第13話 拒め
夜明けの薄闇の中で、ケインは自分の掌を見下ろしていた。羊の黒い跡に、夜通し伏せていた右の掌。かじかんだ手の、指の先だけが、凍えた身体のどこにもない熱を持っている。炉のようだ、と思った。
「おい。聞いてんのか」
肩を掴んだままの手に、揺すられた。ドルフの声が、水の底から届くように遠い。そっちが先に死ぬぞ——さっきの言葉は、まだ頭のどこかを、掴めないまま転がっていた。
太い指が、ケインの右手首を掴んで、黒い跡の上から引き剥がした。抗う力は残っていなかった。目だけが、咄嗟にノラの鼻先へ飛ぶ。息の出入りが、浅くなる。手を、戻そうとした。掴んだ指は、緩まなかった。
「まだやる気か」
「……息が」
「見りゃ分かる。落ちちゃいねえ」
ドルフは顎でノラをしゃくった。ケインは、引き剥がされた姿勢のまま、耳だけをノラへ寄せた。浅い。だが、夜半のあの、吸うたびに底へ滑っていくような浅さとは、違う。浅いなりに、律を保っている。落ちる息と、低いまま保つ息。その区別なら、この耳が知っていた。羊を何十年と見てきた男の目と、同じものを見ている。
ケインは、戻しかけた右手を、膝の上に置いた。
「飲め」
水差しが押しつけられた。左手で受け、口をつける。ぬるい水が、思いがけない量、喉を鳴らして落ちた。渇いていた。自分で思っていたより、ずっと。
飲みながら、目だけは、羊の首の下へ戻っていた。
黒い跡。滲むように広がっていた、その縁。
薄い。
昨日の暮れ方、布を替えながら見た境の線を、頭の中の絵と突き合わせる。指の幅の、半分ほど。広がったのではない。退いている。目をこすって、もう一度見た。変わらなかった。
「縁が、昨日より狭い」
「あんたの目は、いま当てになるのか」
「なるように、水を飲みました」
ドルフが、鼻から短く息を出した。笑ったのかどうかは、分からなかった。
戸口の光が、人の形に翳った。
アリアだった。外套の襟に夜の冷えを残し、髪は昨日のまま結い直されていない。その後ろ、戸の外にギルの影がある。呼ばれる前に、夜明けを待って来たらしい。アリアはノラを見て、床に座り込んだままのケインを見て、何かを言いかけ——言わずに、そばに膝をついた。
「……何が、あったのですか」
何が。——それを、いちばん知りたいのは自分だった。ただ、口に出せば、並べ直せる気がした。ケインは、痺れの残る頭の中から、ひとつずつ引きずり出した。
「森で、黒い棘を抜いたとき、この指が熱くなりました。素手で黒い液に触れて、腕に、拒絶のようなものが這い上がった。……沢の水と、西の草。毒を疑ったものに触れたときだけ、同じものが指に走った。そして、昨日の夜」
指を折ろうとして、かじかんだ指は折れなかった。構わず、続けた。
「この跡の上に手を止めている間だけ、この子の息が深くなった。離すと、浅くなる。指の先は、あの棘のときと同じに熱い。……そして、縁が退いている」
「で?」
ドルフが言った。理屈を求める声ではなかった。先だけを急かす、仕事の声だった。
「全部に、共通するものが、ひとつだけあります。毒。害。……僕の身体は、それに触れたときだけ——」
言葉を探した。見張っている、でも、探り当てる、でもない。あの、腕を這い上がってきたものに、いちばん近い言い方は。
「——嫌がって、いるんです」
口に出してから、その据わりの悪さに、自分で気づいた。嫌がる。手が、毒を嫌がる。まるでこの身体に、生まれつき、そういう質があるかのような。
質。物心つく前からの、性分。近づけば、皆が半歩下がる。理由を訊いても、返る答えはいつも同じだった。分からない。ただ、何となく、嫌だ。——十五年、そればかりだった。誰も、理由を言えなかった。言えないまま、嫌った。
