第21話 遠い牧場
夜明け前に領館を出た荷車は、道を南へ取った。ドルフが手綱を握り、ケインはその横に座っている。荷台にはアリアとギルが乗り、記録紙の箱と、数日分の荷が紐で留められていた。馬車を出すという申し出を、アリアは断っていた。
進むうちに、道の脇の様子が変わっていった。西の外れの牧場へ向かう道では、轍に水が残り、低いところに泥が溜まっていた。こちらは乾いている。土は白っぽく、車輪が通ると粉になって舞った。草丈は不揃いで、根元に枯れた色が混じっている。沢は見えず、水が流れた跡もない。
「南は昔から乾く」
ドルフが前を向いたまま言った。
「井戸と溜め池でやってる土地だ。草の伸びは西ほどじゃねえ。そのぶん、水に浸かることもない。牛を置いてるのは乳と荷役に要るからで、数はたかが知れてる」
西の低地とは条件が違う。ここで同じものが見つからなければ、水や土地との関わりが強まる。見つかれば、別の共通点を探すことになる。
昼前に南原大牧へ着いた。柵は低く、どこまでも長い。中では羊が群れになって草を食んでいる。数は外れの牧場の比ではなかった。畜舎も羊のためのものが大きく、牛は端の一角に区切られて、数頭だけが並んでいた。
牧場主のベルントは、母屋の前で一行を待っていた。五十を過ぎた男で、日に灼けた首に太い皺が寄っている。荷車が停まり、アリアが荷台から下りると、帽子を取って頭を下げた。顔を上げるのは早かった。
「昨日、使いをいただきました」
「はい。急なことで、申し訳ありません」
ベルントは帽子を両手で持ったまま続けた。
「奥方様のお食事を調べるためだと、書付にありました。南原だけを止めたのではないとも。……ほかの牧場にも、同じ書付が行っているのですか」
「行っています。乳と内臓を納めていた牧場は、すべて同じ日から保留にしました」
ベルントは荷車へ目をやった。幌もない、羊毛を運ぶのと変わらない一台だった。
「いつまでとは、書いてありませんでした」
「まだ申し上げられません」
アリアは声の調子を変えずに続けた。
「長引かせたくないので、これから順に回ります」
「……今朝の分は、もう搾ってあります」
「はい」
「乳は溜まります。搾らずにおけば乳房が張って、牛が傷みます。搾れば、置いておけない。領館へ出せないなら、今日のうちに捨てます」
ベルントは帽子をかぶり直した。
「餌はこれまでと同じだけ要ります。牛も羊も、こちらの都合で食う量を減らしてはくれません。うちには牧夫が十一人います。冬までの銭は、乳と羊毛で回しています」
「承知しています」
「出せなかった乳の量と、日付を記してください。捨てた分もです」
「記して、どうなりますか」
「今日、何かをお約束するために書かせるのではありません。ただ、記録がなければ、どれだけの損が出たのかを男爵家が知ることもできません」
ベルントはすぐに返事をしなかった。やがて母屋の戸口へ声を投げ、帳面をつけている妻を呼んだ。今日の分から付けさせると言い、それ以上は言わなかった。
ギルは荷台から下り、アリアの半歩後ろへ立った。畜舎と母屋の間を端から端まで目で追い、人の通る場所と、羊の動いている方向を確かめている。
ケインは荷台から革袋を下ろした。
「家畜に、変わったところはありませんか」
ベルントの目が、初めてそちらへ向いた。それからアリアへ戻る。
「外れの牧場の羊を診た者です。今日は、家畜の様子と餌を見てもらいます」
アリアが言うと、ベルントはもう一度ケインを見た。
「羊は、悪い年並みだ」
ベルントは畜舎の端へ顎を向けた。
「牛が一頭、乳が落ちた」
「いつからですか」
「冬の終わりから、少しずつだな。春には食いも落ちた。近ごろは立ってるのがつらそうで、搾る量も半分に足りん」
「帳面より先に、その牛を見せてもらえますか」
畜舎は羊のために建てられたもので、奥へ行くほど天井が低くなっていた。牛の区画は、その端を板で仕切っただけの一角だった。三頭が並び、そのうちの一頭が柵へ肩を預けて立っている。
