綻び
弥生さんと手を繋ぎ彼女のマンションへ向かう。電車で一時間程度と電話ごしには聞いていた。
駅の構内に入る。不意に見慣れた人物を見つけた。村山先生だ。今日は有給を取得したのだろうか?ま、夏休みだし何も言うまい。どうやら待ち合わせのようだ。
「痛!」
僕の腕をつねる人物がいた。振り向くと顔を膨らませていた。
「先生、彼女と手を繋いでいる時に、よその女性を眺めないで下さい」
「はい。すいません。でも、アレは同僚の村山先生です」
「ますますダメです。社内恋愛。却下です」
弥生さんフグです。もしかして毒も持ってますか?冷静に訂正をいれる。
「村山先生とはそんな関係ではないですよ。それに彼女は今からデートでは?学校の時にと違ってお洒落な感じです。どんな相手でしょうか」
「まあ、相手がいるのでしたら」
弥生さんのやきもちは収まる。相手の方を見てみたかったが、今は弥生さん優先。僕らは移動を始める。
「あ、来た。え?伊藤」
「お祭りの時にあった子ですよね?」
そこにやって来たのは見間違えることなく、僕の生徒の伊藤だ。カジュアルなパンツを履きこなし大人の装いだ。弥生さんの指摘通り花火会場でも二人はセットだった。村山先生と伊藤は腕を組み、どこかへ移動して行った。
「さ、さあ。僕らも移動しようか」
「そうですね」
僕らは何食わぬ顔で電車に乗り込む。電車の中で二人揃って無言だった。弥生さんには先ほどの光景は見なかったことしてもらった。
30分後、彼女の家の最寄りの駅に着く。
「すいません。スーパーで買い物したいので寄り道してもいいですか?」
「構いませんよ」
二人仲良くスーパーへ向かった。
「先生、赤ですか?白ですか?」
弥生さんはワインを手に取り、僕の好みを聞いてくる。
「今晩、カレーですよね?ワイン合うの?」
「あ、合います。たぶん」
「じゃあ。赤で」
「はい」
僕は普通で良いのだが、弥生さんはお洒落な演出を決めたいらしい。カレーの具材以外にも、チーズやクラッカーなどがガゴにいれられた。弥生さんが終始、上機嫌だったからよしとするか。
「あ、お米なかった」
「持つよ」
「ダメです。自分で持ちます。先生は軽いのお願いします」
最後に重い物が来た。これは男の役目だろうと荷物持ちに立候補するとダメ出しが来る。ギプス取れたぱかりの男は戦力外らしい。
買い物を終え徒歩10分。なかなかの地獄だ。夏の日差しは強く、あまり荷物を持たなくても足が痛む。結局、僕自信が弥生さんの荷物になっていた。
「少し待っていて下さいね」
「はい」
弥生さんが住むマンションの部屋の玄関で待たされる。見られてはいけない物が沢山あるらしい。この場所からも彼女のドタバタが聞こえる。
「どうぞ」
「お邪魔します」
ついに女の園に侵入を成功する。しかし、暑さと徒歩で疲れきっていた。
「どうぞ。麦茶です。まずはそこのクッションで休んで下さい」
机の上に置かれた麦茶をぐいっと一気飲みする。生き返る。
改めて弥生さんの部屋の中を見て見る。8畳ぐらいあるリビング。真ん中に机。壁に本棚。百冊以上の文庫がはいっていた。読書家だ。隣にもうひと部屋あるらしい。おそらくは寝室。
本棚と机、クッションしかないリビング。何もなさ過ぎる。寝室に全部しまったのかな?寝室怖いな。
「じゃあ、ご飯作っちゃいますね」
彼女を一度引き留める。
「待って。まずは自分の家事してよ。洗濯とか掃除。僕も何か手伝うよ。何も出来なかったの僕のせいだし」
「そんなのダメです。お客様はリビングで寛いで下さい。それにそこの部屋は綺麗です」
どうやらこの部屋だけは掃除したらしい。寝室が怖い。
「弥生。今晩、寝室で君のこと抱ける?」
「え。今日はダメです。明日から仕事ですから」
僕は立ち上がりもう1つの部屋の入り口に向かう。僕の動きに気づいた彼女は部屋の前に立ちはだかる。
「えへへ。ダメです。大人しく待っていてく下さい」
止めよう。彼女のプライドのためだ。大人しくリビングで読書をすることにした。
本棚を物色する。一冊だけボロボロの本があった。その本を手に取る。あ、これ懐かしい。僕が好きで読んでいた作家のデビュー作の恋愛小説だ。確か廃盤になり、もう手に入ることはないヤツ。僕の手元からは無くなっていた。むさぼるように集中して本を読む。
「ご飯出来ました。運びますよ。あ、その本」
本に集中し過ぎていた。時間の立つのを忘れている。弥生さんがこちらに来る気配も感じなかった。
「いい本だね」
「はい。私の大切な人から貰いました」
「大切な人?」
「はい。大切な人です」
弥生さんはじぃっと僕を見る。僕?そんなわけない。そもそも僕の手元からこの本が無くなったのは何でだっけ?忘れた。弥生?
「恩師から貰ったとか?」
「......はい。ご飯食べましょう」
あれ?弥生さんが寂しそうに見える。なんだろうこのモヤモヤ。ま、まずは腹ごしらえするか。
食卓にはカレーライスにサラダ。クラッカーにチーズが乗り、ワインがグラスに注がれていた。買い物した時の想定通りだな。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
合掌し、カレーを一口頬張る。味がしない。『美味しいよ』と答えれない。
弥生さんは僕の感想を待っている。
「えーと。なんというか。新しい味?」
「なんですか?それ」
誤魔化しは優しさじゃない。よし。
「味しない。たぶん水の入れすぎだね」
「え!」
弥生さんもカレーを口にする。直ぐにスプーンを置いた。
「作り直します!」
「そうだね。ルーを追加すればいいよ。この味無しカレー久々に食べたよ」
「誰かに作って貰ったんですか?」
「あ、いえ。その昔の彼女に食べさせられました」
過去の話だしぶっちゃけてもいいだろう。あの時もルーを追加して作り直して食べたんだよね。あの時の弥生は慌てて愛おしかった。弥生さんは、冷静に対処している。内心は慌ててるかな?
彼女は楽しそうにカレーを作り直している。なんでだ?料理を失敗したのに笑顔だ。不思議な光景だが、何故か安らぎを感じた。




