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第40話 もう一通の返書

 坂を上りきった一行の先頭が、門を入ってきた。ケインは巡回の記録を胸に抱え、降りたばかりの馬車のそばから下がって道を空けた。馬車は厩番(うまやばん)が引いていき、使用人たちが門柱の内側へ集まってくる。


 先頭で馬を降りたのはオスヴァルトだった。続く書記は、前にも領館へ来た男だ。そのうしろから随行の二人が降り、荷馬車の荷台へ回って、革張りの箱を両側から抱えて下ろした。大きな箱ではないのに、二人がかりだった。旗を持った騎手と残りの数騎は門を入らず、外で馬を歩かせている。


 知らせを受けて出てきたゲルハルトとアリアが、玄関の前に立った。ギルはアリアの斜め後ろに着き、一行と玄関とのあいだへ視線を往復させている。


 オスヴァルトはゲルハルトの前へ進み、一礼した。


「先日お預かりした回答書と参加者記録は、上位領主家である伯爵家へ提出いたしました。本日は、それに対する伯爵家からの返書を、お届けに参りました」


 書記が捧げ持っていた平たい包みを、オスヴァルトが受け取って差し出した。


「伯爵家より、ヴァンデンガルフ男爵へ」


 包みには、赤い封蝋(ふうろう)が押されていた。ゲルハルトは両手で受け取り、封蝋の面を(あらた)めてから顔を上げた。


「確かに受け取った。遠路、ご苦労だった。中で伺おう」


「恐れ入ります。お話に同席いただきたい方が、書面で指定されています。ゲルハルト様、アリア様——それに、ケイン殿です」


 自分の名が出て、ケインは半歩前へ出た。


「僕も、ですか」


「回答書に名を記された方のうち、同席をお願いする方として、名が挙がっています」


 ゲルハルトが振り返って短く頷き、アリアが使用人の一人へ、オットーに記録室で支度をして待つよう言い付けた。随行の二人は革張りの箱を挟んで歩き、オスヴァルトと書記が続く。ケインは巡回の記録を持ったまま、列の最後に着いた。



 執務室へ入ると、革張りの箱は長卓の端へ据えられた。箱には鍵が二つあり、片方を随行の一人が、もう片方をオスヴァルトの書記が開けた。中に入っていたのは、封をした薄い包みが一つと、何も書かれていない記録紙の束、それに筆記具だった。


 ゲルハルトは上座に着き、門前で受け取った包みを卓へ置いた。アリアとケインが右手に並び、向かいにオスヴァルトと書記が座る。随行の二人は箱の左右に立ち、ギルは扉の外に残った。


 ゲルハルトは封蝋へ小刀を入れ、紐を切った。中には、伯爵家の印のある返書と、項目を分けて書いた別紙が入っていた。最初の一枚を開き、上から読んでいく。アリアが横から文面を追い、ケインの席からは、末尾の大きな印だけが見えた。


 読み終えるのを、全員が黙って待った。ゲルハルトは返書を卓へ置き、指を印の横へ置いたまま言った。


「提出した回答は、受理された。そのうえで、上納の遅れと、工事に関わる支出について、査定を行う。……そう読んでよいのだな」


「はい。一つ、先に申し上げます」


 オスヴァルトは、姿勢を変えずに続けた。


「伯爵家は、回答書と参加者記録に書かれた事実を、査定の基礎として採用しました。工事を行ったかどうか、誰が何に名を書いたかを、ここで改めてお尋ねすることはありません。本日は査定の開始をお伝えし、追加で提出していただく記録と、期限を定めます」


「こちらが報告した中身を前提に、責任と負担を判断する、ということですね」


 アリアが念を押した。


「そのとおりです」


 書記が、箱から出した記録紙の一枚目へ日付を書いた。箱の脇でも、随行の一人が自分の紙へ筆を走らせた。ゲルハルトは椅子へ座り直した。


「分かった。項目を聞く前に、一つだけ言っておく。遅れた事実も、使った額も、こちらから隠すつもりはない。出せと言われたものは出す。ただ、出した紙がどう読まれたかは、そのつど確かめさせてもらう」


「結構です。読み違いは、双方の損になりますので」


 オスヴァルトは別紙を開いた。


「査定は五項目です」


 一つ目は、上納の遅れだった。回答書には、工事を続けたために上納が遅れること、その責任をゲルハルトが引き受けることが記されている。伯爵家が求めたのは、未納となる見込みの額と、次の収穫までにどこまで納められるかを示す回復の計画だった。