ケインは仕切りの手前で足を止めた。牛は前肢を開き気味にして、後肢の重心を左右へ何度も移していた。動くたびに柵が鳴る。頭の位置が低く、耳が横へ垂れていた。
「あれです」
ベルントが顎で示した。牛のそばには若い牧夫が立っている。ベルントがエミルと呼ぶと、男は軽く頭を下げた。
「先に、この牛のことを教えてください。人にはどこまで触らせますか」
「おとなしいです。搾るときも暴れません」
「蹴る癖は」
「ありませんでした。ただ、近ごろは後ろ足のあたりを触られるのを嫌がります」
「立ち方が変わったのはいつ頃ですか」
「春の半ばだと思います。搾るあいだ、じっとしていられなくなりました」
「名前はありますか」
「ノラです」
エミルが呼ぶと、牛の耳が一度だけ動いた。アリアが記録紙にその名を書き入れる。
ドルフは反対側の二頭を隅へ移し、あいだへ板を渡した。ギルはアリアを柵の外側へ立たせ、自分は出入口の側へ位置を取った。
ケインは正面を避け、声をかけながら肩の側へ回った。首筋へ手のひらを当て、そのまま撫でる。ノラは頭を上げなかった。
毛は艶がなく、指を入れると乾いていた。首の皮をつまんで離すと、しわが戻るまでに間がある。鼻先が乾き、口の中も湿りが足りない。目のくぼみが深い。
脇腹へ耳を当てた。腹の動きは弱く、次の音までが長い。反芻の音は続かない。
耳の付け根と肋のあいだで熱を確かめる。手のひらで分かる範囲では、高くはなかった。触れても暴れず、痛みで飛び退くこともない。
乳房へも手を当てた。張りは乏しく、硬く凝った部分はない。熱もなく、触れても痛がらなかった。搾る量が半分に落ちた理由を、乳房だけでは説明できない。足元の敷き藁には、糞の跡が少なかった。
「昨日と今日で、どれくらい出ていますか」
「普段の半分もありません」
水が足りていない。腹の動きが落ちている。食べる量が減り、そのぶん身体が細っている。進み方は遅く、冬の終わりから今日まで、少しずつ積み上がってきている。ケインは膝をつき、腹の下へ手を伸ばして毛を分けた。
黒い跡があった。
脇腹から腹へかけて、掌ほどの広さで色が沈んでいる。縁は滲み、どこまでが跡なのかを決められない。皮膚は盛り上がっておらず、刺し口も見当たらない。指で押しても、ノラは身をよじらなかった。
手を跡の上へ近づける。指先に圧が返った。押し返してくる厚みがあり、手首まで疼きが上がってくる。触れるより先に、皮膚の下のどこかで拒まれている。
反応はある。けれど、何が入っているのか、どこまで広がっているのか、いつからそこにあるのかまでは知れない。
「外れの牧場の羊と、同じものですか」
アリアが柵の外から尋ねた。
「似ています。でも、同じ原因とはまだ言えません」
ケインは手を離した。
「跡の形が似ているだけです。この牛が何を食べて、どこにいたのかを、まだ聞いていません」
ギルの視線が、ケインの手へ向いていた。ケインが立ち上がると、その目はアリアの側へ戻った。
「原因が分かったのか」
ベルントが柵の外から言った。
「はっきりしているのは、水が足りていないことと、腹の動きが落ちていることです。それがなぜ起きたのかは、これから調べます」
ケインは餌箱へ目を向けた。半分ほど残った干し草が、朝から手をつけられないまま乾いている。
「その餌箱を外してください。それから、水桶を見せてもらえますか」
牧夫が餌箱を外し、残っていた干し草を畜舎の外へ運び出した。水桶は柵の内側に置かれていた。半分ほど水が残り、縁の内側に緑がかった膜が張っている。指を入れると温い。
「これはいつ替えましたか」
エミルが答えた。
「昨日の朝です」
「桶を洗って、新しい水を入れてもらえますか。冷たすぎないものを。首を伸ばさずに届く高さに置いてください」
エミルが桶を持って外へ出ていく。
