第43話 記載なし
照合を始めて八日目の昼前、領館前の坂を、六騎と一台の馬車が上ってきた。
資料を待つあいだ、外れの牧場、南原、また外れの牧場と回った。外れからは昼に戻って照合へ加わり、南原へ出た日は、領館へ戻る頃には日が落ちていた。期限の日には、加算を前提にした回復の計画も提出された。ケインは巡回の書き付けへ日付を増やしたが、西へ送った四つの請求について、新しい知らせはなかった。
その日、昼前の読み合わせを遮ったのは、坂を上ってくる蹄と車輪の音だった。オットーが上納帳へ札を挟み、記録室にいた者たちが窓へ顔を向ける。
ケインは記録室の窓から、先頭の栗毛を見た。オスヴァルトが宿との行き来に使っている馬だった。その横に、見覚えのない黒馬が並んでいる。乗り手は若い。濃紺の上着には皺一つなく、肩から留めた短い外套も、坂を上ってきたばかりとは思えないほど整っていた。
「伯爵家の旗です」
アリアが窓辺で言った。ケインが見分けられたのは、黒馬のうしろで風に鳴っている旗が、オスヴァルトの再来した日に見たものと同じ色だというところまでだった。
馬車が門内で止まる。荷台から下ろされたのは、両腕に収まるほどの木箱だった。オスヴァルトの書記が挟み板を抱えてついている。
アリアは窓を離れ、ケインへ言った。
「父のところへ行きます。ケインも来てください。請求した資料のようです」
ケインは手元の束を閉じ、机へ置いて、アリアのあとに続いた。
玄関広間では、ゲルハルトが階段の下で一行を迎えていた。若い男は外套を随行へ預け、ゲルハルトと向き合った。背はオスヴァルトより高い。腰には細身の剣があったが、鞘にも柄にも、使い込まれた跡は見えなかった。
オスヴァルトが一歩進み出た。
「エーレンフェルト伯爵家のご嫡男、コンラッド様です」
コンラッドはゲルハルトにだけ、浅く頭を下げた。
「コンラッド・エーレンフェルトだ。父の名代として、届けた資料の照合に立ち会う。長居をするつもりはない。今日から二日で済ませていただきたい」
「ゲルハルト・ヴァンデンガルフです。遠路をお越しいただき、恐れ入ります」
ゲルハルトは礼を返したが、日数には答えなかった。コンラッドの視線が、階段脇へ移る。アリアはまだ名乗っていなかった。
「アリア嬢ですね」
「はい。アリア・ヴァンデンガルフです」
「領務に深く関わっているそうですね」
「必要な仕事をしております」
コンラッドは頷いた。それからケインと、少し離れて立つオットーを見た。誰かとは訊かなかった。
木箱の封は、記録室で改めることになった。ゲルハルトがセヴランへも使いを出すよう命じた。コンラッドは、自分の随行書記に箱を運ばせた。ケインたちが廊下へ向かうと、うしろで硬い靴音が一定の間隔を保って続いた。
記録室の長卓から、照合中の帳面が脇の卓へ移された。箱は中央に置かれ、赤い蝋で二箇所に封がされていた。コンラッドの書記とオスヴァルトの書記が一つずつ確かめる。二人が頷くと、コンラッドが小刀を入れた。
中には、紐で分けた記録の束が六つと、四項目への回答書が入っていた。束の表には、伯爵家の記録庫で写した日と、写しを作った書記の名がある。原本の保管場所も添えられていた。
セヴランが到着すると、ゲルハルトは請求書の控えを開き、回答書と並べた。
「項目ごとに見ます」
アリアが言った。オスヴァルトは異を唱えず、書記に新しい記録紙を出させた。
一つ目は、山への立入りを禁じる主家の命令だった。回答に添えられていたのは、現行の命令の写しだった。発出した者と年月日、現在も命令が有効であることは書かれている。請求した、根拠となった事実または判断の欄はなかった。
「命令の写しはあります。根拠への回答は、ありません」
アリアが読み上げると、コンラッドが向かいから言った。
「命令が有効であることは、それで確認できるでしょう」
「はい。有効であることは確認できます。何を根拠に出されたかは、確認できません」
二つ目は、掘削事業の名称、目的、期間、責任者、人員だった。
最初の束に、上位の貴族から伯爵家へ出された要請の写しがあった。表題は、地下資源の探索。発出の日付と、受けた伯爵家の印がある。しかし、何を探すのかに当たる箇所がない。前の文は途中で切れ、次の行は、必要な人員を選定するよう求める文から始まっている。
別の束には、掘る者、測る者、荷を運ぶ者の人数と、その期間が並んでいた。責任者の名はなかった。要請の表題とは別に、事業の名を記したものも見当たらない。
ケインは、要請書の写しと人員の記録を日付の順に並べた。要請のあと、人員と資材の手配は始まっている。どの資源を探すのかと、どこを掘ると決めたのかは、その間のどこにもなかった。
「場所を決めた記録は、どれですか」
ゲルハルトが訊いた。
コンラッドの書記が箱の目録を確かめる。
「提出資料には、ございません」
