↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/44

第23話 系統不明

 翌朝、ケインがイレーネの寝室へ入ると、マルタはすでに寝台の脇にいた。


 寝台の脇には、昨夜の記録が置かれている。マルタは記録より先に、イレーネへ眠れたかを尋ねた。自分の指で脈を取り、胸元へ手を添えて呼吸を確かめていく。


 ケインは反対側に立ち、その手が離れるのを待った。


「杯を持ってみていただけますか」


 マルタに言われ、イレーネは卓上の杯へ手を伸ばした。片手で持ち上げたものの、口へ運ぶ前に一度、卓へ戻す。


 昨日の治癒直後には、休まず二口飲めていた。


「腕が重いですか」


「少し。でも、昨日より悪いというほどではありません」


 声は明瞭だった。短い返事だけで息を継ぐこともない。ただ、枕から離していた背は、話し終える前にゆっくり沈んだ。


 マルタはもう一度手首へ触れた。


「今は休んでください」


 イレーネが目を閉じてから、ようやく卓上の記録を開く。昨夜、目を覚ました回数。息苦しさを訴えた時刻。夕食と水の量。マルタは一つずつ、侍女へ確かめた。


「朝食は」


「粥を五口ほど。昨夕より少ないですが、水は今朝の方が飲めています」


 マルタは昨夜の記録と侍女の答えを見比べ、紙を閉じて卓上へ戻した。


「呼吸は施術前より深い。声も保たれています」


 ケインは卓へ戻された杯を見た。


「ただ、昨日の直後よりは起きていられません」


「治癒の直後より疲れて見える。それは認めます」


 マルタの声が硬くなった。


「ですが、長く衰弱していた方です。治癒を受けた翌朝に同じだけ動けないからといって、施術の結果まで判断されては困ります」


「判断していません」


「では、何を言いたいのですか」


「良くなったことと、今朝できなかったことを分けて残します」


 ケインは閉じられた記録へ目を落とした。


「昨日の直後と今朝だけでは足りません。そのために、朝と夕方で同じことを見たいです」


 マルタの視線が、ケインの顔から閉じた記録へ移る。やがて、記録をもう一度開いた。


「食事と水、眠り、声が弱くなるまでの様子、起きていられた時間。手足の冷えと息苦しさ」


 前日までの項目を、指先で順に確かめていく。


「これを朝と夕方に?」


「はい」


「記録は毎回わたしにも見せてください。食事を替えたことへ、先に結びつけないでください」


「分かりました。原因は後で考えて、変わったことを残します」


 ケインは紙を受け取り、今朝の欄へ、杯を一度卓へ戻したことと、短い返事では声が保たれていたことを分けて書いた。その下に、夕方、と新しい欄を作る。


 診察を終えて廊下へ出ると、セヴランが窓際で待っていた。


「昨日の続きを、正式に伺います。人の出入りがない部屋を借りています」


「分かりました」


 ケインは答えてから、閉じた寝室の扉へ目をやった。昨日、成人の儀について問われたとき、アリアはケインへ視線を向け、返事を待っていた。


「アリア様にも、同席をお願いできますか。成人の儀の結果について、事情を知っています」


 セヴランは一度頷いた。


「本人が承知するなら、構いません」


 ケインはアリアを捜すため、セヴランとともに階段へ向かった。


 アリアは事情を聞くと、すぐに同席を承知した。


 案内された小応接室には、四人掛けの卓と椅子があるだけだった。ギルはアリアが入るのを見届け、廊下側から扉を閉める。


 セヴランはケインと向かい合い、昨日の二通目を卓上へ置いた。アリアはケインの隣に座った。


「報告には、ケインという名しかありません。まず、あなた自身のことから確認します」


「はい」


「年齢は」


「十五歳です」


「成人の儀を受けたのは、今年ですか」


「今年の春です」


 セヴランは聞いた順に紙へ記した。


「出身は」


「西です」


「家を出たあとは、どちらへ」


「街道を東へ進みました。その途中で森へ入り、アリア様たちと会いました」


「この領では、家名を名乗っていないのですね」


「はい」


「家名を失ったのですか。それとも、名乗らないと決めたのですか」


