クロードの自覚
僅かな気配にクロードは目を覚ました。
今日は午前中に襲撃事件があったものの、その後は何事もなく夜を迎えていた。いつも通りの就寝に緊張感はなく、普通に眠っていたのだが、やはり意識は完全に眠っていなかったのか、廊下を誰かが通り過ぎていく気配に目が覚めた。
侵入者という感じはしなかったが、念のため部屋を出て廊下を見た。夏も終わりに差し掛かってきているが、まだ薄着でも平気な夜だ。
気配が階段を下りていくのがわかった。クロードとティアナ、キースの3人は屋敷の2階にそれぞれ部屋がある。ログは1階に寝室があるし、シャイヤは住み込みではあるが、屋敷の隣に小さな使用人の小屋があるのでそちらで寝泊まりしている。それを考えると今降りて行ったのはティアナかキースだろう。
少しの間躊躇ってから、クロードは下に降りることにした。どちらが起きたのかわからないが、こんな夜更けに何をしに行ったのか確認しておこうと思ったのだ。
階段を下りて廊下を確認すると、キッチンからわずかに明かりが漏れていることに気が付いた。喉が渇いて水を飲みに来たのだろうか。
覗いてみると、コンロに火をつけてお湯を沸かすティアナの姿があった。熱い物を飲むにはまだ季節的に寒くはないが、何をしているのだろう思い声を掛けようとしたが、その前にクロードは彼女の様子がいつもと違うことに気が付いた。
視線は火を見ているのだが、何かを考えているのか呆然とした様子で、火を見ているようで見ていなかったのだ。やがてコンロに置いたポットが蒸気を出して、熱湯になったことを知らせてくる。それでもティアナは動くことなく、視線を火に向けたままだった。
「沸いてるぞ」
そう声を掛けると、驚いた彼女が振り返る。
「お湯」
「あっ」
ポットに視線を移して、お湯が沸いたことを今知ったようだった。急いで火を止めてポットをテーブルに移す。
テーブルにはお茶の用意がされていて、先ほどまで呆然としていたとは思えない動きでテキパキとお茶をカップに入れていた。
「クロードも飲む?ハーブティーなんだけど」
「もらうよ」
紅茶を用意しているのかと思ったが、どうやらハーブティーを飲む予定だったらしい。
もう1つカップを用意して注いでいく。
「こんな時間にどうした?」
ハーブティーの入ったカップを渡されてから、クロードは尋ねた。
「ちょっと、眠れなくて」
カップを眺めながらティアナが呟く。その目がどこか遠くを見ているようで、いつもと違う彼女にクロードは眉をひそめた。彼女が夜中に起きてお茶を飲んだことなど、ここに来てから一度もなかったと思う。クロードに気配を悟られないように起きていたのなら話は別だが、おそらくそんなことをしたことはないだろう。
「エリクスの話か?」
「・・・半分当たりかな」
思い悩んだような表情に心当たりを口にしてみると、ティアナは苦笑した。
「半分?」
「うん。エリクスの話は心配事もあるけど、今は待つしかないから。それよりも・・・私、何も役に立たなかったなぁと思って」
「何の話だ」
首を傾げるクロードに、ティアナは遠くを見るように窓の外に視線を向けた。
「襲撃された時の話」
あの後襲撃された現場に戻ってはいないが、エリクスが通った時には誰もいなかった。地面が所々えぐれ木が傷ついていて、戦闘があった魔力の残像のようなものも感じたらしいが、それ以外に残っていたものはなかった。襲ってきた3人はすでにどこかに消えていた。クロード達を追って森の中に入った可能性もあるが、精霊が護ってくれたので、再び会うようなことはなかった。森の中にいる限り、再び襲撃を受けることはないだろう。
「・・・怖かった」
小さな呟きだったが、夜の静かな時間だったのではっきり耳にすることができた。クロードは何も言わずに次の言葉を待った。
「突然攻撃されることに驚いて、向けられた殺意に身体がすくんだの」
なぜ自分が攻撃されるのかわからないまま、鋭い殺意が向けられた。何が起こっているのかわからず混乱する中で、とにかく逃げることしかできなかったのだろう。
「逃げろって言われたのに、すぐに動けなくて。キースが攻撃されたのを見て足が止まったわ」
両手で持っているカップの水面が揺れ動く。それを見て、ティアナの手が震えていることに気が付いた。手だけではなく肩もわずかに揺れている。
クロードは持っていたカップをテーブルに置くと、両手でティアナの手を包み込んだ。