「見込みの額は、いまある上納帳から出せます」


 アリアが答えた。手元の記録紙に、上納帳、と書く。


「計画には、秋の収穫を見積もる根拠も添えてください。牧場からの納めは、いまの頭数と出荷の見込みで結構です。期限は、七日後とします」


「七日後ですね。間に合わせます」


 アリアが答え、日付を書き添えた。


 二つ目は、遮断工事に伴う追加の支出だった。予備費から何にいくら出したか。領館や牧場の備品から何を回したか。職人と作業の者へ何を渡したか。支出の帳面と、物を出した各所の記録を突き合わせ、職人の側に残る受取の記録とも照合するという。


「予備費の出入りは、支出の帳面に分けて書かせてある。板や釘のように備品から回した物は、出どころの側の帳面だ。突き合わせれば、行き先は追える」


 ゲルハルトが言い、アリアが帳面の名を書き足した。


「ハインツとヨルグには、今日のうちに使いを出します。受取の記録が揃う日が分かり次第、お知らせします」


「照合は、領館の帳簿の側から先に始められます。日取りは、最後にまとめて決めましょう」


 三つ目は、村ごとの交代労働だった。参加者記録はすでに提出されている、とオスヴァルトは別紙の一行を指で押さえた。求めるのは、募集を伝えた文書の控えと、通常の賦役(ふえき)を記した今年の帳面だという。


「同じ期間に、別の役を重ねて課していないかを、村ごとに見るためですか」


 アリアが訊いた。


「はい。交代労働の重さを、通常の役と合わせて見ます」


 アリアは二つの名を書き、保管の場所を横へ添えた。どちらも記録室にあるらしく、取りに立とうとはしなかった。四つ目も、オスヴァルトは同じ調子で読み上げた。


「神殿が山への立入りを止めるよう勧告したあとに行われた、調査と工事についてです。誰が、いつ山へ入り、何を確かめたか。危険な場所が見つかったあと、どの時点で立入りの範囲と作業の手順を改めたか。それから、工事を終えた日の分かる記録を、提出してください」


 ケインは、手元へ落としていた目を上げた。額ではない。帳面の突き合わせでも、判断の日付でもない。


 誰が、何を、山で確かめたか。


 診察で所見を並べると、一つだけ他と揃わないものが出ることがある。揃わない所見は消さずに残す。原因を先に決めないためだ。ケインは頭の中のその場所へ、いまの引っかかりを置いた。


 アリアが答えるまでに、間はなかった。


「山の調べのあいだの記録は、わたしが書いたものが領館に残っています。工事へ移ってからは、日ごとの工事記録です」


「調べの記録は、伯爵家へは出ていませんね」


「はい。領館の控えだけです」


「では、その束と、該当する日の工事記録を提出してください。立入りの範囲を改めた時点は、どの記録で追えますか」


 アリアの目が、隣へ動いた。


「範囲を決めたのは、僕です」


 ケインは言った。


「調べの記録は、日ごとに、どこを見て、何が分かって、次に何を確かめるか、の順で書いてあります。範囲を狭めた日は、狭めた理由も同じ日の紙にあります。場所の呼び名は僕が付けたものなので、外の方が読まれるなら、略図と呼び名の対応を一枚、書き添えます」


「お願いします。読み手の側の間違いが減ります」


 向かいで、書記の筆が短く動いた。答えながら、呼ばれたのはこのためかと思う。四つ目の署名者で、調べの記録の当事者。筋は通る。


 四つ目のあいだ、ゲルハルトは一度も口を開かなかった。支出の話では、帳面の出どころを自分から言い添えていた。いまは、卓の上の返書に目を置いたまま動かない。ケインは上座の横顔から、別紙へ目を戻した。


 五つ目は、工事続行の判断と、責任の所在だった。別紙には、回答書に記された責任の区分が、そのまま写されていた。オスヴァルトは写した区分を読み上げ、相違がないかを尋ねてから、求めるものを告げた。工事続行を決めるまでに受けた報告と、判断した日の分かる記録。


「区分は、書いたとおりだ」


 ゲルハルトが言った。


「工事を続けると決めたのは私で、そのために上納が遅れ、予備費を使った。この二つは、私の名で査定を受ける。工法や手順に名を書いた者たちへ、続けるかどうかの判断まで及ばせることは、しないでもらいたい」