「名乗らないと決めました」


 隣で、アリアは膝の上に両手を重ねていた。


 セヴランは家名の欄を空けたまま、別の行へペンを移した。


「家を出たのは、あなたの意思ですか」


「違います」


「追放された、と考えてよいですか」


「はい」


「理由は」


 ケインは、膝の上で指を組み直した。


「成人の儀で受けた、鑑定の結果です」


 セヴランのペンが止まった。


「水晶は反応しましたか」


「はい。表示が出ました」


「神官は、何と言いましたか」


「正規の神聖文字ではなく、読めないと言いました」


「神官は、何と記録しましたか」


「判読不能、系統不明、ランク外です。表示そのものが、どのように記録されたかは知りません」


 丸みを帯びた二つの文字は、今なら読める。


 けん。


 その読み方は、胸の内に留めた。


「家では、その判定を理由に?」


「欠陥のあるギフトだと扱われました。翌朝、追放を告げられました」


 セヴランは書き終えてから、昨日の二通目を開いた。


「羊と狐型魔獣を処置した際、右手に反応があったと言いましたね」


「はい」


「その反応と、成人の儀の表示は関係していると考えていますか」


「可能性を最初に指摘したのは、アリア様です。僕も疑っていますが、証明はできていません」


「分かっていることは」


「症状のある動物や、黒い棘のような危険物へ近づけると、右手に圧迫感や痛みが出ます。触れている間、何かが身体へ広がるのを堰き止められることがあります」


「毎回ですか」


「黒い跡や棘に触れたときは反応しました。ただ、強さは同じではありません。圧迫感だけのときも、痛みまで出るときもあります」


「傷を治す力ではない」


「はい。傷の処置は別に必要です」


 セヴランはそこでアリアへ顔を向けた。


「あなたは、鑑定結果を知っていたのですね」


「判読不能の表示が出て、それを理由に家を出されたことは、ケインから聞いていました」


「第二報にはありません」


「ケインが自分から話してくれたことです。神殿へ伝えるかは、本人が決めることだと判断しました」


 セヴランの指が、二通目の書状の端を押さえた。


「読めないことと、存在しないことは別です」


 セヴランは、判読不能の表示あり、と書状の余白へ書き加えた。


「この町の小神殿に、鑑定用の水晶があります。明日の朝、再鑑定を受けてください。同じ表示が出るか確認します」


 ケインは右手を膝の上へ置いた。


「分かりました。明日の朝、小神殿へ行きます」


 面談を終え、昼食を済ませると、ケインたちは沢中共同牧へ向かった。マルタはイレーネの診察のため領館に残り、ギルがアリアに付き添う。セヴランも、領内の異変を見るため同行した。


 沢沿いの道を進むにつれ、水音が近くなった。


 共同牧の柵は、流れから少し上がった場所に広がっている。羊の囲いの奥には搾乳小屋があり、その隣の石造りの建物から、温めた乳の匂いが漂っていた。ここで集めた羊乳と牛乳の一部を、チーズに加工しているという。


 共同牧を取りまとめる男は、ケインたちを羊の囲いへ案内した。


「黒い跡が出たのは、あの雌です」


 示された羊は、自分の脚で立っていた。呼吸は乱れていない。こちらを警戒して顔を上げるが、すぐに足元の草へ鼻先を戻した。右の後ろ脚、その内側の毛を分けると、境の曖昧な黒い跡がある。


 ケインは囲いの外で紙を開いた。


「跡に気づいたのは、いつですか」


「春です。毛を刈ったときに」


「その前に、食べる量や乳の出方は変わっていましたか」


「冬の終わり頃から、乳が少し落ちていました。ただ、こいつだけじゃありません」


「救済の干し草が届く前から、調子を落としていた羊はいますか」


 男は腕を組み、囲いの中を見回した。


「いました。乳が減ったり、仔をつけにくくなったりしたのは、もっと前からです」


「配給のあと、初めて出たものは」


「ああいう跡と、急に餌を残すやつです。全部じゃありませんが」


 ケインは配給が始まった時期と、冬ごとに受け取った量を尋ねた。自家の干し草だけで足りた時期。配給分を半ばほど混ぜた時期。冬の終わりに自家分が尽き、配給分へ頼った囲い。


