後編
――お前の父親が無能だったからだ。
――無策に国を攻め取られ、殺された。
――俺たちはこれから売り払われる。行く先を知ってるか? 男なら、良くて最下層の使用人、それよりわるけりゃ前線に送られ捨て駒として傭兵部隊に突っ込まれる。見目のいい女なら貴族の慰み者、でなけりゃ売春宿行き。男も女も、もっと悪けりゃ、金持ち用の見世物としてなぶり殺される。
ヨウに対する、ひいては国に対する憎悪と、狂気を含んだ目。それでいて彼らは皆、怯えていた。
耳をふさぐこともできず、ただ零れ落ちんばかりに両目を見開いて、ヨウは幼い身で罵りを受け続けた。零れる涙はなかった。小突かれもした。床に這い蹲らせられ、頭を押さえつけられて額を汚物に塗れた床に擦りつられもした。
恰幅のいい女が見かね、男たちとヨウの前に立ちふさがるまで、ヨウは一声も漏らさずなすがままになっていた。
――およしよ、この子が悪いわけじゃないだろ。ねえ、大丈夫かい?
差し出された手。ぼんやりとしたヨウの目が焦点を定めれば、ふくよかで肉厚な手のひらには、乾いた泥と血がこびりついていた。ものといたげな様子に気付いたのか、女がふと目を伏せた。彼女もまた、大切な誰かを、何かを失ったのだろう。床に倒れ付したまま、ヨウは小さな拳を力一杯握り締め俯いた。
――ごめ……さ、ごめ、なさ、い……ごめんなさい、ごめんなさい、国を、守れなくて、あなたたちを守れなくて、ごめ、なさ……っ。
目の縁に盛り上がった涙を、唇が切れるまでかみ締め耐えた。泣いていいはずなどないと思った。
口の中に広がる血の味が思い起こさせたのは、悪夢。脳裏を占めるのは、泣きながら短剣を取り出した母親の顔。胸に抱きしめたヨウたちになんども謝っていた。けれど寸前で踏み込んできた兵士に捕らえられその場での自害は適わなかった。彼女たちが引き立てられたのは、踏み荒らされた王座の間。床に転がっていたのは、父王の首。半狂乱の后は、兵士の構えていた剣に、自ら飛び込んだ。わずかの間におきた、惨劇。姉はヨウを抱きしめ、ヨウは妹を抱きしめ、震えることしかできなかった。
姉が他国の高官に買われ、妹が西国の名も無き地へ行く商隊の長に売られたと、しばらくして兵士から聞かされた時、ヨウは牢獄につながれていた。
両腕で抱き込んだ膝に埋めていた顔をのろのろ上げると、残ったお前は奴隷市の目玉として売られるのだと、その兵士は嘲るように付け加えた。
――これでこの国も終わりだな。あんな凡庸以下の王を立てた国民は大馬鹿の大間抜けだ。
鉄柵に顔をつけ、まるで珍獣を見るように牢獄の中を覗き込んでくる兵士に、後から折檻されることは承知の上でヨウは無言のままつばを吐きかけた。姉と妹、二人と引き離され牢に放り込まれた初日、見張りの兵士にされたと同じように。
(父様も母様も、姉さまもミアも、もうこの国には、いないんだ。
ならば、咎を受けるのは、わたししかいない。明日はないかもしれないけど、今このときは、わたしが国だ。最後に残った、サウの国なんだから。せめてここにいる彼らの憎しみや悲しみだけでも、引き受けなきゃいけない)
差し出された女の手に縋ることなくヨウは身を起こすと、両手を突いて頭を下げた。
「父は首をはねられました。母は自害しました。姉と妹は売られ行方がしれません。だからどうか、責めるのはわたしだけにしてください。もうこの国は、再建できないほど蹂躙されてしまった。あなたたちの未来に、わたしは何の希望も与えることができない。だから、一瞬でもあなたたちの気が晴れるというのなら、殺されても文句は言えません」
しん、と場が静まり、張り詰める空気の中、馬車の振動だけが騒がしかった。蹴られるか、殴られるか、ヨウは覚悟を決め、ぎゅっと両目を閉じた。
「やめ、な……っ、やめとくれ!」
血を吐くような叫びに、はっと上向けば、ヨウを助けた女が顔をゆがませ、硬く握り締めた拳を震わせていた。
