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太陽が笑えば、それでいい  作者: 水前寺鯉太郎


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ミチのぴょこぴょこ大運動会


 おやおや、亜紀子ちゃん。

 「ありがとう」という言葉を失い、喉に言葉の墓石を立てて立ち尽くしているなんて、あなたらしくありませんね。

 言葉がないなら、心がないなら――代わりに「カタチ」があればいい。そうは思いませんか?

 私は知っています。「言葉のない遊び」こそが、この丘で最も洗練された、魂の削り方だということを。

「ねえねえ、亜紀子! 言葉が出ないなら、身体を動かそうよ! **『まねっこゲーム』だよ!」

 黄色いミチが、亜紀子の目の前で、不自然なほど高い飛躍を見せました。

 それが、この世界の冷酷な祝祭――『ぴょこぴょこ大運動会』**の、残酷な号砲でした。

 ルールは至って単純。

 ミチが描く「表情」の鋳型に、亜紀子が自らの筋肉を流し込むだけ。

 ミチが唇の端を吊り上げれば、亜紀子の顔面も、見えない指に引き絞られるように吊り上がる。

 最初は、ただの体操だと思っていました。けれど、真似を重ねるごとに、亜紀子は戦慄します。

 (……私の、本当の顔は、どんなだったっけ?)

 

 いつもより数ミリ高く設定された口角。いつもより数度深く刻まれた目尻の皺。それは、ミチという記号の完璧な模倣であり、亜紀子という個人の抹殺でした。

 鏡を最後に見たのは、雨に濡れた軽トラックのサイドミラー。そこに映っていた、泥を跳ね上げ、不安に引きつった「醜くて愛おしい、自分だけの顔」。

 けれどその輪郭も、まねっこゲームの熱狂の中で、さらさらとパステルカラーの砂へ還っていく。

 ミチが地面に伏せ、肩を激しく震わせました。嗚咽の「フリ」です。

 亜紀子も、それに倣います。

 不思議なことに、悲しくもないのに肩を震わせる「カタチ」をなぞるたび、胸の奥に残っていた「本当の悲しみ」が、じゅわっと音を立てて蒸発していく。

 お母さんの震える指先も、督促状の朱い色も。感情の核が抜けて、ただ「震える肩」という記号だけが、彼女に残されました。

「すごい! 亜紀子、完璧なカタチだよ! 一等賞!」

 ドコが拍手し、ガタが銀のラッパを吹き鳴らす。

 ガタはもう二度と亜紀子と目を合わせません。ただ、そのラッパの音色だけが、かつて人間であった者の「手向けの音楽」のように、静かに丘を震わせていました。

 一等賞の景品として、クボが差し出したのは、あの**「星のヘアピン」**でした。

 パステルイエローに輝く表面。よく見れば、誰かの名前を必死に削り取ったような、痛々しい引っかき傷が残っている。

 あの丘の裏側の、灰色の少女。

 私は、お話を補足しておきましょう。この丘では、色は、魂の灯火そのもの。

 ヘアピンが輝いているのは、灰色の少女から吸い取った「逃げたい」という執念が、まだ熱を持っているから。ヘアピンは、新しい持ち主の新鮮な血(色)を求めて、嬉しくて輝いているのです。

「さあ、つけてみて。とっても似合うよ」

 ドコに促され、亜紀子はヘアピンを手に取りました。

 灰色の少女の、冷たい指先が囁いた言葉。

 ――受け取らないで。それは、わたしの「最後」だから。

 けれど、拒絶しようとした喉は、またしてもぴたりと塞がります。拒むための言葉は、もうどこにも落ちていない。

 

 ミチがにっこりと、首を縦に振りました。

 まねっこゲームは、まだ継続中だったのです。

 亜紀子の首は、自らの意志を置き去りにして、こくり、と従順に頷きました。

 カチリ。

 星を髪に挿した瞬間、脳の奥で何かが「決定」される音がしました。

 一歩、足を踏み出す。

 ……ぽよっ。

 今までとは違う、骨の髄まで響くような、粘りつく軽快さ。

 どれほど強く地面を蹴っても、もう、アスファルトを叩く硬い音は響きません。彼女の歩行リズムは、この世界のパステルカラーの呼吸と、完全に同期してしまった。

 

 地団駄を踏もうとしても、足は無慈悲に、楽しげに跳ねてしまう。

 怒りも、絶望も、すべては「ぽよっ」という滑稽な音に変換され、大気の中に霧散していく。

 ふと見下ろした足元。白かったスニーカーは、もう、灰色の少女が触れた右手の甲と同じ、毒々しいパステルピンクに染まっていました。

 私は知っています。

 亜紀子ちゃん。そのヘアピンは、かつての持ち主が「逃げられなかった理由」を凝縮した呪い。

 それを身につけた瞬間、あなたの「逃走」という選択肢は、世界のルールに上書きされたのです。

 

 その夜。夢の中で、灰色の少女が亜紀子の前に座り、唇を動かしました。

 

 ご・め・ん・ね。

 

 それは、重荷を他人に背負わせて逃げ出した、弱くて、あまりに人間らしい生存本能の告白。

 目が覚めると、枕元に小さなパステルピンクの粒が、またひとつ転がっていました。

 「ありがとう」の次に、彼女が吐き出したもの。

 それが、自分の名前のどの部分だったのか――。

 朝日が昇り、ポヨたちの「うふふ」という笑い声が聞こえ始める頃には、もう、気にする理由さえ見つからなくなっていました。

 さあ、亜紀子ちゃん。

 今日からあなたは、この丘で一番「完璧な笑顔」の持ち主ですよ。

 おめでとう。自分を捨てて、ようやくあなたは、幸せになれたのですね。

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