第44話 異議あり
投稿が遅れてしまいました(汗)
話末に著者からのお知らせがあります。
朝の門前には、鞍をつけた馬が三頭並んでいた。黒馬の鞍には外套と革袋が括られ、供の男が腹帯を確かめている。コンラッドは二日で照合を済ませると言っていた。帰りの支度は、もう整っていた。
門の反対側では、アリアが記録紙の入った革袋を持ち、ギルが四人分の荷を確かめていた。セヴランも祭服の上へ旅用の外套を着ている。
「どちらへ行かれるのですか」
背後からコンラッドの声がした。
「山裾の集落です」
アリアが答えた。
「昨日、事業側に該当する死傷記録は無い、という回答を受け取りました。当時の人たちに、事故のあと何があったかを聞きます」
「提出された資料の外へ、査定の範囲を広げるおつもりですか」
「領内で起きたことを確かめます」
コンラッドはアリアから、ケインたちの荷へ目を移した。それから供の男を呼び、帰路の革袋を鞍から外すよう命じた。
「それなら、私も同行します。父の資料がどのように扱われるのか、見届ける必要があります」
ゲルハルトは同行を拒まなかった。三騎を加えた一行が門を出ると、オスヴァルトとその書記、オットーは領館に残った。受取先へ送る確認願いを進めるためだった。
山道へ入ってから、ケインはアリアと今日の問いを確かめた。
「前に聞いたのは、山で人が働いていた頃、集落で何が変わったかでした」
「今日は、事故のあとですね」
「はい。誰が来て、何をしたかです」
アリアは歩きながら革袋を開き、いちばん上の記録紙を見せた。本人が見た、家族から聞いた、集落の噂。その三つの区分の横に、時期の目印と、その前後に起きたことを書く欄が増えていた。
「月を覚えていなくても、葬式や雪の前後なら答えられるかもしれません」
ケインが言うと、アリアは記録紙を革袋へ戻した。
前を行くギルは、道が曲がるたびに後ろを見た。蹄の音が三頭分、同じ間隔でついてくる。
昼を過ぎて道の先が開けると、山裾牧場の柵が見えた。囲いの脇に立つ牧夫が、近づいてくる一行を見ていた。
柵の前でケインたちが足を止めると、コンラッドと随行書記、供の男も馬を下りた。供の男が三頭を道脇の木へつなぐ。
牧夫は挨拶より先に訊いた。
「前に言ってた、うちの羊が弱ってる理由は分かったのか」
「山から流れてきたものを疑っています。沢と、その上流の泥に、家畜へ害があるかもしれないものが残っていました。水の道を変えてから、新たに下流へ流れ出る量は減った可能性が高い。そこまで分かりました」
牧夫は囲いへ目を向けた。
「それが、うちの羊を弱らせたのか」
「そこを確かめるには、群れの経過も必要です。今から、見てもいいですか」
前に来てから急に倒れた羊はいるか。仔は飼い葉へ寄っているか。ケインが順に訊くと、牧夫は、倒れたものはいない、仔は食っている、と答えた。それから囲いへ入り、前にも見せた痩せた羊を追って、柵際へ寄せた。
ケインは断ってから柵を越えた。あばらに手を当て、あごの下と脚の付け根を確かめる。口を開けて歯を見る。前と同じ若い歯だった。あばらは皮膚の下に硬く触れた。身体はまだ痩せていた。
「前に診た羊は、まだ痩せています。急に倒れる羊が出ないか、仔が飼い葉を食べているかを、これからも見てください。僕もまた見に来ます」
「そうか」
牧夫は柵へ置いていた手を離し、ケインへ向き直った。
「今日は、もう一つ聞きに来ました。山の事故のあと、ここへ誰が来て、何をしたかです」
牧夫はすぐには答えず、コンラッドたちの馬を見た。
アリアはその場で問いを重ねず、先に家々を回ることにした。
最初に訪ねたのは、前にも話を聞いた家だった。アリアが戸を叩き、家の者が開けた戸から、ケインとアリアが中へ入る。ギルは戸口に立った。
コンラッドは随行書記を連れて入ってきた。
事故のあと、役人が来たことはあったかと、アリアが訊くと、家の者は一度、外を見た。開いた戸の向こうに、道脇へつながれた三頭の馬がいる。
「昔のことですから。覚えてません」
「誰かが訪ねてきたことも?」
「さあ。何も」
そのあとの問いにも、覚えていないという答えが続いた。アリアは礼を言い、それ以上は訊かずに家を出た。
「身分のない者の昔の記憶を、査定の根拠にするおつもりですか」
コンラッドが言った。声は、記録室にいたときと変わらなかった。
アリアは次の家へ向かう前に、彼へ向き直った。
「次からは、随行書記の方だけに立ち会いをお願いします。問いは、前に聞いたときと同じ二人で行います」
「私に聞かれて困ることがあるのですか」
「あなたが同席すれば、答える相手に伯爵家の名代が加わります。前と同じ二人が、同じ手順で聞きます。随行書記の方には、口を挟まずに記録だけを確かめていただきます」
コンラッドは随行書記を見た。随行書記が一礼する。
「よいでしょう」