水晶と、指先と、嫌われる質。一本の線の候補として並べたことなら、沢の水の日に、すでにあった。ただ、あのときの線には、名前がなかった。いま、名前の候補だけが立っている。——害を、嫌がる。
脳裏に、水晶が浮かんだ。誰にも読めなかった、丸みを帯びたふたつの記号。神官にも、父にも——あの日、水晶の前に立ったケイン自身にも、読めなかった。それが、いまの頭の中では、ただの見慣れた文字として、そこにある。
けん。
もし。もし、あの読めなかった二文字が——害を嫌がる、この何かの、名前なのだとしたら。
ケインは、そこで思考を止めた。疲れきった頭は、都合のいい絵を描きたがる。棘の夜も、沢の水も、昨夜のことも、ひと繋ぎに説明できてしまう仮説ほど、疑ってかかるべきだと、習ってきた。
ただ——確かめる方法なら、ひとつだけある。
ケインは、ノラの首の下の黒い跡へ、目を戻した。
「もう一度、当てます」
ケインが言うと、ドルフの手に、また力がこもるのが分かった。掴んだままの、手首の上で。
「話を聞いてたか。あんた——」
「今度は、確かめるだけです」
朦朧としていた夜とは、違う。確かめることを、ひとつに絞る。当てれば息が深くなり、離せば浅くなる。それが、この手のせいなのかどうか。それだけを、見る。
「倒れそうに見えたら、引き剥がしてください。今みたいに。……そのときは、抗いません」
ドルフは、しばらくケインの顔を見ていた。それから、手首を離し、無言でノラの後ろ脚の付け根へ手を回した。夜のあいだ、ずっとそうしていた位置に。それが、答えだった。アリアが、何か言いかけて、口を結ぶのが視界の端に見えた。
ケインは、先にノラの息を測った。
脇腹の上がり下がりを数え、鼻先に手をかざし、瞼の裏の色を見る。粘膜は白い。昨日より、なお白い。息は浅く、数だけが多い。——これが、当てる前。比べる元がなければ、確かめたことにならない。
それから、右の掌を、黒い跡の上へ、置いた。
意図して置くのは、初めてだ。
指先の熱が、皮膚の下で、かすかに膨らんだ気がした。ケインは、待った。息を数えながら、待った。十。二十。——変わらない。夜のようには、ならない。熱は指先に灯ったまま、そこから先へ、行かない。
なぜだ。
焦りが、喉の奥に湧いた。条件は同じはずだ。同じ手、同じ場所、同じ——いや。
同じでは、なかった。
夜のこの手は、何も確かめようとしていなかった。証を立てようとも、仮説を通そうとも、していなかった。ただ、何もできない手を、いちばん悪いところに置いていたかった。それだけだった。いまのこの手は、掴もうとしている。答えを。成果を。——診療台の上で、こんな手つきをしたことが、あっただろうか。
なかった。あの夜も、なかった。
深夜の診療台。コロ。転がり落ちかけていた、小さな命。あのとき自分は、答えを掴もうとしていたのではなかった。やることを順に並べ、手を動かし、そして、声をかけていた。低く。急がず。飼い主にではなく、まず、その子に。
ケインは、目を閉じて、息をひとつ、吐いた。
肩から、力が抜けていく。掴もうとしていた手が、ただ、置いた手に戻っていく。
「……大丈夫」
声が、出ていた。
「大丈夫。しっかり」
ノラの耳が、わずかに動いた。聞こえているのか、いないのか。それでも構わなかった。あの夜と同じだ。届いているかどうかを、確かめてから掛ける声ではない。
掌の中で、何かが、変わった。
指先だけだった熱が、掌全体へ、ゆっくりと広がっていく。夜のあいだ当てていて、一度もなかったことだった。熱はずっと、指の先から動かなかった。それが、いま、手のひらの形に、伸びていく。そして、その熱の向こうに——初めて、それを感じた。
この手は、それを、嫌がっている。