「この牛は身体の水が足りていません。ただ、一度にたくさん飲ませると、それでまた具合を落とします。何度かに分けてください」
「水はどこから汲んでいますか」
「母屋の裏の井戸だ」
「井戸も、あとで見せてもらえますか」
ケインは、餌箱のあった場所を見た。
「餌を替えたいのですが、この牛が食べていない干し草はありますか。今年刈った分でも、別の小屋にある分でも」
ベルントが牧夫を呼んだ。畜舎の裏の納屋に、今年の刈り分が積んであるという。ケインは束を一つ持ってこさせ、解いて広げた。匂いを嗅ぎ、指で挟んで折る。黴の跡はない。乾き方も悪くなかった。
「これを、ひとつかみずつ与えてください。腹の動きが落ちているので、一度に多くは食べさせません」
ベルントが牧夫へ頷いた。
「あとひとつ。塩はありますか」
「家畜へ回す分は、去年から減らしてる」
「ひとつまみで足ります。水に溶かして飲ませたいので、少しだけ分けてもらえませんか」
ベルントは母屋へ人をやった。
ドルフは牧夫たちのところへ行き、敷き藁の厚さ、牛の支え方、立たせる時間と休ませる時間を分けて伝えた。板の隙間から風が当たる位置なので、そこへ古い戸板を立てさせる。反芻の回数、飲んだ水の量、糞の様子、搾れた乳の量、立っていられた長さを、そのたびに書き留めるように言った。書ける者がいないと返されると、線を引いて数だけ足せばいいと答えた。
ケインが牛の脇へ入ると、ノラが体重を移した。肩がケインの側へ寄り、支えようとした腕が沈む。エミルが反対側から首を支え、牛の重心が戻った。
「すみません」
「羊とは違いますから」
ケインは膝をつき、跡の上へ手のひらを当てた。押し返してくるものへ、こちらから力を向ける。掴めるものはない。触れているのは皮膚だけで、その下のどこかで拒まれている感覚だけが手へ返ってくる。
圧が重くなった。腕の付け根まで疼きが上がり、息が浅くなる。整えようとすると、そちらへ気が向いて押す力が緩んだ。
返ってくるものが薄れた。ケインは手を離した。
ノラの呼吸が緩んだ。頭の位置は変わらない。しばらくして、鼻先を新しい水桶へ寄せ、二口だけ飲んだ。エミルが声を上げた。
ケインは牛のそばへ座ったまま、ベルントへ聞いた。
「食欲が落ち始めたのはいつですか」
「冬の終わりだ」
「乳が減ったのは」
「そのすぐあとだ。反芻も、そのころから短くなった」
「その前後に、餌を替えましたか」
ベルントが帽子の縁を握った。
「替えたというか……足りなかったから、足した」
「何を足しましたか」
ベルントはアリアの方を見た。
「去年は乾いて、自前の干し草が足りませんでした。冬に、男爵家から救済の配給を受けています」
アリアの手が止まった。
「いつ運び込まれましたか」
「冬の初めです。何度かに分けて」
「この牛には、どれくらい与えましたか」
「ほかの牛より多い。よく乳を出す牛だったから、多めに回した」
「ほかの牛や羊は」
「同じものを食ってる。ただ、この牛ほどは食わん。乳を出してる牛はよく食うからな。羊は数が多くて行き渡ってねえし、牛の残り二頭も、春先に食いが落ちた時期があった。そっちは戻ったが」
ケインは記録紙へ目を落とした。配られた干し草を多く食べた時期と、食欲が落ちた時期が重なっている。
確かめることは二つだ。ほかの牧場でも、同じ時期に同じものが配られたのか。そして、多く食べた家畜ほど悪いのか。
「配給の日付は、こちらでも調べます」
アリアが言った。記録紙の端が、指の下で折れていた。
「その干し草は、まだ残っていますか」
ケインが聞くと、ベルントは納屋の方を指した。
「多くはねえが、残ってる」
「あとで見せてください。今はここを離れたくないので」
板の隙間から差す光が、敷き藁の上を横へ動いていた。昼を過ぎている。
ノラは立ったままでいる。ケインは、いつからそうしているかを数えていた。桶の水は、二口分だけ減っている。
「ケインさん」