三つ目には、埋め戻しの発注があった。土、板材、運搬の荷車、人夫。どこへ運んだかは事業区画の名で記され、領の略図と対照できる処置図はない。事業を終えた理由も、回答には書かれていなかった。
ケインは、埋め戻しの発注も列の末尾へ置いた。探索の要請から人員と資材の手配へ進み、最後には埋め戻している。
「何を探したのか。なぜこの場所を選んだのか。なぜ埋め戻したのか。ここに記録されているものだけでは、どれもつながりません」
コンラッドの目が、初めてケインへ正面から向いた。
「この者は、男爵家の記録を読む立場なのですか」
「私が同席を求めました。名はケインです」
答えたのはゲルハルトだった。
「回答書に名のあったケインですね。その者を、伯爵家の事業記録に立ち会わせる、と」
声は穏やかだった。笑いもなかった。
「はい。この発注に書かれた事業区画が、いまの坑道跡なのか確かめるためです」
ケインが答えた。
「前後がつながらないというだけで、伯爵家が何かを隠したとお考えですか」
「そうは言っていません。提出された資料だけでは分からない。だから、確かめています」
コンラッドは返事をせず、オスヴァルトへ顔を向けた。
「記載がないなら、存在しないものとして進めればよい。査定は、提出されたものを調べるための手続きでしょう」
オスヴァルトは、自分の書記が記した行を読んだ。
「存在しない、とは書けません。提出資料に記載なし、と記します」
「同じことでは?」
「いいえ。前者は記録そのものが存在しないという判断です。私は、伯爵家から提出された資料に記載がないことだけを確認しました」
コンラッドは、オスヴァルトを見たまま黙った。オスヴァルトは筆記を続けるよう書記へ合図した。
四つ目への回答は、当該事業側に、該当する死亡または負傷の記録なし、という一行だった。
ケインは、山裾礼拝所で見た頁を思い出した。同じ頃合いに並んだ名前と、熱病、転落、作業中の事故という短い記載。山で働いた者の死が同じ時期に集まっていることは、集落で聞いた話とも重なっていた。
アリアがその一行を読み、請求書の控えへ目を移してから、セヴランを見た。
「神殿側には、同じ時期に山の掘り仕事へ出た者の葬送記録があります。ただし、これは村の弔いの記録です。事業側に記録が残っていないという回答と、直ちに矛盾するものではありません」
アリアはうなずいた。
「では、回答は済んでいますね」
コンラッドが言った。
「……はい。この項目への回答として受け取ります」
アリアが答えた。
四項目を見終えると、ゲルハルトは埋め戻しの発注をオットーへ渡した。
「板材と工具は、こちらでも代を払っている。支払いの帳面を持ってきてくれ」
運ばれてきた古い帳面には、事業へ納めた板材と工具の支払先が残っていた。商会名は二つ。その一つには、いまも領館が農具を頼むことがあった。途中で荷を受け取った場所の名もあった。
「この二つの商会へ使いを出してくれ」
ゲルハルトが言った。
「査定の範囲を、男爵家の判断で広げるおつもりですか」
「領の支払いと受け取りを確かめるだけです」
アリアは二つの商会名をオットーへ読み上げた。受取先については、領館の名で確認願いを作り、オスヴァルトへ渡した。オスヴァルトは受取日を書記に記させ、自分の挟み板へ収めた。
日が傾く前に、資料は箱へ戻された。オスヴァルトの書記が、提出された六束の目録と、四項目への回答、記載のなかった事項を読み返した。ゲルハルトとオスヴァルトが照合の結果に署名した。
記録室を出たところで、コンラッドがアリアを呼び止めた。
「アリア嬢」
ケインは数歩先で足を止めた。アリアが振り返る。
「何でしょうか、エーレンフェルト様」
「どうぞ、コンラッドとお呼びください」
「ご用件は何でしょうか」
「あなたほどの方が、この領の始末に付き合う必要はないでしょう。帳面も人の動かし方も、よく分かっている。もっと大きな家でなら、その働きにふさわしい場所があります」
アリアはコンラッドを見た。廊下の先では、オットーが照会に使う帳面を抱えて待っている。
「これは、わたしの領の仕事ですから」
「今日は人も多い。次は、二人で話せる時間を取りましょう」
「その必要はありません。失礼いたします」
アリアは一礼し、オットーのところへ歩いていった。コンラッドは追わなかった。代わりに、廊下に残ったケインへ目を向けた。
「お前も、まだ仕事があるのではないか」
「はい」
ケインは頭を下げ、アリアたちのあとを追った。
記録室へ戻ると、商会へ送る照会の下書きが始まっていた。アリアは一枚目の上に商会名を書き、支払日と品目をオットーに読み返す。ケインは自分の記録の束を開き、坑道跡の略図を出した。
埋め戻しの発注には、第七試掘区とあった。ケインの略図にある呼び名は、坑道跡だけだ。届いた六束からは、同じ場所かどうかまでは確かめられなかった。




