王都からの使者
ティアナの朝は魔封石店の隣にあるパン屋から漂うおいしい匂いから始まる。
この町に来てから朝の目覚めはパンが焼きあがる香ばしい匂いになった。伯爵令嬢のティアナは朝起きれば侍女が身支度を整えてくれて、ダイニングに行って椅子に座れば勝手に朝食が出てくる生活だった。本人が何もしなくても周りがやってくれる世界だったのだ。だが、ここにきてからはそうはいかない。すべてを自分でやらなければいけない。
ベットから起きると、簡単に身支度をすませる。髪も櫛を通して首の後ろでひとまとめにリボンで縛るのみ。店の2階が住居スペースになっていて、外に出るには1階に降りて店の中を通って店の入り口から出る。そのまま隣のパン屋へ行くと、パン屋の正面入り口ではなく横にある勝手口に向かった。
「おはようございます」
扉を開けるとそこは厨房で、今焼きあがったばかりのパンを窯から取り出している男性が振り返った。
「おう、おはよう」
「今日もいい匂いにつられて来ました」
こんがり焼きあがったパンと同じ小麦肌の男性がにかっと笑う。この店のパン職人のダン=カールだ。
「おはよう、ティアナちゃん。今日はふわふわ食パンがあるから持っていっていいわよ」
「リナさん、ありがとうございます。このお店の食パンふかふかでおいしいから大好きなんです」
厨房と店頭をつなぐ扉から顔を出したのはダンの妻のリナ。二人は同い年の幼馴染で3年前にダンの両親から店を引き継いで夫婦二人で店をきりもりしている。ティアナが隣に引っ越してきたその日に声をかけてくれて、いろいろと世話を焼いてくれる。伯爵令嬢だとは教えていないが、貴族出身だということは伝えてあったので料理がほとんどできないティアナにリナが料理を教えてくれたり、店の開店前に顔を出すとパンを格安で譲ってくれたりしてくれる。この町に来て一番最初に幸運だったと思ったのは、隣が親切なパン屋であったことだとティアナは思っている。
焼き立てのパンが入った袋を渡されると、自然と笑みがこぼれる。
お金を渡して店を出ると、自分の店に戻って2階に戻る。台所と寝室が分けられただけの空間がティアナの今の家になる。寝室にはベットにテーブルと椅子が一つずつ。あとは魔封石に関する本が詰まった書棚とクローゼットがあるだけの殺風景な部屋だ。
テーブルにパンを置いて台所に向かう。台所の隅にティアナの腰の高さほどの箱があり、その箱を開けるとひんやりとした冷気が出てくる。水に魔封石を利用して常に一定の温度に保たれた冷蔵庫だ。そこからレタスとトマトを取り出して、レタスはちぎってさらに乗せ、トマトは切ってからレタスの上に乗せる。野菜を持って隣の部屋に戻ると、テーブルの上に置いてある食パンを取り出して野菜を挟んでサンドイッチを作った。台所に戻るとコンロに火をつけてお湯を沸かして紅茶を煎れる。これで朝食の完成だ。ほかにもいろいろ作れればいいのだが、ほとんど料理をしたことがないティアナでは朝食が昼食になりそうなので朝はこれで済ませることが多い。屋敷を出る前の数日だけ料理長を拝み倒して簡単なものだけは教えてもらったが、ここにきて約3か月、あまり上達した気がしていない。家に戻る気がないので、ゆっくりでもできるようになっていかなければとは思うティアナである。
朝食を食べ終え片づけを済ませると、身支度をもう一度整えてから下の店に降りた。
簡単な掃除をして、商品の確認をすると時間を確認して店を開けた。すぐにお客が来るような店ではないので、空いている時間はいつも魔封石の材料の在庫確認や道具の手入れ、商品となる魔封石を作っている。時々新しい魔封石の開発もするが、それは店を閉めてからすることにしている。開発中に事故でも起こしてお客に被害が出ては困るからだ。本格的な開発はまだしたことがないが、そういう時が来たときは店を休業して取り組むことにしている。
会計をするカウンターは広めに作ってあるので、魔封石作りの作業台としても使っている。お客の気配がないのでさっそく魔封石作りをすることにした。
「風属性の魔封石をまだ作ってなかったわね」
水瓶の水を新鮮に保つための魔封石を作っていたが、それは昨日で完成したので、まだ店に置いていない属性の魔封石を作ることにした。
作業台の下に置いといた箱から風属性の魔石を取り出す。魔封石は各属性に合った魔石に魔方陣を刻むことで使いたい能力を発揮できるようになる。魔方陣は魔力を込められる特別な道具で刻むことができる。力の強い魔封石を作るためには強い魔方陣を描かなければいけず、そのための魔力と魔力を込めるための道具が必要になる。