アリアが柵の外から呼んだ。水の袋とパンを持っている。
「先に食べてください」
「もう一度水を飲むのを見てからにします。飲まなければ、量か温さを変えないといけないので」
ドルフが牧夫を二人連れて畜舎へ入ってきた。
「あんたが見てなくても、牛は水を飲む」
「飲まなかったときは」
「そんときゃ呼ぶ。見張りは一人でやる仕事じゃねえ」
ドルフは牧夫たちへ、桶の減り方、鼻先が濡れているか、腹の動き、立っている時間を見るよう告げた。それから、覚えることを三つに縮めた。
「飲まない。出ない。起きられない。このどれかがあったら呼べ」
ケインは牛を振り返った。もう少し見ていたい。あと一度飲むところを見れば、桶の高さと量が合っているかが分かる。
もう一度、首の皮をつまんで戻りを見ようとした。指が滑って、一度ではつまめなかった。
この手で毛を分け、皮膚をつまみ、腹の動きを確かめている。今の手つきで触れて、分かるものが分かるとは限らない。
ケインは水の袋を受け取った。
畜舎の外の日陰で、パンを分けて食べた。硬いパンで、水がなければ飲み込めない。
「この牛の乳は、館へ届いていましたか」
アリアがパンを持ったまま聞いた。
「南原の乳は届いています。この一頭の分が入っていたかどうかは、搾ってからまとめられていれば、分けられません」
「では、届いていた可能性はある」
「あります」
ケインは指を折りながら、確かめることを挙げた。この牛の乳がいつ館へ入ったか。どれだけの量だったか。跡が出る前の乳がどうだったか。イレーネ様の具合が変わった時期とどこまで重なるか。ほかの牧場の乳が同じ甕へ混ざっていたか。
「どれも、まだ調べていません」
「わたしも、同じ乳を飲んでいます」
「はい。ですから、アリア様の食事の記録も要ります」
アリアは水を一口飲んだ。
「分からないことが、増えましたね」
「調べる場所も増えました」
アリアはパンを膝へ置き、記録紙をめくった。配給の帳面、乳の受け入れ帳、母の食事の記録。三つを口に出して数え、館へ戻ったら順に照らすと言った。
「塩は、館から出します」
アリアはパンの残りを包み直した。
「この牛の分だけなら、わたしの一存で出せます。牧場全体へ回すとなると、父に諮らないと決められません」
傾きかけた太陽を見て、ドルフ言った。
「今から出りゃ、着くのは夜中だ。牛も、朝にもう一度見た方がいい」
アリアはベルントの方を見た。
「一晩、置いていただけませんか。寝る場所だけで足ります」
ベルントは母屋の方へ目をやった。それから、空き部屋と納屋を使えばいいと言った。
アリアは母屋の空き部屋を借りた。ベルントの妻が寝台を空けると言ったが、アリアは断り、床へ敷く物と毛布だけを頼んだ。夕食も、牧場の者と同じ鍋から取り分けてもらうよう頼んでいる。ギルは母屋の入口に近い床へ寝床を取った。ケインとドルフは、畜舎に近い納屋を使う。
ドルフは納屋を決める前に、救済の干し草がどこに積んであるかをベルントへ確かめた。別の小屋だと聞いてから、藁を運ばせた。
夜になって、ベルントが納屋へ来た。
「夕方にも水を飲んだ。エミルが言ってた」
「はい。糞は出ましたか」
「まだだ」
「朝までに出れば、腹が動き始めています。出なければ、明日の朝に別の手を考えます」
ベルントは戸口に立ったまま頷いた。
「あんたが来なけりゃ、あの牛は餌箱の草をまだ食ってた」
それから、今日搾った乳をすべて捨てたことと、明日の分も同じになることを言って、母屋へ戻っていった。
夜のあいだに、牧夫が二度、納屋の戸を叩いた。二度とも、飲んだという報告だった。ドルフが戸口で受け、藁の上へ戻ってきて短く伝える。
ケインは、二度目の途中で眠っていた。
牧夫が壁へ貼った紙に、線が並んでいた。夜のあいだに引かれた縦の線が、水を飲んだ回数だけ足されている。糞の欄にも一本ある。
ノラは、ケインが区画へ入ると耳を動かした。昨日は動かなかった。