 男は記憶をたどり、曖昧なところでは言葉を止めた。アリアが持参した配給の控えを開き、荷が届いた年と量だけを確かめる。


「この羊は、どの囲いに?」


「去年の冬は、奥の囲いです」


「同じ囲いで、黒い跡のない羊はいますか」


「います。半分以上は出ていません」


「その羊たちも、同じ干し草を?」


「同じ束からやっています」


「水は」


「沢から引いた水を、ここの桶へ。囲いで分けちゃいません」


 ケインは紙の水と干し草の欄に、それぞれ同じ印をつけた。


「放牧する場所は同じですか」


「日によって群れを分けます。上の草地へ出す群れと、沢に近い平場へ出す群れで」


「この羊が入っていたのは」


 男はすぐには答えず、近くにいた牧夫を呼んだ。ギルが聞き取りを終えた者と、これから話す者を分け、一人ずつ囲いの脇へ通す。


 三人の記憶を合わせると、黒い跡のある羊が使っていた草地は、沢沿いと上の草地の両方に分かれた。どちらにも、発症していない個体がいた。


 ケインはそこで初めて囲いへ入った。羊の斜め前から近づき、逃げ道を塞がない位置でしゃがむ。目と鼻、口の中、呼吸、腹の動き、脚の運びを順に見る。黒い跡の周囲に熱や腫れはなく、触れられるのを強く嫌がる様子もなかった。


 右手は使わず、紙へ所見を足した。


「手を当てないのですか」


 柵の外から、セヴランが尋ねた。


「使うなら最後です。この一頭に反応しても、どこで何を受けたのかまでは分かりません」


 ケインは立ち上がり、黒い跡のない羊を示した。


「同じものを食べ、同じ水を飲んでいる羊も見ます。違うところがあるなら、そこから探したいです」


 次の羊は、同じ囲いで冬を越し、現在も乳量が落ちていなかった。さらに、黒い跡はないが、配給前から少しずつ痩せた羊もいる。症状の始まり方も、その後の経過も、個体ごとに違っていた。


 その間に、アリアは加工小屋の担当者と納入帳を開いていた。


「領館へ納めた乳とチーズを、日付と量で確認させてください」


「奥方様のお食事に使われたものですか」


 担当者の手が、帳面の上で固くなる。


「まず、ここから何が届いたかを確かめます。使い道は領館の記録と照らし合わせます」


 担当者は頷き、印のついた頁を開いた。帳面に残る日付と量はアリアが写し、記憶による話は別の紙へ書き分ける。それぞれの紙の上に「帳面」「聞き取り」と記した。


 帰る支度を始める頃には、ケインの紙に三種類の印が増えていた。


 配給前から緩やかに衰えたもの。配給後に黒い跡や食欲低下が出たもの。同じ条件に見えても、症状のないもの。


 聞き取りを終えたケインたちは、沢沿いの道を領館へ戻った。門をくぐる頃には、空の赤みも薄れ始めていた。


 ケインは離れの机へ三枚の紙を並べた。外れ牧場、南原大牧、沢中共同牧。発症した時期、黒い跡、飲み水、放牧地、自家の干し草、配給の干し草、食欲と乳量。同じ項目が同じ位置に来るよう、沢中で増えた欄をほかの二枚にも足していく。


 アリアは向かいに座り、納入帳から写した紙を広げた。セヴランは机の端から、三枚を見比べている。


「外れ牧場は、旧流路に近い。急に倒れた羊も、黒い跡も多いです」


 ケインは一枚目へ指を置いた。


「南原は旧流路から離れています。それでも、配給の干し草を多く食べたノラに、同じような跡が出ていました」


 指を三枚目へ移す。


「沢中は、今の沢の水も、配給の干し草も使っています。でも、配給より前から衰えていた羊と、配給後に症状が目立った羊が混じっています」


「三か所を並べても、水と干し草のどちらか一つには絞れない」


 セヴランが言った。


「はい。それに、同じ牧場の中にも違いがあります」


 ケインは外れ牧場の紙を手元へ引いた。倒れた羊や狂乱した魔獣に対処したときは、命をつなぐことが先だった。処置の内容は記録してあるが、沢中で尋ねた項目のいくつかが空いている。


「外れ牧場を、同じ項目でもう一度確認したいです」


「比較するなら、ドルフの牧場も必要ですね」


 アリアが言った。


「外れ牧場と隣り合っていますが、土地は一段高い場所にあります。ドルフは自分の牧場では高地で刈った干し草を優先していて、配給を受けた量も少ない。領館へ上がった報告では、重い症例も外れ牧場より少ないです」


「明後日の午前に外れ牧場、午後にドルフの牧場を回れますか」


「手配します。ドルフにも、朝から立ち会うよう伝えます」


 ケインは二つの牧場名を、明後日の日付の下へ書いた。


 翌日の日付に、小神殿と書いてペンを置いた。右手の指先が少し強張る。水晶の冷たさと、神官が答えるまでの長い沈黙を思い出した。


 明日、もう一度あの水晶に触れる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。