ティアナが今から作ろうとしているのは、暑い日に小さな風を起こして涼むための魔封石だ。石が完成したら石を入れるための道具を道具屋で用意してもらうことにしている。羽のついた箱を作るつもりで、風を起こして羽が回り一定の方向に風を送ってくれるようにしたい。これは毎朝隣のパン屋に通っているときに窯の前で暑そうに作業しているダンを見て作ろうと思っていたものだった。
「では、さっそく」
作業台に魔石を置くと、両手に白いグローブをはめる。金糸で細かな模様が描かれたグローブはティアナの細い指になじんで動きを邪魔することがない。これが魔方陣を刻むための道具になる。
魔石を両手で持つと、頭の中で描きたい魔方陣を想像する。そのままゆっくりと魔石をなでるように手を動かしていく。時々指でなぞったりしながらゆっくりと動かしていくと、魔石がわずかに輝きだし、その中にうっすらと魔方陣が浮かび上がっていく。それと同時に魔石の表面が少しずつ削られて滑らかになっていくと丸みを帯びた石に変わっていった。
「よし、できた」
小指ほどの小さな石が完成する。一つでは弱い風しか起こせないが、いくつか組み合わせることで強い風も起こせるようになる。風量を考えながら道具屋に注文することを考えていると、店の扉が開いた。ドアベルを付けていないので無音の開閉に、やっぱり付けたほうがいいかなと思いながら顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
声をかけた瞬間、ティアナは息を飲んで固まってしまった。
店の入り口に一人の男性が立っていた。暗い紺のローブは艶があって見ただけで高級な素材でできているのがわかる。裾には黒糸で蔦や花といった植物の文様が刺繍させていて、一見するとわからないが光の加減で浮かび上がるようになっている。
「元気そうにしてるな」
男が腕を組んで開きっぱなしの扉に寄り掛かった。
「中に入ったら?」
「貴族令嬢と二人きりで同じ空間はまずいだろう」
「絶対に本気で言ってないわね」
「当たり前だ」
二人に流れる雰囲気は穏やかだが、はたから見ると喧嘩腰にも見える会話だ。だが、これが二人の普通なのでお互いに気にしていない。カウンターから出たティアナは苦笑しながらも男の前に立って両手を広げた。それに応えるように男も両手を広げてティアナを抱きしめた。
「久しぶりね。エリクス」
「王都を出た日以来だからな」
男の名前はエリクス=ベルディーナ。ティアナの4つ年上の魔術師だ。
ブロファリト王国には国王を同等の権利を持つことができる7賢者という存在がある。かつて戦争時代に国王を含んだ7人の戦士が国を守り戦い抜いたことから、戦後に当時の国王が戦い抜いた友への敬意として7賢者という称号を与えた。戦争が終わって200年は経とうとしているが、その称号はいまだに存在し、賢者に相応しいとされる人間を7賢者が見つけ出し、国王が認めることで与えられる。
エリクスはその7賢者の1人であり、魔術師筆頭も務めるリーン=ラナスターの弟子をしている。リーンから将来の7賢者候補として鍛えられている実力派の魔術師だ。
ティアナは2年前に王城で偶然7賢者リーンと出会い、そのあとすぐに弟子であるエリクスを紹介された。第1王子の婚約者であったティアナは妃になるための勉強を王城でしていた。魔力があったことから魔術学園に入学し、そこで魔封石に興味を持ったティアナはリーンとの出会いをきっかけに、こっそり彼から魔封石の知識や技術を教えてもらっていた。ティアナにとって彼は心の師匠であり、表向きは7賢者と第1王子の婚約者だが、誰もいないところでは師弟であった。彼が相手をできないときは弟子であるエリクスに教わったこともある。ティアナにとってエリクスは兄弟子のような存在だ。
「待ってて、今お茶を用意してくるから」
エリクスから離れるとカウンターの横に置いてある丸椅子に座るように促して2階に上がった。すぐにキッチンでお茶を準備して1階に戻ると、彼は座ることをせずにカウンター越しに内側をのぞき込んでいた。
「まだ、基本的な魔封石だけ扱っているのか」
作業途中の魔封石を見て予想したようだ。
「そうよ。お店自体は認知してもらっているけど、そこまでお客さんも来ないし。まだ、オリジナルの魔封石を欲しい人はいないわ」
魔封石店を開いて3か月が過ぎ、もうすぐ4か月になろうとしている。一般的に家庭で使う魔封石を買い求めてくる客はいるが、そこでその人に合った個人的な魔封石を作れることを話しても反応はいまいちだった。
「オリジナルの魔封石を作るとなると、値段も時間もかかるから庶民向きではないみたい」
「日常生活であると便利で値段も手ごろであればそれ以上は求めないだろうな」