「区分は、提出されたまま査定します。変える決定があった場合は、書面でお伝えします」


「それでいい。判断までの報告には、口頭のものが多い。日付は工事の記録と、アリアの控えで追える。揃えて出す」


 書記が五項目の下へ、提出の一覧を書き終えた。箱の脇の一人が自分の紙と見比べ、行を順に追っていく。アリアがオットーを呼ぶために立ち、ゲルハルトはケインへ顔を向けた。


「ケインはここまででいい。巡回の記録を片づけて、手が空いたら記録室を手伝ってくれ」


「はい」



 事務室で巡回の記録を綴じ終えたころ、記録室から呼ばれた。


 長卓には、帳面と束が並び始めていた。上納帳。支出の帳面。募集を伝えた文書の控え。役の帳面。オットーが一つずつ所在と年を見て、原本を領館の中で見せるものと、写しを作るものとへ分けていく。アリアが札を書き、分けた側の紐へ結んだ。問いと短い答えのほかに、話す声はなかった。


 山の調べの記録は、革袋に入った束のまま運ばれてきた。ケインは日の順を検め、範囲を狭めた日の紙へ、オットーから受け取った札を挟んだ。滲み。窪み。東の縁。調べるために付けた呼び名の横へ、別の目で読まれるための対応表が付くことになる。ケインは略図の写しを一枚借り、呼び名を書き入れる欄を作った。


 下書きを終えて廊下へ出ると、窓際にオスヴァルトが立っていた。一覧の清書が終わるのを待っているらしかった。


 ケインは足を止め、迷ってから口を開いた。


「監察官。一つ、伺ってもいいですか」


「どうぞ」


「僕の名は、どなたが選んだのですか」


「伯爵家のどなたが、ということでしたら、分かりません。私のもとへ届いたのは、三人の名が書かれた書面で、選んだ方の名も、理由も、そこにはありませんでした。私が言いつかったのは、名をお伝えして、同席していただくところまでです」


「……山の記録のため、でしょうか。それなら、分かるのですが」


「それも、私には分かりません。書かれていないことを、推測でお答えする立場にもありません」


 答える声は、執務室で五つの項目を読み上げていたときと変わらなかった。廊下の先から書記が清書の終わりを知らせ、オスヴァルトは一礼して執務室へ戻っていった。


 記録室へ引き返すあいだも、確かめた中身を問う四つ目と、理由の書かれていない自分の名前が、頭の隅に残っていた。



 日が傾く前に、提出の一覧と期限がまとまった。


 ケインも呼び戻された。清書された一覧には、略図と呼び名の対応表が、ケインの名で入っている。調べの記録の束は、書いたアリアの名の下だ。出す者が自分の項目に目を通してから、双方が署名する段取りだった。ケインは卓の端の椅子に着き、対応表の行を目で追った。


 ゲルハルトが一覧を末尾まで読み、オスヴァルトへ返す。回復の計画は七日後まで。帳簿の照合は三日後に領館の側から始め、職人の受取の記録は、日が決まり次第。原本はこの領館の中で見せ、持ち出しの要る箇所は、双方の書記が立ち会って写しを作る。アリアが期限を一つずつ読み返し、オットーの控えと突き合わせた。


「原本は、領館の外へ出さない。それで、伯爵家は困らないのだな」


「困りません。写しの作法は、いまの取り決めのとおりです」


 提出の一覧は、同じものが二枚清書されていた。ゲルハルトが二枚に署名して男爵印を押し、オスヴァルトも同じ二枚へ署名する。一枚は領館の控えとして、もう一枚は伯爵家へ持ち帰る分として、書記がそれぞれの挟み板へ収めた。窓の光は、もう西日の色に変わっていた。


 手続きが終わると、随行の一人が革張りの箱を開け、残っていた薄い包みを取り出した。門前の返書と同じ、赤い封蝋が押されている。


 オスヴァルトは包みを両手で受け取り、卓を回って、ゲルハルトの前へ立った。


「伯爵家から、もう一通お預かりしています。査定の開始が決まり、双方の署名が揃ったときにお渡しするよう、言いつかっていました」


「……聞こう」


「今回の査定には、上納の遅れの扱いを軽くできる条件が付されています。これは、その条件を記したものです」


 オスヴァルトは包みを卓へ置き、封蝋の向きを当主の側へ直した。


 ゲルハルトは、すぐには手を伸ばさなかった。

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