はっとして顔を上げたティアナからカップを取り上げると、自分のカップの横にそれを置く。
「クロード?」
静かな声がかけられたが、それに答えることなくクロードは迷いなくティアナを引き寄せて抱きしめた。
「え、あの・・・」
突然のことに驚いて固まるティアナだったが、それに構うことなく腕に力を込めた。
前に彼女を抱きしめた時は、落ち込んでいるのを慰めるためのものだった。しかし、今は前と違う感情がクロードを動かしていた。恐怖に怯え、何もできなかったことを悔いている彼女を少しでも安心させたくて、心穏やかに笑っていられるようにしてあげたいと思った。
「魔封石士は非戦闘員だろう。戦えないことを悔やむ必要はない」
抱きしめたまま腕の中にいるティアナに諭すように声をかけた。
「でも、逃げることもできなかったわ」
クロードが駆け付けた時、ティアナは攻撃を受けて逃げる余裕がなかった。それは彼女の責任ではない。
「それを言うなら、俺とキースがちゃんと護れていなかったことに責任がある」
ティアナが悔やむことなど何もないのだ。
ふと、クロードの服をティアナが掴んだ。その手は微かに震えていて、その手を見た瞬間、別のことに思い至った。
今ティアナは自分を責めるような言い方をしているが、それが本音ではない気がする。それよりももっと違う感情が彼女の中でくすぶっている。
襲撃時の話をし始めた時、ティアナは何と言っていただろう。
―怖かった
向けられた殺意に身体が動けなかったと吐露していた。おそらくそれが今の彼女を縛っている。
クロードは腕の力を緩めると、今度は包み込むように優しく抱きしめなおした。
「怖い思いをさせたな。もう大丈夫だから」
できるだけ優しく囁くように言うと、顔を上げたティアナが驚いたような視線を向けてきた。
「何もできなかったことよりも、怖かったんだろう?」
できないことを悔しがるのは後から思ったことだろう。それよりも、最初に向けられた鋭い殺意への恐怖が一番心に突き刺さっているはずだ。
「・・・前に襲われた時は、クロードとエリクスが来てくれることがわかっていたから、その時はそれほど怖いと思わなかったの」
それは2か月前の話。城で行われたパーティーに出席したティアナは、王子殿下の婚約者と庭で襲撃にあった。その時はティアナを囮役にして、クロードとエリクスが助ける作戦になっていた。すべてが計画の上に成り立っていた行動だったので、恐怖心はそれほどなかったようだ。
だが、今回の襲撃は突然で、なぜ襲われているのかわからない状態だった。向けられる殺意を受け止めるには覚悟があまりにも足りなかった。
「もう大丈夫だ」
優しい抱擁に安心したのか、服を掴む手が緩む。代わりに額をクロードの胸に押し付けてきた。
「ありがとう」
静かな言葉が胸に直接響いた気がした。
抱きしてめいた手がティアナの頭にそっと触れようとして、クロードはそこではっとした。
これ以上の接触はまずい。
ティアナに元気になってもらいたくて、笑顔になってほしくて衝動的に抱きしめてしまったが、恋人でもない男女が長時間抱き合っているのは、はたから見ればおかしい。
数度瞬きをして、正常な思考を取り戻したクロードは、今の状況がとてつもなく気恥ずかしいことだと気が付いた。
動揺しているティアナはまだ気が付いていないのかもしれない。
クロードはさり気なく両手を彼女の肩に置くと、ゆっくり体を離した。
少し落ち着いた表情をしたティアナと視線が合う。
「・・・もう遅いから、寝たほうがいい」
瞬きをしたティアナがはっとしたように一歩下がった。彼女も今の状況を自覚したのだろう。途端に挙動不審になり始める。
「えっと、うん。寝ないと駄目よね」
「片づけはしておく」
「ありがとう。それじゃお先に」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
会話の間、視線が合うことはなかった。
足早にキッチンを出たティアナが階段を駆け上がっていく音を聞いてから、テーブルに両手をついて長い息を吐きだした。
もう自覚するしかない。
ティアナの縁談話が持ち上がった時から感じていたもやもやが何なのか。どうしてあそこまで彼女の心を護ろうとしているのか。初めての感覚に戸惑いながらも、クロードは自分が感じている気持ちを素直に受け入れることにした。