なら。
「……拒め」
言葉は、考えるより先に、落ちた。命じたのか、願ったのか、自分でも分からなかった。ただ、掌の熱が、それに応えた。
押し返しは、しない。悪いものが退いていく感触は、ない。ただ——進もうとするものの前に、掌ひとつぶんの何かが、立ち塞がった。流れに差し込んだ、一枚の板のように。堰き止まる。それだけだ。だが、確かに、止まっていた。
ケインは、左手をノラの脇腹へ添え、耳を寄せた。
息を、数える。浅い。浅い。浅い。——深い。
ひとつ、深く入った。続いて、もうひとつ。数が、落ち着いていく。祈るように待った変化が、掌を置いて、いくらも経たないうちに、耳の下で起きていた。
効いている。この手は、効いている。
ノラの耳が、動いた。閉じていた瞼が、薄く開く。濁った目だ。それでも、開いた。夜通し、一度も開かなかった目が。
その分と、引き換えのように——身体の芯から、抜けていくものがあった。
視界の縁が、暗く明滅する。膝の感覚が遠のき、掌以外の全部が、冷えの側へ傾いでいく。夜のそれより、早い。堰を支えるために、身体のどこかで、絶え間なく薪がくべられている。長くは、保たない。数えられるほどの息の数しか。
それでも、もう少し。もうひと呼吸ぶんだけ——
太い指が、手首に食い込んだ。
引き剥がされた。今度は、抗わなかった。抗わない、と決めていたことを、身体が覚えていてくれた。上体が傾ぎ、ドルフの腕に肩から受け止められる。
耳だけが、ノラを追っていた。
息は——浅くならなかった。
深いままでは、ない。だが、当てる前の、あの数ばかり多い浅さには、戻らない。堰の板を抜いても、流れは、すぐには元に戻らないらしい。あるいは——せき止めていた間に、この子の身体が、いくらか、坂を登ったのか。
「……治すのは、僕じゃない」
掠れた声が、口から零れた。誰に言うつもりも、なかった。
「この子の身体だ。僕にできるのは……悪くなるのを、止めておくことだけ。その間に、この子が、自分で戻る」
言いながら、ケインは自分の右手を見た。
熱は、もう指先だけに退いていた。小さな炉が、燃え尽きる前の色で、そこにだけ残っていた。
肩を支えられたまま、ケインは、しばらく自分の息だけを数えていた。吸って、吐く。それだけのことに、勘定がいる。掌の熱が引いていくにつれ、小屋の冷えが、遅れて骨に届いてきた。
誰も、口を開かなかった。
ノラの息の音だけが、藁の上に続いていた。浅い。だが、保っている。
沈黙を最初に破ったのは、ドルフだった。
「……で、何頭できる」
ケインは、顔を上げた。
ドルフは、ノラの脚を押さえたままだった。いま目の前で起きたことの、何を訊くでもない。手が毒を嫌がるとは何か、とも、あんたは何者だ、とも、訊かない。訊いたのは、それだけだった。何頭、できる。
答えは、身体が知っていた。
「……今のままなら、一日に、一頭か、二頭。それ以上やれば——」
「あんたが三頭目になる、か」
ドルフは鼻を鳴らした。呆れたのか、得心したのか、分からない音だった。
「なら、順番を決めるこった。悪い順から、一日二頭。……残りは、俺たちが今まで通り、温めて、支える。それで回らねえ分は」
そこで初めて、言葉が一拍、途切れた。
「……回らねえ分は、仕方ねえ」
牧夫の勘定だった。救える数を数え、救えない数から目を逸らさない。そうやって群れを見てきた男の言葉だった。ケインは、頷くしかなかった。頷けることが、ありがたかった。全部救えという声より、その勘定の方が、ずっと、この手の実寸に合っていた。
「アリア様」
ドルフが、立ち上がりながら言った。
「日が昇りきる前に、囲いの連中を見て回りやす。悪い順ってのを、決めにゃならん。……手が空いたら、来てくだせえ」