首の皮をつまむ。戻りは昨日より早い。鼻先に湿りがあり、口の中も、指を入れると昨日ほど乾いていない。脇腹へ耳を当てると、腹の音の間隔が短くなっていた。強くはない。
敷き藁の上に糞があった。量は少なく、硬い。餌箱に足した草も、ひとつかみ分ほど減っている。場所を移そうとすると、後肢の運びはまだ重かった。
毛を分けた。黒い跡はそのままあった。縁の滲み方も、昨日と変わらない。朝の搾りも、量は前の日と同じだった。
「よくなりましたか」
エミルが聞いた。
「腹が動き始めています。今日も同じように続けてください。草はひとつかみずつ、水は塩を混ぜて、何度かに分けて。線も引き続けてください」
餌を替え、風を止め、水を分けて飲ませ、跡の上へ手も当てた。そのどれがどこまで効いたのかは分けられない。
「ほかの二頭は」
ベルントが柵の外から言った。
「これから見ます」
ケインは隣の区画へ移った。二頭とも立ち方はしっかりしていて、餌箱の草も減っている。首の皮の戻りは早く、口の中も湿っていた。毛を分け、腹の下まで見る。黒い跡は、どちらにもなかった。手を近づけても、何も来ない。
「この二頭には、跡がありません」
「じゃあ、乳は出せるな」
「保留が解けたら出せます。ノラの分だけは、そのあとも分けてください。館へも市場へも出さず、人にも、ほかの家畜にも飲ませないでください」
「あの一頭だけ、ずっとか」
「跡がどうなるかを見てからです。それまでは分けてください」
ベルントは畜舎の外へ目を向けた。牧夫が羊を柵の方へ追っている。
「うちは、羊だけじゃ冬を越せん」
「はい」
アリアが、搾った日と量、捨てた量を記録へ加えるよう頼んだ。ベルントの妻が付けている帳面と、こちらの記録紙の両方に残す。
母屋の裏の井戸も見た。石で囲われ、木の蓋がかかっている。周りに水の溜まった跡はなく、沢からも遠い。手を近づけたが、何もなかった。牛の脇腹とは違う。
救済の干し草は、畜舎から離れた小屋の隅に積んであった。冬に運ばれた分の残りで、荷車半分もない。ギルは戸口へ立って、外を向いた。
ケインは厚手の布を借りて手に巻いた。ドルフが熊手を持ってきて、束を崩して広げる。
「持って帰るのか」
「いえ。ここで見ます」
広げた草は、色が揃っていなかった。茎の太いもの、細いもの、葉の落ちたもの。刈った場所が一つではない。土のような重い匂いが、下の方から立っている。
ケインは布を巻いた手を、草の上へゆっくり動かした。
端の方では何もない。手を中ほどへ移したところで、指先に圧が返った。手を止め、少し戻す。同じあたりで、また返る。そこから先へ進めると、何もない。
同じ荷で運ばれた草の中に、返ってくるものと、返ってこないものが混じっている。
「この草は、ここで刈ったもんじゃねえ」
ドルフが熊手を止めた。
「南原の土は乾く。こういう茎の太り方はしねえし、根元の詰まり方も違う。西の低いところの草だ。水が引いたあとの土は、こういう草を出す」
「外れの牧場の刈り場と同じですか」
「同じとは言わねえ。だが、南原の土から出る草じゃねえ」
南原は乾いている。沢からも旧流路からも離れている。土も草も、西とは違う。それでも、この牛には外れの牧場の羊と似た跡がある。
この土地で起きたことではない。運ばれてきたものが、ここまで届いている。
アリアが記録紙を開いた。ケインは順に挙げた。南原が西の刈り場から遠いこと。土も草の生え方も違うこと。跡のある牛と、跡のない牛が同じ小屋にいること。跡のある一頭が、救済の干し草をほかより多く食べていたこと。与え始めたあとで食欲と乳量が落ちたこと。
「一頭では、まだ足りません」
ケインは言った。
「同じ草が、いつ、どれだけ、どこへ行ったのか。行った先で何が起きているのか。それを見に行きます」
アリアは書き終えた紙を、記録の束の一番上へ重ねた。
西の刈り場から遠い南原まで、同じ草が荷車で運ばれていた。