次の家から、コンラッドは戸口の外に立った。聞き取りが終わるたびに随行書記が戻り、記された区分と時期の目印を報告した。コンラッドは住民へ問いを加えなかった。
日が山の端へ近づく頃、一行は牧場へ戻った。
「昔話を集めて、父の資料と比べるおつもりですか」
「はい。ただし、資料と証言は分けます。誰が見たかも記録したうえで、日付が合うかを確かめます」
アリアが答えると、コンラッドは馬の手綱を取った。
「では、証言が集まったところで伺いましょう」
三騎は来た道を下っていった。蹄の音が聞こえなくなるまで、牧夫は母屋の前に立っていた。
やがて戸を開け、ケインたちを振り返った。
「見せるものはない。残ってるのは、置いてた場所だけだ。来い」
母屋の壁際に、戸の付いた棚があった。牧夫は上から二段目を開けた。中には麻袋と木皿が重ねてある。
「掘り仕事の手間賃は、区切りごとにこの庭で払ってた。その日に出たやつを全員集めて、親父が名を呼ぶ。一人ずつだ。出た日と払った銭を帳面につけて、受け取った紙を渡してた」
「その帳面が、ここにあったんですね」
ケインが訊くと、牧夫は眉間にしわを寄せた。
「ああ。最後に払った日の夕方、役人が来て持っていった。帳面は戻って来なかった」
アリアが記録紙を開いた。
「いつ頃だったか、覚えていますか」
「葬式が続いたあとです。雪が降る前でした。日までは覚えていません。ただ、最後の手間賃を払った日です。それは間違いありません」
アリアは、時期の目印の欄へ、牧夫の言葉をそのまま書いた。役人の名と所属の欄は空けた。
四人は、前と同じ納屋を借りることになった。アリアが二泊分の宿代を渡すと、牧夫は前と同じように受け取りを渋ったが、今度は母屋の戸口で懐へ入れた。
「水を運んでた男を覚えてるか」
「はい」
「あいつの親父なら、受け取った紙を捨てなかったはずだ」
翌朝、水を運んでいた男の家を訪ねた。
男は戸を開けたが、父親の物が残っているかと訊かれると、アリアを見たまま動かなかった。
「お借りするつもりはありません」
アリアが先に言った。
「家の中で見せていただき、必要な箇所だけ写します。終われば、その場でお返しします」
「何を探しているのですか」
「掘り仕事で受け取った手間賃の紙です。最後に受け取ったものがあれば、日付を確かめたいのです」
男はしばらく考えてから、四人を中へ入れた。寝台の下から引き出した木箱には、錆びた小鎌と砥石、紐で束ねた紙が入っていた。
「親父は、銭が動いた証しなら捨てるなと言ってました。俺は塩を買った紙まで取っておくことはないと思うのですが」
紐を解くと、紙は品ごとに分けられていなかった。農具の修繕、塩、羊毛、荷運び。端が欠けたものや、湿気で二枚が貼りついたものもある。男が一枚ずつ取り出し、アリアが表を読む。ケインは裏に印がないかを確かめた。
半分ほど見たところで、男が指を止めた。
「山の印だ」
差し出された紙には、掘り仕事の手間賃を受け取ったことと、年月日が書かれていた。下には支払った側の印がある。受け取った者の名はなかった。
「この日は覚えていますか」
「はい。牧場の庭で、親父たちが一人ずつ呼ばれてました。親父がこの紙を受け取るところも見ています。俺も水を運ばされていたので、次の日も行くつもりだったんですが、もう仕事はないと言われました」
「支払いは、皆、同じ日でしたか」
「その場にいたやつは、あの日に全員もらってます。これが最後だと言われたので」
アリアは紙の年月日と印を読み上げた。ケインが写し、欠けて読めない字は空け、その箇所に印を付ける。写し終えると、原本を男へ返した。男はほかの受取紙と一緒に束ね直し、木箱へ収めた。
昨夜、牧夫は、最後の手間賃を払った日の夕方に帳面を持っていかれたと話した。男の父が受け取った紙には、その支払日が書かれている。ケインは新しい記録紙を出し、牧夫が話した「最後の手間賃を払った日」と、受取紙の年月日を別々の行へ書いた。役人の名と所属は空けたままにした。
「事故のあと、あなたの家へ役人が来ましたか」
アリアが訊くと、男は木箱へ手を置いた。
「来ました。寝込んでた人が死んだあとですね。熱病だったと親父に言ってました。俺はそばで聞いてました」
「その役人が、牧場の帳面を持っていったところを見ましたか」
「いいえ」
「名や所属は?」
男は首を振った。
次に訪ねた女は、家の者を葬ったあとで役人が来た、と親から聞いていた。何を言われたかと訊くと、死んだ理由は何も聞かされなかったはずだと答えた。本人が見たことではない。その区分を付けて、アリアは記した。
年寄りの牧夫は、葬式の頃に役人を見たことと、初雪の前にも見たことを覚えていた。
「葬式の頃に一度見た。初雪の前にも見た。一度は牧場のほうへ行ったが、同じ男だったかは知らん。転がり落ちて死んだと、役人が言いに来た家もあった」
「それを、あなたが聞いたのですか」