その言葉にお茶を渡しながら苦笑するしかない。本当はもっと色々な魔封石を作っていきたいと考えていたが、需要に対して供給がついてきてくれなかった。これが王都でなら貴族相手にオリジナルの魔封石を作ることは可能だっただろう。お金に余裕もあるしなによりオリジナル性の高いものを持つことは貴族にとって自慢にもなる。女性ならドレスや宝飾品がその例だ。流行りの先を行く物を手に入れることができれば見せびらかし自慢することに力を入れる。だが、ティアナは個人的な事情で王都での開業はできなかった。隣町で店を開いてもやっていけると思っていたのだが、そこは考えが甘かった。
「それにお師匠様からの依頼もまだ果たせてないし」
ティアナがこの町で魔封石店を開くことになった理由は7賢者リーンに相談したことから始まっている。婚約破棄されて彼女はまず最初に思ったことは、これからは魔封石のことに関わっていける立場になりたいということだった。そのことをリーンに相談に行くと、彼は場所の提供と店を開くためのあれこれを全部してくれた。その時に1つ依頼も受けていた。
「そのことなら心配ない。師匠も時間がかかることは予想している。気長にやればいい」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、その前にお店が潰れたら申し訳ないわ」
今の状況なら細々となんとかやっていくことはできるだろうが、少しでも客足が減れば途端に潰れかねない状況でもある。
「それなら王都に戻ったら、仕事になりそうな依頼を探しておいてやるよ。貴族なら個人的な魔封石を欲しがる人間もいるだろう」
「思いっきりコネを使ってるけど、助かるわ。ありがとう」
お礼を言うとエリクスはお茶を一気に飲み干して、懐から封筒を1つ取り出して渡してきた。
「今日は状況を見に来たのもあるが、これを渡すために来たんだ。師匠からだ」
封筒を受け取り中身を取り出してみる。神が1枚入っているだけで書かれている内容も簡素だった。
『やあ、ティアナ。元気にしてるかい?実は殿下が婚約者のことで困っているようだから助けてほしいそうだよ』
「・・・・・簡素すぎて内容がわからないわ」
「いつものことだ」
ぽかんとするティアナに対してエリクスは冷静に答える。
「ティアナが婚約破棄されてすぐに新しい婚約者が発表されたことは知っているな」
「詳しいことはわからないけど、地方伯のご令嬢を見初めたとか」
婚約破棄されてすぐに王都を離れたティアナは、第1王子が新しく婚約者を発表したことはログを通して教えてもらっていた。そのあと噂としてこの町にも新しい婚約者の話は広がったが、地方伯の令嬢に王子が一目惚れして婚約までこぎつけたことと、婚約していた令嬢をあっさり切り捨てたという内容だった。実際あっさり婚約破棄を受け入れたティアナからすれば間違いではないのでなんの感情も持っていないのだが、事情を知らない人たちからすれば大事ではあっただろう。そのごたごたが起こることを予期して、王子にすべてを押し付けて引っ越してきたので、その後の情報を特に持っていない。
「その新しい婚約者だが、ティアナが出て行ってすぐに王城に迎えられたんだ。結婚式の日取りは変えるつもりがないようだから、急いでお妃教育をしたかったらしい」
婚約発表と同時に新しい婚約者は城に住むことになった。そこでティアナが受けたのと同じ妃教育をすることになったが、ここで一つ問題が生じた。
「君はもともと王子と幼馴染で幼いころから城を出入りしていただろう。将来は妃にと考えていた人間も多いはずだ。婚約して妃教育を受ける前からそれに近い教育を城の中で学んできていただろう」
「そうね。王子の遊び相手もしていたけど、一緒に勉強することもあったわ」
「だが、新しい婚約者は地方で貴族としての教育は受けてきているが、これから王族になるための心構えや、より詳しい歴史に作法にと何もわからないで来ている」
それを残り1年で頭に叩き込んで体に覚えさせるのは大変なことだ。
「妃教育や取り巻きやらは君を担当していた者達が引き継いだんだが、そこで問題が起こった。周りの者達が君と新しい婚約者を比べるようになってきた」
「それは・・・大変そうね」
最初から妃教育をする事になった周りの人間ならば、やはりいままで見てきたティアナと新しい令嬢を比べてしまうのは仕方がないことかもしれない。だがそれを表に出さないのが担当に選ばれた者達の勤めでもあると思う。
「新しい婚約者とみんなは相性が悪いの?」
「そういうわけではないんだが、どうも新しい婚約者が内気な性格のようで、周りの人間は激を飛ばすつもりもあったようで、ティアナ嬢はもっとできたと言っていたが、それが逆に令嬢を追い詰めてしまったらしい」