戸口で一度だけ振り返る。
「あんたは、それまで休んどけ。……言っとくが、次も引き剥がすぞ」
それだけ言って、出て行った。朝の光が、開いた戸から差し込んで、また細くなった。
アリアは、動かなかった。
膝をついたまま、ケインを見ていた。夜通しの疲れの残る顔で、けれど目だけは、疲れていなかった。観察する目だ。初めて会った日から変わらない、結論を急がない目。その目が、ケインの右手と、ノラの首の下とを、順に見た。
「……水晶に出たのは、その力の、名前だったのですね」
静かな声だった。
牧場を見に来た最初の日の夜。領館の廊下で、ケインは一度だけ、自分から話した。成人の儀で、水晶に誰にも読めない文字が出たこと。欠陥ギフトと判じられて、家を出たこと。あのときアリアは、多くを訊き返さなかった。ただ、聞いた。聞いて、「話してくださって、ありがとう」と、それだけ言った。
その話を、この人は、忘れていなかった。
「それが、あなたの『読めない文字』なのですね」
「……まだ、分かりません」
ケインは、正直に答えた。
「読めない文字と、この手と、繋がっている証は、何もない。ただ——他に、心当たりがないだけです」
「心当たりなら」
アリアが、言った。
「わたしには、もうひとつ、あります」
ケインは、アリアを見た。
「あなたは、あの晩、もうひとつ話してくれました。物心ついた頃から、理由もなく人に嫌われてきたと。訊いても、何となく嫌だ、としか返らなかったと」
膝の上で、アリアの指先が、掌をなぞっていた。
「わたしは、それが、ずっと分かりませんでした。父は、理由もなく客人を厭う人ではありません。なのに、あなたの前では、話を早く切り上げたがった。牧夫たちの、あの目もそうです。あなたの仕事ぶりを見もしないうちから、あの不信は——重すぎた。警戒というものの、量を超えていました」
数字で話す人だ、と、いつか思った。その人が、いま、量の話をしていた。
「もし、あなたの力が、害を厭うものなのだとしたら。そして、その力が、ずっと——あなた自身も知らないうちに、何かを、外へ零していたのだとしたら」
仮定に仮定を重ねる言い方だった。アリアらしい、結論を跳ばない言い方。けれどその仮定の線は、ケインの十五年を、まっすぐに貫いて通った。
「皆が厭ったのは、あなたではなく——零れていた、それの方だったのかもしれません」
小屋の中が、静かになった。
あなたでは、なく。
ケインは、口を開きかけて、閉じた。反証なら、挙げられる。証明のしようがない、とも言える。獣医の頭は、仮説を仮説のまま置いておく作法を知っている。——だが、その作法の下で、別のものが、音を立てていた。
何となく、嫌だ。
十五年、その言葉の前に立たされてきた。理由を訊くたび、同じ答えが返った。誰も理由を言えなかった。言えないまま、嫌った。だからいつからか、理由は自分の側にあるのだと、思うことにした。何かが、自分という人間のどこかが、根から損なわれているのだと。そう思う方が、まだ、筋が通ったからだ。
その理由に——十五年目に、初めて、別の候補が立った。
立てたのは、自分ではなかった。この人だった。
「……ありがとう、ございます」
声が、掠れた。礼の言葉しか、出てこなかった。続きは、口にしなかった。できなかったのかも、しれなかった。
アリアは、それ以上、何も言わなかった。
線の引き方が、綺麗な人だった。立ち上がり、外套の前を合わせる。
「ドルフと、囲いを見てきます。あなたは、休んでください。——これは、お願いではありません」
戸が、閉まった。
小屋の中に、ケインと、ノラだけが残った。