「いや。そこの家の者から聞いた」
「牧場で帳面を受け取るところは見ましたか」
「見てない」
アリアは二度の目撃を二つの行に分けた。転落という説明は、家の者から聞いた話として別の行へ書いた。
夕方、納屋へ戻ると、アリアは記録紙を床板の上へ日付順に置いた。セヴランが灯りを寄せ、ケインは葬送帳面の写しを開いた。
葬式の前後から、受取紙に書かれた日までのあいだに、役人が複数の家と牧場を訪れている。誰が来たのかは、どの記録にもない。同じ者が回ったかどうかも分からない。
家で告げられた内容も、熱病、転落、何も聞かされなかった、と違っていた。葬送帳面の死因欄にも同じ言葉はあるが、どの家の話がどの死者に当たるかは決められない。役人が告げた内容を書き残した記録が作られたかどうかも、今ある資料からは分からなかった。
ケインは葬送帳面の写しをめくった。弔った日付はある。だが、事故のあとに役人が礼拝所へ来たかどうかは、前回、老人へ訊いていない。
「明日の朝、もう一度、礼拝所へ行きましょう」
アリアは記録紙を束ねず、日付順に重ねた。
翌朝、礼拝所の老人は、四人の顔を見ると奥の櫃へ目をやった。
セヴランが巡察祭司として、葬送帳面をもう一度見せてほしいと頼む。老人は前と同じ三冊を卓へ運んだ。
「今日は、帳面の字だけを確かめに来たのではありません」
セヴランは、掘り仕事の頃の一冊へ手を添えた。
「事故のあと、この帳面を見せるよう求めた者はいましたか」
老人はすぐには答えなかった。卓の向こうで、帳面の表紙を見下ろしている。
「わしが番を継ぐ前の話です。前の人から聞きました。役人が来て、これも出せと言ったそうです」
「前任の方は渡しましたか」
「断った。これは神殿の預かりものだ、領主の役人へ渡すものではない、と」
「役人の名や所属を聞いていますか」
「いいえ。わしは見てもいません」
セヴランはそれ以上、老人の知らないことを訊かなかった。
帳面を開き、前に写した頁と一行ずつ確かめた。葬送の日、死者の名、死因。前に読めなかった文字は、原本を見直しても読めなかった。ケインは写しの同じ箇所を空けたままにした。
セヴランは写しの末尾へ、その日に原本と照らし合わせたこと、原本がこの礼拝所の櫃にあることを書き、日付と名を記した。
「原本は、これまでどおりここで預かってください」
老人が頷き、三冊を櫃へ戻した。
帰り道で、ケインはアリアの持つ革袋を見た。牧場の帳面は持ち去られ、礼拝所の帳面はそのままにされた。誰が何を残し、何を持ち去ると決めたのかは分からない。
「帳面を持っていかれた日は分かりました。領館に戻れば、手間賃や埋め戻しの支払日と比べられます」
「まずは、今日持ち帰る三点を記録へ入れます」
アリアは革袋の口を閉じた。
領館へ戻ったのは、日が傾いてからだった。
記録室にはゲルハルトとオスヴァルトがいた。コンラッドは随行書記の隣に立ち、アリアが卓へ置く三点を見ていた。
「今回の調査で確認した三点です」
アリアは順に表題を読んだ。本人が見たことと人から聞いたことを分けた住民の証言。最後の手間賃の受取紙の写し。山裾礼拝所の葬送帳面の写し。
セヴランは三つ目についてだけ、巡察祭司として原本を閲覧し、写しを原本と照らし合わせたこと、原本が礼拝所にあることを告げた。
「住民の証言が真実か、査定にどう用いるかは、私の職分ではありません」
「小さな田舎村の、素性の知れない村人の話を、父の資料へ混ぜるおつもりですか」
コンラッドが訊いた。
「混ぜません。伯爵家から届いた資料とは分け、領館側からの追加資料として提出します。どこで、誰から得たものかも記します」
オスヴァルトは三つの表題を読んだ。内容に同意するとは言わず、自分の書記へ向き直った。
「受領日、提出者、原本の所在をそれぞれ記録してください。コンラッド様から異議があったことも、同じ記録へ」
コンラッドはオスヴァルトへ目を向けた。オスヴァルトは書記の手元を見ていた。書記は三点の受領日を書き、その下へ、「コンラッド・エーレンフェルト様より異議あり」と記した。
いつも『嫌われるだけだったギフトが、命を救う力に変わる 〜追放された元獣医の物語〜』(通称『けん』)をお読みいただき、ありがとうございます。まず、今回の投稿が遅くなってしまったことをお詫びいたします。
ここまで約6週間、ほぼ毎日投稿を続けてきましたが、このたび中期の海外転勤に伴う移動のため、明日から2週間ほど更新をお休みします。実は米国から日本への派遣なので、海外転勤というより出戻りなのですが……。
毎日楽しく執筆を続けるなかで、少しずつ読んでくださる方が増えてきたことを、とてもうれしく感じています。ここまで応援してくださった皆様には、本当に感謝しております。
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