前の婚約者と比べられることで新しい婚約者はどんどん追い詰められていったようで、体調を崩すようになってきたかと思うと、部屋から出てくる回数が減っていったそうだ。王子も時間を作って支えていたらしいが、ずっと一緒にいられるわけもなく、妃教育を続けていった結果、担当者と婚約者の間にどんどん溝が生まれていったらしい。
「さすがの王子も困りだして、同じ女性同士ならと王妃に相談したんだ」
「王妃様はなんて?」
ティアナも婚約者だった時は何度もあったことがある王妃だ。将来の娘として可愛がってもらった記憶の方が多い。婚約破棄してからすぐに王都を離れたため、国王にも王妃にも会うことがなかった。
「何度か面会しているが、王妃相手では恐縮してしまってどうも心を開ききれない様子らしい」
新しい婚約者に対しても王妃は寛大にうけいれているらしい。そこはほっとしたが、相手の令嬢は将来の義母になるこの国の妃に委縮しているようだ。
「他にも同世代の令嬢を話し相手に用意してみたり、刺繍をしたりして気晴らしをさせたりしているんだが、だんだん周りの目ばかり気になってすぐに部屋に戻ってしまう。ティアナと比べられたことで、常に回りが新旧婚約者を比べて評価していると思い込んでしまったようだ」
回りから常にティアナ嬢との差を突き付けられているようで部屋の外に行くことが苦痛になってきているらしい。王子が困りだしているのが想像できて、ティアナは複雑な気持ちになった。本当に好きになった女性と結婚したくて婚約を破棄した王子なら、新しく迎え入れた婚約者を支えながら幸せになるのだろうと思っていた。だが実際は周りからのプレッシャーに耐え切れなくて心が潰れそうになっている婚約者をどう支えたらいいかわからずに日々を過ごしている。すべての後始末と今後のことを王子に任せて、何の感傷も持たずに隣町に引っ越してしまったティアナは少しだけ罪悪感が生まれた。
「そこで王子は最後の手段に出ることにした」
同情していたティアナにエリクスは人差し指を立てた。
「最後の手段?」
「そうだ。こうなったら比べられている元婚約者を連れてきて、王子との婚約破棄はお互いの同意があったこと。周りが新しい婚約者と比べることをやめるようにティアナから直接言ってもらえば丸く収まるかもしれないと思ったそうだ」
その言葉にきょとんとしてしまったティアナだったが、内容を理解すると勢いよく椅子から立ち上がった。
「え、私?」
「元婚約者はティアナしかいないだろう」
「そんな急に言われても困るわ。私は王都を出てこっちで自分の生活を始めているのよ。殿下とはちゃんと話して今後のことは関わらないことになってるのよ。それを急に出てきて説明しろだなんて」
「どうしようもできなくなってきているから、殿下も仕方なくの判断だろう。それにこの状況に乗じて周りで不穏な動きも出てきている。できるだけ早く事を収めたいようだ」
「不穏な動き?」
いきなりの指名に動揺したが、それ以外にも城の中で別の動きが生じてきているため、ティアナを呼ぶことにしたらしい。
新しい婚約者が引きこもるようになって、周りはやはりティアナが婚約者として相応しいと言い始めている者たちがいる一方で、今の婚約者は不適合だと言って、自分の娘はどうかと進めてくる者も出てきているそうだ。それを聞いてティアナは頭を抱えたくなった。
「いろいろと悪い方向に進んでいるのね」
自分がいなくなって新しい婚約者が第1王子と穏やかに婚約期間を過ごし、1年後に結婚してくれれば何の問題もなかったのだが、予想に反して婚約者の座を狙った騒動が起こり始めている。
そんな彼女の前にエリクスが1通の手紙を差し出してきた。
「殿下からの招待状だ。10日後の城で行われるパーティーに来てほしい」
「そんな急に言われても、こんな小さな街じゃ衣装の準備だってできないわ。女性は時間がかかるのよ」
パーティー用のドレスなど当然ここにはない。いくら来いと言われても町娘の服で行くわけにはいかない。
「そこの準備はこちらですべて手配する。君は身一つで前日王都に来てくれればいい」
「・・・なるほど。最初からそのつもりだったのね」
10日後なんて無理だと思っていたが、すべては決定事項になっていたようだ。ティアナの意思は関係なく、どうやら行かなければいけない。ため息をついて封筒を受け取る。この10日で心の準備をしておかなければ。
「それから、君を婚約者に据えようとしている貴族がいると言ったが、どうも密かに君を探しているようだ。そのことは用心しといてくれ」
この街ではティアナは魔封石店を営む魔封石士だ。決して貴族令嬢ではない。ばれてしまえば今までの生活ができなくなってしまう。彼女の居場所を特定されるのは避けたかった。
「わかったわ。とりあえずその婚約者騒動をなんとかして静めましょう」
自分の今の生活を守るため、ティアナは決意をした。




