられて数日。彼はログの所に一時預かりになった。そうして3年が過ぎても未だに状況は変わらない。
「最初から俺は魔力操作ができてない。このまま死ぬまで高い魔力を持ちながら使いこなせないで人生を終わることになるさ」
今ではもう諦めている。ティアナからの提案に頷けないのは恐怖と不安、諦めが彼を縛っているからだ。
「それで本当にいいの?」
自分の立場を話したことで彼女も魔封石を作ることを諦めるだろう。そう思っていると疑問が返ってきた。
「俺にはどうすることもできない」
「・・・・・」
沈黙が流れる。互いのこれまでを話したことで少しだけティアナとの距離が近くなったような気はする。思っていた貴族令嬢の印象と違って、彼女は興味を持ったものに対してまっすぐだ。
「・・・やっぱり駄目よ」
しばらくの沈黙の後、クロードに寄り掛かっていた重みが消え、背後でバシャバシャと水音がした。
振り返るとティアナが泉に両足を入れたまま仁王立ちでこちらを見ていた。水に濡れないようにしていたスカートはそのままにされ裾が水に浸かっている。それに構わず彼女はクロードを睨むようにして口を開いた。
「私も王子の婚約者になったことで魔封石士の道は一度諦めたわ。妃になってもわずかな時間に魔封石に関する書物くらいは読めるだろうとは思っていたけど、その程度しか関われないと思って諦めたの」
彼女も諦める道を選んだ経験をしている。だが今は諦めたはずの魔封石士として魔封石に関わっている。
「でもチャンスがきた。婚約破棄になって他の道も選べた可能性は十分にあったけど、私は夢だった魔封石士を選んだわ」
婚約破棄されても、新しい婚約者を探して結婚することはできた。いろいろ噂はされるだろうが、貴族令嬢ならば次の婚約者を探すのが普通だと考えられている。当然本人が何もしなくても親が次を探し始める。実際に第1王子との婚約が白紙になると、両親がすぐに新しい相手を探すため、見合いの場を設けると言ってきた。それをティアナはすべて拒否して魔封石士として王都を離れた。王都を離れる時、両親はきっと反対すると考えて何も言わずに家を出たことは、家族と屋敷の人間、彼女が出ていくことに協力してくれた数人だけが知っている。兄はティアナの考えに賛同してくれて好きにすればいいと言ってくれた。勝手に出て行ったことで両親が怒った可能性はあるが、ティアナは自分で決めた道を突き進むことにした。
「クロードにもチャンスが目の前にあるのよ」
魔力を制御できる魔封石を作りたいと申し込んできた魔封石士が目の前にいる。そんなのは無理だと諦めて拒絶した。それなのに、目の前の令嬢はまだ諦めていなかった。
「昨日の襲撃で思ったわ。魔術師相手には魔法騎士である方が戦いやすい」
確かにその通りだった。あの時は悲鳴で魔術師と戦うことがなかったが、あのまま戦闘が続いていた場合、騎士であるクロードでは遠距離攻撃を得意とする魔術師との戦いは苦労していただろう。距離を詰めることができればクロードにも勝ち目はあるが、あの場にはもう一人男がいた。それに怪我をしたティアナを庇いながらでは圧倒的に不利だった。
クロードが魔法を使える騎士であれば状況を変えられる可能性はあった。ティアナはそう言いたいのだ。
「クロード」
静かな声が泉に響く。いつの間にか地面を睨んで考え込んでいたクロードは視線を上げる。
泉の中で静かにティアナは立っていた。その表はどこか悲しく、寂しそうだ。
「私は何を言えばあなたの心に響くのかしら。何を言えば前を向いてくれる。どうすれば私を信じてくれる」
静かな問いに何も言えなかった。
「俺は・・・」
「手を伸ばして」
「え?」
「あなたはただ手を伸ばせばいいの。その手を私が掴んでみせるから」
実際の話ではない。そのことはすぐに分かった。彼女は心の手を伸ばせと言っているのだ。魔封石を作ることを許可するだけ。あとはすべてティアナが引き受けると。クロードに合った、彼のための魔封石を作るのだと訴えている。
「・・・本当にできるのか」
「それは作ってみてから考えればいいのよ」
あっけらかんとした答えが返ってきた。
「そんなことをして、また力が暴走するかもしれない。君を傷つける可能性がある」
「そんなことを言っていたら何も前に進まないわ」
怪我をする可能性を言っても彼女は動じない。
「私は魔封石士よ。駄目な可能性を先に考えたら新しい石は作れないわ」
ここでクロードはやっとわかった。目の前にいる女性をずっと貴族令嬢として見ていたが違った。彼女は1人の魔封石士としてずっとクロードと向き合おうとしてくれていたのだ。魔封石士としての矜持が彼女を突き動かしている。
それに気づいた瞬間、彼の中にあった頑なな拒絶の心が一瞬にして消えるのを感じた。不安な気持ちはまだあったとしても、魔封石士としてのティアナを否定してはいけない。
「・・・わかった。本当にできるなら、俺のための魔封石を作ってみてくれ」
自然と言葉が出てきていた。
それを聞いたティアナは最初何を言われたのか理解できていない顔をしていたが、言葉を理解すると一瞬で顔を輝かせた。
「まかせて!」
弾むような声にクロードの口元には自然と笑みがこぼれていた。