「いまさら死んで、どうするんだ。もう、何も元通りにはなりゃしないんだよ。これ以上、無用に人が死ぬことなんて、ないんだ。あたしはもう、たくさんだよ。この先、どうなるかなんてわかりゃしない。それでも、生きるしか、ないじゃないか。はいずろうが何しようが、希望なんて、生きてりゃまた、見つかるんだよ」
力任せに引き起こされ、あっと思ったときには、女の胸にかき抱かれていた。
ヨウの母は線の細いひとだった。ヨウが抱きついたら折れそうなほど、華奢で。ヨウを抱きしめている女性と似通ったところはまるでない。それでも母に抱かれているかのようだと、錯覚した。
それから、何がどうなったのか。気が付けば、隙をついて人買いを殴り倒した男たちが馬車から逃げ出し、三々五々散ろうとしていた。呆然とへたり込むヨウに、抱きしめてくれた女性が共に逃げようと云ってくれた。必死で、恐らくは自らの危険を増やす行為でしかなかったろうに、手を差し伸べてくれた。
あれから十余年。あちこちを転々としながら、ヨウはその女性――アリアと共に旅の空のもと暮らした。様々な国を巡った。巡り巡って、憎んでも憎みきれない男の国に辿りついた。しかもなんの因果か後宮に行き着いてしまったというのだから、皮肉としかいいようがない。
「俺が憎い?」
短剣を胸に突きつけられているというのに、男は平然と尋ねてくる。
「ええ。だから罪滅ぼしに殺されてくださいませんか?」
剣先を更に深く男の胸に押し当てる。上質な織物で仕立てられた寝衣に刃先が潜り込むと、さすがに慌てたらしい男は上体をそらして両手をあげた。
「いや、降参降参。殺されてはあげられないけど、それ以外に望むことなら叶えてあげるよ」
「あら、命を惜しむんですか」
「惜しむよ、まだやりたいことあるし。いくらヨウのお願いでも、そればっかりは叶えてあげられないなあ」
「そうですか、まあ――そうですよね」
あっさり認めると、ヨウは短剣をぽいと放り出した。
男が、本気で呆気に取られている。
その事実を目の当たりにし、ヨウは会心の笑みをみせた。
「今の王様であるあなたをどうこうしたところで仕方ありませんから。わたしが復讐すべきなのは先王なんで」
「一応、それの息子なんだけど、俺」
「ほとんど血はつながってないって聞きましたけど?」
「うん、まあ養子だから。行いが祟ったか、虐げられた者の恨みつらみの賜物か、子供には恵まれなかったからね、ラグナ王」
淡々とした男の物言いに、親子の情は薄かったらしいとヨウは苦笑した。
「さて、それじゃどうします」
「どうするって?」
「わたしのこと、兵に引き渡しますか? それともこの場で手打ちにでもします?」
軽く肩をすくめ、おどけたように尋ねると、何故か男はむっとしたようにそっぽを向いた。
「そんなことする必要ないだろ。ヨウには最初からまるで殺気がなかった。はなから殺す気がないのみえみえ」
「……刃を押し付けたとき、結構本気で焦ってたくせに……。まあいいです。悔しい事に、その通りですからね。ラグナ王が亡くなってもう六年。あなたが王位をついでから、この国は変わりました。人は豊かになり、争いは極端に減りました。わたしはあなたを殺さない。だから、どうかわたしのようなものを増やさないで。この地が二度と戦禍に巻き込まれる事がないように。わたしの願いをかなえてくれるというのなら――このまま賢王でいてください」
「わかった――約束する」
真摯に男が頷いた。ふっと、ヨウの身体から力が抜ける。緊張が解ける。
胸を占める喪失感。するりと一粒、黒い瞳から涙が零れ落ちた。
サウの国はたったいま完全に滅びたのだ。
国を負った時、死のうとした自分と、国を負いながら死ねないと言った男。
死ぬことで罪を受けようとすることは、逃げることだったのだと今ならわかる。ヨウがあの時、責める彼らに与えたのは更なる絶望。ほんの欠片でもいい、先につながる糧をこそ、彼らは欲していたというのに。
男の指先がヨウの頬を撫で、涙を掬う。
「このままずっと、俺の傍にいる気はない?」