ケインは、藁の上に座り直した。休め、と言われた。休むべきだと、身体の全部が言っている。それでも、すぐには目を閉じる気になれず、ただ、自分の右手を見下ろした。
指先の熱は、もう、燠火ほどもない。見た目には、何の変哲もない、十五の少年の手だった。剣を握っても、豆ばかり作った手。水晶に翳して、誰にも読めない文字を映した手。
——お前は。
誰にともなく、胸の内で、声が動いた。
お前は、ずっと、何かを拒もうとしてたのか。
誰にも読まれないまま。名前も呼ばれないまま。訓練の日も、儀式の日も、家を出た日も。ずっと、この手の中で、何かを——毒を、害を、損なうものを、拒もうとして。それが、外に零れて。零れたものだけが、皆に届いて。
お前は、ずっと、独りで働いていたのか。
答える声は、ない。掌は、ただの掌だった。それでも、ケインは、その手を握って、開いた。十五年ぶんの誰かの手を、そうしてやるように。
ノラの息が、隣で、浅く、けれど確かに、続いていた。
目を覚ましたとき、小屋の中は明るかった。
眠るつもりは、なかったはずだ。藁に背を預けて、少しだけ目を閉じた——その少しの間に、朝が進んでいた。戸板の隙間という隙間から、乳色の光が差し込んでいる。霧だ、と思った。夜の冷えと朝の陽が出会う日の、あの深い靄が、外に満ちている。
ノラの息を、まず確かめた。眠っているのだと、脇腹の上がり下がりで分かった。苦しんで落ちる意識と、休むための眠りは、形が違う。
ケインは、立ち上がった。膝が軋み、視界が一度、白く揺れた。身体はまだ、昨夜の分をまるで返してもらっていない。それでも、水と、それから囲いの様子を——そう思いながら、戸を押し開けた。
靄の中に、出た。
牧場が、消えていた。柵も、囲いも、遠くの丘の線も、靄の中に溶けている。見えるのは、足元の草の露と、数歩先までの世界だけ。音もまた、靄に吸われて、遠くのものは輪郭を失っていた。囲いの方で、誰かの声。羊の鳴き声。どちらも、水の底のように、丸い。
その靄の中に、白いものが、ひとつ、立っていた。
柵の外。靄の濃いあたり。輪郭は、定かでない。靄より少しだけ確かな白が、四つ足の形に、そこにあった。犬だ。大きさは——測れない。距離が掴めないせいだ。ただ、立ち方で分かる。座りもせず、うろつきもせず、ただ立って、まっすぐに、こちらを——
見ている。気がした。
目は、見えない。この距離と、この靄では。それなのに、囲いの方の声も、羊の声も、そこだけ避けて通っていくような——静かな一点が、そこにあった。
犬。
この領で、犬はあらかた山へ消えたはずだった。残っているなら、牧夫たちが知らないはずがない。まして、あんな白い——
ケインが柵に手をかけた、その動きひとつで。
白は、音もなく身をひるがえした。
跳ねるでも、駆けるでもない。輪郭が靄に溶けて、消えた。あとには、乳色の朝だけが残った。草の露が、冷たく光っている。どこにも、足音はなかった。最初から、音というものが、なかった。
ケインは、柵に手をかけたまま、消えたあたりを、しばらく見ていた。
見間違い。寝起きの目。靄の作る形。——そう片づける言葉なら、いくらでもあった。ひとつずつ並べて、並べ終えても、視線は、そこから動かなかった。
胸の底で、何かが、かすかに引っかかっていた。
懐かしい、というのとも違う。知っている、というには遠い。ただ、あの白の立ち方を——まっすぐにこちらを見て、動かない、あの立ち方を、この胸のどこかが、放っておけずにいる。
それが何かは、掴めなかった。
囲いの方から、ドルフの声が、靄を割って届いた。ケインを呼んでいる。悪い順の、最初の一頭が決まったのだろう。
ケインは、柵から手を離した。
一度だけ振り返り、靄だけの朝に目をやってから、声のする方へ、歩き出した。