「馬鹿なことを言いますね。わたしは言うなればあなたにとって抜けない棘。傍に置いていて気持ちのいいものでもないでしょうに」
素早く身を引き、男から距離をとる。目元を自分で拭い、立ち上がる。そのまま露台へ足を向けた。
中二階程の高さから望む景色は、緑に覆われている。涼やかな風がそよそよと流れる。虫の鳴き声、木々のざわめく音、遠くから篠笛鳥がひゅるひゅると絶え間なく鳴いている。
夜は、意外に騒がしい。
露台に出てきた男の足音がヨウの背後、真後ろで止まった。
「そうそう、ご存知かもしれませんが王様、わたしの姉も妹も幸せに暮らしていましたよ」
「へえ、そうなの」
「ええ、二人ともよき伴侶をみつけ、姉には可愛い盛りの男の子が一人。わたし、いつのまにか叔母さんになってました」
「それはすばらしいね。おめでとう」
「ありがとうございます。あなたが手をまわしてくださったお陰です」
散々にすっとぼけていた王が、なんだばれちゃったのか、とぼそりと呟いた。
素性を隠しあちこちを放浪するうち、ヨウは売られたはずの姉と妹に再会していた。
そして真実を聞かされた。その頃既にラグナ王の養子となっていた皇子が姉と妹それぞれを、信用できる人物の元で保護されるよう密かに手配してくれたのだと。
ばつの悪そうに頭をかいた王が、観念したように嘆息した。
「感謝されるようなもんじゃない。あれは俺のささやかな反抗。ヨウもね、あの時、逃げ出さなきゃ、俺の手のものが買い取る手はずになっていたんだけどさ」
「やっぱりそういうことでしたか」
けれどそうなっていれば、今のヨウはなかった。アリアと過ごした年月が、血となり肉となり、ヨウを育ててくれたのだから。人買いの馬車から逃げたことを、後悔はしていない。
「あのさ、ヨウ、賢い王の傍には、賢い后が必要だと思わない?」
「さあ……一概には言えないんじゃないですか? 愚かな妻や夫なら、相手の賢さが引き立つかもしれませんし」
「ヨウってさ、時々えげつないこと云うよね。うん、面白い。だからさ、ここの主にならない?」
いつもの様子に戻った王は、ひどく嬉しそうだ。ここ、とは後宮。主になれとは、すなわち彼の后になれということ。
お断りします、とヨウは肩をすくめた。
「わたしはただの娘ですから。その地位に相応しいとはいえません」
「ただの娘が后になっちゃいけないってことはないよ。俺が望んでるんだし」
「王様――」
ひとりきりで聞く篠笛鳥の鳴き声は恐ろしいですか――ヨウが静かに問う。はっとしたように王は口を噤み、瞑目した。
何故毎夜、同じ時刻にやってくるのか、ずっと不思議だった。篠笛鳥は死者の鳥とも言われている。この世での心残りがあるものは、この鳥の鳴き声を借り、嘆くのだと。
凶王の跡を継ぎこの国の王となった彼の業は、一人で過ごす夜に耐え切れるほど浅くはないのだろう。
「さようなら、ぼんくらな王様。いつか巡りあわせがきたのなら、またお会いしましょう」
振り切るように告げ、ヨウは露台の囲み柵に片足をかけた。
嘆きに傾ける耳を持っているなら、どんな伴侶を迎えようと、彼はきっと賢い王でいられるだろう。
身を乗り出して下を向けば、はかったように馬車があわられていた。
「ヨーウ!」
「アリア」
御者台で馬を繰っているのは、白髪の目立つようになった髪をひとくくりにした恰幅のよい中年女性。離れていたのは、数ヶ月。出遭った頃から少しも変わっていない力強さが懐かしくてたまらない。
ヨウは黒髪を翻し、幌のたたまれた荷台の上に飛び降りた。
「ヨウ、いつか必ずつかまえるよ。三度目こそは逃がさない」
「いつか、篠笛鳥の嘆きが止んだその時にならつかまってあげます――カリュ王」
見上げた露台に佇む男の姿に、ヨウは片手をふった。
空気が、澄んでいる。満天の星空は輝きを増し、荷車のうえで仰向けに寝転んだヨウが、天に向けて腕を伸ばしているのを横目でうかがい、アリアはにやりと笑って声をかけた。
「なんならさ、残ってもよかったんだよ?」
「ん? やぁね、目的は果たしたのに残ってどうするの。後宮に入れられたのは予定外だったけど、王様の人となりは確かめることができたもの。ま、縁があればまた会えるって」
「縁、ねぇ」
ギグの国を治める五代目の王、カリュ。建国王の再来といわれ、先王ラグナが破壊しつくした国の機能と規律を復活させた傑物の若年王その人を間近で見たいとヨウにいわれたときには、随分肝をつぶしたものだ。
しかも、二人が籍を置いていた旅芸人の一座に、宮廷で開かれる宴の余興が命じられた時には、なんの因果かと頭を抱えたくなった。
しかし、結局はヨウの望んだとおり、王の御前で一座は興行することになった。
旅を続けるうちにヨウが開花させた踊りの才は本物だった。踊り子として、ひとたび舞えば、華やかに着飾った王妃候補の娘たちが霞むほどに。
裏方のアリアはカリュ王の姿をその場でちらりとみただけだったが、ヨウを見据えていたあの強い視線に只ならぬものを感じた。
どこまでわかっていたものか。芸達者な者が多いことで評判ではあるものの、わざわざ国外の一座を呼び寄せたことは果たして偶然であったのかと、アリアは疑っている。
この先も、おそらく強引に縁のひとつやふたつやみっつ、あの王なら拵えるかねないと思えた。
「それにしても、気付いてくれてよかった。実はちょっと不安だったのよね」
「あたしの鼻の良さに感謝おしよ?」
アリアが誇らしげにふんと鼻を鳴らす。ヨウが今日香炉にくべた木片は、後宮に連れて行かれる直前、アリアと密かに交わした迎えの合図だった。
アリアは手の足りていなかった厨房に雇われ、夜な夜な合図の香木が炊かれるのを後宮の傍で待っていたのだ。
「さ、みんなが国境の宿で待ってるよ。団長がえらくあんたのことを心配しててね」
苦笑するアリアに、心配かけた分も次の興行じゃはりきって踊らなくちゃと、ヨウは屈託なく笑った。
「アリア、御者台、わたしがかわる。だからすこーしだけ、寄り道していい?」
「ああ、好きにおし。ふた月も待ったんだ、もうしばらくならみんなも待ってくれるさ」
篠笛鳥の鳴く森の外れには、かの凶王が完膚なきまでに打ち壊し、領地として飲み込んだ宮殿の跡地がある。
ヨウにとって全てが終わり、はじまった場所。
荷台に起き上がり、ヨウは大きく伸びをしてアリアと場所を交代した。
ひとつの終わりは、新たなひとつのはじまり。
ふとカリュ王の顔が脳裏に浮かんだ。
「……また、いつか……」
会えるだろうか。気高く、けれど孤独な、あのぼんくらな王様に。
傍にいてほしいと望まれたとき、僅かだが確かに迷ったのだ。残ってもよいと思ってしまったこの気持ちに名前をつけることはできない。つけてはいけない。
さざめきたった心を、ヨウはそっと胸の奥にしまい込んだ。
「ああ、きれいだねぇ、篠笛鳥が鳴いてる」
荷台に移ったアリアが独り言のようにうっとりと呟く。
「きれい? 死者の嘆きなのに?」
「ふふ、篠笛鳥はね、ここよりさらに南の国では愛の言葉を告げる鳥なんだよ」
「ええ? まさか」
思わず後ろを振り返ってしまい、手元が狂った。馬首が揺れ、がたんと荷台が飛び跳ねる。アリアの呻きにヨウは慌てて前を向いた。
「踊っている時の優雅さからは想像できない粗忽さだよ、まったく」
「ごめん。それより、ほんとなの? その、愛って」
「ああ、ホントさ」
アリアがはっきり肯定する。
しばし呆然とした後、ヨウは弾かれたように笑い出した。
「ヨウ?」
いぶかしげな問いかけに、笑いすぎて目尻にたまった涙をぬぐう。
「そっか、そうだよね。忘れてた。国はひとつじゃない。場所がかわれば価値観や意味がかわることなんて、ざらにあるってこと。あーあ、やっぱりひとつ所に留まるものじゃないわね」
だから、これでよかったのだろう。
こうして自由に飛び回り、自分にできることをしていこう。
道を見誤らなければ、彼の道ときっと再び交わるはずだから。
前を見すえる黒い双眸に、もう迷いはなかった。
――また会いましょう、カリュ王。